霊格と謙虚さについて


 まずはじめに霊界の構造について書いておきます。

 4次元 魔界、地獄界、幽界、精霊界、地上によく似た世界、などがある、霊界の入り口。

 5次元 天国。善人界ともいう。4次元の要素(霊界)に精神的な価値(善)が加わる。神を信じている人の住むところ。

 6次元 神界、光明界。神様と呼ばれるような人のいくところ。創造という要素が加わる。地上にあっては優れていた人。よく学ぶ人。

 7次元 菩薩界。人助けに生きた人の世界。利他という要素が加わる。

 8次元 如来界。地上にあっては文明の始めをつくるような魂。宇宙という要素が加わる。宇宙の原則、原理に通じているということなのか、私にはよくわかりません。

 9次元 大如来界と呼ばれる。星に住む人類をどう導くか、宇宙の進化をどうするかといったような、いってみれば霊系団の総責任者。地球には十体いるそうです。釈迦、孔子、ニュートン、モーゼ、キリスト、ゼウス、ゾロアスター、マイトレーヤー、マヌ、エル・ランティー、等だそうです。

 10次元 以降は惑星や宇宙の霊になるそうで、人格神ではないそうです。私にはよくわかりません。

 こうしたことは幸福の科学の書籍『太陽の法』、『永遠の法』、等に詳しく書いてあります。


 さて、幸福の科学の書籍には、さまざまな霊人の霊言があります。

 ところで、普通この地上で読める霊言というのは、地獄的な4次元のものか、よくても天国的な5次元のものがほとんどです。
 昔からある、スピリチュアリズムと呼ばれるようなものは特別ですが、こういったものも、多くは7次元菩薩界くらいの霊通信だとおもいます。
 8次元以降のものが読めるというのはどういうところでしょうか?  それは聖書や論語、仏典など、いわいる預言といわれるようなものでしか、目にしていないはずです。

 ニュートンやアインシュタインの科学式、あるいはバッハやベートーベンなどの音楽、ピカソの絵、こうしたものも8次元かとおもいますが、霊言ではないのでとりあえずべつにします。

 なぜ4次元や5次元の霊言がほとんどなのでしょうか?
 それは地上に住む人の霊格が4次元や5次元の人がおおいからです。
 霊通信というのは、地上の人の霊格以上はおこなえないようです。
 つまり、かんたんにいってしまえば、天国的な5次元の人が霊通信をおこなえば5次元のものが、地獄的な4次元の人が霊通信をおこなえば4次元のものが書かれるでしょう。

 地上には菩薩界のかたとか如来界のかたとか、そういるわけではないので、地上で目にする霊通信もそれなりのものがおおいのでしょう。

 前置きが長くなりましたが、この前置きは何の意味があるのかというと。
 つまり、ふつう霊言といわれるもので、8次元如来界のものというものを、みる機会はほとんどないと思うのです。
 菩薩界くらいのものであればあると思いますが、如来界の霊言というものは、聖書や仏典などでしか見てないと思うのです。

 つまりそれくらい、幸福の科学からだされている霊言集というのは稀有な存在だと思うのです。
 ふつうは材料として、8次元のものはめったにないと思う、ということです。
 そういうことが、つまり前置きになります。


 さて、ここからが本題なのですが、そうして6次元、7次元、8次元の霊人の言葉というのを比べると、やはり違いがあると思うのです。
 その違いとは何でしょうか。  第一に、それは不思議なことかも知れませんが、高次元の魂であればあるほど、謙虚になるということです。
 それはつまり、高い人格になればなるほど、謙虚になっている、ということです。

 謙虚さとはなんでしょうか、それはみくらべると、高次元の存在であればあるほど、「我」がなくなっているという感じです。
 「我」というのは、「われが」「わたしが」、という思いです。
 つまり「これは私がやりました」とか「私はこういうことをしました、どうです偉いでしょう」とか、そういった「私」を押しだす感覚といものが、上にあればあるほど無くなっている感じがするのです。
 たとえばキリストの霊言などをみても、むしろ菩薩界の人よりも、偉そうにしていない感じがするのです。

 なんだか地上の価値観からすると不思議かもしれません。
 地上の人なら、偉くなればなるほど、威張っていそうなものですが、霊界では8次元如来界の霊人より、むしろ菩薩界の人の方が偉そうな言い方をしているような感じがします。

 というよりも、8次元如来界の人の「無我」というものはむしろ徹底している感じがします。
 まったく「我」がない(無私)感じがします。
 7次元菩薩界の人だと、なんとなく「私」というものが残っている感じがするのです。

 7次元と8次元を分けているもの、その要素のひとつが「無我」ということではないかと、みていて思うのです。
 これはちょっと不思議な感じです。
 ちなみに当然ですが、7次元菩薩界の人よりは、6次元光明界の人のほうが、「我」が強いような感じがします。
 つまりより謙虚でなくなる感じがします。

 とうぜんですが6次元よりは5次元が、5次元よりは4次元が「我」強く、謙虚ではなくなります。
 つまり傲慢になっていくということです。  その極致とはなんでしょうか、悪霊とか悪魔とかよばれる存在です。
 そういう存在は逆に100%自我でなりたっていたりします。
 つまり、「おれはえらいんだ」とか「おれは不幸なんだ」とか「それはおれのものだ」とか、「おれが」「私が」のオンパレードです。


 さて第二に、品格ということがあると思います。
 上にあがればあがるほど品があるような感じがするのです。
 実に不思議なのですが、やはり6次元光明界よりは7次元菩薩界が、7次元菩薩界よりも8次元如来界のほうが品があるようなかんじがします。
 上にあればあるほど品がましていき、下にさがればさがるほど下品になっていくようです。

 悪霊の品の悪さとうものは、下水のにおいがにおってくるようです。
 みなさんはよくマンガで悪魔というものを書いている作品をみると思います。
 とくに少女マンガなどで、悪魔を美形に書いたりしています。

 そんなものじゃないです。
 悪霊とか悪魔とか、実際にせっしたらそんなものじゃないです。
 ほんとうに唾棄すべき存在です。くだらない存在です。人間の下碑た属性が、これでもかと押し寄せてくるような存在です。
 人間のもっとも幼稚な属性、低レベルな属性をもったものが、悪霊とか悪魔とか呼ばれる存在です。
 わがままな子供を、最大級に子供化したような存在だったりします。
 かかわらないのが真っ当な存在です。
 こんなことを書いている私も実際たいしたことないです(ため息)。

 逆に高い霊格の魂であればあるほど、品があり。かぐわしいにおいがするような感じです。
 私が小学生のとき、クラスでモテる人というのは、品のある人だったような気がします。
 それは、勉強ができるとかスポーツができるとかいうことは別にありますが、いい家柄の人というのは、魂的に光のある人がおおかったように思います。
 光があるというのは、思いやりがあるということです、やさしいということです。
 きっとこうした人は、過去世で善行を積んだのでしょう。
 その善果で、今世いい(モテるような)思いをしているのではないかと考えたりします。

 余計なことですが、私は過去世で悪いことをしていたようです。
 そうすると、やはりあまり幸せな人生というものは無いです。
 今世、悪いことをしたか善いことをしたかは、この世限りではなく、むしろ来世で如実にあらわれてくるようです。


 ええと、そういうわけで、やはり如来の品格というのは圧倒的な気がします。
 みなさんは如来といえば、魂の力の強い人と思うかもしれませんが、むしろ品格とか無我ということで圧倒的な感じがするということです。

 それはやはり「高度に神の属性を極める」ということは、「もっとも人間としてすばらしい属性をきわめる」ということになるのでしょうか。

 ひとつ言えることは、魂のエネルギーの振動数がそれだけ精妙だということでしょう。
 ざらざらした感じがなくなると思うのです。


 3番目に、これは謙虚さということにも関係すると思いますが。
 上にあればあるほど、知らないことは知らない、できないことはできない、とはっきりという、とうことです。
 高級霊であればあるほど、それはわたしの領分ではありません、とはっきりことわっているような感じがします。
 逆に下がればさがるほど、なんでもかんでも、でたらめに言う、とりあえず言う、とにかく言う、そんな感じがします。

 ですから情報の精度というのは、品格とか謙虚さに比例すると思うのです。

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