霊障の治しかた その3 



5、眉間白光


 眉間から光を放射して、悪霊を飛ばす技です。

 お釈迦様がよくやっていたそうです。

 これは私も出来た事があるので、もしかしたらそんなに難しくないかもしれません。


 前提条件があります。

 1、自慰禁止
 2、心の透明度も必要


 1番の禁欲ですが、眉間白光は精力を貯めないとできないようです。

 逆に精力さえ貯めていれば、悪霊に対して自然に耐性がつくとも言えます。

 昔から宗教修行者が禁欲なのは、実は悪霊から身を守るためだったんだと言えるようです。

 総裁先生も「精力が減衰すると悪霊を弾けなくなる」と言ってます。

 しかし生理現象ですから(男性には精子輩出欲求というのがある、つまりたぶんは精子も入れ替えないといけないんだろうと思う)、一般には禁欲を続けるのもそれなりに難しいだろうとも思います。


 2番目に戒律を守り、反省をして心の曇りを取らないと、それなりに出来ないようです。

 私は2週間ほど、禁欲とゲームや動画、一切の遊びを断った事がありますが、その時に出来ました。

 眉間から気を放射するか、やや念力的なイメージの感じで、できるようです。

 確かに、パッと白い光で弾き飛ばしたような感じでした。

 その時は、憑依を外したという感じです。


 確かに当時憑いていた悪霊を、一時的にせよ飛ばせました。

 その悪霊は小悪魔のような感じの霊だったので、その後「生意気な」とばかりにバイクで走っている時に、その眉間に虫を当てられましたけどね。
 まあ関係ないけど、虫当てはよくやられました。


 その当時に幸福の科学の「悪霊撃退祈願」を業じたら、幸福の科学系霊団と思われる霊が来てくれて、困っていたその強力な悪霊をかなり撃退してくれました。

 その悪霊は生き霊ぽかったんですけど、来てくれた霊は向こうへ行って2日程かなり圧力をかけてくれたみたいです。

 それでその悪霊は以後かなり遠ざかりました。


 結局2週間位しか禁欲生活が続かなくて、その後普通の生活に戻ったら、その支援してくれた霊も「かってにしろ」と言うような感じで離れていってしまいました。

 まあどちらにせよ、そんなに長い間留めておく訳にも行かないんだろうとは思いますが、基本的に生活態度が悪いと支援は受け続けられません、一般側です。

 つまりお祈りの時、それなりに心の状態が良いと「それ相応に」強力な霊が実際に来てくれます。

 まあそれはともかく、眉間白光は実際にできるようです。




6、お札、神社、他力、その他について


 神社にもよるとは思うのですが、確かに神社で祈願しても色々と霊が来てやってくれます。
 でもその神社系は私の場合、その悪霊には歯が立たなかったみたいです。

 もう一度言いますが、役割も色々だと思いますし、どの神社にも全部神様がいるかどうかもわかりませんし、神社にもよるんだと思います。

 とにかくも、日本神道系の神々は神社にきちんといる事はいます。

 神社といっても一つの出張所か窓口のような役割を持っているような感じでもあり、上か奥までつながっても一応はいるようです。

 
 佐○厄除け○師のお札をネットで取り寄せた事もあります。
 お札と言うのは何か通路になっているようで、人霊だか式神だかその系団の修行霊だか護摩を焚いた人の生き念だか、よく分りませんが、何人かやってきて悪霊とバチバチと壮絶な衝突をしていました。
 そこのお札は、たぶん護摩焚きではないかと思うのですが、強力な念はこもっていたようです。
 ですから効能はあります。

 しかししばらくするとエネルギー切れなのか、生活態度が悪いからなのか「もういいや」とつぶやかれて(笑)効力が切れてきました。

 他に私自身がそのお札から放射される気に当てられて、落ち着かなかったので、郵送して返却しました。


 塩洗いとか塩風呂とか酒風呂(お清め)とか試した事がありますが、そんなに関係があるようには私は感じませんでした。

 確かに霊的にもオーラがピカピカと光る感じは少ししたようですが、悪霊には別に関係なかったような感じです。

 あるいは死霊には効くが、生き霊には効きにくいのかも知れません。



 結局一番お世話になっているのは「幸福の科学系霊団の霊」です。

 最近は、それでも一応私の信仰心が出てきてはいるのか、悪霊撃退祈願を読むと必ず何らかしか来て戦ってくれます。

 この間は陰陽師系の人が来てくれました。
 黄色いオーラで、男性でしたがとても美しかったです。
 なるほど、霊界のものは地上の美術では表せない美しさを持っているのだな、と思いました。

 私は見るほうはできないので、そんなに何かを見たりと言う事はありません。
 見たと言っても寝ている間に見た、という事です。
 夢という感じではなく、その間も相手方と喧嘩してますから、生き霊をも含めた、何かそういう幽体離脱的な体験ではあります。


 幸福の科学の基本経典「正心法語」のCDをかけるのも効きます。
 ただし嫌がるのですが「こいつはお坊さんなのか」という突っ込みはよく聞きます。

 私はCDを持ってないのでよく分かりませんが、できれば「正心法語」と「祈願文」の全部が入ったCDをかけるとたぶんもっと効果があるのではないでしょうか。

 寝る時に頭の周りに幸福の科学の本を並べるのも、バリヤーになって効果があり、とにかくよく眠れます。
 「バリヤーがあるのか」と言われた事もあります。

 10冊位囲むように並べるとブロックが効いてくるようです。
 私もオーラくらいは多少分かるので、目を閉じるととにかく明るいです。

 私的には体感的にCDより効果があるような気もします。
 やった事はありませんが、最終的には頭から足までグルッと囲めば最高の結界になるはずです。
 総裁先生がそういうエクソシストの方法を言ってる事もありました。

 (100冊くらい円形にびっしり幸福の科学の本を並べて、その中に座り、テープを聞いた後正心法語を読む『書籍:宗教の挑戦』より)

 攻撃のレベルや、心が汚くて憑依のレベルが強いと、寝ている時の本もほとんど効果が無い事もあります。



 さて、これら他力の問題点は何かと言うと「一過性に過ぎない」つまり「結局はその場しのぎに過ぎない」という事です。

 ずっと憑依して付きまとっているような悪霊を、全く離してしまうような事はできません。

 しかし緊急避難的に、その時攻撃してきている生き霊を撃退して、多少わからしめたりとかいう効能はあるので、ありがたいです。

 あるいは例えば幸福の科学の精舎のような所で「悪霊調伏祈願」のような強力な祈願を受ければ、あるいは小悪魔レベルでもずっと引き離す事が出来るのかもしれませんが、とにかく私はお金がないので(笑)受けた事がありません。
 と言っても、それでも数万円程度のものではあります。


 結局悪霊というのは「腐ったものにたかるハエ」というものと同じで、心の中にハエを呼ぶ要素(臭い)があれば、一時期手で払えたとしてもすぐ臭いに引かれて戻ってきます。

 根本的な解決には、心の腐った部分を綺麗にするしか無いようです。


 一般的に結局霊感があって心をおざなりにすると、必ず悪霊にやられるようです。

 何系の宗教でも大体そうであるようです。



 私の周りに霊能者のような人がいなかったので、そういう人に相談すればあるいは一発で何か解決してくれたかもしれません。

 あるいはそういう人に相談しても、結局は「あなたの心次第です」と言われるだけかも知れません。


 霊障がひどかった時期、霊能者がいればなあと思っていた時に、夢の中にTVに出ていた霊能者の方がやってきて、私の心の中を見て回るという事がありました。

 何も言葉はありませんでしたが、まあこんなに汚ければやられても仕方ないよ、とあきれているようでした。

 そんな事もあって、私は以後見せられた闇の部分、その時は色情関係でしたが、それに気をつける(制限する)ようにして、時間はかかりましたがその当時の小悪魔を離す事ができるようになりました。
 あれが良くなる一つのきっかけだったように思います。

 要するにその当時の悪霊は、基本的には色情霊だったようです。

 その霊能者の方はその時点で確か死んでいたと思いますが、まあ要するに霊能者の方に見てもらっても、結局はそういう治し方になるんじゃないかと予想します。




7、裏側の霊能力


 超能力信仰は危険、というか堕ちやすいと言えそうです。

 私も色々なものを勉強したほうが良いのかと思って、一時期ワ○ル○メ○トとか高○信○とか江原さんの本とか、その他霊能者とか超能力とか霊能力関係の本を読んでいた事がありました。

 あるいはむしろ、それが霊障になった原因かも知れません。

 シルバーバーチとか江原さんくらいのスピリチュアルくらいはまだ良いみたいなのですけど、超能力関係はやばいようです。

 幸福の科学で仏陀最誕という映画を公開しましたが、ほとんどその内容通りの事件が私にもあったと言えるでしょう。

 結局色々あって、その辺の裏側の本を処分して、幸福の科学、エルカンターレ信仰一本にしぼって、大川降法総裁先生を信じる事にしました。


 ワ○ル○メ○トの本を処分した時には、小さな天狗のようなものが2体、私の体から出て行くのを見ました。

 日本神道系の霊能者の方の本からも邪霊がでた事があったりしました。

 仙人天狗系は見せたり聞かせたりと言った事がひどくなるんだと思います。

 だからと言って特に制御できるようになるわけでも、悪霊を祓ってくれる訳でもありません。

 私は、色々な本を読んだほうが勉強になって良いのかと思ったんですが、裏側の本は悪霊や悪魔の影響が強い事が多いらしく、止めた方が良いようです。

 例えば聖書やコーラン、仏典、論語などの表側のものは勉強しても良いのでしょう。

 裏側というのは、まあ大体は「超能力、霊能力信仰」となります。



 実は日本の仏教でも、最澄とか覚鑁(かくはん)という方は悪魔になっているようです。

 この方々の特徴は「密教による霊能力信仰」という面と「一乗思想」だという面です。

 一乗思想というのは、人間は生まれながらに悟っている存在なので修行しなくても仏になれる、という考え方です。

 これに対して三乗思想というのは、修行しなければ仏に近づく事はできない、という考え方です。

 一乗思想で有名なのは親鸞、法然、蓮如などですが、念仏とか浄土真宗とか大乗仏教ですね。

 三乗思想だと、曹洞宗とか空海の真言宗とか禅宗とか、要するに小乗仏教と言われるものです。



 最澄の開いた天台宗が日本での大乗の祖になるのか、私はよく知りませんが、最澄は三乗思想と喧嘩して一乗思想を立てた人でした。

 空海と最澄は同じ時代に同じ遣唐使船で中国に渡ってそれぞれ仏教を学び、帰ってからもライバルでした。

 最澄は中国で密教を学ばなかったのですけど、空海は当時仏教の最先端であった密教を学んで帰り、最澄は日本に帰った後で空海から密教を学んだようです。

 要するに空海も最澄も同じ密教であり、霊能力信仰ではあるのですけど、空海はつまり三乗思想であり、最澄は一乗思想である、という点が違うという事のようです。

 あるいは空海の密教は「仏神に近づこうとする」趣旨の霊能力であるのに対し、最澄のほうの千日回峰のようなものは「単に超能力が欲しい」ものであるというような違いがあるのかもしれません。
 覚鑁系ならたぶん「ご利益超能力が欲しい」というような趣旨なんだろうと思います。

 確かに病気治しとか経済発展とか交通案全とか、宗教や神様にはご利益をもたらす側面もある事はありますが、ご利益一本だけとか極端なご利益信仰には邪教しかないと思って間違いないでしょう。
 そちらもたぶん、動物霊のような事になるのかと思います。

 その例で言えばたぶん、例えば創○学○とかはそういう団体なんだと思います。
 単にご利益だけ願っているようなものは、まだ宗教とは言えない感じがします。

 霊能力信仰(密教)といっても、たぶんそのような中身の違いになるんだろうと、私は思います。


 親鸞聖人は一乗思想で浄土真宗ですが、現在天国とも地獄とも分らない「グレー」な世界、善悪を一緒にしたような世界にいて、地獄に堕ちている訳ではなく、菩薩ではあるようです。
 つまり親鸞聖人は一乗思想ではあっても霊能力信仰ではありません。


 覚鑁という方は密教と一乗思想をミックスして「密教的浄土教」なようなものを作って、密教を大衆化しようとした方だったと思います。


 要するに修行して心のあり方を仏神に近づけてから霊的な事に入らないと、簡単に悪霊にやられ、間単に悪魔になる、という事です。


 基本的にお釈迦様は修行論を説いていたので、仏教は元々三乗思想だったと思った方が良いでしょう。

 親鸞はキリスト教系の魂の転生であるそうなので、一乗思想は「信じるものは救われる」とした、信仰を説いたキリスト教のようなものであると考えて良いようです。

 つまり最澄は、僧としては堕落したとか、僧を堕落させたとか、仏教を堕落させたとか、そういう事になるようです。


 それから元々密教というのは、インドのヒンズー教の民間信仰を取り込んで仏教が変質したものであるそうなので、元々純粋にお釈迦様の教えでも無いようです。

 ただし、お釈迦様も心の修行を通して、最終的には霊天上界との交流を目指す教えを説いていたので、霊能力信仰の側面が全く無いわけでも無いでしょう。

 もう一度言いますが、宗教や神様にはご利益としての事象や側面もありますので、そういうものが全くないわけでも無いんだとは思います。

 まあ結局は、自分に都合の良いだけのこの世的な欲望、本能まかせのようなものを求める霊能力なら、悪魔のほうになる、というような事もあるでしょう。


 今、最澄はワ○ル○メ○トのようなもの、あるいは千日回峰のような修験道のようなものを指導していて、覚鑁は真○苑とか密教系の超能力ご利益信仰のようなものを指導しているようです。

 例えばオ○ム教は、宗教とは言いたくないくらいひどいですが、一応分類としては超能力信仰になります。

 G○Aもそういう裏側的なものだったために、今はボロボロのようです。
 仙人集団なようなので、神への信仰とか信仰心と言うものがあまり立っていないとも言えそうです。

 霊言を真似た、レ○リ○ル○ッサ○スという所も悪魔に入られてしまったようです。
 ここも要するに霊能力信仰です。



 まあ、そんな訳で表側は心の教えとか神への信仰心を重視し、霊能力信仰はあまり説かない、というのはそういう危険性があるからです。


 仏陀最誕という映画のテーマでもありましたが、今は仏陀が最誕している状況ですので、信仰をエルカンターレ信仰一本に絞ってしまって構わないでしょう。

 表側は説明や理解のために勉強しても構わないと思いますが、裏側の霊能力、超能力信仰は止めて、幸福の科学一本にしぼったほうが良いと思います。

 要するに体験上、私もひどいめに遭って、そういう結論に至ってきているので言ってます。




8、まとめ


 一番効果があるのは経験上、結局「悪い事をしない事」です。

 つまり戒を守る事がある程度できなければ、以降何をやってもムダな所があります。

 ちょうど片方で放火しながら、片方で一生懸命火を消しているような状態になるんですね。

 悪い事というのは、行いが第一ですが、思いもそうです。

 仏教徒はまず始めに戒を授けられる、という事ですが、そういう意味があるんだと思います。


 結局、遊びや娯楽、これは犯罪やギャンブルや風俗は論外ですが、ゲームとか自慰とか動画やTVマンガの見過ぎ、あるいは酒の飲みすぎのような事をしない事です。

 仕事や勉強、運動、家事手伝いなどの建設的な事、生産的な事に時間を使えば良いという事です。


 二番目に効果があるのは、反省をする事です。

 これは第一に戒を守れるのであれば(悪を犯す事が無ければ、という前提)、元々反省はしなくても良いという事はたぶん言えるのでしょう。

 しかし何一つそういった事をしないで済む人間は、なかなかいないでしょう。

 反省がきちんと出来ていないと、結界も無念無想も、あまり効果がありません。

 渦中にある人は既にそれだけ心が曇っている訳ですから、反省をして曇りを払わないと良くなりません。

 ただ既に重度に霊障の場合、反省が難しい場合もあるので、そういう時は幸福の科学の書籍やDVD、CD等を聞くとか、悪霊撃退の祈願をするとかのほうが良い場合もあるようです。


 次に無念無想とか眉間白光なんかの自衛を考えましょう。

 無念無想はあらゆるものの基礎みたいなので、それなりに有用でもあるでしょう。

 他にたぶん、超能力とか霊能力なんかも結局は元々、戒と反省をして心が磨けてないと、マイナスのほうにしか発揮されない事になってきて、あっても同じ事になるんだと思います。


 最後に他力をあてにしたらいいです。


 結局はそういう順番でないと、いずれも効力を発揮しにくいという事になりますね。

 これは実はそのまま「戒・定・慧」の順番でもあります。

 仏教理論とは元々、そのように現実的に合理的にできているんだと思われます。




2015/4/26:追記

 今『宗教の挑戦』という'92年の本を読み直していたんですけど、その辺の事や霊能力と宗教の正邪について詳しく書いてありました。

 やはり戒律(規則正しい生活も含む)は大切で、反省も毎日30分〜1時間はするようです。

 そのくらいは守る人でないと霊能者としては眉唾になってくるようです。
 あ〜そうですか、たしかに私もそんなに守ってはいませんでした(笑)。

 実は体感的に私も毎日そのくらいの反省はしないといけない感じがしてます。

 大丈夫だからとほっとくと、いつのまにかやられているので、やっぱり心の状態が荒れてくるんだと思います。

 ただ夜寝る前はもう疲れていて寝るだけ、という事も多いんですが、ダメなんでしょうね。


 反省なくして悟り無し、という事も言われます。
 生きている人間というのはそういう存在のようです。


 長い事悩んできたんですが、結局は、この辺が王道になるんだと思われますね。



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