save1 侵食
べつに交換日記とか、そんな洒落たもんじゃないけど、今日から俺は同居人――山瀬 昇と思いつくままに日記を書こうと思う。
2006年1月26日 真崎翔太
現在俺は、東京都の外れにある、とある小さなアパートに在住している。
そのアパートの周りには、これといった特徴的な店もなく、東京と言ってもそんなに華やかな所ではなかった。
しかし俺は、こっちの芸術大学へ通うために、田舎からはるばる上京してきた身だ。
べつに、東京に夢見て上京しにきたロマンチストではないので、
暮らすうえで不便さえなければ、べつにそんなことはどうでもよかった。
しかし、同居人の山瀬昇は俺とはまるで違った。
東京には夢見て上京をし、大学には遊びで通っている。
全く俺とは正反対な男なのだが、なぜか気だけは合い、お互いの利害の一致から自然と同居にまでいたってしまったのだった。
俺の中でこんな事はかなり異例なのだが、まあこれが現実らしい。
しかし、山瀬は食事はきちんと週交代で作るし、掃除もやる。
(実家がお偉い所らしく、家事や行儀の作法は幼少の頃にみっちりと叩き込まれたらしい。)
同居人という点で不都合な所は、何一つ無い様に思えた。
実際、つい昨日まではそうだった。
―――今日。
今日という日さえ迎えなければ、山瀬は俺にとって最高の同居人のままだったに違いない。
今日の授業は、お互いの講義が違かったので、俺達の帰りは別々だった。
俺は課題の方がまだ仕上がっていなかったせいで、夜の10時近くまで残されてしまった。
いい加減、夜も深くなり始めている。
たぶん、山瀬はもうとっく帰ってるよな。
今日の夕飯は、山瀬の当番だ。カレーだといい。
ガラガラの下り電車の中で、俺は真正面の窓に凝縮された四角い闇を、そんなくだらない事を考えながら見つめていた。
今日は隣に山瀬がいないから寝ないようにしなくては。
目的の駅まであと5分たらずなのに、その5分がやけに長いものに感じられた気がした。
やがて駅までついた俺は、タラタラと歩きながらポケットから定期券を取り出し、改札を抜けた。
駅からアパートまでは、徒歩で8分程度。
居残りで疲れている俺にとっては、とても長い距離のように思える。
しかし、いつもの通いなれた道は少し心地よい。
落書きされた電柱。
変わった形の木。
中森さん家の犬の鳴き声。
全てが慣れ親しんでいるもので、なんだかとても親近感が湧いた。
そうやって歩いていれば、いつの間にかアパートの前へとたどり着く。
カンカンと硬い音のなる鉄の階段をゆっくりと上りながら、バッグの外ポケットのファスナーを開けて鍵を取り出す。
どうせチャイムをならしても、山瀬は出ないだろう。
鍵を開け、ドアノブを右に回す。
ギィ。
すこしくたびれた音をたてながら、そのドアは開いた。
2LDKの部屋の中に入れば、すぐにカレーの匂いが俺のところまで漂ってくる。
山瀬と俺の心は本当に以心伝心しているかのようで、ときどきおかしかった。
「・・山瀬?」
いつもなら、大抵リビングのソファに座って、テレビを見ているのだが、今日はその姿が見えない。
もう、寝てしまったのだろうか。
そうだとしても、一応帰ってきたことくらいは伝えておこうと思い、俺は山瀬の部屋をのぞいてみることにする。
「――ただいま、」
明かりはついている。
そして、山瀬もベッドの上に座っていた。
――――目が、合った。
少し顔を出して終わりにするつもりだった。
しかし、ふと視線が通った山瀬の目がいつもと違うことに気付いてしまった俺の足はその場から動けずにいた。
どこかうつろで、視線の先が定まっていないような目。
唇を噛締めながら、ベッドの上に広げられた奴の手の中に視線を移す。
その手には、少なく見積もっても5粒以上はあるだろう円状の薬がのせられていた。
保健体育の知識くらいしかない自分にも察しはついた。
それは、薬物だった。
「おかえり、真崎。ずいぶん遅かったな。」
とくに焦る風もなく、ましてや薬を隠すような仕草も見せずにいつもの調子で山瀬は言った。
そして、てのひらの中にあった薬を全て自分の口の中へと放り込んだ。
生唾を飲み込んで、俺は改めて口を開く。
「・・なあ、山瀬。それって、」
「ヤクだよ。」
俺の決死の問いかけに、山瀬はまるで何の問題ないかのように軽く答える。
山瀬とはもう1年近く一緒に暮らしてきたが、山瀬が薬物をやっていたと知ったのは、もちろん今日が初めてだった。
たしかに互いの部屋に入るようなことは滅多になかったし、俺も平日は大学から帰ったらすぐに就寝。
休日はバイトといったスケジュールなので、家で山瀬と過ごす時間はたしかに少なくはあった。
しかし一年も一緒にいて、どうして気付くことができなかったのだろうか。
・・・どうして、止めてやることができなかったのだろうか。
「どんくらいやってんだよ・・?」
「半年くらい、かな。最初は興味本位でさ、すぐにやめられるだろって思ってたんだ。でも、やっぱそうもいかねえな。」
そう微笑する山瀬の裏側には、きっと俺なんかでは想像も出来ないような重たい物を抱え込んでいるんだろう。
俺は少しでもいいから、それを山瀬と一緒に支えてやりたいと思った。
そう思ったら、自分でも知らぬうちに勝手に口が動いていた。
「・・俺も手伝うから、薬やめろよ。」
「・・・・は?」
俺を見返す山瀬の視線には、
―――お前には俺の気持ちなんか分からない。とか、
それが出来れば苦労はしない。とか、
そういった気持ちがこめられている様に思えた。
まだ付き合いの浅い俺の事を信用出来ないのかもしれない。
それは仕方ないことだった。
現に俺自身だって、山瀬の何を知ってるのかと言われれば今日一緒に食った朝食の内容くらいなもんだ。
今までお互いをとくに深く干渉しようとはしなかったし、ただ利害関係が一致しただけの仲だった。
そんな山瀬の手助けをしてやりたい。
そう思った自分自身にひどく驚いていた。
どうしてそんな事を思ったのか。知らぬふりをすることだってできた。
俺自身、よくわからなかった。
それでも、言ったことには後悔はしていない。
それだけはたしかだった。
「やっぱりお前、薬やめたいんだろ?だったら、死ぬ気ンなってでもやめようぜ。
俺に何ができるかわかんねーけど、できる限りの事はやる。一人より、二人の方が何かといいだろ?」
俺の言葉に、山瀬はどこか嬉しそうに表情を緩めた。
そして。
「・・ありがとな。」
白い並びのいい歯を見せながら、山瀬は俺に今までで一番の笑みをくれたのだった。