展示室(3)
第2次大戦前の中国の鉄道乗車券
中国国鉄の乗車券は現在コンピューター発券の画一的な様式となって面白味が無くなりましたが、
かって中国では中華民国國鉄や日本侵攻時代の華北交通、華中鉄道など色々な企業が輸送を担当して
いました。それらの資料を掲示して当時を振り返ってみたいと思います。
下に掲げるのは中華民国時代の乗車券です。 日清戦争後権益拡大を狙う欧米各国の思惑で紆余
曲折の末開業した鉄道は
,1930年代は中華民国国有鉄道として経営されていました。下の乗車券はその時代の券です。
当時は4等券もありました。 運賃は中国の貨幣単位である「元、角、分」で英語では「元」を「$」で
表示しています。残念ながら年代がはっきりしません。 一番下の横型の券は広九鉄道でこの形は
1982年5月の磁気カード化まで続きました。 1枚を除いて漢字なので大凡券面はご理解出来ると
思いますが、一応ご説明します。 先ず上段左の券には「京滬鐵路」とあります。
これは南京―上海線のことで、京は南京、滬は江蘇省内にある川の名で転じて上海の一名で、
上海北駅(站)の入場券(月台票)です。
現在でも時刻表を見ると「京滬方面」のように使っています。同じく上段一番右側の券は、
赤文字加刷で特急列車用(特別快車)軍人用半額優待券であることが分かります。
2段目左から2枚目には「津浦綫」とあります(綫は日本語の線)。
これは天津、浦口(南京の揚子江の対岸)を結ぶ鉄道で両方の頭文字を取ったものです。
更に2段目右側2枚は滬杭甬綫と書いてあります。これは上海から杭州・寧波へ行く路線です。
(漢口の対岸武昌市と広州を結ぶ路線)の広九支線(現広九鉄道)とでも言うのでまた最下段横型の券には「粤漢区広九段」とあります。「区、段」は下部組織の名称ですが、
ここでは粤漢線
しょうか。どなたか御教示頂ければ幸いです。
日中戦争勃発後は各地で鉄道が破壊され、日本軍が進攻後再建された鉄道は、揚子江の北部を華北交通が、
南部を華中鉄道が担当して鉄道経営を行いました。 下の写真は乗車券が華北交通、時刻表が華中鉄道の
ものです。華北交通は1938年(昭和13年)設立、昭和20年の敗戦で消滅しました。同様に華中鉄道は1939年
4月設立、日本・中華民国維新政府・南京国民政府の合弁特殊法人(実質は日本の国策会社)で昭和20年敗戦に
より消滅しました。
次に掲げる雑誌「観光東亜」(B5版)はジャパン・ツーリスト・ビューロー(現JTB)満州支部が発売して
いたもので、昭和16年1月号の表紙で、裏表紙に華中鉄道の路線図が載っています。
一部に鉄道関係の記事も見られます。
次に掲げるのは華中鉄道の社内誌(
A5版)です。 こちらは旅客規則改正とか機関車の運転とか社内誌なので鉄道関係の記事も多くなります。 次回は路面電車の予定です。