love2 漆黒
学校に着いてからというものを、友人達からの質問攻めの嵐だった。
「なんで"お屋敷"の奴等に因縁つけられてたんだよ」とか、「あの黒いスーツの人と知り合いなの?アド聞いてきて〜」とか「・・お前って、イタイのスキーとかゆう趣味あったワケ?」とか、第三者の奴らは言いたい放題って感じだ。
大体、アイツらのことなど、俺たちの方が教えてほしい。
初対面にも関わらず、公衆の面前であんなマニアックなプレイを強要された屈辱は、当分晴らされそうにない。
・・・それとも、アイツは本気で俺を殺す気でいたんだろうか。
忘れもしない、あの・・狂喜に満ちた瞳。
"死ぬかもしれない"と思った、あの一瞬。
そう考えると、背筋に嫌な汗がにじんだ。
――しかし、もう終わったことだ。
いつまでもうじうじしてるなんて、俺らしくもねえ。
少しは元気出さなきゃ、兄者も心配するだろうし。
・・・・なんて、ムリヤリにテンションをあげようとしていた俺の努力も虚しく、級友たちの質問にいい加減嫌気がさしてた俺たちの元に、さらなる追い討ちをかけるべく登場したのがコイツだ。
「なあなあ、今朝どうしたん?わいのクラスでも、そん話で持ちきりやで〜」
俺の席まで来ると、大道寺雅瑠は当然のようにそこにある机の上に腰を下ろした。
・・あとで、ファブ●ーズしなくては。
「黙れ散れもう話したくねえんだよ。つか、お前は当たり前のように俺様の机の上に座ってんじゃねえ。ファ●リーズ代よこしやがれ」
今の俺は、きっと生気の抜け切った顔で大道寺を睨んでいるに違いない。
隣のイスに座ってる兄者も、ホトホト参ったという感じにため息をついている。
「いきなりきっつぅッ!わいってば、地雷踏んでもうた?つか、ファブ●ーズてなんやねん!わいは異臭か?異臭の原因かいな?」
「なんなら、リセ●シュでも許してやるけど」
「・・許されとるんか、それは」
いつもの言い合いにすら疲れを覚え、俺はいそいそと席を立った。
「・・稜?」
大道寺が反応するより先に、兄者が立ち上がろうとする。
今朝の一件があってから、兄者はいつもより俺に気を使ってくれていた。
本人はそんな気ないんだろうし、礼なんかいえば逆に「バカじゃないの」なんて罵られそうだけど。
「あー。ちょい便所」
ひらひらと軽く手を振り、俺は教室をあとにした。
男子トイレ。
場所によってはひび割れなんかもあるような古びたタイル壁に、取ってつけたような小さな窓がある。
その傍らで、俺は一人ため息をついていた。
自分でも思っていた以上に、朝の件で体力を消耗しているらしい。
なにしろ、あんな危ない目にあったのは初めてだった。
や。そんなちょくちょくあうヤツのが、かえってアブネーか。
・・とにかく、精神的にも体力的にも、今は休みたい。
そんな気分だった。
・・・・一限フケっかなー。
『ガタッ』
いきなり物音が聞こえた気がして、思わず反射的に後ろを振り返る。
すると、どこからともなく手のようなものが伸びてきて、俺の口元を塞いだ。
「ンッ・・!?」
「――静かにしろ」
声のする方を向こうとすると、口を塞いでいた手がそのまま俺を引き寄せた。
強制的に俺は、手の主の胸元におさまる体勢となる。
「ッ離せよ!」
無理やり振り切って、相手と向き合う。
――黒いスーツに、黒い瞳。
今朝の、あいつだ。
なんで学校に・・?
「ずいぶんと威勢がいいな。・・・まあ、いい」
整った形の唇が、わずかに持ち上がる。
背中に寒気を覚え、思わず後ろに一歩下がった。
「つ・・!」
しかし、それも虚しく、伸ばされた指先に顎を掴まれる。
そのまま、壁に押し付けられた。
容赦なく叩きつけられた背中が、ジリジリと痛み出す。
「・・・・駄犬を調教するのも悪くない」
その言葉と共に、喉元に湿った舌が当て交われた。
急なことに、思わず身体が小さく反応する。
「なかなかいい反応をするな」
それに気づかれたらしく、黒スーツは更に今朝喉元に負ったばかりの新しい傷にも、容赦なく舌を掠めてくる。
チクリと刺すような痛みが生まれた。
「ふざけ、・・っ!?」
油断していたせいか、いつの間にか両手が頭の上で拘束されていた。
しかも、片手で押さえられているにも拘らず、ぴくりともしない。
体格も俺とは違わないのに、どうしてこんなに力の差があるんだ。
たぶん、・・フツウの奴じゃない。
「どうした、隙だらけだぞ。もっと足掻いてみろ」
もう片方の手が、ワイシャツの中へと忍び込んでくる。
わざとなのか、妙にゆっくりとした感じが居た堪れなかった。
「触んな・・、」
必要以上に声を出したら、意に反した声が漏れてしまう気がして、それ以上は断念した。
そんな羞恥は、とてもじゃないが耐えられそうにない。
思わず、顔を背けてしまう。
「顔を背けるな。・・あそこの鏡を見てみろ」
すぐに気づかれ、そう命令される。
反射的に顔を上げ、反対側の壁に張り付いている鏡を見た。
「良く見ておけ」
腹の辺りを這っていた指先が、俺の乳首をキュッと乱暴に摘んだ。
先ほどとは比べ物にならない何かが、腰の辺りを痺れさせる。
「自分がどれほどいやらしく淫しているのかをな」
強く擦られる中、痛みとの狭間に微かではあるが、たしかな甘さが生じていた。
・・・鏡の中の俺が、確かに感じていた。
「やめっ・・ん、」
ダメだ。
声を出すと、甘さまでもが別の声となって喉を押し出てくる。
・・・・こんなの、耐えられなかった。
なんでだ。―――なんで、こんなことに。
「・・おい、何やってんだよ」
ふと、見知った声が俺の耳に飛び込んできた。
冷たいけど、どこか聞き心地のいい低い声。
俺と同じ部活の副部長・・・榛名、センパイだ。
「何だ、貴様は」
黒スーツが、俺の両手を拘束したまま、不機嫌に振り返る。
この角度からは、恐らく俺の顔は見えないだろう。
・・・見られたく、なかった。
「それはこっちの台詞だ。あんた、学校のモンじゃねえだろ。――それに、相手。嫌がってんじゃねえか」
センパイの言葉に、思わず顔を背ける。
頼むから、気づかないでくれ。
こんな所、見られたくない。
「貴様には関係ないだろう。・・それとも、混ざりたいのか」
挑発するような言葉で、口端を歪ませる。
こちらにくる足音が、少しずつ近づいてくるのがわかった。
「生憎、そんな趣味はねえな」
黒スーツを目の前に、その足音は止まった。
センパイは、コイツとやり合うつもりなんだろうか。
・・たぶん、コイツは強いのだ。
俺自身が直接手を合わせたわけではないものを、素人の俺が見ていてもわかる。
素早い身のこなしだったり、見た目からは想像できないほどの握力だったり。
――榛名センパイが、危ないかもしれない。
「それは残念だ」
「っ・・く」
突如、首筋に奴の唇が触れ、痛みを感じるほどに強く吸われた。
吸い付く様なそれに、俺は抵抗すら出来ないでいる。
膝が震え、立つことすらままならない。
悔しかった。
同じ男に、ここまで主導権を握られ、恥辱を受けていることが。
「――興醒めだ。また、来る」
男の腕が俺の両手から離れ、唯一の支えをなくした俺は、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。
まだ感覚の残る首元を手で押さえ、敵である相手を見上げ、精一杯に睨みつけた。
今の俺には、このくらいの事しか出来ない。
「・・精々、今のうちに吠えておくがいい。時機にその所有の印が疼き、俺を求める日が来る」
所有の、印。
押さえていた首元が、ピリッと痛んだ気がした。
・・そんな筈、あるワケないのに。
遠ざかる黒いスーツの後姿を、姿が見えなくなるまで睨みながら、俺は考えていた。
アイツの目的は、一体なんなのだろう。
朝の一件から、俺は目を付けられてしまったんだろうか。
・・・・いや。きっと、そんな簡単なことではない。
もっと、別の。もっと、大きな闇。
想像もつかないようなものが、あの黒い瞳からは感じられた気がした。
「・・・・おい、」
大体、なんで俺なんだ。
その辺の男子よりも顔が良くて、ちょっとおバカなところ以外は、まるでフツウだ。
俺じゃなくても、いい筈なのに。
どうして。
「おい、バカケイ。堂々と先輩を無視すんな」
気づいたときには、腰の辺りに容赦ない痛烈な痛みが走っていた。
・・どうやら、思いっきり腰の辺りを蹴られたらしかった。
「ってェな!なんで、いきなり蹴るンすか!」
蹴られた部位を軽くさすりながら、俺は恨みがましくセンパイを睨んだ。
「お前がいつまでも間抜けな面で、ボケッと座ってるからだろ。いつまで、便所の床なんかに座ってるつもりだよ」
そう指摘されて、ちりちりと痛む腰を押さえながらも、素早く立ち上がった。
・・・・忘れてた。
ここは、24時間不潔感漂う男子便所で、俺はそんな所でワケ分からん奴に襲われた挙句、・・・その現場を榛名センパイに助けられ?てしまったのだ。
イコール、一部始終の現場を見られて、た。
・・・・・さいあくだ。
「あ、あの、センパ――」
先に礼を言おうか、事情を説明するべきか迷ったが、とりあえずなにか言わなくてはと思い、俺が口を開いたときだった。
「俺は、『話したくなければ、事情は聞かないが』なんて、甘い事は言わねえからな」
腕を組んで俺を見据える榛名センパイは、いつもの冷めた表情でそう言い放ったのだった。
変に気を使われるよりかは、いつも通りに接してもらった方がラクだ。
きっと、それを榛名センパイは分かってるんだろう。
そういう所も、なんやかんや言って、この人を慕わずにはいられない一つの理由だった。
「分かってますよ。・・つッても、俺自身わかんねえことだらけなんだけど」
さっきまで拘束されていた手首が、まだその感覚を覚えていて、自分の身体の一部ではないような気がしてしまう。
今のように、センパイと話す日常。
さっきまでの、知らない奴に襲われていた非日常。
どちらも本当で、どちらも現実なのだ。
それは、受け止めなくてはならない。
「はあ・・?どういうイミだ、それ」
朝あったときのことから、さっきのことまで、俺は手短にセンパイに説明した。
分かっていることといえば、あいつら2人が"お屋敷"の人間であることくらい。
恐らく、護衛かなにかなのだろう。
"お屋敷"の護衛に、目を付けられた自分。
まるで、理由が見えてこなかった。
「――とにかく理由がなんにしろ、お前は目ェつけられてんだから、気だけは抜くんじゃねえよ。さっきみたいな目に合いたくねえならな」
そう言って、榛名センパイは俺の頭を乱暴に撫で付けた。
冷たく見えて、たまにこうやって優しい面も見せてくれる。
本人には絶対言わないけど、こういうとこは男としてカッコイイなと思っていた。
「授業、出れそうか。もう二限だけどな」
「あーあ、けっきょく二限かよ〜。チャイム、全然気づかなかった」
身体に支障はない。
強いて言えば、榛名センパイに蹴られた腰くらいだ。
授業には出れる。
出ないと、兄者だって心配するだろうし。
「ま。あんだけ気持ちよさそうに乱れてりゃ、チャイムも気づかねーだろうよ」
自分の首筋を指差して、榛名センパイがニヤッといやらしい笑みを浮かべた。
咄嗟に首元を押さえるが、ドコからともなくこみ上げてくる羞恥に、身体の温度が一気に上昇するのを感じる。
「み、乱れてなんかねえッつの!」
「腰砕けちゃったのは、どこのどいつ様だよ」
「っ〜〜〜〜〜〜〜!!」
やりきれない思いに駆られ、センパイに勢いで掴みかかろうとする。
しかし、呆気なく俺の両手はセンパイに掴みかえされてしまった。
腕をつかまれた途端、さっきまでの拘束の感覚が、嫌なくらい鮮明に俺の記憶に蘇った。
・・・・怖い。
「ッ離せ・・!」
無意識のうちに、センパイの手を振り払っていた。
・・振り払ってから、後悔する。
今のは、アイツの手じゃない・・のに。
あの記憶が、自然と俺を操っていた。
申し訳ないのと情けないので、センパイの顔が・・見れない。
「そんな顔してんな。・・お前らしくねえだろ」
みっともなく垂れた頭に、センパイの大きな手が優しく注がれる。
ほんと、かなわねえと思う。
「・・・・すんません」
「・・バァカ」
また、乱暴に髪を撫で付けて、センパイが歩き出す。
俺も、その後に続いて便所を出るのだった。