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インカ道トレッキンッグ その2

ようやくマチュピチュ遺跡に戻ってきた
時刻はお昼過ぎ
遺跡には、ペルーの遺跡管理局がアルパカを放し飼いにしている。
雑草を食べさせ綺麗にさせているとのことだった。

大分疲れたが遺跡をそのまま通過して「インカブリッジ」へと向うこととした。
トレッキングガイド嬢とは分かれて独自に行くこととした。
どうも急峻な登りが続くし変だなと思って、引き返えしたら「モンターニャ・マチュピチュ」(マチュピチュ山)の登山道に迷い込んでいた。
案内表示板が遺跡の景観への配慮からか、とても小さく、さりげないので見落としていた。
おりしも、雨脚が強くなってきた。
丁度通りかかった現地ガイド氏に行きかたを尋ねると、「今日は雨模様で足場が悪いからよした方がよい」とのことだった。
が、なんとか、道しるべを発見し行くことにした。
途中はインカ道トレッキングその1の画像にあるような整備された石畳の道と違い、急峻な岩場が連続する相当ハードな道だった。(雨は降るし、体もきつく写真を撮る余裕なし)
歩くこと1時間強で「インカブリッジ・インカの防御の落とし橋」が見えてきたときには正直ホッとした。
近づくとこれ以上行ってはなりませんと、木のバリケードがしてあった。その先は樹木に覆われインカ道は見えない。
これが遺跡発見当時の状態だったのであろう。
多分画像右手方向から来る外敵をマチュピチュ本体に入れさせないため、ことあるときにはこの丸太を下に落下させ遮断したのだろう。
下は目も眩むような断崖絶壁
それだけのための橋脚なのに、どうだろうこの石積の精緻さとデザインは

グランドデザインの美意識・大地の神に対する畏敬・敬い
クスコからマチュピチュへと続く道(少なくともインティプンクからの道)は言わば「高貴な人が通るはえある道で」インカの石積み技術をこらした道なのであって、キープ(情報伝達の組みひも)を持ったチャスキ(伝令・飛脚)が駆け抜けた「普通のインカ道」は今歩いてきたような山道だったのであろう。
帰り道、雨も上がり、名も知れぬ花々ごしにワイナピチュが見えてきた。
別の角度からの遺跡の全景
帰りのバスに少年チャスキ(グッバイボーイ)が乗り込んできた。
つづら折のバスに対して、彼らはショートカットで山の斜面を駆け下りる。そのため、バスがヘアピンカーブに差し掛かるたびに同じ少年が声を張り上げる。「グッーバイ!・アデイーオス・サヨーオナーラ」と。

 グッバイボーイの彼は息を弾ませながら、「どこの国のグルーポですか?」と尋ねてきた。ハポンだと答えると、「日本語でアディオスは何というのですか」と私に聞くのだった。私が教えてあげると、安心したのか何度も「サ!ヨ!ナ!ラ!」と練習した。
 やがて、キリットした顔となり、つづら折のバスに呼びかけたように、車中で「お別れの言葉を」英語、スペイン語、日本語で繰り返したのだった。

この稿平成19年1月21日記す

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