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love1 雄犬



いつもと変わらない晴天。
いい加減くたびれた電柱には、カラスが数匹気だるそうに鳴きながらとまっている。

そして、俺と兄者もいつもと変わらずに、平凡な会話をしながら、学校までの道のりを歩いていた。

「やっぱな、俺はリツコが犯人だとふむね」
「それを言うなら、サトシさんでしょ。アリバイが一切ないし」
「その考えこそが、脚本家の思うつぼなんですう〜」
「じゃあ、もしサトシさんが犯人だったら、アイス奢ってよね」
「上等ォ〜。じゃ、リツコが犯人だったら、【一日兄者を好き放題】の券(無期限)くれよな」
「僕のがリスク高い気がするのは、気のせい?」

なんて、俺たちは昨晩のサスペンスの連ドラの話題に花を咲かせていたりする。
俺たちってば、まさに平和の象徴じゃね?

「あ、そういえばな」

思い出したように、俺が言う。
実際、思い出したんだけど。

「ガッコの近くに、先月くらいにやっとできた豪邸あんじゃん?」
「ああ。あの、この街に似つかわしくない豪邸ね」

兄者はもともと毒舌家だが、まあこれには俺も頷ける気がする。
どちらかといえば田舎なこの土地では、バリバリ浮きまくっている羊羹、いや洋館みたいな豪邸。
まさに「お屋敷」なんていうお上品なお言葉がぴったりで、皆もそう親しみと嫌味をこめて、そんな風に呼んでいた。
たとえるならば、むさ苦しい男子校に当然の美少女チア部員の乱入。
いや、これはちょい違うかもしれないが、まあそれくらいの異例と壮大さ?の表れなわけだ。
そんなものが突如建設されたもんだから、街ではそりゃもういろんな噂が飛び交った。
どっかの国のマフィアが隠れにきた、とか。(あんな豪邸じゃ即バレるだろ)
総理の憩いの別荘だとか。(こんななんもない土地に別荘建てるかよ)
などなど、どれもツッコミどころ満載な噂ばかりだったわけだが、最近になってとうとう信憑性のある噂が舞い込んできた。

「あのお屋敷に、ちょーVIPさんが今日ようやく引っ越してくるらしんだよ」

兄者の目の前でビシッと人差し指を立てて、俺は自慢げに言い放った。

「そりゃまた急な話だね」

とくに興味もなさそうな素振りで、兄者は冷静に応答した。
…このアンチミーハーめ。

「でも、ちょい楽しみじゃね?果たして、どんなセレブさまが越してくるのやら」

「噂をすれば、見えたよ。…おやし、き」

途端、兄者の言葉の語尾が濁った気がした。
俺は疑問を投げかける。

「なんだよ?」
「見てよ。なんか、すッごい人たちがお屋敷の前にいる」

すッごい人たち…大分範囲が広い例えだけど、あの兄者がびっくりしてるくらいだから、言葉通り「すッごい人たち」なんだろう。
俺も言われるままに、お屋敷に目を向ける。

「……なんだありゃ」

お屋敷前の門を固めていた異様な二人組の男をみて、思わず、気の抜けた声がこぼれた。
一人は、近くで見たら恐らく見上げるほどの長身だろう。
それでいて、白くて細い。
脱色のしすぎでパサついた金髪は不揃いな長さに切られていて、目元はゴーグルのようなもので覆われている。
これだけでも不可思議かつ不気味だが、この男のソレ要素は、まだある。
顔の大半を占めるようなインパクト大な大きな口やら、無意味にダルダルで明らか不自然な長い袖やら、そこから時折のぞく女みたいに長くて黒い爪とか。
どのみち俺には、到底理解できないファッションセンスだ。
反して、もう一人の男。
一見、普通だ。これでもかってくらい。
少なくとも、隣にいるキンパツ君に比べれば、どうみてもまともだ。
細身の黒のスーツに、ネクタイをきっちりとしめている。
この人には、クールビズとかいうのはてんで無関係らしい。
しかし、何を映しているか分からない真っ黒な瞳には、底知れない闇が存在している気がする。

…て、なんで俺はこんな詳しく観察できちゃうほど、奴らに近づいちゃってんだ。
完全なる無意識だった。

今の俺は、目の前にいるちょー怪しい二人組よりも、明らかに怪しかっただろう。

「あぁん?なんだァ、少年クン。俺らになんか用〜?」

鼻と鼻がくっつくほどの近距離にキンパツ君が顔をつきだしてきて、舌なめずりをする。
……なんか、生理的に受け付けないタイプだ。

「えーッと…特に用っつーのは…」

…ないのだ。
ただ、本能的に俺はこいつらに近づき、本能的に観察していた。
ただそれだけなわけだが、そんなことを言ったところで、まず「はい、そうですか」と納得してくれそうな人物ではなさそうだ。
いつの間にか兄者が隣にきていて、明らかな怒りをもって、俺に睨みをきかせている。
後々、バカと罵られることは火を見るよりも明らかだった。

「あれェ、もしかしてビビッてんのかなァ〜?かわい〜なァ、子犬チャンみてぇだなァ〜」

相変わらずの近距離で、大きな口がニタニタと笑っている。

しかし、俺はここでカチンときてしまった。
…ビビッてる?
子犬?
この俺のどこが、ビビッてる子犬チャンだってんだよ。
思わず、怒りに任せて抗議しようとすると、それはいとも簡単に、ある一声によって封じられた。

「やめておけ。お前では、勝てない」

兄者じゃない。キンパツ君でもない。
真っ黒な瞳が、俺の目を射抜いていた。
…目が、逸らせない。

「用がないなら、去れ。目障りだ」

一瞬にして、黒い闇に俺の全てが支配される。
何か言い返そうとするが、声が喉の奥でつっかえて、出てこようとしない。

「おいおーい、シンやぁん〜きッついよォ?ワンコ鳴かせんのはぁ、俺の仕事っ!」

黒い瞳に釘付けになっていたせいで、気付かなかった。
自分の喉元に、鋭い何かが押し当てられていることに。

「っ…」

爪だ。
真っ黒で、魔女みたいに長くて鋭い爪。
俺の喉なんて、躊躇なく掻っ切れそうな。

「イイ顔だなァ〜!それだけで、イッちゃうぜェ」

痛みに顔を歪めると、キンパツ君はさぞや楽しそうに声を上げて笑っていた。
…センスだけじゃなく、趣味も悪いようだ。

「ッ離せよ!」

少しでも動いたら、頭と身体が首を境目にバイバイしてしまう気がして、むやみに動けなかった。
――死と隣り合わせの恐怖。
正直、こんな思いをするのは初めてだった。

「やぁだね」

僅かではあるものを、ゴーグル越しに紫色の鋭い瞳が俺を捕らえているを確かに見た。
…細くて鋭い、狂喜の目だった。

「あんたのぉ、痛がって鳴き喚いてる顔が見てえンだよ〜!」

さらに強く、爪が喉元に食い込んでくる。
喉仏の辺りを強く圧迫され、思わずむせ返る。
突き刺すような痛みに、だんだん意識が遠のいていった。

「稜っ」

・・・・兄者の、声?
ハッと気づいたときには、喉もとのあの痛みは消えていた。

「気分を悪くされたのなら謝ります。じゃ!」

怒ったような兄者の声が聞こえた。
――腕を、引っ張られてる?

「お、おいッ」

俺はワケが分からず、兄者に呼びかける。
俺を引っ張りながら歩く兄者の表情は、垣間見る事すらできなかった。
返事もない。

「・・怒ってんのかよ?」

思わずそう問えば、足早に歩いていた兄者の歩みが止まった。

「当たり前だろ!なんであんなッ・・喉なんか!もしかしたら、死んじゃうかもしれないのにっ」

俺の腕を放さず、兄者は振り返りもしなかった。
でも、俺の腕をつかむ指がかすかに震えていた気がした。

「兄者」

つかまれた腕をそのまま引いて、俺のほうを向かせる。
驚いて見開かれた目の端には、少し涙が溜まっていた。

「俺、死んでねーし。死なねーよ?」

よしよし、と頭を撫でてやる。
俺自身、たしかにビビッたけど、あの場に居て、ソレを目の当たりにしてしまった兄者のが怖かったのかもしれない。

「バカ」

下を向いて、そう力なく罵ってくる。
今の兄者には、それが限界だったのかもしれない。

――やっぱ、バカって言われちまったな。
なんて思いながら、俺はまた、兄者の頭を撫でてやるのだった。




二人が去った後の屋敷前には、相変わらず金髪の男と黒スーツの男が立っていた。
その異質さに、通りがけの住民たちがじろじろと異様なものを見る目で通り過ぎていく。

「あ〜あァ!ワンコ行っちゃったよう〜!シンやんシンやん、取り返してこいよ〜」

長い両腕を振り回しながら、駄々をこねる子供のように拗ね始める。
スーツの男は、ぴくりとも反応しない。

「あァ?なに見てんだジジィ!ヤられてえのかよォ?」

自分に向けられた視線に気づいたのか、金髪の男が通行人に向かって容赦なく吠える。

「やめろ、楢宮(ならみや)」

走り去っていく挑発された年配の男の背中を眺めながら、黒スーツの男が静かに咎めた。
楢宮と呼ばれた金髪は、首を左右にコキコキとならしながら、長い舌を伸ばして欠伸をした。

「だってよう、シンシンがワンコ取り返しに行ってくんねえんだもーン。俺サマ飽きちゃったぁ〜」
「――この獣が」

・・それにしても、さっきの男。
稜と呼ばれていた。
何かが引っ掛かる。何故だ。

「にゃんにゃんにゃ〜♪お?イヌはワンワン??こっイヌちゃ〜んは、どッこかなあ〜♪」

門の前から少し離れ、近くの草むらを覗き出す楢宮を諭す気にすらなれず、また考える。

・・・・稜?
何処で聞いた名なのか。
なぜ俺は、この名前を知っている?
・・・・・・・・・・・・・。

「――――!」

脳みその奥深くがビリッときた。
・・思い出した。

「おい、楢宮。行くぞ」

漆黒の艶髪をなびかせ、――シンが歩き出す。
思い出したのだ。・・・・あいつが。

「へ?どこ行くんらよ〜。とおくはぁ、めんどくせえ〜」

文句を垂れる自分より長身の男を一瞥し、黒い瞳が笑う。

「・・・・迷子の子犬を探しに行くんだよ」

―――夏の生暖かい風が、シンの言葉をさらって行った。










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