まろやか&ダークネス編


-奈落の底の鎮魂記-
第一章〜愛ゆる話〜
第六話・捕らわれし者B

十数年前
「…貴方の気持ちは嬉しい。けれど、私達はまだ学生なのだし、自重する必要があると思う。」
「………」
「…もちろん…これは貴方と結婚したく無い。という意味ではなく…今、現在は無理だけど…将来は…私も…伴侶として共に過ごしていくことも念頭においています。」
「………」
「…ですから…もし…婚約という形でもよければ…それはとても長い期間なると思うけれど…待っていてくれるのでしたら、私は、貴方の求婚を受入れたいと思います…」
「………」
「…どうしたんですか?ひどく沈痛な面持ちですが…どこか体の具合でも悪いのですか?」
「…いや…そうじゃないんだ。」
「…え?」

「…10月13日、20時40分。両親により捜査願いが入る。 同日、22時10分。行方不明者の所持品の一部が草むらで発見…警察は事件性がアリとして捜査本部を立ち上がる…これは後で聞いた話ですが。」
「え?え?それって…」
「…翌、14日、私は冷たい…レンガ作りの部屋の中で目が覚めました。そこは彼の父が生前にワインを保存するために作った倉庫であると、しばらくして思い出し、自分が現在どのような状況にあるのかを確認しました。」

「…これは…一体なんなんですか?」
「………」
「…なぜ私が地下倉庫に、鎖に繋がれているですか?…納得できる正当な理由があるんですよね?」
「…私は、君が欲しかったんだ。」
「…え?」
「…欲しかったんだ。君が。」
「…あきれた。それだけの理由で非行に走ったんですか?」
「…ああ。」
「…ふぅ。私は貴方を買いかぶっていたようですね。正直ガッカリしました。もう少し、人の心をしんしゃくできる人だと思っていたのですが。」
「………」
「あなたも所詮、「男の人」ということですか。良いですよ。あなたの望みを叶えてあげます。あなたの望むまま…ごゆるりと楽しんだらよろしいでしょう。」
「………」
「けして望む形では無いけれど…貴方が相手なら、多少の不快は耐えてあげます。」
「………」
「…私の声、聞こえていますか?早く解放して下さい。私はまだ、貴方を見限ってないんですよ?」
「…そうじゃない。そうじゃないんだ。」
「…え?」
「…私は君の全てが欲しいんだ。」
「だから私は…」
「………」
「…な、何を考えているんですか?止めてください!嫌いに…嫌いになりますよ!そんなこと、私にさせないで下さい!私、貴方を嫌いになりたくない!」
「………」

「その日の正午、第一次広域捜査を開始。約300人の捜査員が動員され、所持品の発見場所から、周囲600mを探索するも、手がかりは発見されず…」
「………」
「…その時、私は地下室に留置させられていました。彼は身動きできない私の尊厳と誇りをふみにじり、その暴威をもって私を従わせようとしました。」
「………」
「…私は、彼を想っていました。だからといって、理不尽な暴威に屈しなければならないという理由にはなりません。私は、彼の責め苦をあがらいながら、必ず、この罪を償わせようと決意しました。」
「…あの」
「…なんですか?」
「…これは一体、何の話なんですか?」
「…マリンさんが知りたがっていた、私の「初体験」の話ですよ。」
「…でも…これって、こんなのって。」
「…貴方が望んだことですよ?しっかりと聞いてください。」
「………」
「…私は、何日も何日も、彼の暴威にさらされました。理不尽な行動に、内心怒りに震えながら様々な辛苦に耐えていましたが、ある日…納得できない彼の行為を…もう一度理由を問い直しました。」

「…なぜ…なぜなんですか?」
「………」
「…教えて下さい…なぜ、こんなことを始めたんですか?こんなことをしなくても…いつかは…」
「………」
「…貴方が望むなら…どんなことでも…受入れるつもりだったのに…」
「………」

「…彼の変貌の理由が知りたかったんです。精神的に追いつめられる中で「なぜ?」の一言が、私の中に反芻され…こだましました。 」
「…抵抗…しきれなかったの?」
「…当初…私の胸の中は、彼に対する怒りと憎しみで溢れかえっていました。本当に信じていた彼が…最もやって欲しくない方法で…最も望んでいないことをおこなったのですから…でも…」
「………」
「…彼に対する憎しみだけでは…一度は心に決めた相手には…抵抗する気力も気概もかけていたんです…何かしらの理由があると、心のどこかで「救い」を求めていたんでしょう…」
「………」
「そして彼は、静かに口を開きました…」

「…君に、死んだ両親のことを話したことはなかったね。」
「貴方の…お父様と…お母様?」
「…父は…とても優しい人だった。困っている人を見ると助けてしまい、ついつい騙されてしまうことも少なくなかったが…「うそで良かった」と笑って済ませてしまうような男だった。」
「………」
「でも、俺はそんな父が大好きだったよ。」
「………」
「だが母は違った。母は若い男と駆け落ちし、俺の目の前から消えた。「あんな男についていけない」と捨て台詞を残して…」
「………」
「その時、父は何といったと思う?「彼女は自分の本当の幸せを見つけたんだ。彼女がそれで幸せになるのなら、それで良いじゃないか」…と言ったんだよ。」
「………」
「笑ってしまうぐらいの、お人よしだろう?でも、その言葉を聞いたとき、俺は父を誇りに思ったよ。誰が何と言っても、父は世界一の父親だと、胸をはって皆に言い続けた。」
「………」
「だから母がいなくなっても、俺は平気だった。何しろ俺には誰にも負けない世界一の父がいる。これ以上のものは必要なかったし、贅沢だと思った。」
「………」
「…五年後、父の商談に家族と付き添った俺は、とある酒場の路地裏で、ボロボロの服をきながら声をかけていた一人の女性に注視した。」
「………」
「…母だった。」
「…ああ」
「…美しかった母は、まるで道化のような化粧をしていた。玉のような肌は荒れ果てて、年齢より遥かに老けた顔つきとなっていた。それよりもショックだったのは…父の顔もわからないほど正常では無くなっていた。」
「………」
「…驚いた父は、母を保護したが、性病と薬物により、もう手のほどこしようが無いありさまだった…その姿は、父と別れてからの生活を如実に表すものだったが…父はあまりにも優しい男だった。」
「………」
「…客と家族の見分けもつかない母に…何度も何度も謝っていたよ…何度も何度も…私が悪かった…と。」
「………」
「…一ヶ月後、父は病室にいた母を射殺して、書斎で自殺した。父の手に握られていた新聞には、母とかけおちした男が、何ものかに殺害された記事が掲載されていた。」
「………」
「…父は死ぬ直前…何度も母に言っていた…私にもっと男としての魅力があれば…女性を…妻を、縛り付けるだけの力があれば…と。」
「…だから私を?」
「…君の存在が、私の中で大きくなるにつれて、怖くなったんだ。私も父と同じく、君を幸せにできないかもしれない。その結果…私の手から離れてしまい…別の悪い人間に騙されて不幸せになるんじゃないかと…たまらなく…我慢できなかった。」
「…それが…私を留置し、従わせる本当の理由なの?」
「君を…幸せにしたかったんだ。ただ、それだけなんだ。そしてこの手段が間違っていると分かっていながら実行してしまった…きっと、俺は、人を愛する資格なんて無いんだろう…」

「…この答えを聞いたとき、私は彼を憎みきることは不可能だと悟りました。」
「………」
「…私は彼を説得することに決めました。彼を説得して正しい道に戻すことこそ、私が行うべき責務であると認識したのです。」
「…でも、恨んで…憎んでいたんでしょ?」
「…ええ…それは言葉にならないほど。」
「なら…」
「…しかし、彼は心に大きな傷を負っていたのです。私を愛することにより、それを広げてしまったのであるなら、私にも責任があります。それに…」
「…?」
「…彼のことを愛してましたから。」
「…でも、少しおかしい気がする。なんか…上手く言えないけど…間違っている気がするよ。」
「…言いたいことは分かります。彼は罪を犯しました。そして罪は償わなければなりません。」
「………」
「ですが幸い…と言うのもおかしいですが、幸い被害にあったのは私だけです。彼が改心し、私の良き伴侶となってくれれば…彼の償いはそれだけで十分だと思ったんです。」
「…そんなに割り切れるものなの?」
「…他の人が、私と同じ立場になり、彼の言葉を聞いて、どう思うかは分かりませんし、興味もありません。ただ、私が思ったことは…彼には私が必要なんだ。ということです。」

「…ごめんなさい。私…あなたの事を何も知らなくて。」
「………」
「私がもっと、貴方に関心を向けていれば…こんな事態を招くことは、なかったんですよね…」
「………」
「貴方の伴侶になる…なんて浮かれているばかりで…貴方が何に苦しんでいるのか…いえ、苦しんでいる事実させ理解してなかった…」
「………」
「やりなおしましょう…ね?二人で…一緒に…」
「…それは…できない。」
「…信じて…私は、絶対に裏切りません。貴方に抱きしめられてからずっと…生涯の伴侶は、貴方一人だけだと決めていました。」
「………」
「私は、貴方の為なら何でもします…だから…」
「…何でも?」
「ええ…それで貴方の心が癒されるのなら…」
「…すまない。嘘をついて逃げ出そうとするのは良い。だが、言ってほしくない嘘をつくのは止めてくれ。」
「嘘じゃない!私は本当に…」
「…なら、従僕しろ。そうすれば鎖も外すし、ここから出しもする。」
「…それはダメ。」
「…出来ないだろ?「何でもする」と言いながら…だから言って欲しくなかった。落胆は君に対する行為に転換される…だから頼む、希望を持たせないでくれ。」
「貴方に…嘘はつきたくないの。」
「…結局、君は最も大切なものを決して触れさせようとしない…だからこそ…」
「私は…ただ、貴方と一緒に…貴方と共に肩を並べて生きたいだけ…同じ視線では…いけないんですか?貴方の足元にはいつくばり、下から眺めないと認めてはくれないんですか?」
「…下から眺める必要は無い。ただ、私のモノになってくれれば、どこにいてくれても構わない。君が一族の当主になろうが上司になろうが…そんな事に興味は無いんだ。」
「……ああ。」
「…ただ、君が欲しい。それだけなんだよ。」
「…私は…私のモノです。誰のものでもありません。」
「…分かっている。君の強固な自意識は誰よりも知っているよ。だからこそ…縛らなければ…奪わなくてはいけない。」
「…ダメなんですか…そこまでしなければダメなんですか?私の心も…体も…全て貴方のモノなのに…私の一分の尊厳まで奪わないとダメなんですか?」
「………」
「…それまで失ったら、私は…私では無くなってしまう。私が失われてしまう…それでも構わないというんですか?」
「…構わない。」
「…え?」
「…例え壊れても…私は君を放しはしないよ。」

「…この言葉を聞いたとき、私は少しだけ嬉しくなりました。壊れていても好きでいてくれる…それは何よりの励みとなりました。」
「…励みって?」
「…彼を説得する励みです。これは…逆説的とも言えるのですが…彼が私を欲しがれば、欲しがるほど、私も彼を説得できるのでは無いかという…希望が沸いてきたんです。」
「…相手の欲求が原動力ってこと?」
「…これほど私を愛してくれるのなら、いつかは私の言葉を受入れてくれるはず…そう思い…そう思うことが、私の唯一の光明だったんです。」
「…でも、相手のやることは無茶苦茶だし、説得できるとは思えないんだけど。逃げすことを考えた方が良かったんじゃないの?」
「…マリンさんは、わりと素直なんですね。」
「む…今、トゲを感じたぞ。」
「壊れていても愛してくれるのなら、死体になっても愛してくれるでしょうね。」
「…う。そうか相手は正気じゃないんだ。何だかんだ言っても最後は…」
「…それに、もし逃げ出したとしても、彼がどういう行動にでるか。」
「…行動って…追いかけてくるとか?」
「…自棄になって自殺、ということも考えられます。」
「…へ?」
「言う事を聞かないのなら殺す…程度の相手なら、別に相手がどうなろうが知ったことではないですが…彼が自殺する可能性を考えると、どうしても決断はできませんでした。」
「なんで?勝手に死なせればいいじゃん。一人よがりの自傷行為に何で付き合うの?」
「…自傷行為なんて難しい言葉を良く知っていますね。」
「…むぅ、またトゲがあることを。」
「私の無知により追い詰めてしまった償いもできず…狂気に走り私を尊厳を踏みにじった彼に償いをさせることができず…ただ、辛い過去だけが残る結末…幾らなんでも、あんまりだとは思いませんか?」
「………」
「…先ほども言いましたが、それに私は、彼を…失うことは出来ませんでした。彼に傷つけられても…それでもなお、私を愛してくれているという一点で、私は…彼を許すことも、自分を保つことも出来たんです。」
「………」
「…だから、彼があの言葉を私に告げた時、私の心は崩れてしまいました。」
「…え?」

「…私が憎いか?」
「…憎い?…ええ…憎いに決まっています…こんなにヒドいことをした上に…私の言葉を受入れてくれないんですから。」
「…そうか。」
「…今頃、自分のした事に対して怖くなりましたか?…なら、今すぐ私を放して下さい。」
「…放したら…その手で、私を殺すんだろう?」
「…それは素敵なアイデアですね…でも、そんなに簡単に終わらせませんよ…私をお嫁にいけない体にしたのですから責任を果たしてもらわないと…」
「…結婚しろと、いうのか?」
「…当然です。貴方を…私の良い伴侶となるよう、徹底的に再教育してあげます。」
「…分からないな。俺を受入れないのなら…嫌えば良いのに。そうすれば…」
「…あら、知らなかったんですか?私は一度決めたら絶対に妥協しないんですよ。なにせ渾名が”超合金”ですから。」
「俺を好きだというのか?…誇りを渡さないクセに。」
「…貴方こそ…人生を捨ててまで、私を求めてクセに。」
「…笑ってしまうな。お互いを求めるのに、接点が見つからないなんて。」
「…ボタンの掛け違いから始まったのですから…一度かけなおす必要があるんです。ただ、それだけの話ですよ。」
「…あるいは、決して交わることの無い線なのかもしれないな。」
「そんなことはありません!絶対に私達は合います!諦めないで、私を見て下さい!」
「………」
「大丈夫。怖がらないで、私は貴方を見捨てたりしないから…ね?」
「………」
「…さぁ、もっと私を見て下さい。」
「………」
「………」
「…君が」
「…え?」
「…君が、ここに繋がれてから、どのくらい経過した分かるか?」
「どのくらいたちましたか?30日まで数えて止めたので分かりません。」
「…もう半年は過ぎている。」
「そんなにたちましたか。月日が経つのは早いものですね。」
「…冷静だな。その精神力には敬意を表すよ。」
「惚れ直しましたか?」
「…ずっと惚れてるよ。」
「確かに辛いですけど、ちょっとハードな婚前旅行と割り切れば、大して気にもなりません。ここは綺麗に掃除されていますし、ベットのシーツもお洋服も、ほぼ毎日取り替えてくれます。それに日に一回は…ガラス越しですが、日の光を浴びることも許してくれますしね。それになによりも…」
「…?」
「…貴方の作るお料理、美味しいです。」
「…前に君が作ってくれた料理の方が美味かったさ。」
「貴方が、私のために作ってくれる。その事実が一番の調味料です。」
「…そうか。」
「私は食べて寝るだけだから楽なものですね。正直、主婦に家事を全て任せてしまう夫の気持ちが分かりました。結婚したら専業主夫になりませんか?」
「…君がやしなってくれるのか?」
「ええ、外に出て働きますよ。私達の幸せのために…」
「…そんなことをされたら浮気が心配だな。」
「そうは言いますが、外で働いている人は、家人が間男を引っ張り込まないか心配するものですよ?」
「…そうか、そうだな。なら衛星通信装置でもお互いに付け合うか?」
「それは、いいですね。どこにいても居場所が分かりますから便利です。」
「連絡がつかないと罰金とか…」
「貴方の場合のみ、近くから女の人の声が聞こえるとヒネるとか…」
「…それは私のハードルが高くなるような。」
「あら、統計的にみても男性のほうが、女性よりも浮気をする確率が高いのですから当然ですよ?」
「…そうだな。ふふふ。」
「…ふふ。」
「…こんな話をしていると半年前に戻った錯覚を覚えるな。」
「…戻れますよ。貴方さえ望めば…」
「…半年以上の不在は、どう見繕うつもりなんだ?」
「…何でも言い訳は出来ます。海外へ旅行に行きたくなったとか、しばらく一人旅をしたくなったとか、山奥に巫女の修行しにいっていたとか…私が強行に主張すれば、それ以上どうにもならないハズです。」
「…大した人だよ君は。」
「そうでしょ?パートナーにしないと勿体無いですよ。」
「…半年間もここにいて…どうして談笑ができるんだ?なぜ、そこまで強い精神力を持つことができるんだ?」
「貴方が…好きだからです。」
「…なに?」
「貴方の間違った行動を正すこと…正してくれることを信じているから…」
「………」
「この…半年間。確かに精神的にひどく追い詰められました。しかし、人一倍、私の体と健康に気を使ってくれたのも貴方です。」
「………」
「おかげさまで、心はボロボロですけど、体は元気一杯ですよ。」
「………」
「それに、やり方も問題です。貴方は私に対して、いかなる行為を行うときでも愛情をいっぱいそそいでしてしまいます。それではいけません。」
「………」
「勉強、練習、しつけ、調教…これら他者に何かを教え込ませる時に必要なのは、アメとムチであり…これらはメリハリをつけて行わなければいけません。」
「………」
「特に人の意思を奪うほどの非行を行うのでしたら、相手に対する情を捨て去るか、凍結させねばなりません。ですが、貴方にはそれができてはいません。」
「…博識だね。」
「文学人間ですから…その手の本を貴方と一緒に読んだこともありましたね。」
「…ああ、そうだったね。」
「………」
「………」
「…上手くいくはずがありません。元々、貴方はこんな事をできる人間じゃないんですから。」
「………」
「私の幸せを感受してしまうような人が…こんなことを行うなんて、そもそも無理だったんですよ。」
「………」
「辛かったんですよね…心ならずともしてきたことに…貴方が泣いていることぐらいお見通しですよ?」
「………」
「…ね?鎖を外して下さい。そうしたらギュッとしてあげます。」
「…ギュ?」
「ギュ…と、貴方が私を抱きしめてくれたように…私も貴方を抱きしめてあげます。」
「………」
「知っていますか?ギュ…と、抱きしめられると、とても気持ちがいいんですよ?きっと、疲れた心も体も休まると思います。」
「…そんな、ちっちゃい体で?」
「ちっちゃくても…胸の中に飛び込んでくれたら…貴方をつつみこんであげますよ。」
「………」
「…きて。」
「………」
カチャ
「…あっ」
「…鎖を外した。ドアの鍵も開けておく。」
「…うれしい。」
「………」
「…貴方なら、きっと分かってくれると思いました。」
「………」
「…きて。」
「………」
「…もう、恥ずかしがって、どうするんですか?さぁ…」
「…いや、いい。」
「…え?」
「…いいんだ。それは。」
「いいって…」
「…ここに拳銃がある。父が使っていたものだ。銃弾も入っている。」
「…私に?」
「…好きなように使ってくれ。」
「…どういうことですか?意味が分かりません。これで私にどうしろと言うんですか?」
「………」
「…答えて…答えて下さい!なぜ…どうして!?」
「………」
「お願い…答えて…なんで黙っているの…」
「………」
「お願い…」

「…彼に拳銃を渡されたとき、私は泣きました。あらゆる責め苦に涙一つ流すことはありませんでしたが…この時は泣きました。泣いて、泣いて大声で泣いて…私は世界が反転し暗闇に包まれるのを感じました。」
「…どういうこと?」
「…抱擁を拒否され、銃を渡されたときに理解したんです。彼が求めていたのは、私自身ではなく、自分を捨てた父母の幻影を投影する存在だということに。」
「………」
「…彼の本当の望みは…自分を一緒につれていかなかった両親の元へ行くことだったんです。それで愛するべき対象…私に父母の影を重ねて、送って貰いたかった。そういうことです。」
「…そんな。」
「…それを悟ったとき、私の中に残っていた、最後の尊厳は打ち砕かれました。皮肉にも「彼に愛されている」と思っていたことで保っていた、私の認識が崩壊したんです。」
「………」
「…失ったんです。このとき…私は本当に大事なものを…」
「そんな。そんなのって…」
「だから私は決めたんです。復讐しよう…って。」
「…え?」
「彼が私の全てを奪って、空っぽにしちゃったように…私も、彼の全てを奪おうって…」
「………」
「奪って、奪って、奪いつくして。そして最後に「私」しか残らないように…「私」だけしか残らないように…」
「…それ、狂っているよ?」
「…ふふ。そうですね。」
「うう…そんな透明な笑顔を返さないでよ…」
「…クス、ごめんなさい。あの時のことを思い出すと。今でも心が透明になる気がするんです。真っ白で、透き通っていて…」
「…うう…聞きたく無い…」
「私は、復讐を成し遂げるために、彼に従僕することを決めました。彼に従僕し、気を引かせるのが…この場合、唯一の道だと考えたのです。」
「…あ、あのね…一つ聞いていい?」
「なんですか?」
「その…ママさんの考えって…本当にそうだったの?」
「本当…とは?」
「…そ、その…いきなりそういう話が出てきちゃったから…本当なのかな…て。」
「さぁ?」
「…さ、さぁ?」
「単なる妄想です。彼に真意を聞いても答えてはくれなかったですし、証拠もありませんしね。」
「ちょ、ちょっと待って。それって…」
「普通に考えれば、心身が極限にまで衰弱し、本能が自我崩壊を食い止めようと、目の前にあったツール(銃)で彼に従う為の虚構を創り上げた。…と解釈するのが妥当でしょうね。」
「自分も信じていない想像で復讐を誓ったの!?」
「本当かどうかなんて、もうどうでもいいことなんです。私が復讐を誓った。その事実だけが重要なんです。」
「………」
「…それから…私は、彼の命ずられるまま、どのような要求にも応じました。今まで言わなかったことを言い。今まで出来なかったことを行いました。」
「…不信がられなかった?」
「もちろんされました…でも、不信というより、驚きという感じでしたけれど。」

「…どうしたんだ?」

「…と、聞いてきましたので、私は正直に答えました。『貴方の全てを手にいれるためなら、他のことは、もうどうでもいいんです』と。」
「…うう、それって今まで彼氏さんが言ってたことじゃない。」
「ふふ、彼も今の貴方と同じ顔をしていました。最も今までの経緯がありましたから、完全には信じられなかったんでしょうね。その後、かなり無茶な命令をしてきました。」
「そ、そうなの。」
「聞きたいですか?」
「い…いや、いいです。」
「それでも、しばらくするうちに、私が本当に従順になったのを知ると、そう変な命令はしてこなくなりました。目的が嗜虐ではなく、私の意思剥奪だったので、当たり前と言えば当たり前なのですが…」
「…ふ、不満だったの?」
「そうですね…もっと色々と試してくれてもよかったと思いました。」
「…積極的だね。」
「抵抗する理由がありませんでしたからね。逆に彼が注目してくれるのなら、どんな命令でもして欲しかったぐらいです。」
「…むぅ…ダメ。くらくらしてきた。」
「そのうち彼の口調も、命令調から、元の優しい彼の口調に変ってきて…いつしか一緒に、よりそって生活しているようになりました。」
「寄り添い?閉じ込められていたんじゃ…」
「既に前回の時点で、鎖も家の鍵も外されていましたから、もう閉じ込められている。という状況には無かったですね。」
「…あ、そうか。じゃあ、寄り添うってことは、その時は彼氏さんの部屋で寝泊りしてたってこと?」
「そうですね。その頃になると、彼の部屋で一緒に寝るようになっていました。…一緒にお食事を作り、お洗濯をし、お掃除をして、お風呂に入る…依存度の高さを除けば、同棲と変らなかったんじゃないでしょうか?」
「…そうなんだ。」
「…比較的、私の理想としていた生活と似ていたので「これならば、もっと早く こうしていれば良かったかな」などと愚にもつかないことを考え始めたとき、彼は最後の踏み絵を私の前に置きました。」
「…踏み絵?」
「彼はおもむろに…私の目の前に婚姻届を置いたのです。」
「婚姻って…結婚申込書だよね?それが踏み絵なの。」
「私が今まで拒否し続けた…とても大切なものを…彼の言うがままに受入れるかどうか見たかったのでしょう。用紙を前に置くのと同時に、私の耳元で「子供をつくろう」と、囁きました。」
「…うう…なんか気分が悪い。」
「…ふふ、マリンさんには分からないかもしれませんが。私は、この婚姻届を見た時、脳髄にしびれるような快感が突き抜けたんですよ。」
「…な、なんで?」
「彼は、この事実をもって、私を縛りたいと考えていたのでしょうが。この紙は、私を縛るのと同時に、彼を縛るものでもあるんです。分かりますか?彼が私を妻にしたのと同時に、彼は私の夫となるんです。」
「…うん。」
「…まだ、彼の全てを手に入れたわけでは無いけれど…彼を、私の…私の唯一の夫とすることができる。彼の存在全てを求めることが目的となった私にとって…これ以上は無い絶頂でした…」
「…うぇ。」
「私は嬉しさのあまり…ペンを持つ手が震えてしまい…サインを書くのにひどく手間取りました。彼に婚姻の意思が無いと疑われるのが嫌で、あの時は感情を抑制するのに必死でした。ふふ。」
「………」
「そして…彼はサインの確認した後、私の指に婚約…いえ、結婚指輪をはめてくれました。私は、嬉しくて、嬉しくて、涙をポロポロこぼして言いました。「私は貴方のモノです。だからずっと、そばに置いて下さい」と…」
「………」
「彼は、そんな私を見て、にっこりと微笑むと、優しく唇にキスをしてくれました。「ようやく君を手に入れた」と言って…」
「………」
「彼の言葉に、意識が失うほどの幸福感に包まれましたがハタと気がつきました。「私は、まだこの人を手にいれて無い」。私は直接、その事を彼に言ったのですが、勘違いした彼は私に交換用の指輪を渡してくれました。」
「………」
「本当なら、その時に訂正すれば良かったのでしょうが、指輪を見た瞬間、そんな気も吹き飛び、彼の指に指輪をはめ込むのに夢中で…頭が一杯になって、忘れてしまいました。」
「………」
「でも、まぁ…結婚の時に、わざわざ復讐を口にするのも何ですし、結果的にみればそれで良かったかもしれません。」
「………」
「こうして私達は、誰にも認められていない結婚を行いました。このまま、平穏に終わるのかと錯覚するほど、満ち足りた日々は、しかし、外部的要因によって終わりを迎えました。」
「…外部要因?」

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