作:小田桐詩歌(おだぎりしいか)
題:【興の旅古寺凶の度故事!?!】
本文―
幾重道 いくえみち
明け戸暗瀬戸 あけどくらせど
続く未知 つづくみち
枯れ山水花 かれさんすいか
柑橘類と かんきつるいと
―
!表向きの解釈!
幾重道 今では古都と呼ばれる京都へ幾つもの電車やバスを乗り継ぎ向かう
明け戸暗瀬戸 そこへ辿り着くまでにあまりに遠いため数日の間移動しては泊り移動しては泊まる
続く未知 幾つかの地で駅を降りるたび各地の名所を巡ったがどこもみたこともない未知なる世界である とても興味深い京の地はまた未知である
枯れ山水花 いざ京についてみて石庭を覗いてみると枯れ山水が見えてきた 山や川に泉そこらに花の模様が
柑橘類と 「水なき枯れ山水にあれ不思議 花があるなればどんな実がなるのやら」と他の旅のものが言を成す そこで我動きこう申す「彼の花のみは柑橘類である」私は枯れ山水の花にミカンや夏蜜柑の実を置き さも花が実を成したと言わんばかりにしゃべり一興した
【真の意味】
幾重道 「いくへみち」 〈逝くへ道〉(死への道)
明け戸暗瀬戸 「あけどくらせど」 〈@空けど〉(意味のない,虚しい)〈A飽けど〉(潤いがなく喉の乾く充足感のない) 〈暮ら背ど〉(暮らしに背を向ける、生きるのが辛く生きているのを嘆いている)
続く未知 「つづくみち」 いつまで続くのか先もわからずに(不安と恐怖に心を狂い踊らされ)
枯れ山水花 「かれさんすいか」 〈水もなき乾いた山川の野に泉が湧き花が咲くような奇跡的ことがあるならば〉
柑橘類と 「かんきつるいだと」 柑橘類の果実が実るのだとわかりますね 果実,類≦〈―過日涙―過ぎし変わらぬ戻らぬ過去に目(芽)をむけて涙することもなく(実がなるであろうように)未来に希望を持ち生きていけるであろうのに そんな絵空事はこれまでなかったどうしてこの世は苦渋にみちているのか
訳注〉@幾重道が幾恵や幾笑とならないのは下の句の柑橘類の黄色と枯れ山水の泉をかけて黄泉のことを指しているからである
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