─第十七号─

平成二十一年四月三十日

発行 精神障害者共同作業所草加物産企画

編集 大嶋顕太

〒340-0044 草加市花栗1-23-4

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「『古事記』って、知ってる?」

〜「ジェンダーフリー」を受け入れている、「ジェンダーフリー」反対論者の話〜

 

〜古事記〜

 いきなりですが、皆様は、『古事記』という書物をご存知ですか。「ああ、大昔の日本にあった本だったような……」ぐらいが一般的な認識でしょうか? 『古事記』は日本最古の歴史書であり、「日本という国の由来」と「天皇家」の生い立ちなどを神話としてまとめた本です。ご存知の通り、日本では、「鰯(いわし)の頭にも信心から」のような、「八百万(やおよろず)の神」がいるという国です(正確には「神仏習合」、つまり神道と仏教の混ざり合った状態ではありますが)。その「八百万の神」たちがいる日本の国の由来を訪ねれば、おそらくは、書物というかたちに残したものとしては『古事記』に行き着くのではないかと思います。

 

 その『古事記』が成立したのは6世紀中ごろで、「稗田阿礼(ひえだのあれ)」という人が暗誦していた、初代の様々な天皇やこの世界と日本の国の生い立ちを、当時の日本の文字として主流だった「日本流の漢字」を交えて編集して書物という形に残しました(この『古事記』成立のしばらく後に、『日本書紀』というのも残されましたが、ここでは、これからの話にあまり関係ないので触れません)。

 その『古事記』の中に、こんな話があります。ある日、日本版「アダムとイブ」のような存在である、「伊邪那岐(イザナギ)」(男性)と「伊邪那美(イザナミ)」(女性)という二人の男女の神様が、「どろどろとしたクラゲのようなものが漂う海面の上」に、日本という島(国)をつくるにあたって、女性である「伊邪那美(イザナミ)」のほうから、男性である「伊邪那岐(イザナギ)」に声をかけて誘って、ある家のまわりをぐるぐる回って、「日本の島」を作ろうとしました。しかし、失敗しました。理由は、「女性のほうから声をかけ、女性を先頭にして国を作ろうとしたから」です。次に、「じゃあ、私のほうから‥」ということで、男性の「伊邪那岐(イザナギ)」を主導にして、女性である「伊邪那美(イザナミ)」に声をかけ、家の周りをぐるぐる回ると、今度はちゃんとした子供(島)が生まれました。

 だから、私は何が言いたいか。それは、今回の文章を最後まで読んでいただいて、それでも、なおかつ、「そういえば、『古事記』っていう神話みたいな本もあったな」ぐらいの引っかかりが残れば、私の勝ちです(参考文献 出雲井晶著『日本人なら知っておきたい「日本神話」』(扶桑社)『母と子におくる教科書が教えない日本の神話』(扶桑社)、『親子で読める 日本の神話』(日本教文社))。

〜「ジェンダーフリー」とは?〜

 さて、サブタイトルの「ジェンダーフリー」の話です。この「ジェンダーフリー」という言葉は、ご存知の方はどれぐらいいらっしゃるでしょうか。ある部分の「活動家」の方、あるいは、大学で「教育学」などの授業を受けた経験のある方は、どこかで耳にした言葉かもしれません。論議に入る前に、「ジェンダーフリー」という言葉の定義をしなければなりません。今回は、インターネットでの「言葉」の検索にある「はてなキーワード」から引用してみました。

「『ジェンダーフリー』とは、男女の違いについての、社会的歴史的に形成されて、伝統的・慣習的に当然・自然とみなされるようになった区別、『あるべき姿』、役割分担などが、盲目的に押し付けられ、強制されることで生じる不利益、不公平、偏見などをなくそうという運動・思想である」

 ここまでが、「はてなキーワード」においての、「ジェンダーフリー」の基本定義です。さらに続けて、付則説明として、

「しかしながら、どのような区別や役割分担が盲目的に押しつけられ、強制されてきたのか、明確にされているわけでは無く、不利益、不公平、偏見などを無くすために強権的な手法も用いられているとして非難・批判されることも多い。ジェンダー・ジェンダーフリーの定義、それらが見いだされた根拠等は明確ではなく、ジェンダーフリー推進派・反対派とされる人々の中にも様々な考えがあるのが現状である」

 ここまでが、インターネットの「はてなワード」による「ジェンダーフリー」という言葉の定義と付則説明です。

 基本定義を手っ取り早く言ってしまえば、つまりは「『男らしさ』や『女らしさ』というものは、後天的な社会的な教育や現在及び過去の社会規範・道徳で「つくられた」ものだから、そんなものは押し付けられるだけ、損。そんなもん、かんけーねーじゃん」という話です。

 確かに、これにも理屈としては、一応成り立っているのかもしれません。ただ、現実問題、というより、そういう短絡的な結論が、果たして、日本人としての「たたずまい」というものを美しくさせるだろうかという問題もあるような気がします。

 ジェンダーフリーの議論は、ウーマンリブ運動の女性運動とか、あるいはもっと広く、「女性の社会進出」とか「女性の自立」いうものと、無関係ではないでしょうが、しかし、本当のところを言えば、今の「ジェンダーフリー論」は、「ウーマンリブ運動」の延長線上にはあっても、本当の意味での「女性の社会進出」と「女性の自立」とはあまり関係のないもののような気がします。今の「ジェンダーフリー論」は、しばらく前の女性たちのアキレス腱であった「男性からの経済的自立」、つまり、経済的に男性に依存しているが故に、男性に対して、言いたいことも言えず、口ごもっていた女性たちが、精神的、肉体的、対人関係的にも「体力」を使いながら、やっとの思いで獲得した「女性の自立」とは、おそらくは、無関係で、言ってしまえば、今の「ジェンダーフリー論」の賛成の意味においての論者のいうところは、「なんとか、男性からの経済的な依存から抜け出して、少しは社会的な自己実現を図りたいな」ともがいている女性たちに対しても、あるいはまた、小中学校教育の期間の子供たちにも、ある意味で、「甘言を弄して混乱させる手合いの論理」ではないのかという気がいたします。

 〜例えば「ジェンダーフリー」を「受け入れる」として…〜

私は、この原稿のサブタイトルに、「『ジェンダーフリー』を受け入れている、「ジェンダーフリー」反対論者の話」と書きました。このサブタイトルの前半のセンテンスの「『ジェンダーフリー』を受け入れている」の部分の根拠というか、理由は、まとめると以下のようになります。

前回の「少子化」問題の時にも触れましたが、「格差社会」といわれる、現代の日本の低所得者層が、子供をめでたく授かって産んだとしても、その養育費を捻出するために、産休はあったとしても、基本的に共働きにならざるをえず、その場合、おおよそですが、バブル期ぐらいまでの日本の結婚前の女性のあり方として成立していた一連のステップが成立しにくくなった。つまり、高校を卒業、あるいは短大や専門学校、4年生大学を卒業した後の一定期間の「就職」を花嫁修業の一環として、ちょっといやみがかった言い方ですが、「利用」していた。そういう「若い頃の女性の就職は、花嫁修業の一環よ」というのは、十分一般的にあったと思います。しかし、現在はどうでしょうか。共働きを前提にしなければ子供を埋めなくなってしまったかに見える「格差社会」以降、めでたく「寿退社」し、さらに、「幸運」にも「専業主婦」になれる人口は相対的に減少しているのが現状でしょう。だからこその「少子化対策」であって、その解決の糸口は、「フランスに学べ」と前回の瓦版原稿「ミスチルと少子化と草加物産」に書きました。私個人としては、会社や企業における男女平等の職場意識、というより、「働く」という労働の現場においての、「労働力」というものにおいて、男女の役割分担は当然あるにせよ、「生きる」=「動く」=「働く」という人間の根本に関わる部分においては、あまり、差はないだろう、あるいは差はないほうが、「労働」の成果は得やすいのではないかと思えます。この部分が、本文章のサブタイトルの「『ジェンダーフリー』を受け入れている」の部分の根拠です。日々の労働の現場において、男女問わずの弱肉強食原則の世の中で、もたもたした「めめしさ」は、「仕事の邪魔」ですらあるし、あまり、根拠のない、というより、「石頭」に近いような男権主義者も、仕事の能率を下げることさえあるだろうと思います。これが、言わば、「ジェンダーフリーを受け入れる」という部分のおおよその論拠です。

しかし、また一方で、労働の場においての、男女の役割分担、例えば、髭そり痕の残った、ちょっと悪く言えば、「むさい、おっさん」の男性社員に、来客用にお茶を運ばれるより、できれば、身奇麗な女性にお茶をもてなされたほうが、一般的でもあるし、なりよりも、もてなされる来客者=顧客には喜ばれる場合が多いでしょう(昔の日本には、殿様にお茶をもてなす「男性」の「お坊さん」という存在もありましたが)。そういう意味では、「男らしさ」や「女らしさ」は今でも厳然と生きているのではないかと思います。これが、言ってみれば、先ほどと逆の「反対論者」であることの根拠の1つでもあります。

 ただ、多少旧聞に属しますが、「ジェンダーフリー論」の賛成派の立場、あるいは運動において、例えば、小学生の段階で、露骨な性教育、つまり「SEX」の仕組みとか、あまり口には公ではいえないような言葉、例えば、「ワギナ」の構造はこうなっており、「ペニス」はこういう仕組みで、「具体的な人形を使って、みなさんも学びましょう」という教育が一部の教育現場でおこなわれていました。果たして、これは本当の意味での「教育」と呼べるか大いに疑問です。いくら、中間共同体の崩壊した現代の日本だからといって、それは、暗黙に、家族、友人たちと「秘められたもの」という意識でもって「自然に」知っていくものではないでしょうか。その「自然さ」の欠如、不自然さの極みに「ジェンダーフリー論者」が足を踏み込んでいるような気がしてなりません。

 私の話はぐるぐるとよく回るのですが、一方において、女性の労働の現場においての「自立」を阻む過酷さというものはあったように思います。もう、随分昔の話だと思いますので、想像しにくいことかもしれませんが、女性の社会進出が叫ばれ始めた頃、経済的に依存していたが故に、言いたいことの肝心のところで、ものをいえなくなっていた「女性たち」が、ある時期から腹をくくって、自立の道を歩み始めました。その頃の「自立」を目指す女性の周りの反応、つまり、その女性の上司が男性だったりした場合、「せっかく、こっちが面倒みてやって、世話してやってんのに、『自立』だなんていって、距離をおく、嫌なやつ」ぐらいのことは心の中でつぶやいた人(あるいは、口に出して言った人もいたかもしれませんが)は多かったと思います。さらに、男女問わず、会社の同僚たちは、社会進出、つまりは、「女性の自立」を果たそうとする人達は、なにかと、「あいつは、女のくせに生意気だ」というような「悪口」の刃を突きつけられていたように思います。しかし、今や「女性の自立」はほとんど、常識のように達成されてしまっていますし、それは、その昔に「勝ち取った」女性たちの本当の意味での、実質のある「権利」ですらあるようです。それを、今の日本で「ないこと」にするのは、頭の具合のよろしくない一部の「保守」という立場を意固地になって固持する人か、タチの悪い男性上司ぐらいなものかもしれません。「下流社会」「格差社会」が叫ばれ、「セレブ」や中流階層崩壊後の、その下部でない、少数の上部に位置する人を除き、もう、一般的には、働くという現場においては、男性平等云々を、いまさらのこどく蒸し返すこともなく、体育会的に「元気に働こう!」が、働くということの答えのひとつにさえなっているように思います。ただ、一部の「エリート」、あるいは、「上流部分に属する人々」、悪意のない「セレブ」という種類の人を除いた、圧倒的多数の「平凡」を淡々と受け入れている人たちに、いかに、「平凡」であることも大切なことか、その平凡を選択した多くの人たちに、「平凡であることの『希望』」を、どのくらい、今の主導権を握っていると思われる政治家や、多くの要職にあるひとが、「平凡」に「希望」を与えるように努力しているか、あるいはそのことを認識しているか、大いに疑問です。「平凡であることの勇気」といったら大げさですが、少なくとも、数年前の日本の、もろ手を挙げて喜こんで受け入れた、アメリカ発の「新自由主義」とか、「構造改革」を先導していった人たちは、それらの政策がもたらしたともいえる「格差社会」の中で、「平凡であること」がいかに困難になりつつあるか、あるいはなってしまったかを、どれぐらい肌身をもって認識、あるいは予測できたでしょうか。

 話が大いに脱線して、私憤にかられた文章のようになったような気もするので、最後に議論を強引に「ジェンダーフリー」に戻し、いきなりの最後になりますが、「じゃあ、あなたは、結局のところ、ジェンダーフリーに反対なの? 賛成なの?」と問われれば、私は「そういう短絡思考の過去が、『今』という時代を混乱させてきた要因の1つだった可能性はありませんか?」と答えて、今回のニュースレターのエッセイの終わりにかえさせていただきます(短いまとめで、すんません)。では、また次号で。



仁 科 安 彦の

日 本 史

〜「皇紀」とは〜

 普段、日常生活で使用することは、ほぼないので、「皇紀」というものを知らない人が多いかもしれない。これは、明治5年(1872)、時の政府が、古事記、日本書紀等を元に日本の建国を紀元前660年にわり出し、それを日本の建国紀元としたもので、終戦直後まで実際に使用されていたものである。戦後、西暦の普及にともない、カレンダー等からも消え、忘れさられたものである。因みに「皇紀」をわり出すのは、西暦に660年を足せばいい。西暦2009年は、皇紀2669年となる。

作画・仁科安彦

〜「元号」〜

 元号は、大雑把に書くと、中国が紀元前140年、建元元年から始まった。それを日本では、645年、大化元年、大化の改新の年に取り入れた。また、天皇の一世一元になったのは、明治(1868〜)以降である。明治は45年(1868年9月8日〜1912年7月30日)。大正は15年(1912年7月30日〜1926年12月25日)。昭和は64年(1926年12月25日〜1989年1月7日)。平成は今年で21年(1989年1月8日〜)。これらはまだ続くでしょう。昭和や平成は「世界平和」を意味します。

 元号は格好悪い、計算が面倒くさい、非国際的、保守主義につながるので嫌だという人もいるかと思いますが、国の伝統文化を大切にする事は、決して「悪」ではないと思います。元号は漢字と数字を組み合わせ、意味をもち、いつ変わるかわからないユニークさを持つ。なかなか、味のある「暦(こよみ)文化」だと感じています。私自身、西暦は今の時代、必要だと思います。同時に元号も必要だと思う。私はこの元号という「ユニーク」な制度を愛し、これからも使い続けたいと思っています。また、「一世一元制」は西暦程ではないが、国民の利便性に、ある程度かなっており、それでいて、同時に伝統文化も保護される、すぐれた方法だと言えるのではないかと思います。

作画・仁科安彦




りゅうたろうの

   

Part.1 〜アキバ(秋葉原)〜と「萌え」産業。のゆくえ〜

 俺が「アキバ(秋葉原)」を知ったのは、三年前だったと思う。今、「アキバ」には、あらゆる「萌え産業」が店を構えている。俺が、いわゆる「メイドカフェ」に行ったのは1年前にもなるけれども、楽しかった。今、どれだけ、「アキバ」に「萌え」があるかわからないが、これからのアキバの活性化のために、「萌え」を含め、どんな産業が参入してくるのか、「俺」は考える。

Part.2 〜「りゅうたろう」の箱根親子二人〜

(草加物産メンバー「りゅうたろう」さんが、2009年4月16日から4月18日まで、りゅうたろうさんのお父さんと箱根に「親子二人旅」に出ました。以下は旅行帰宅後のりゅうたろうさんの報告です)

☆Report.1

 朝8時30分ぐらいに目が覚めて、昼の13時30分に親父と玄関に行き、仏壇の母に手を合わせて「お母さん。和秀と父は旅行に行ってきます。どうか、この家を守って下さい」と祈り、まるで、「仲良し親子」みたいに振る舞いながら、出発しました。今回の旅行の目的というか理由は、「自分を試し、今までの自分と決別して新しくなる」という思いからです。

☆Report.2

 箱根の見所は、「温泉」と「そば」と「海賊船」と「彫刻の森美術館」です。後は、ロープーウェイに乗っての景色が、最高です(残念ながら、当日は天候がよくありませんでしたが)。歴史的なスポットは、「箱根関所」です。おみやげはもちろん「温泉饅頭」です。宿は、親戚の家(藤沢)に二泊しました。

☆Report.3

 帰ってみての旅行の感想は、「結構大変だったけど、もっと時間があったら、色々なところにもっと回りたかった」です。今度は新潟か、あるいはまた再び、箱根に行ってみたいです。



恒例

草加物産企画

Question.1 「好きなタレント、嫌い(イマイチ)なタレント(カッコ内は、その理由)」

好き!!

Gackt(ガクト・ミュージシャン。歌やパフォーマンスがスゴイ)、華原朋美(美人だから)、中山美穂(美人だから)、石原さとみ(顔が古風でかわいい)、岡江久美子(美人で性格もいい)、堀江真希(眼力めじかららがある。演技が上手い。握手会にも行きました)、小池里奈(可愛い。プロ意識が強い。握手会にも行った)、滝沢秀明(真面目だから)、氷川きよし(真面目だから)、EXILE(エグザイル。おどりが上手)、森高千里、ナイツ(テンポが良い)、江頭2:50(「1クールのレギュラーより、1回の伝説を」を実践しているから)、関根勤(ラビット関根時代からのファンです)、武田鉄也、レベッカ(ボーカルの「ノッコ」の歌声で、とても癒されます)、福山雅治(顔もカッコ良いし、歌も上手い) 、中川翔子、松嶋菜々子、本多美奈子、宇多田ヒカル(かわいい)、ホンジョウマイ、テンテン、麻木久仁子、ジャッキー・チェン、エディー・マーフィー

嫌い!!

タモリ、みのもんた、明石家さんま、飯島直子

Question.2 「カラオケでよく歌う曲、歌手」

 「春夏秋冬」(泉谷しげる)、「Dreamland」(BENNIE K)、「ラヴ・ジェット・コースター」(椎名へきる)、「葛藤」(鈴木彩子)、倉木麻衣、「Temptation」「つばさ」「1986年のマリリン」(本田美奈子)、DREAMS COME TRUE、プリンセス・プリンセス (PRINCESS PRINCESS)、サザンオールスターズ、「ALONE」(B'z)、「魂こがして」(ARB)、「ハナミズキ」(一青窈)、「あゝ人生に涙あり」(テレビ時代劇『水戸黄門』の主題歌)、「宇宙戦艦ヤマト」、「オリビアを聴きながら」(杏里)、「つぐない」(テレサ・テン)、鈴木雅之、「贈る言葉」(海援隊)、「真赤なスカーフ/宇宙戦艦ヤマトED」(ささきいさお)、「楽園」(YHE YERROW MONKEY)、「Don't you see!」(ZARD)、「I'm proud」(華原朋美)、「永遠」(ZARD)、「My Friend」、「あの微笑みを忘れないで」(ZARD)、「DIVE INTO YOUR BODY」(TM NETWORK)、Gackt、アニメソング

Question.3 「好きなゲームソフト、いまいちのゲームソフト」

好きなゲームソフト

サッカーゲーム

イマイチなゲームソフト

アクションゲーム

Question.4 好みのブランドや買い物(カッコ内はその理由)

ブランド

 Eddie Bauer(エディー・バウアー)、森英恵、Yves Saint-Laurent(イヴ・サン=ローラン)(丈夫だから)、CHANEL(シャネル)、クロエ、DIESEL(ディーゼル)、PRADA(プラダ)(質素な感じがすきです)、HUNTING WORLD (ハンティング ワールド) 、DONNA KARAN(ダナ・キャラン)(かっこ良く、大人らしいブランドです)。(その他、「好きなブランドは?」という質問の回答に、「特にこだわらない」「特にない」「なんでもよい」という回答も多数ありました)。

買い物のチェックポイント、その他

 「洋服やズボンは、ポケットが多いのを選ぶ」、「色とかわいらしさと値段と大きさで選ぶ」

その他の買い物

福袋(払う金額よりも何倍もの商品が入っている)

Question.5 尊敬する人、あるいは尊敬できる人の要素(人物名の後ろのカッコは、その理由)

尊敬する人物

ナイチンゲール(看護の全てにおいて、尊敬します)、レオナルド・ダヴィンチ(かなり器用で時代の流れに添うから)、オバマ大統領、(私を生んでくれた)母親(片親だったりので、仕事と家事をこなしながら、今まで育ててくれたことで、頼もしいと思います)、上杉謙信(編集注 「上杉謙信」を尊敬する人は、アンケートの中で2名いました)(儀を重んじ、民に対して優しいところ)、伊達政宗(隻眼というハンディを持ちながらも現在の宮城県の基盤を作った人であり、外交力がある)、小久保裕紀(野球選手。福岡ソフトバンクホークスの10月8日生まれですので、ホームランを量産したりしたシーズンとチャンスに強いところが評価するところです)、豊臣秀吉、徳川家康、野口英世、織田信長、武田鉄也、染谷施設長

尊敬できる人の要素

「人に対して平等であること」「人の悪口を言わない人」

その他

「好きな人物は沢山いますが、尊敬となると、一寸わかりません」「自分が生きるのでせいいっぱいなので、尊敬できる人はいません」

Question.6  読書について(読んだ本、影響を受けた本、これから読みたい本など)

『メリー・ポピンズ』(小学校4年生の時、読みました。夢があって、いい本です)、「『赤川次郎』の本なら、なんでも読みます」、『心の病は食事で治す』(生田哲著)、「病気に関連する本は読んでみたい」、『ノルウェーの森』(村上春樹著)、『ゲームの達人』(シドニィ・シェルダン著)、『昭和天皇』(出雲井晶著)、『靖国論』(小林よしのり著)、「『北斗の拳』に衝撃を受けたような気がします)、『日本の旅路』、「『京極夏彦』の本。妖怪とミステレーをコラボさせたところがいい。」、「いろんな歴史書を読んでみたいです」、「『綾小路きみまろ』の本など」、「経済学の本など」、「料理の本(スパゲッティーのメニューに最近こだわっています)

Question.7  草加物産企画について

草加物産企画を利用してよかった点、評価できるところ

 「たくさんの人と話ができたこと」「時間がつぶせる」「市役所などにおせんべいを販売に行ったりポスティングをしたりして、積極的に利益をあげているところが評価できるところです」「現在、外の社会で働くことができないので、助かっています」「生活のリズムを作れることと、雰囲気」「物産に行くことによって自分に自信がついてきてよいと思う」

草加物産企画で、これから重視してもらいたいこと

 「昼食会、外食会、花見など、いろいろなイベントをやってほしい」「煙草の禁煙所と自転車置き場の拡大」「スペースの確保(贅沢を言うようですが、広い作業場になればいいなぁと思います)」「一人ひとりにありのままの話をしてほしい」「草加物産企画、フロンティア両方ともスタッフ二名体制にしてほしい」「できれば日曜日もあけてほしい」

草加物産企画をこれから利用しようと思っている人に対してのメッセージ

「草加物産企画は、みんなが公平で家庭的にくつろげる場所だと思うので、気軽に来てくれれば幸いと思います」「同じ精神障害の人同士、お互いに助け合っていきましょう!」「何か、万が一、ちょっとした不満があった場合には、お互いにアドバイスをしてもらいたい」「利用者の方はみんなとてもよい方が多いので、ぜひ一度、見学に来てもらいたい」「アットホームです」

(以上、アンケートご協力、ありがとうございました!!)



学校での私の体験談の発表報告

海東 宏二

 2008年秋頃、私は帝京平成大学の坂野憲司先生が教えているクラスの学生さんたち約40名ぐらいの前で講演をしました。私の講演は約45分ぐらいでしたが、レポート用紙に約20枚ぐらいの原稿つくっておいたので、多少緊張しましたが、無事話すことができました。

講演を始めるにあたり、私は、「最初に皆さんに話しておきますが、私は統合失調症と、てんかんの当事者です」という言葉でもって始めました。そしてさらに「現在の日本の国でもまだ精神障害者の人たちに対する一般の人たちからの偏見が残っていると思います。20代半ばで私は発病して、そのときにケースワーカーの坂野憲司先生のカウンセリングを一週間か二週間に一回ぐらい受けました」ということも話しました。

 現在でも「さかの医院」で、坂野憲司先生のカウンセリングを継続して28年間受け続けています。そして、坂野憲司先生も「海東さんの場合、最初のうちは病状も重かったが、現在は寛解状態といわれるぐらいによくなりました。ただ、薬だけはずっと飲み続けてください」と言われました。

 そして、私は「学校の学生さんたちに講演することにより、学生さくたちも心の病気に対して少しでも理解してくれるところがあったらうれしいです」と述べ、さらに「そして、これからは福祉の方面に力を注いでくれる政治家の人たちが増えて、日本の国が福祉国家になることが私の夢です」と発表しました。

 以上が短いですが、昨年の秋の発表会のレポートです(終)



「C.Nさん(草加物産メンバー)」のフリーマーケットレポート

越谷しらこばと水上公園にて、おおよそ毎週の土日に、フリーマーケットが行われております。4月26日には草加松並木のフリーマーケットにも行きました。掘り出し物としては、Levi's(リーバイス)のGパンと、私がハマッているパワーストーン、ショルダーバック。珍しいところでは、美容液の無着色・無香料が300円。私の肌には合っていたので、2、3回買いました。また、私の探していたデザインの腕時計が500円で手に入り、満足しました。



りゅうたろう日本史仁科

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【session1】〜仁科編〜

 去る4月19日(日曜日)午前11時10分

 「仁科」と「りゅうたろう」は、日本一汚いと言われる一級河川「綾瀬川」に釣りに向かった。その暴挙の近くにいた子供らは、「こんなきたない川で何が釣れるの?」とまで詰問される始末だった。春というのに夏のような日差しに魚は釣れず、「りゅうたろう」は早くも飽きて「場所を変えたい」と言い出す。しかし、「『釣り』とは、気長な時間をかけて、のんびり過ごすのが普通だ」と釣り経験者の、仁科は思う。りゅうたろうは、葛西用水に場所を変えると言い切る。そんな時、綾瀬川下流から上流に魚の影が。2匹の真鯉だ。しかも、30センチぐらいのが泳いでいる。魚は、この汚い川にもいる。そこで、もう少し、この場所に残ることにした。しかし、それっきり魚の影は見えなくなった。りゅうたろうは、今度こそ、しびれを切らし、結局、2人して、その場を離れた。

 その後、東へ数キロのところを流れる葛西用水に向かった。道を間違え、遠回りで着いたが、なんと、葛西用水の水量が極端に少なく、川幅は30センチ、水深5センチ以下で、どこを見ても、魚など、いそうにないではないか!? 仕方なく、そこから1キロほど東の八条用水へ向かった。

 八条用水へついて、ホッとした。川幅2メートル、水深50〜60センチぐらいで、なんとか釣りが出来そうだ。早速釣り糸をたれる。明らかに真鯉の姿がチラホラと見える。しかし、なかなか釣られてはくれない。日差しは、初夏のように暑い。喉がかわく。釣れないまま、しばらくすると、りゅうたろうが騒ぐ。「網買ってくれば良かったよ」。……お前は釣りがしたいのか、魚とりがしたいのか?! 「両方だよ!!」りゅうたろうが騒ぐ。仁科は「魚なんて簡単に釣れるもんじゃないよ。もっとのんびりやろう」と主張する。結局、釣りはそこそこにして、帰ることにした。

 何が、「『釣り』は世界」なんだろう?!地元の魚にも相手にされず。

 次回は、一級河川「中川」という川幅100メートルぐらいの大きな川で釣りたいという、りゅうたろうたっての願いで決まった。多分、次回も期待、うす。

 釣り連載も、もうないだろう。第一回にして最終回?!もし評判が高ければ、次回に会いましょう。



「Uya can moon」さん(草加物産メンバー)作詩


悔しくて涙するのは、

「このままじゃ…」と、諦めていないから。

いろいろなキモチで力尽きて、

倒れても、一息入れて立ち上がれば、

諦めていない自分なら、少し時間がかかっても、

何度だって立ち上がってみせる

それが、たとえどんなに恥ずかしく、傷ついた姿でもいい

時間がかかっても、地平線の彼方までだって、

歩みは止めない

必ず「生きて、活かす」自分を。

そして歴史は刻まれる。



〜編集後記〜


今年も見事に桜は咲き、そして散っていきましたが、今回のこの瓦版は、そのちょうど、桜が咲き始める直前から、桜が満開になって、散っていった後ぐらいの間に編集執筆等をしました。16号から編集を任された大嶋ですが、初回の勢いのよさはどこへやら? というような突っ込みもあろうかと思いますが、今回は、これはこれで、自分では「まあまあの出来かな」などと、思っております。といっても、多くの方に執筆依頼をして、こぎつけた17号ですので、次回も編集を任されるようでしたら、執筆継続を強くお願いします。季節の変わり目で、衣替えの時期となりましたが、今みたいな時期は、薄着にしてみたら、「ちょっと、さむ!!」と思ったり、ちょっと寒いかなと思って、厚着をしたら、逆に汗をかいたり…。みなさんも健康第一でいきましょう。ではまた、次号で!!