性の倫理について
前にも書いた事があったけど、もう一度書きます。
性の倫理って何であるのかと言うと「子供ができるから」という事です。
そもそも性の営みというのは「子供を産んで育てる」という以外に用はないものです。
目次
1、適齢期と容姿について
2、無人島の野生馬
3、人間の幸福感は子供時代で決まる
4、中絶の罪とは
5、性の倫理とは
6、色情地獄について
7、霊的な性の罪
8、宗教修行と性の問題
9、欲望のコントロール
1、適齢期と容姿について
容姿というのは顔も体(プロポーション)も「配偶者をえて子供を産む準備ができました」というアピールに過ぎません。
沢山の人の顔を重ね合わせると美人になるそうです。
もっとも平均的な顔が美人です。
顔の良し悪しはハーフ(混血)がそうなように「より普遍性を持つ遺伝子」の事だと思います。
つまり美人とは「どんな個体とも子供を作ってうまく行く可能性のある遺伝子」という事だと思いますね。
普遍性があるから誰からもモテる、という事じゃないかと思います。
女性のプロポーションというのはギリシャの頃から決まっていて、お腹のくびれと腰の比率が7:10がもっとも美しいんだそうです。
これはホルモンのバランスで、子供を生む準備が出来ました、という合図なんですね。
それで胸と腰が大きくて、お腹が細い人を好む訳です。
つまりこれは「もっとも子供を産めます」というメッセージでしかありません。
霊的な、生まれる前の結婚の約束とか、親子の約束というのはあります。
赤い糸も全部という訳でも無く、現代の日本では40%くらいだという数字もあります。
たとえ40%だったとしても、赤い糸というのは信じて結構です。
残りは、現代は複雑になっているので(事故とか事件とか別の配偶者に行ってしまったとか、結婚する気が無くなったとか、元々決まってない人も沢山いるらしい)あちらから引っ張ってきて、こちらから引っ張ってきて、というので地上で決めてもいるようです。
そんな訳で、原則は運命の人以外の人と若い頃から性的にまで遊ぶのは、計画も狂うし、幸せになる生き方では無いとは思います。
適齢期というのがあります。
結婚して子供を作るのに適した時期です。
女性だと中学生以下では死産になる可能性が高いので早いと思いますから、高校生以上〜25才くらいまでが適齢期だと思います。
16〜25くらいまで10年くらいが一番モテるのですが、要するにこの時期が生物的にはもっとも子供を生むのに適しているという事だと思います。
現代は生きていくのに高度なものが求められるので、高校生くらいの年齢でやっていくのも大変かも知れませんし、特に40過ぎで結婚して子供を産んでも問題無いとは思います。
なぜ若い頃が適齢期なのかと言うと、
普通自然界では平均寿命が30才くらいだったりするので、親が死ぬまでに子供が自分で食べれるようにならないと、親が死んだら子供も死ぬからです。
例えば15才で産んだら、30才の時に子供が15才になり、親は30才の平均寿命で死ぬことになる訳です。
たぶん生物的な理由はそんな所です。
それで今、若い風俗の乱れが問題になるのは、実は生物的には高校生くらいが一番適齢期だと思われるのですが、現代は生活も高度化しているので高校生くらいでは結婚できる可能性が少ないからです。
これが狩猟や農村社会のようなものなら、そのくらいで結婚しているんだろうと思いますね、実際。
それから女性の方は容姿の衰え、というのを気にすると思いますが、考え方によってはこれも一つの慈悲になってます。
つまり、もし死ぬまで顔も体も若いまま綺麗なままだったらどうなるでしょう?
結婚後や子供が出来た後も、男性からのアプローチが絶え間なく、争いも不倫も欲望もひっきりなしで、とても落ち着いて家庭生活を営めるような状態では無いと思いますね。
ですから結婚して子供が産まれると、プロポーションも崩れ容姿も衰えるというのは、子供達のためにも他の男性をそれ以上寄せつけないようなサインを出し、安定した家庭生活を営めるように、わざとそうした作りになっているんだと思います。
それから未婚の方も容姿が衰えるのは、前に書いたとおり時間的な制約があるので、不幸な子供を作らないための仕組みだと思います。
肉体の容姿なんて、そんな理由のものに過ぎないでしょう。
ですからもっとも大切な事は、結局は配偶者や親子の魂の絆になってくるんだと思いますね。
男性の適齢期は、まあ女性より3つくらい上のほうが釣り合いがとれるようなので、18からとしましょうか、たぶん40くらいが上限だと思います。
40才になると老衰が始まるので、それ以上は生物的には適さないように思います。
しかし男性は経済力のようなものがあれば、それで条件をクリアできるような所があるので、歳をめされた方でもがんばったりする人はいます。
生物的に考えると、男性は遺伝子さえ残せれば、つまり子供が出来てしまえば後は死んでも半分はかまわないので、それで40くらいになるんじゃないかとも思います。
半分はナワバリの維持、つまり人間の社会では経済力を担保し続けないといけません。
残りは子供に対して社会的な適応訓練、つまり善悪とか技能とか社交性を伝達する役割があると思います。
え〜なお、男性も「うちの父ちゃんも若い頃はカッコ良かったのに、風采の上がらないブヨブヨのゴロゴロになってしまって」というのも女性と同じです。
若いままカッコよかったら不倫も絶えないだろうし、いつ乗り換えられて捨てられるか分かったものじゃないと思います。
これも配偶者以外には手を出せないように、という慈悲だと思いますね。
それから40くらいから中年太りが始まり、容姿が思わしくなくなるのも、子供を作る時期じゃない、というメッセージだと思いますね。
以上生物学的な容姿とかは、そんな感じです。
2、無人島の野生馬
小さな無人島に野生馬がいて、増えるだけ増えるとある時に大量に餓死します。
この死に至る過程の事象が、人間のあらゆる不幸です。
つまり食料が無くて餓死、食料を巡って争い、勝者敗者が現れ、少しでも勝者たらんといじめをし、無理をして欝になり、親は子供を顧みる余裕がないので、捨て子します。
当然その無人島で養える個体の量は決まっているのです。
つまり地球上のどこの土地でも、その土地で養える人口には原則限りがあります。
だから競争しているとも言えます。
戦争が起きるのも似た様な事です。
人間なら技術によって養える量を増やす事も出来るのでしょうが、いずれにせよ限界があります。
と言う事はどういう事かと言うと「生まれる量を調整して人口統制する」という答えになります。
論理的に考えるなら、世界的にそうです。
しかしこの方法は人間性や人権を無視し、現実にはうまく行きません。
中国の一人っ子政策を見てもそうですが、統制という手段は悪魔的な手法でもあり、必ずしも全てのファクター(要素とか需要とか背景とか感情とか)を拾わないので、決してうまくはいきません。
もう一つの方法は、結局一人一人が倫理や常識を守って踏み外さない事です。
きっちりと子供を育てる環境が整ってから、性交渉する事です。
3、人間の幸福感は子供時代で決まる
子供時代というか親がどういう人間でどう子供に接したかで、だいたいその個体の一生の幸福感覚は決まってしまうと言えます。
もちろんそれだけでは無くて、努力して這い上がって幸福になる人も沢山います。
そこで当然ですが結婚前や経済的な裏づけが無いままに子供を作ってしまうと、その子供が不幸になる可能性は非常に高くなります。
当然親が子供を顧みる余裕はありませんので、中絶とか施設にあずけるとか、間引く(殺害)とか(現代では事件になりますけど)、人買いに売るとか、就学率が落ちるとか、そういう事になります。
不幸な生い立ちの子供はグレたり、やくざに道を踏みは外したりしやすいので、社会が悪くなっていき、より不幸な子供を生産する社会になったりして、悪い循環になって行きます。
性の乱れ、というのは社会混乱の始めでもある訳です。
今はどうなのか知りませんが、昔は結婚するまで操(みさお)を守る、というのが常識でした。
つまり結婚するまでは性の営みはしてはならない、というのが常識で、してしまうと「きずもの」という事でお嫁にいけない、という考え方でした。
これはなぜかと言うと、日本は小さな島国なので、存在根拠の薄弱な子供を余計に養えるような土地が無かったからだとも言えます。
要するに日本という島の土地で養える家族世帯数の限界というのが決まっていて、死ぬ人と入れ替わりに食料の確保が確実になるまでは、子供を作っても中絶か間引きかという話になります。
「日本には間引きの習慣がある」んだそうですが「土地が限られていたから」だと考えられます。
その間引きの習慣のために、現代の日本では罪の意識が少なく、中絶が多いのだと言うことらしいです。
年間何十万という数で行われています。
結婚前に一度でも性交渉したらもうお嫁に行けない、というのも極端であり、昔はそのための不幸もあったようですが、現在のように何でもかんでも許される、というのも当然行き過ぎだと思います。
戦前は国家が、いわば強制的に価値観や倫理を押し付けていたような所があったと思うので、GHQ(敗戦当時のアメリカの占領軍)としては自由とか人権とかいう立場から、性に対しても個人の考えに任せるべき、という流れになったのでは無いかとも思います。
しかしこの自由と民主主義には前提があって、人々が正しい宗教信仰を持っていて、刑法や憲法で縛らなくても倫理や道徳を守っている、という事です。
アメリカでは大多数の人はキリスト教徒ですから、倫理を持っています。
日本では日本神道がGHQによって追いやられた後、それに変わる宗教やモラル道徳というものが無くなってしまい、それで現在では「何でも自由の獣(けもの)の世界」になってしまっています。
当然アメリカ人は原始的なアニミズムの日本神道を廃して、先進の(と一応思ってる)キリスト教を日本の宗教にしたかったのでしょうが、無理な話だったという事です。
それでその精神の空白地帯に根付いてしまったのが、左翼唯物論思想だった、と言うのが戦後です。
唯物論には相互の不可侵契約、それに基づく刑法以外に制約はありません。
という事はどういう事になるかと言うと「刑法に触れなければ何をしてもいい」という事になってしまいます。
それで現在の日本は、倫理や道徳の無い、無制限な獣(けもの)の世界に近くなって来ているんだと思います。
GHQは占領下で一時期人権の問題から、風俗産業(当時は花魁とか)を撤廃したんですが、残念ながら今日では風俗産業も流行っているようです。
4、中絶の罪とは
色々あって難しい所ではありますが、子供の魂にとっては迷惑な話だとは思われます。
妊娠後8週目〜9週目に霊界から魂が降りてきて宿るので、その後の中絶は原則しないほうがよいようです。
その前の段階でも一応生きていて初歩的な幽体もあるようですが、人間の魂が宿ってからとは少し意味が違うようです。
あまり若年の出産は、母子共に「死産」となりやすいので、中絶も止む得ないようです。
子供と性交渉してはいけないのも同理由です。
後は経済的に子供を養える訳はないので、産んだとしても孤児になりがち、という事もあります。
すでに魂が宿っている状態で、子供をおろすかどうか考えたり議論していたりすると、赤ちゃんには分かり、非常に恐怖します。
出産後もその事がトラウマになっていて、陰を引きずっている人もいます。
おろされて霊界に帰った時も、いわば「親におろされた」というショックは非常に強く、次に生まれ変わった時もグレたりするそうです。
もし若年でないのなら、育てないで施設にあずけても良いから、生まれさせた方が良いようです。
当然恨みは持つのでしょうが、人それぞれ様々な人生計画をもって産まれてくるので、それでも生かした方がマシなようです。
魂によっては、三途の川原という所で何十年も子供のまま、という事もあるようです。
これはたぶん親が供養したりする親であれば、そういう状態から離れて、あの世での暮らしを始めるのだと思います。
それでも一度宿って赤ちゃんの状態で霊界に帰ると、そのまま大人には戻れず赤ちゃんのままで、あの世でも霊人が世話をして子供から大人まで育てるという事だそうです。
5、性の倫理とは
まあそんな訳で宗教や倫理道徳で昔から言われている事は、長い間に培われた「人類の智慧」なのであり、論理的な根拠の無い事ではありません。
つまり原則は結婚するまで性交渉は持たない、と言うのが「最終的にはみんな幸せになれる」生き方だと思われるんですね。
例えば今は女性でも、沢山お金がもらえるから、という事で風俗が人気だったり、高校生以下の年齢の女性がブルセラとか援助交際とかしてお金を稼いだりとかしているようです。
今結婚しない人が増えているのは「結婚しなくても性的な欲求が満たせる」からだ、という事が一因にあるようです。
つまり風俗産業が増えれば、男性は「じゃあ結婚しなくてもいいや、子供育てるのめんどくさいし」という事になるようです。
そんな訳で良く考えてみると、傷ものになって結婚しにくくなったり、結婚のチャンスが減る事(結婚を考える男性が減る)を考えれば、一時風俗でわずかにお金を稼いでも、結婚してもらって一生養ってもらった方が、実はもらえるお金の額は多いんだろうとも思います。
現在はマスコミも随分とイ○れてると思うので、風俗産業を持てはやしたりなんてのも、要するに男性に都合の良いように情報操作しているだけの事で、女性は騙されているのかも知れませんよ。
フリーセックスなんて自由だとか進歩主義(リベラルとかね)だとか言いますが、実際は「バカな人、よく分かって無い人(あるいは単に無分別)」の考えだと思います。
でもってたぶんほとんど唯物論の人であるとか「唯物論思想から出てきた考え」だと思います。
つまり世界各国の宗教にはどこにも「結婚制度」というものがあり、未婚前の性交渉は原則いけないと教えていると思います。
風俗で働いている女性も「できたら過去や記憶を消したい」と言うのがホンネのようで、はっきり言えば「軽い犯罪」ですから魂の汚れとか罪悪感も相当にあるでしょう。
霊感があると風俗が悪霊現象のほうであるのははっきりしますが、要するに真っ当な人生から、罪は軽くても一応犯罪者に「転落」するという事象なのかも知れません。
一言で言えば「しょせんやくざな世界」だと言う事です。
まあ大多数の人は性交渉なんてとんでもないと思っているんだとは思います。
昔からそうなように、気の毒ではありますが、所詮あんまりよくない家庭の人が踏み外しているんだろうとは思いすね。
そんな訳で童貞とか喪女(性交渉してないの意味で)とか言うのも、産まれてくる子供に対する責任という事を考えれば、しごくあたり前で真っ当だとも言えます。
あとは恋人同士がどうかとか、そういうのはまたいろいろと別の問題になるのかも知れませんが、私は恋人いない暦生まれてからな人なので(笑)よく分かりません。
6、色情地獄について
結婚を前提にしない、あるいは行きずりとかで産まれてくる子供に責任の取れない性交渉は、ごく間単にはっきり言えば「地獄行き」です。
失楽園を書いた作家さんもTVで「善悪なんてないんだ」と言ってましたが、現在は死後見事に色情地獄に落ちているようです。
そういう人の「無責任な発言」を真に受けると、バカをみます。
地の池地獄は女性の子宮を磁場にしている事が多いんだそうです。
それで暗い洞窟のような血の池で、延々と男女で悶えているんだそうですね。
若い頃の「若気のいたり」というようなものは、後で「バカな事をしたな」という事でまだ許される面もあるそうです。
無論犯罪はNGですから程度問題です。
夫婦の間で子供を育てるという前提での営みは天国的な方のようです。
不倫とか結婚無前提のものは、個人や家庭、社会を「破壊するもの」なので地獄行きになります。
恋人同士がどうなのかは、私は分かりません。
それからちゃんと避妊した上で、独身の大人同士が関係を持つのもどうなのか分かりかねます。
当然そういうグレー(灰色)な領域もあると思うので、何でもかんでも地獄行き、という事では無いとは思います。
あるいはよく反省する事、場合によっては罪をつぐなう事でしょう。
創造的か破壊的か、という事だそうですが、例えばピカソには愛人が沢山いたようですが、その分創造的だったと言えるでしょうか(笑)
ピカソはお金はあったでしょうから、養育費くらいは出していたんでしょうかね。
例えばルソーも子供を作っては捨てていたようですが、高級霊界にはいるようです。
しかし総裁先生に「元祖無責任男」として唯物論の走りとして一緒にでしょうか?批判的に言われてましたね。
その辺のグレーゾーンは、実際は色々だとは思います。
例えば恋人同士でも、駆け落ちして無理心中とかになった場合、下半身が一緒で上半身が分かれているような姿で、地獄行きになったりという例があります。
これも結局は自分勝手で、自殺という破壊的な方向だからだと思います。
例えば現代でも「汚い」と思うのは「お金のために」という売春ですね、ブルセラとか援助交際とかもそうです。
あるいはAVとか写真集とかもお金の話です、こうした拝金主義的なものはどうしても地獄的だと言わざるえないような気がします。
7、霊的な性の罪
宗教家、あるいはそういう人ではなくても、例えば出版物やAVのようなものの罪はどうなのか、というのがあります。
霊感があると原則「自慰だとどんなものでも」心が汚れて(曇って)悪霊がやってくるのが分かるので、出版物、AVを問わず、まあ「悪い事」にはなってるのでしょうか。
これも程度問題、幅があります。
一つには現実→架空という程度。
もう一つはハード→ソフトという内容の程度があります。
まず現実にやれば犯罪になりますから、現実に手を出すのが一番罪が重いのは当然です。
間単に言えば「刑務所に行くことになるくらい」現実に罪の量が多い、という事になります。
次にAVなどの実写、その次に写真などが罪が重いです。
これは対象の人が実在し、多少なりとも被害を受けるからだと思います。
次にHゲームが罪が重いですが、以下絵空事なので実写よりは罪が軽い、と言うのが体感です。
次に書いたもの、アニメ→マンガ→絵→小説、と言う順に大体程度があります。
アニメの方がよりリアルに近い、という事で罪が少し重いようです。
Hゲームの方が多少重いのも、それだけリアルに近いからのようです。
なお、そういうものの作り手の場合、当然影響のあった人に対する責任まで及ぶので、個人でのレベルよりも罪が重いです。
その制作物の内容にもよるんだとは思いますが、例えばハードなものだと霊的には、真っ黒な悪霊とか妖怪になってる人はよくいます。
そういうものは作らないように、作ったとしても見せないようにした方がいいです。
結局ずっと後まで考えると、その方がお得です。
例えば、みんなが描いてるからといってHなものを描くのは止めたほうがいいと思います。
たまに、というか最近はよく「この人はこういう絵を描いたらいけない人だ」という人はいます。
せっかく才能があるのに堕ちてる感じと言うか、もったいない感じはします。
空想だけ、というのも悪想念が発生するのですが、やや少ない印象はあります。
と言う事は、昔の人はほとんど空想が多かったでしょうから、現実に手を出すのでもなければ、現代よりはそんなに汚れは少なかったんじゃないかと推測します。
そんな風に、体感的(霊感的)に、より現実に近い物ほど罪が発生します。
次に内容ですが、前に書いた通りです。
つまり創造的、子供を産んで育て、家庭や社会を構築するほうなら天国的。
夫婦→恋人→ハーレムのような順番になるかと思います。
強姦とか、より破壊的なほうなら、その程度により罪が重くなります。
間単に言えば犯罪に分類されるようなものですね。
不倫も「家庭を破壊する」ものなのでNGです。
それから聖なるもの、例えば巫女とか尼さんとか女神とか天使とか王女とかあるいは綺麗な魔法少女(魔女にはまた色々とあるが)でしょうか、そういうものは忌避しておいたほうが無難です。
どうしてもこちらは悪魔との契約のほうに意味が移ってくるので、死後天なるもの聖なる存在に相対せなくなってくると思います。
簡単に言うと色情の罪以外の罪が出てくるので、止めておいたほうがいいと思います。
さて、これらの販売物について考えてみます。
まず男性には「精子輩出欲求」というのがあって、どうしても一定の割合で性欲を処理しなければいけない構造になっているようです。
それで、販売物には現実の犯罪を減らす効果があるらしいので、一定の需要はどうしてもあるかとは思います。
つまり手近に処理できないと、入り口は下着どろぼうとか、痴漢とか、ストーカー→強姦と、現実に手を出すようになるので、減らす役割もある事はあるでしょう。
ただし、現在のように供給過多だと、逆に現実の犯罪を誘発している面が相当あると思われるので、何でもかんでも自由も行けないと思います。
現在はあきらかに「行き過ぎ」だと思います。
反面主流のエロゲのようなものを考えてみると、恋人かせいぜい萌えハーレムが主流ではあるようなので、浄化作用か自制、あるいはそれ以上は無理、というようなベクトル(方向性)が働いているようにも思います。
泣きゲーとかいうようなものもあるようですし、色々なんでしょう。
8、宗教修行と性の問題
総裁先生が「間単に欲望に負ける人は一生かかっても結局悟れない」とおっしゃってる所があります。
現実に体感的に霊感があるとその通りで、反省して心が綺麗になってきてても、自慰するとそれで元の木阿弥で引き戻される、そして悪霊の声が聞こえ始める、という事はあります。
そこで「原則悟るまで(悟った後も)は自慰はダメ」という事は言えるかとは思います。
ただし、生理的な欲求であり、ご飯を食べていれば消える事が無いので、難しいと思うし、私はできたためしがありません。
総裁先生は「その都度よく反省する事だ」とも言っています。
実は俗にいう「賢者モード」というのはこの働きのものだと思います。
つまりそのまま心が汚れたままだと気持ち悪いので、いわば本能的に反省に入ってるんだと思います。
私は心の換気扇のようなものかと思ったりします。
一つの方法は「仕事が忙しくて性欲を処理しているヒマや余裕は無い」というのがあります。
それで宗教家以外でも阿羅漢以上がいるのは、そうした仕事が忙しくて悪を犯しているヒマが無い、という理由があるのではとも一部思います。
いま一つは性欲自体が「憑いてる悪霊がそそのかしている」感じがする事で、遠ざかれば遠ざかるほど、つまり悪霊の影響が少なくなれば少なくなるほど、性欲自体を感じなくなる、というのもあるように思います。
今一つの方法は「食べすぎない」というのがどうしてもあります。
沢山食べるとどうしても多くなってくると思います。
例えば原始仏教では托鉢(食事を分けてもらう)は午前中だけで、午後は食べてはいけなかったそうです。
そうする事によって性欲を遠ざける、という事をしていたようです。
色々な宗教の断食も同じような意味があるようです。
たぶん世の中には性欲の処理はしてない、という人も居るんじゃないかとも思うんですけど、どうなんでしょうね。
パウロが転生したのが親鸞だそうで、パウロはキリスト教徒で性欲は罪の意識から、禁欲を断行したんだそうですが、あまりに苦しいので時には気絶したんだそうです。
その後、親鸞に転生した時に、仏教では女犯はいけないのですが、女犯して妻帯し、その後仏教を少し堕落させたとか、跡継ぎが出来るようになったとか言われています。
反作用としてそこまで出るほど、性欲というのは無視しがたいものではあるようです。
性欲自体は生命力と不可分なので、生きている限りどうしてもあるという事のようです。
しかし例えばニュートン霊示集のようなものでニュートンが「この世が汚れるのは性欲が理性でコントロールできるように肉体が作られていないからで、人体を改造するとすれば、性欲をある程度意識でコントロールできるようにしたい」と言ってる所もあるので、あるいは肉体設計の欠陥と言えるものかも知れません。
まあ性欲を意識的にコントロール出来るようにすると、今度は人口自体が増えない、という問題があったのかも知れませし、何とも言えませんね。
後はもう、毎日反省して心の浄化を心がけるしかありません。
9、欲望のコントロール
よく考えるのは中国の古代聖王の堯(ぎょう)舜(しゅん)の時代の治水の話。
堯は始め鯀(こん)という人に治水をやらせる。
鯀は漢字は忘れたが要するに直線で堤防を築き、人間の流したい所に川の水を直線的に流すような治水工事をして、水が氾濫した時には勢いのある所で決壊していたそうな。
その後を次いだ禹(う)は、川の流れに合せて流すところは流し、せき止める所はせき止め、曲線的に堤防を築いて治水を成功させたんだそうな。
禹の治水の成功した地域を禹域といい、それが中国最初の王朝夏王朝になり、中華になったんだそうな。
まあとにかく欲望も同じで、氾濫させてはいけない所、つまり人の住む村や町に水が溢れ流れたら、これが犯罪という領域になるので、そこは堤防か何らかの方法でせき止めて、流してもよい所は流し、という方法にしないと、鯀のように直線的に無理にやろうとすると、返って肝心な所で堤防が崩れるとか、そんな風に考えたりします。
まああるいはナイルの賜物とか禹域のように、生命力をうまく制御(コントロール)して使える時には、実りや発展をもたらす(仕事や家庭ができる事のようなものかと思われる)んだとかそんな話でしょうか。
えらそうに言ってますが、それが現実にどういう方法になるのか、未だによく解らない話ではあります。
例えば、前にも書いてますけど、現実の犯罪に至る前で、架空のもので処理したりとかもそういう制御の例の一つではあるのでしょう。
まあ修行者にはその程度では足りない、という話をしてるんですけどね。
簡単に結論を言えば、結局結婚して家庭を持てば良い、という話になるんでしょうか。
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