「執念の生首」(民話「執念」より)
とある刑場。 土のうで首から下を固められ、斬首を待つぬすっ人。目をギラつかせる。
「立ち会うヤツすべて、末代までタタッてやる!」とスゴい執念、あまりの気迫、たじろぐ処刑人たち。
そこへいあわせの殿さま、「どうだ?首になっても、飛んであの岩に留まれれば、丁重に葬ろうぞ。」
「そうかぁ〜、よぉ〜し!!!」と、罪人の両の視線は前にある岩へ。・・・刀が下ろされ、首は落ちた。
とその首、つぶった眼を開けるや、ポォ〜ン!と飛び、岩にかじりついたでは!
周囲が「アッ!」と、かたずを呑むその刹那、執念の生首は白目を向いて下に落ちた。
・・・さて、その首?・・・“そのまま捨て置かれ”!・・・“処刑の関係者たちに、・・・不幸はなかった”、とさ。
@ワープロを前に、・・・こう書いて。 「お前ら、末代まで未来永劫、祟ってやる」 ・・・これを保存、閉じ。
Aそれを立上げ・・・ 「お前ら、末代まで未来永劫、祟ってやる」 ・・・何度閉じ、たちあげても変わらず。
Bその文章、・・・今度は「目の前の岩にかじりついてやる」に置き換えたら?
ソフトを何度閉じて開いても「目の前の岩にかじりついてやる」・・・「祟る」の文字すら、どこにもない。
丁重な埋葬に意味ある? 冷静に読める私たちにすれば、だからこの会話が妙ちくりん。
ぬすっ人も“うすうすウソとわかった”か。わめくそれが一瞬、「?」。「こいつ“あやしい”!」と。
でもそこまで。“訊ね、考える余裕が与えられない状況”。それに疑問はかき消され。
「開放されたい! “ただでさえイラつく疑問”なんて!」で、ワナ!とさけぶ本心に“自らフタ”。
晒し首より“マシ”(ホントは“生きられてこそマシ”!) ・・・“死んでもかじりつく!”とヤケクソ。
死で、心も完全固定。 執念の魂、いまだ岩を噛みつこうと?
★どうしようもない感 ⇒ 代替案提供 ⇒ 記憶書換え =マインドコントロール・洗脳 ⇒ 別人
熱く「・・・なるものか!」となるほど、相手に乗せられ、気づいたら言いなり・・・と、皆さんご経験は?
今の今まで信じたもの、正反対へ思考変化 = 分裂症と同現象。 本当になる場合も、ある。
@「考えるだけでイラつく」 や 「忙しさを感じる」 こと、メモる。
A余裕あるとき、 「@」 を深呼吸しつつ、じぃ〜っと観る。
B「何が疑問?」と、ゆぅ〜っくり探る。 ・・・おためし!・・・損な思込みから、脱せられますよう。
魂が、未来永劫、「岩にかじりつく」と同じ価値観に置かれたくない、のでしたら。