田中栄二のママチャリ日記 第八弾
「落日」
サイクリングロードが終わりに差し掛かると、強制的に国道1号線に戻る事になるのだが、ここからはいわゆる歩道というものが無くなり、片側一車線の、チャリにとってはかなり過酷な状況が続く。
路肩もほとんど存在しないような道路状況で、しかもやたらとトラックが多い。
体力的には、当初危惧していたような絶望的な疲労感というものは感じなかったのだが、すれすれにトラックが横切って行くという状態が続くと、危険なばかりか相当なストレス感が溜まってくる。
この道を進み続ければ、どうやらこのまましばらくこの危険な状況に身を置かなければならない事を地図で確認し、多少遠回りになるが国道1号に戻る事を決断。
本来、東京→熱海は、この国道1号を通るのが最も効率のいいコースである事は知っていたのだが、途中三浦半島に立ち寄るし、なによりせっかくだから海岸沿いを走りたいと、このルートを選択したのだ。
だが、現状ではもはや日も落ちかけているし、海岸沿いのいいところは消滅したに等しい。
地図を確認し、国道1号線まで出来るだけ近いルートを検索。
ここで、先日の綱島街道以来のルート選択を迫られる事に。
一番早い道のりは、結構複雑な行程を要しているようで、結構レアな小道と思われるルートを通らなければならず、もう日が落ちかけている今となっては、道に迷う公算が高いし、場合によっては完全に行き詰まり元のルートに戻ってしまう事もあり得る。
そう考えると、このまま現状のルートを維持するのが安全ではあるのだが、しばらくこのまま危険な海岸沿いを走行しなければならず、それはそれできつい。
行き詰まり覚悟で最短ルートを行くか、走行しづらいが確実に行けるルートを行くか。
結局、この道に飽きたと理由で、少々危険を伴うが最短ルートをチョイス。
そして、案の定道に迷う。
どう考えても地元民しか使わないような道を行ったり来たりし、時には袋小路に迷い込み、相当な時間を費やしてしまう。
しかも、この段階で日はもうかなり落ちていて、いちいち地図を確認するのも街灯が少ないせいもあってか困難になってきて、こりゃ完全に選択ミスだという苦い自覚が起きて来たのだが、今更海岸線の道路に戻るのも逆に難しい状態で、とにかく闇雲に走り、なんとか国道1号を発見。
なんとか先が見えた事に安堵したのだが、完全に日は落ちてしまい、チャリで旅を優雅に堪能するという感覚は無くなり、後はひたすら熱海を目指すという一点に気持ちを切り替え、改めてペダルを押し下げる。
さすがに国道だけあり、歩道も整備され、確実に走りやすい。
そして、安堵感と同時に再燃して来たのが空腹感。
N邸を出発して以来何も食していない訳で、当然である。
もはやこの度に関して食に対しての期待感が余り無くなって来ており、迷わずファミレスに突入。
しかし、今後の事を考えるとファミレスごときで贅沢するわけにはいかず、一番安いナポリタンを注文。
完全に「燃料補給」意味合いの食事を済ませ、気合いも新たに再始動。
そこからは、多少のアップダウンはあったものの、比較的さくさく進み、気がつけば小田原突入。
小田原市街に入ると、歩道が急に広くなり、走行はかなり楽になる。
街並も活気を帯びており、なんかいっそのことここでゴールって事でいいんじゃないかという感覚にさえなったが、まだ足には余裕があったので、ここは有言実行で、やはり最終ポイント熱海を目指す事に。
今思えば、この時のこの判断が、今後の私の人生をも左右させる決断だったとは、その時は知る由も無い。
もはや完全に日は落ち、後は目的地を目指すという目的のみになった段階で、国道一号から国道135号という海岸線沿いを走る道入る。
とたんに歩道が狭くなり、往来する車もトラックやダンプカーなど、ママチャリにとっては天敵とも言える大型車の往来が多くなり、走行が一気にナーバスなものになる。
しかし、小田原を超えたという事は、もはや熱海を射程にとらえた、と言っても過言ではなく、ひたすら目的成就の為にペダルを押し下げる。
そして、行き先を示す青看板に、ちらほら熱海の隣の温泉街である「湯河原」という文字が出現し出し、ぐっと熱海が現実感を帯びてくる。
いける。いけるぞ。
そして、私にとっては今や伝説となった、国道135号と、舞鶴自動車専用道路の分岐が現れたのだ。
←自動車 その他の車両→
この看板が意味するところは、至極シンプルである。
自動車は左の道へ、それ以外は右の道へ。
このシンプルな選択こそが、今後3時間、私にとって壮大なドラマを生む結果となったのだ。
こう言われては、ママチャリとしては右のルートを選択するしか無い。
その右ルートは、依然「国道135号」という名称であり。左ルートは「舞鶴道路」という自動車専用道路である。
まあ、なんだかんだいっても国道を通る訳で、それほど差はないであろうと、さして気にせず右ルートへ。
そして、走る事数分で、私は異常を感じ取る。
な、なんだこの急勾配は。
これは昨日の綱島街道の比では無い。
この坂を坂を上れば下りになるはずだ、という期待感を込めてママチャリを漕ぐも、一向に上り坂が終わる兆しが無い。
これは、ひょっとして。
これは、立派な山なんじゃないか。
そして、余りの急勾配の連続に、この旅初めて、ママチャリを漕ぐ事を断念。
徒歩での登山となる。
ただひたすら、ママチャリを押し、山頂を目指す。
平坦な道に出たらチャリにまたがり、昇りが急になればチャリを押す。
この行動を、一体どれだけ繰り返しただろうか。
そして、気力を振り絞り、どうやら山頂とおぼしき地点まで到達。
精も根も尽き果てた状態だったのだが、後は引力に任せて下るだけである。
そして。
隣の温泉地、湯河原に到着。
来た、来たぞ。
もう熱海は目前だ。
予想外の登山という事態に、気持ちが折れかかっていたのだが、目的達成が近いという事実が、私の心を再度奮い立たせる。
後少し、後少しだ。
ここに来て、歩道も整備され随分走りやすくなっている。
ビクトリーラン、こう言う言葉が私の脳裏をかすめたとき、思いも寄らぬ事態が発生した事を、見覚えのある青看板により告げられる。
←自動車 その他の車両→
恐怖の分岐、再び登場。
しかも、右ルートを見ると、もはやイントロからあり得ない角度で登っているではないか。
な、なんだよ、ふざんけんなよ、また山登れって言うのかよ、俺、ママチャリでここまで来てるんだぜ、ママチャリで二つ山超えるなんて聞いた事ねえよ、どうなってるんだよおい。
これは心の叫びなどではない。
私はこの時、人目も憚らず(というか周りには誰もいなかったのだが)本気で叫んでいたのだ。
実は、この段階で、湯河原に戻って、そこでゴールという事にでもしないと絶対に無理だ、という結論に一度は達したのだ。
しかし、私は、2つ目の山に挑む事を決意する。
理由など、何も無い。
ただの意地だ。
そして、完全に無謀とも言える、2つ目の山へ、アタック。
体力的に、ちょっとした昇りでももはや漕げなくなっていたので、始めからママチャリを押すという格好に。
上り坂でママチャリを押し続けるのは、平坦な道でのそれとは全く異なり、ママチャリ自体の重量が大きな負担となり、通常ただ歩く、という行為の倍以上の付加が掛かる。
しかし、漕いではまるで進めないので、もう、ひたすら、チャリを押し上げる。
しかも、先程の山より、おそらく遥かに高い事は疑い用が無い。
なぜなら、先程の山は、まだ所々民家や街灯が点在していたのだが、この山に関しては民家は全くなく、街灯も完全にない。
更に、道のカーブの度合いが、こんな感じだったのである。
こんな感じこんな感じこんな感じこんな感じこんな感じこんな感じこんな感じこ
お分かりいただけるだろうか。
このような疑いなく山登りまっしぐらという道を一人でママチャリを押して進む男の気持ちを。
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