1608年 望遠鏡の発明 
今を遡ること約400年も昔にオランダの眼鏡屋ハンス・リッペルスハイは、自身が眼鏡師という職業柄、様々なレンズを取り扱っていましたが、たまたま二枚のレンズを組み合わせると遠くにあるものが近くに引き寄せられて見えることに気付きました。対物レンズに凸レンズ、接眼レンズに凹レンズという今で言う「ガリレオ式」もしくは「オランダ式」と呼ばれる望遠鏡の発明です。1608年10月2日(慶長13年)に発明されたこの望遠鏡の特徴は、たった二枚のレンズの組み合わせで正立像が得られるという点、また色収差と呼ばれる色ずれが少ないという優れた特徴があります。反面、視野が非常に狭いという弱点があります。この点が災いし現在の天体望遠鏡には使われていません。わずかにオペラグラスやインテリア的な復刻望遠鏡という形で現存するのみです。
Hans Lippershey(1570-1619)ハンス・リッペルスハイ、職業眼鏡職人/オランダ人
望遠鏡を発明した。
1609年 ガリレオ・ガリレイ 望遠鏡を宇宙に向ける 
Galileo Galilei(1564 -1642) ガリレオ・ガリレイ/職業天文学者/イタリア人
望遠鏡を宇宙に向け、木星の4つの衛星、月のクレーター、土星に耳がついているのを発見した。彼の発見した、木星の衛星は4つまとめて「ガリレオ衛星」と呼ばれている。小型望遠鏡で見ると楽しい
土星には、耳を発見した。その頃の性能の悪い望遠鏡では、輪を認識する事が困難であった。また、金星の満ち欠けのスケッチも残している。
ガリレオが発見した木星の4大衛星の動き。彼自身のスケッチ。
ガリレオによる月面のスケッチ

最初は軍事用に売り込まれた望遠鏡でしたが、イタリア人のガリレオ・ガリレイは、1609年に倍率3倍の望遠鏡を作りその筒先を宇宙に向けました。彼の望遠鏡はその後口径3.8cm、そして口径5.8cm、倍率も数十倍になりました。ガリレオはその望遠鏡で月のクレーターを観測したり、土星の耳(数十倍の倍率では輪と認識できなかったようです)、木星をまわる4つの星を発見し、その4つ星が木星を中心に行き来する様子を観測し、太陽系の縮図というべきものを見いだしました。人間の宇宙観を地球中心の天動説から地動説へと大転換する原動力となったのは、こうした初期の望遠鏡による星の観測だったのです。

1611年 現在の屈折式望遠鏡の直系祖先の誕生 

1611年ドイツの天文学者、ヨハネス・ケプラーは、接眼レンズを凸レンズ(ガリレオ式は凹レンズ)にした現在の屈折式望遠鏡の直系祖先となる「ケプラー式望遠鏡」を発明します。ケプラー式の望遠鏡は、ガリレオ式の望遠鏡に比べると同じ倍率でも視野が格段に広く、また接眼レンズの焦点位置にクロスヘアー(十字線)を入れれば、望遠鏡の視野内に十字線を入れることができます。架台に分度器のような指標をつけて、視野の十字線の交点に星を入れれば簡単な位置測定ができるようになりました。ケプラー式の望遠鏡の欠点は、視野が逆さに見えること(倒立像)・像のまわりに色収差ができる(色が付く)のが欠点でした。しかしガリレオ式に比べて天体の観測に向いた特性により、以後の屈折望遠鏡の主流はこのケプラー式となります。天体望遠鏡は対物レンズの口径を大きくすればするほど解像力が増し、天体の詳細が観測できるようになります。しかし対物レンズの直径が大きくなればなるほど、また観測する倍率を上げれば上げるほど先に述べた色収差と呼ばれる像の着色が顕著になり、解像度を下げる要因になりました。ですが解決策はありました。対物レンズの直径に対する焦点距離を長く(レンズの曲率を緩く)すれば色収差を抑えることができました。

 このころ望遠鏡は対物レンズが直径数cmだったものが徐々に大きくなり、ホイヘンスによりついに20cmのものも作られるようになりました。しかし色収差を抑えるため焦点距離も長くなり60mにもなりました。こうなると望遠鏡はクレーンのような構造の巨大な架台に吊っているような構造になります。このあたりでケプラー式の口径は限界が来てしまったと言えるでしょう。

ホイヘンス、カッシーニ、ヘベリウス等の天文学者によって作られた。長大な空気望遠鏡。
Christiaan Huygens (1629 - 1695)オランダの天文学者であるホイヘンスは、2枚の平凸レンズを配したハイゲンス式接眼レンズを1703年に発明したばかりでなく、長大な空気望遠鏡で(口径は20cmしかなかった)で土星の衛星「タイタン」を発見したり、火星の黒い模様や極冠と呼ばれる白い模様を発見した。肖像画の右のスケッチは、彼が残した人類史上初の「火星」のスケッチ、これは、入門用小型望遠鏡でも見える「大シュルチス」と呼ばれる模様である。
オランダのリッペルス・ハイがガリレオ式望遠鏡を発明してから約半世紀が経過した1663年、J.・グレゴリーは、反射式望遠鏡と呼ばれる鏡(ミラー)を用いて光を集める方式の原理を考え出しました。万有引力の発見者であるイギリスのニュートンは1670年頃に現在の反射式望遠鏡の直系子孫であるニュートン式の反射望遠鏡を発明します。基本的な構造は下記のとおりです。筒の底に置かれた凹面鏡(真ん中が凹んだ鏡)で光が集められ、筒の先の方に光軸に対し45度の角度で設置された平面の鏡で筒の外に焦点を引き出し、その像を接眼レンズで拡大し天体を観測するのです。レンズの屈折によらず、鏡で光を反射し光を集めるのでこの形式の望遠鏡は屈折望遠鏡でさんざん悩まされた色収差(色ずれ)が発生しないのです。鏡を精度よく磨けば、先に説明した口径比が小さくてもシャープな見え味になり、対物レンズの直径は20cmしかなくても筒の長さが60mも必要な屈折望遠鏡に比べ、それはそれはコンパクトでした。ニュートンの発明したこの反射望遠鏡は、口径15cmでしたが焦点距離は1.5m程で、筒の長さはせいぜい1m強だったと思われます。こうして反射望遠鏡の出現により、20cmほどの口径で止まっていた望遠鏡の口径は一気に大口径化していきます。
ニュートン式反射望遠鏡      復刻版がビクセンより発売されています。
1730年頃 屈折望遠鏡の技術革新 
ガラス豆知識 このころ、クラウンガラスは、窓やメガネのレンズとして使われており、フリントガラスは、食器やシャンデリア用に作られた新しいガラスでした。鉛酸化物の混ぜられたフリントガラスは、フリントガラスに比べ、屈折率が高く(光を曲げる性質が強力)で分散が大きい(光の波長により屈折率の変化が大きい)ガラスでした。例えば、クラウンガラスとフリントガラスでプリズムを作ったとすると、フリントガラスで作ったプリズムの方が、スペクトルの幅が広くなります。これが分散が大きいと言うことです。          色収差の問題で、口径に対する焦点距離を長くせざるを得なかった対物レンズを用いる屈折式望遠鏡は、一度はその進化が止まり反射望遠鏡に主役の座を譲ったかに見えました。しかし1730年代にイギリスのチェスター・ムーア・ホールは、屈折率の異なる二種類のガラス材を組み合わせて対物レンズを作ると色収差を大幅に抑えられるということを発見しました。このチェスター・ムーア・ホールは面白い人物で、本業は法廷弁護士、光学は趣味だったそうです。彼は自身のアクロマートレンズの発明を公にしたくなかったので、フリントガラスとクラウンガラスのそれぞれのレンズの研磨を違うレンズ工場に別々に発注しましたが、どちらの工場も忙しかったために下請けに回されました。その下請けが同じ所だったので彼の発明の秘密が守れなかったという話があります。

屈折式の望遠鏡はコントラストが高く像が安定していることから、月や惑星面、太陽面の観測等に向いています。またアクロマートレンズの発明により焦点距離を短くしても色収差が少なく口径比が15から30程度で十分にシャープな像が得られるようになったことから、以前のシングルレンズの空気望遠鏡に比べて対物レンズの大きさの数十倍以上必要だった焦点距離が短くて済むようになり、とてもコンパクトになり、次々と口径の大きな屈折望遠鏡が作られるようになりました。

フランフォエール9.5インチ屈折  赤道儀
1700年代後半から 望遠鏡が巨大化 
1789年にはイギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェルにより対物鏡の直径が122cmもある反射望遠鏡が作られ、ハーシェルはこの望遠鏡で天王星を発見しました。1845年にはイギリスのロスにより口径184cmの大反射望遠鏡が作られます。対する屈折望遠鏡も、巨大化の一途を辿ります。1897年には、アメリカのヤーキース天文台に対物レンズの口径が1mもある巨大な屈折式望遠鏡が誕生するまでになります。
技術的な行き詰まり 
反射望遠鏡は、先に述べたように1845年には直径184cmにも達しましたが、当時は金属鏡とよばれる銅と錫を主成分とする円盤上の厚みのある合金の表面を磨いた鏡で184cmもある反射鏡は大変な重さとなり、また研磨した直後でも反射率は20%程度で、さらに少したつと表面が酸化し、度々鏡の表面を再度磨く必要がありました。せっかく大きな反射鏡を作ってもその全光量の1/5しか利用できず、大変非効率的であったと思われます。また屈折望遠鏡もヤーキース天文台の1mを最後にそれより巨大なものは今に至るまで作られていません。というのも屈折式もこれほどの大きさになると内部に脈利とよばれる歪みがない均質なガラス材を得るのが難しかったり、それほど巨大なレンズを支えるのが大変だからです。ヤーキース以後にも大屈折望遠鏡は作られますが、国立天文台の三鷹にある65cmクラスのものばかりとなります。
反射望遠鏡の技術的ブレークスルー
化学の発展により銀メッキ技術が開発されたことにより、1850年〜1860年頃に反射鏡は金属鏡からガラスの表面に銀メッキを施したガラス鏡の時代を迎えます。同じ口径でも金属の鏡の1/3から1/4しかないガラス材の反射鏡の登場で、より軽量な大口径の反射鏡を作成できるようになり、1918年にウィルソン山の254cmが作られるまでに巨大化しました。
1908年 ウイルソン山154cm望遠鏡
1897年 ヤーキース天文台101 cm屈折式望遠鏡
1917年 ウイルソン山口径254 cm望遠鏡

反射望遠鏡の鏡の表面に施された銀メッキは、光の反射率が金属鏡の20%に比べ65%と大幅に向上しましたが、酸化が早く、すぐに茶色に曇り反射率が下がってしまうという欠陥を持っていました(銀のアクセサリーがすぐ曇るのと同じことです)。その後、真空引きしたお釜に鏡をいれてアルミを蒸着するアルミ蒸着メッキが開発されたことにより、大気中において銀に比べれば数倍酸化しにくいアルミメッキは反射率が80%以上と高く、銀に比べて曇りにくく反射率の低下が少ないのでメンテナンスが楽になりました。また反射率を高くするため、何回かに分けて多層でメッキするマルチコートやアルミメッキの上からSiO2のコートをかぶせることにより、アルミメッキ面を空気中の酸素に触れさせないようにしてメッキの耐久性(反射率の低下)を大幅に抑える方法が開発され、実用的には10年以上有効な反射率を保つシリコンコートが開発されました。

しかしガラスをもってしても、巨大化する反射望遠鏡のミラーの重量は馬鹿にならないほど重くなったことから、ミラーの強度を保ちつつ鏡を軽量化させるため、ミラーの裏面を蜂の巣状にくりぬくなど、望遠鏡の巨大化に伴い様々な工夫がされました。

ミラーに使われる素材も、青板ガラス(切り口が青いといわれるソーダーガラス)が主流でしたが、このガラスは外部の温度変化に敏感で(熱膨張率が高い)、大きな口径になればなるほどミラーの精度に悪影響を与えるため、パロマー山天文台の5m反射望遠鏡の反射鏡に使われているパイレックス(米国)やセロデュアと呼ばれる熱を受けても膨張率の小さなガラスが開発され、より高精度かつ大きな反射望遠鏡を作る後押しをしました。

その結果、ついには米国で1948年にパロマー山に主鏡の直径が5mもある反射式望遠鏡が作られるまでになります。その後1978年に旧ソ連で主鏡が6mの望遠鏡が作られるまで(失敗作と言われています)、30年もの長きに渡り米国パロマー山の5mの反射式望遠鏡は世界最大の望遠鏡として君臨しました。パロマー山天文台の口径5mの反射望遠鏡は、建設以来約60年が経過しましたが、新型の観測装置が取り付けられて今でも天文学の研究の第一線で活躍する大望遠鏡の一つとなっています。

ガラスの豆知識

景品でもらうような安いガラスのコップに熱湯をいきなり注ぐと割れてしまいますが、理科室のビーカーに熱湯をそそいでもビーカーが割れることは無いですよね。熱湯をいきなり安ガラスのコップに注ぐとなぜ割れるのでしょうか?それは熱湯を注ぐことにより急激に温度が上昇し、熱膨張が高い安ガラスも急激に膨張します。それで割れてしまうのです。でもパイレックスガラス製のビーカーや試験管は、中に液体を入れて外からガスバーナーであぶるような極端な温度変化でも、熱膨張率が小さいので割れないのです。

1948年 パロマ山口径508cm望遠鏡
赤道儀から経緯台へ、マルチミラー化、能動支持による超薄型高精度ミラーの登場
自然科学研究機構国立天文台 マウナケア観測所 「すばる望遠鏡」
日本が世界に誇る世界最大の反射望遠鏡で主鏡の直径は実に8.2mを誇る。ハワイ島のマウナケア山頂標高4200mにあり、その建設は困難を極めました。その鏡の厚みは僅か20 cmほど、今までの望遠鏡のミラーはその面精度を保つため、口径の1/8の厚みを持っていましたが、すばる望遠鏡ではミラーの軽量化の為その厚みを20cmとしています。今までのミラーの支持方法では、そのような薄い鏡は自重で歪み精度を保つ事ができませんが、平均誤差0.014ミクロンという超高精度を保っています(毛髪の太さの1/5000程度)。その仕組みを簡単に言うと261本に及ぶアクチュエーターと呼ばれる支持棒で巨大なミラーを裏側から支えている構造になっています。指示棒は一本一本がコンピューターで厳密にコントロールされ、歪みが出ないいように押したり引いたりして鏡の面精度を保つように働きます。
パロマー天文台に設置された5mの望遠鏡を追い抜くべく計画されて1978年にソ連で建設された6mの望遠鏡は、望遠鏡を支える架台に経緯台を採用しました。それまでの天文台の望遠鏡はすべて赤道儀でしたが、回転軸の一つを地球の地軸と平行にしなければならず構造的に不安定でした。1948年にパロマ山の口径5mの望遠鏡が作られて以来30年間それを超える大きさの望遠鏡が作られることはありませんでした。
経緯台は構造的に巨大な望遠鏡を支えるには好都合でしたが、観測する天体を正確に追い続けるための両軸のモーター制御は、高性能な電算機なしでは非常に難しく、写真を撮影する場合もそのままでは視野が回転してしまうため、カメラ装置側をそれに合わせて回転させる必要がありました。せっかく作られたソ連の6mの巨大望遠鏡ですが、電算機のトラブルや鏡面の支持方法などに問題があったらしく失敗作と言われています。
その望遠鏡を超える世界最大の望遠鏡が完成するまで更に20年の歳月が必要でした。1998年12月24日、日本の国立天文台が建設した8.2mの巨大な反射望遠鏡「愛称:すばる望遠鏡」がファーストライト(初めて天体の光を望遠鏡に入れること)を迎えたのです。構想に20年近く、計画が正式にスタートをしてから9年の歳月と総予算400億円(自衛隊が200機導入したF15戦闘機の、一機110億円に比べれば安いものです)を投じて建設したすばる望遠鏡は、様々な新技術の開発と最新のテクノロジーを導入し世界一の巨大望遠鏡として君臨、めざましい成果を上げています。(左側囲み記事参照)。
シングルミラー(一枚鏡)の望遠鏡はこの大きさが限界と言われており、マルチミラーテレスコープ(左側囲み記事参照)と呼ばれる望遠鏡や、ヨーロッパ南天文台のVLTnoの様に、8.1mの望遠鏡を4台建設し干渉計とすることで更に大きな望遠鏡と同等の能力を得る天文台が建設されています。また計画中の巨大な望遠鏡は、口径100メートルのものも有りますが、口径が2倍になると建設費が6倍になってしまうので、こうなると一国のみでは建設が無理になってきます。今後の巨大望遠鏡の建設、ひいては天文学の発展には、国際的な強力が欠かせないと言えます。
すばる望遠鏡へのリンク
マルチミラー望遠鏡KECK
Keck望遠鏡もハワイ島のマウナケア山頂に有ります。巨大な反射鏡を磨くのは、極めて困難なため、六角形の小ミラーを36枚並べて10 m鏡としています。マルチミラー望遠鏡として世界最大の口径を誇ります。もちろん鏡に切れ目が無いシングルミラーが性能では勝りますが 8mを超える単一鏡の作製は困難であり、今後作られる計画の巨大望遠鏡はすべてマルチミラーで計画されています。
Keck望遠鏡へのリンク
ヨーロッパ南天文台VLT
ヨーロッパ南天文台は、北半球から観測できない南天の観測を行うために、南米チリのラ・セレナ近郊のアタカマ高地ラ・シヤ山に1964年に開設されました。ESOと呼ばれ,スウェーデン・ドイツ・ベルギー・オランダ・フランス・デンマーク・イタリア・スイスが共同で作った南天の観測基地です。VLTは、ヨーロッパ南天文台の支所のセロパラナルに建設中で、8.1mの大型反射望遠鏡を4台と1.8 mの移動式反射望遠鏡を建設中です。これらの望遠鏡は、もちろん単独でも機能を果たすものですが、電波望遠鏡の様に干渉計として同一観測対象 を同時に観測し、数十mのミラーを持つ巨大な望遠鏡と同じ能力を持たせる事ができます。これらの望遠鏡の一部は既に稼働し単体でも素晴らしい天体画像を公開しています。干渉計の原理は、理解しにくいですが、 兵庫県立西はりま天文台のWEBサイトここに分かりやすい解説があります。
ヨーロッパ南天文台へのリンク
なぜ望遠鏡は、どんどん大きくなってきたのでしょうか。
最近は私達アマチュアの間でも、簡単なものは普通のデジタルコンパクトカメラを使い高等なものは、冷却CCDを使い天体写真を撮影する場合が多くなりました。 天体望遠鏡は400年前に発明され、その大きさはどんどん大きくなってきました。最初は肉眼での観測でしたが、写真術によりフィルムを利用した写真観測が1800年代後半には主流になり、ずーっとフィルムが観測に使われて来ました。ここ20年は、フィルムに感光させる方法よりも数十倍も感度の高いCCDの開発が進み天体観測はCCD全盛の時代を迎えています。
なぜ大きな望遠鏡が必要なのでしょうか。大きな口径の望遠鏡で有るほど、より暗い天体を観測出来るわけですがそれが意味するところは、地球からより遠い距離にある天体を観測できると言うことなのです。より遠い距離にある天体を観測出来るという事は、今現在より過去の宇宙を観測する事に他なりません。地球の属する我々の銀河系から一番近い銀河は、210万光年の距離があります。光が届くのに210万年もかかる訳です。今、日本が世界に誇るすばる望遠鏡は、120億光年も離れた銀河の観測ができるまでになっています。これは宇宙の120億年前の姿です。そうです!望遠鏡とは、一種のタイムマシンの様な物なのです。そして望遠鏡で観測した120億年前の宇宙と、今の宇宙を比べる事により、我々の宇宙がどのようにして産まれ、われわれの宇宙がこれからどうなって行くのかを探求するのが、天文学なのです。さらに遠くの宇宙(過去の宇宙)を詳しく調べる為に巨大な望遠鏡の建設が今も続けられている訳です。
また最近、巨大な望遠鏡では、他の恒星の周りを回る、我々の太陽系以外の太陽系捜しにも使われています。今はまだ、我々の太陽系の木星の様な巨大なガス惑星しか見つかっていませんが、恒星のまわりを回る惑星は、多くの恒星で見つかり始めていて、太陽の様に周りに惑星を従える恒星は、珍しくなくむしろ一般的で有ることが分かりつつあります。さらに大きい望遠鏡が建設され、分解能(より細かいところまで見る能力)があがれば、我々の太陽系の様に、木星軌道の内側にある小さな岩石惑星を直接観測できるようになり、スペクトル観測で酸素が存在する事が分かれば、大量の酸素の存在は光合成をしている植物が存在する事になりますから、生命の存在を直接的な証拠として捉える事ができるようになるかも知れません。
参考文献

図説 天文学における望遠鏡の歴史 リチャード・ラナー著 小尾 信也 他訳朝倉書店刊

History Of Astronomy, An Encyclopedia; John Lankford

The Flammarion Book Of Astronmy; Simon & Schuster

The Picture History Of Astronomy; Patrick Moore

Yerkes Observatory, 1892-1950; Donald E. Osterbrock