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うつ病発症のTRICYCLE仮説                      20245


   

要約エピソード記憶回路、情動伝達系回路、行動計画回路は有機的連携を有しているが、うつ病はこの3経路内(tricycle=三輪車)の機能不全により生じる。これにより、情動が減じ、行動意欲を無くし、エピソード記憶が生じなくなる。

 きっかけはストレスによって生じる抵抗ホルモン(コルチゾール)の過剰分泌によるものと想定される。結果、海馬機能が著しく低下し、連携している3経路の機能も同じくシステムダウンしてしまう。

 また最近発見され話題となったヒトヘルペスウィルス6は、海馬と扁桃体の連絡路に位置する嗅内野を障害して3経路の連携を阻害するという意味で、ストレス仮説と同じ枠組みを有している。



1.  行動計画回路

 行動計画回路は、強迫症発症と関連があるとされるCSTC回路のことです。大脳皮質(C)で行動計画が練られ、大脳基底核(S)と視床(T)を経由し、現実に即した計画に修正され、再び大脳皮質(C)に戻ってきます。

 さてここでこの行動計画経路の出発点を前頭前野とすると、前頭前野はCSTC回路のCの一部ですから、当然のことながら修正情報は前頭前野に戻ってきます。そしてこの時点で、うつ病との関連で重要な事象が2点生じています。


① 再び戻ってきた時の情報をもとに、前頭前野に記憶を担う細胞(エングラム細胞)が形成されます。時空  間や動詞、人間関係などを扱う記憶領域(番地)に郵便ポストが設置されるというイメージです。

② 大脳基底核(S)の尾状核や側坐核からエンドルフィンやエンケファリンなどのオピオイド(脳内麻薬)  が放出されます。脳内麻薬とは言葉が悪いですが、イメージ的には、モルヒネが体内で生成され、脳内に  正負(嫌悪感や多幸感)の感情を生じさせる神経伝達物質です。

 


tricycle


2.  情動伝達系回路

  それでは具体的にエンドルフィンを例にこの脳内麻薬の仕組みを説明します。ある人が新しい料理を試食します。一口食べてみました。味覚は感覚野でデジタルデータに変換されて偏桃体に送られます。偏桃体ではこれの価値判断をします。
 「美味しい!」。するとこの肯定的な価値が側坐核を刺激してエンドルフィンを放出させます。この報酬系の神経伝達物質が視床下部に働きかけて実際の食行動に結びつきます。一方で偏桃体で形成された価値判断は海馬を刺激して、ここで情動が形成されます。このように情報伝達系回路は偏桃体を中心とした連絡網ですが、重要なポイントは海馬で情動が形成されるということです。ちなみに、海馬は情動生成のパペッツ回路に属しています。

 情動伝達系回路には、もう一つ重要な機能があります。それは、上図の記憶の整理としているいる箇所で表れます。それは、エングラム細胞(記憶細胞)に収納されている情報を確定させることです。



3.  エピソード記憶回路

  行動計画回路の①で前頭前野にエングラム細胞が形成され、情報を受け入れるポストが設置されることは説明しました。それではポストに入る情報はどこから来るのでしょうか。答えは、海馬によって形成されエピソード記憶回路によって運ばれてきます。エピソード記憶回路は上図の緑字で記されている部分です。
  まず、行動計画回路(
CSTC回路)によってもたらされる行動計画の確定版の情報が海馬に流れ、そこにあるエンブレム細胞に情報がセットされます。セットされた情報は、先に生成された情動によって固定されます。イメージすれば、車に乗った運転手がシートベルトを締めるようなものです。そしてシトーベルトを締めたら短期記憶の場(海馬)から長期記憶の場(前頭前野)に出発します。

 情動はこのように記憶の確定と転送の機能を有しています。エピソード記憶が単なる知識の記憶(意味記憶)ではなく、情動を伴った個人の体験に関する知識であることがこの一連の過程から理解できます。車に乗った運ばれてきた記憶は前頭前野にはこばれて、既に形成されている
エンブレム細胞(情報の受け入れ先)にセットされます。そして、偏桃体に投射されているエンドルフィンの作用によって長期的に固定(長期記憶)されるのです。

 注目すべきはこの記憶はエピソード記憶であり情動と結びついていることです。つまりは、快か不快かの情報をともなっていることであり、セットされた時空間や人間関係の情報は次に現れるであろう似たようなシチュエーションの行動指針になります。つまりは行動計画の判断材料になるのです。


 海馬から前頭前野への情報の流れを車に搭乗して運ばれるとイメージ表示しましたが、これは分かりや
      すく表現するた
で、実際は神経細胞どうしが連絡することによって情報が転送されます。



4.  神経細胞再生

 

 以上、3経路について述べましたが、情動、記憶、行動が有機的に連携していることが分かります。うつ病発症三輪車仮説は、この3経路の連携が破綻することによって生じると予想するものです

 さてここで重要な情報を補足的に追加します。再び、エピソード記憶回路に戻ります。海馬で生じた短期記憶は、前頭前野に転送され、海馬の記憶領域から消去されます。これは一見すると消去領域だけ記憶容量が復活すると思えますが、おそらく50点の回答です。というのは、その空き地(複数個所が連携していた)は前住宅の痕跡が残っているため、新しく住宅が建てるには制約が生じてしまうからです。それならば、その空き地を使用不可(デリート)にして、新しく建築用地を増設した方がはるかに効率的です。そしてこれが海馬に神経細胞が新生される理由です。このため、海馬に生じたエピソード記憶が前頭前野に送られた容量だけ新たな神経細胞が作られるため、時系列に関わらす海馬の記憶容量は変化しないのです。


 脳内の神経細胞が再生さるるのはめずらしい事例ですが、もう一箇所、嗅覚系を構成する嗅球が、一か月ごとに再生されることも分かっています。ところで、嗅球はヘルペスウィルス(HHV-6 )が潜伏感染している場所で、ストレス等でHHV-6が活性化すると嗅球の神経細胞は細胞破壊(アポトーシス)され、うつ病様の病態を呈することが最近判明しています。嗅球は嗅覚系の一要素ですが、同じく嗅覚系の嗅内野が、海馬と偏桃体の結節点に存在している事実も非常に興味をひくものです。






5.  発症経過

 a.原因



 





 うつ病の典型的は発症パターンから治癒までの流れを私が作成したフロー図を基に説明します。重要ポイントは①~⑥で示しました.


① うつ病のきっかけは、環境(仕事・学校・人間関係等)がもたらす重圧に個人がうまく適応できずストレ
      スを
ため込んでしまうことに始まります。

② 体がストレスを感じると、脳内からコルチゾールとBDNF(脳由来神経栄養因子が放出されます。

      コルチゾールは、副腎皮質から分泌されるホルモンの一つで一時的なストレス応答に有用とされます。

      BDNF(脳由来神経栄養因子)は神経細胞の成長や生存に関与する重要なタンパク質であり、こちらもまた       ストレス抵抗性にも関連しています。

      ところが不思議なことですが、この両者は協力してストレスに対応するというよりも、コルチゾールが
     
BDNFの産生を抑制することが知られています。

③ 不思議なことは連続して起こります。コルチゾールは分泌量が多くなりすぎると臓器障害を起こすという
      副反応が生じてしまうのです。
そのため人体には、ネガディブフィードバックという機構があり必要以
     上にコルチゾールが存在すると体が感知した際に
は、副腎皮質の分泌を抑制しコルチゾール量を調整する
     システムが備わっています。ところが、うつ病患者はこのネガディブフィード
バック機構がうまく作動し
     ないことが分かっています。

④   増え続けるコルチゾールは、各脳部位に障害性のダメージを与えますが、メインターゲットは海馬だと        されています。これは、うつ病患者の海馬面積が縮小していることから証明されています。さらには、
     前頭前野、偏桃体、視床下部、大脳皮質への影響も確認され
ていますが、ダメージはそれほどではない
    ようです。それではなぜ海馬がターゲットになっているのかは、その機能が現局されていて、
コルチゾー
  ルの量にたいする影響度が一番多いことによるものではないかと思います。

⑤ この段階にきてうつ病が発症します。 その中核症状とその発症メカニズムは次節で解説します。

⑥   治療の基本は休養と服薬(SSRI)です。SSRIはセロトニン受容体に蓋をすることによって、スパイン
     (細胞外)のセロトニンを増やす
効果が認められています。この効果が明白であり、結果として抗うつ効
        果を示すことから、モノモノアミン仮説がうつ病の主要仮説の
一つとなりました。ところがその後、SSRI
       
はセロトニンを即時的に増やすのに、効果が発現するまでに2週間程度要する矛盾が指摘され、現在では         増えたセロトニンがBDNFを増やしこれが補助因子となって、「FGF、EGF、VEGFなど神経成長
        因子ファミリー
を働かせることによる神経細胞の修復効果によるものではないのか」という仮説が提出
        されています。




 b. ⑤の補足


上記①~⑥の流れで重要なのはストレスとコルチゾールの関係です。個人が組織との対応によるストレスが生じてくるとコルチゾールが放出されます。

 ここでやや脱線しますが、コルチゾールに対する私の私見(想像)を述べます。ストレスに対してコルチゾールを利用するシステムはおそらく人類の狩猟採集時代に遡ります。当時の狩猟は長距離走を活用した持久狩猟が主力であり、これに伴う肉体ストレスに対して「コルチゾールが放出されるシステム」が始まったのでしょう。これは、コルチゾールの機能が「効率的な栄養補給」にあることからも推察されます。そのためコルチゾールのストレス対抗性機能は肉体の疲れにたいするものであり、うつ病の根本原因である精神的な疲れ(結果、肉体疲労も生じる)に対してはそてほど効果はないはずです。ところが、この狩猟時代に完成されたシステムを「複雑系の現代社会においてもストレス抵抗性システムの中核においている」ことは明らかなミスマッチであり、この矛盾がうつ病発症の隠れた原因になっていると思います。




6.  病態論

 
さて個人の勝手な感想はここまでにして話を進めます。精神的ストレスに対してもコルチゾールが放出されるのは、個人に対する注意喚起の段階でしょうか。ここで休養をとり、自分の生き方を考え方向転換できれば良いのですが、一般的にそれが出来る人はいません。むしろ、アクセルをふかすことを選んでしまいます。こうなると注意喚起から警告の段階に入りデッドラインとなります。そしてここから先の一線を越えてしまうことになりうつ病が発症します。


 始まりは海馬の神経細胞が破壊されることでしょうか。これはうつ病患者の海馬体積が有意に減少していることから分かります。これは個人(人間)にとって大きな脅威です。人間を人間たらしめる脳組織が破壊され始めるのですから。そのため脳内システムは、(上図の3経路)に緊急かつ最大強度の働きかけを始めます。


 コルチゾールが対象とするのは海馬で、その機能(動き)を止めようとします。ここで海馬内での動きをもう一度確認すると、始まりは情動生成でした。これがあって次に記憶を整理、前頭前野に送り出して、余ったスペース分だけ神経細胞が再生されるという流れです。このことからも、コルチゾールの抑制対象は「情動生成」であることに間違いありません。これにより、うつ病の中核症状である「情動の喪失」が生じるのです。


 次に抑制対象にあるのは、行動計画経路です。これは「行動すれば必ず感情(情動)が生じる」からです。そしてその情動振幅の一番高いものは、人間と動物に共通な本態的欲求(食欲・性欲・仲間への帰属欲求)なので、これらの行動欲求が断ち切られます。結果、情動伝達経路を通じた海馬での情動生成が生じなくなります。このループによって、うつ病中核症状の第二「行動意欲の喪失」が生じます。ここでのポイントは「人に会いたくない」、「食欲もない」という周りには信じられないような状態になってしまうことです。


 そしてこの負のスパイラルはエピソード記憶回路にまで及びます。エピソード記憶は情動と行動記憶が強く結びつくことによって生じるので、これにより、うつ病中核症状の第三「エピソード記憶の喪失」が生じるのです。治癒後、闘病時の記憶があまり思い出せないうつ病患者は多いようです。





7.うつ病発症TRICYCLE仮説

 
本稿のタイトルを「
うつ病発症tricycle仮説」とした真意を下記に記します。


  うつ病発症に関連する三経路をtricycle(三輪車)に例えてみます。うつ病は、乗り手の運転技術と道路状況の関係で決まります。予想通りですが、道路が無舗装で石ころだらけだったり、登坂が続けば、頑健な漕ぎ手も段々疲弊してきます。運が悪いことに悪路のためタイヤもパンクしかけています。よく見ると、先行車は出会いがしらの事故(ヘルペス6感染の例え)で大きく大破しています。その車を脇目にみて、さらにペダルをこぎます。「あの坂を超えれば下り坂になる」と目標ができたところで最後の力を振り絞ります。しかし、だんだんスピードが落ちてきてついには止まってしまいました。どうやらタイヤがパンクしてしまったようです。「それでもタイヤはあと二輪分ある」と思ったのですが無駄でした。三輪は機能は強く結びついているため、二輪車にも一輪車にもならないのです。結局、車輪のない三輪車になってしまいました。乗り手はここでペダルを漕ぐのをやめてしまいます。人々は通り過ぎ、日も暮れてきました。乗り手は疲れと焦りですっかり気力もなくなり、ついにはハンドルに頭をもたげてしまうのでした。

                続いて治療後の話

 問題は治癒後の緩解状態に至った後の、個人の選択の問題にあります。つまりは、再び元の道に戻るのか、自分の道を見つけるのか。それによって、再発率、そして人生が大きく変わります。




参考文献

 

 うつ病の認知に関わる神経生理学的基盤    JSTAGE

 海馬から大脳皮質への記憶の転送の新しい仕組みの発見 理化学研究所

 脳の海馬歯状回の新しい神経細胞が記憶の忘却を促進することを発見

  幼児期健忘の脳内メカニズムの解明に前進藤田医科大学

 脳海馬が記憶力を保つ仕組みを世界で初めて解明 ~記憶力低下の予防に一歩前進

  ~ (富山大学大学院医学薬学研究部 井ノ口馨 教授)

 おいしさと食行動における脳内物質の役割  JSTAGE

 ヒトヘルペスウイルス6HHV-6)の 潜伏感染遺伝子SITH-1は うつ病を引き起こす

  -うつ病の原因遺伝子の発見  慈恵医大