save2 外出
2006年1月30日 山瀬昇
今日は、大学が休みの日だ。
アルバイトが丁度休みだった真崎が、ドライブに連れて行ってくれるといったので、俺は海に行きたいと言った。
俺は、海が好きだ。
波の音、潮の匂い、壮大な眺め。
どれをとっても、決して他のものに怠る事のない場所だ。
地元が海のある町だったから、子供の頃にはよく海に行っていた。
海に来ると、悩んでる事とか、辛かった事とか全てどうでもよくなる。
この広い海に比べたら、俺の悩みなんか小さい物だと思ってしまう。
だから俺は子供の頃、悩み事がある時にはいつも海に行って、海に慰めてもらっていた。
そうすると、自然と元気が湧いてくるから不思議なものだ。
真崎の好きな洋楽がかかった車内で、俺はそう長々と海について語った。
それでも真崎は、一つとして文句も言わずに、黙って頷きながら聞いてくれた。
しばらくして真崎が車のブレーキをかけ、「着いたぞ」と俺に声をかけた。
半分意識がもうろうとしていた俺は、情けない声をあげながら、ドアの取っ手に手をかける。
そして、ドアを開ければ、遠くに広がるのは一面の真っ青な海だった。
波の音、潮の匂い。
―――どれも懐かしかった。
「懐かしいな、」
俺は身体全体の四肢を思いっきり伸ばし、その懐かしさを噛み締める。
「すげー綺麗だな。画材持ってくればよかった。」
なんて、絵の事しか頭にない真崎は、溜息をついている。
そんなあいつを見ていたら、思わず笑いがこみ上げてきた。
それは、たぶん・・真崎らしいなと思ったから。
俺達は車から離れ、海岸沿いを歩き始めた。
潮風が、肌に心地いい。
「身体の調子はどうなんだ?薬、きれたりしない?」
ふと、俺の顔を心配そうに見つめながら、真崎はいった。
真崎に薬中を知られて以来、俺はなるべく少しでも飲む量を減らすようにした。
今までの俺には失うものなんて何もなかったけど、今の俺には真崎がいる。
たしかに薬中だと知られた時はいい気はしなかったけど、それ以来真崎とは前よりもよく話す様になった。
大体前の俺達なら、休日に一緒に出かけるなどということ自体が異例なはずだ。
「前よかは、ラクだよ。ヤクの量も少し減らした。これも真崎のおかげだよ。感謝してる、」
そう言って、俺よりも低い頭をわしわしとなでつけた。
「バカ、やめろよっ・・」
なんて、一見嫌がってる風を見せるけど、真崎は頭を撫でられるのが好きだ。
ほんの数日間真崎と一緒に過ごしただけで、真崎のいろいろな一面を知る事が出来た気がする。
今までの一年間。なんて勿体無い時間を過ごしてきたのだろうと、俺は素直に後悔していた。
真崎翔太という人間は、非常に面白い。
夕飯を食ってたら、いきなり「電話ってなんで声が届くんだろ?」とか言い出すし、
テレビ見てたら、突然「今日、豚肉の特売日だった!」とか言って、いきなりスーパーへと駆け出す。
変わっているといっちゃ、変わってる。
でも、そんな個性的で、優しい真崎を俺は気に入っていた。
―――だって、普通。
同居人が薬中なのわかって、それでもそのまま一緒に住むか?
それに真崎は、俺がヤクをやめる手伝いまでするといった。
最初は口先だけだろうと思ってたけど、思いのほか真崎は俺のためにいろいろ尽くしてくれた。
薬物に関しての本や資料を集めたり、昨日は薬物に関する活動をしているサークルのチラシを持ってきてくれた。
「俺もついていくから、行こうぜ」と、真崎は俺を誘った。
今週の木曜日に、講習会がある。俺達は、その講習会に参加することに決めていた。
他人の俺に、ここまでしてくれる真崎。
たぶん、真崎は優しい奴だから、もし俺みたいな境遇の奴が他にもいたら、きっとそいつの事も助けてやるに違いない。
それでも俺は、初めて“友達”と呼べる相手が出来た気がして、嬉しかった。
上辺だけの“友達”なら今までにもたくさん居たけど、俺の事を本気で心配して助けてくれる奴なんか、今までには存在しなかったんだ。
真崎と真剣に付き合うようになって、それがよく分かった。
しばらく海岸沿いを歩いていると、俺達はある建物を見つけた。
こんな場所に不思議だなと思い、近づいてみる。
どうやら、店のようだった。
茶色い丸太造りの一階建ての建物の柱に、切り株みたいな看板が吊る下げてあった。
そこには、[effort]と手彫りで記されている。
その意は直訳すると、努力。
俺は、忽ちこの店に興味を持ち始めた。
「入ってみないか、」
俺がそういえば、真崎は嬉しそうに笑って頷いたのであった。
木製のドアを押し開ければ、ドアについていた鈴がリンリンと軽快な音を鳴らす。
そして、店内に足を踏み入れた時の第一の感想は、レトロ。
なんか、すごく懐かしいような、落ち着ける雰囲気の店だった。
店内を見回せば、壁には外車のナンバープレートや、年代物の古びた外国のポスターなどがはり付けてある。
その中でも、俺が一番に目に留めたのは、視線の先にあったマグカップの数々。
シンプルながらにも、色合いが美しく、上品なデザインだった。
椿の様な紅、若葉のような緑。
・・・そして、海のように深い青。
俺は一目見た瞬間、そのカップに魅せられていた。
「なあ。俺これ欲しいんだけど、どう思う?」
俺の隣でじぃっとカップを見ていた真崎が、俺の目の前に一つのカップを差し出してきた。
―――それは、青色のカップ。
俺は、思わず吹き出してしまう。
「なんだよっ」
「俺もそれいいなって思ってたからさ、タイミング的にウケた」
喉の奥で必死に笑いを食い止めながら、俺はそう返答した。
すると真崎はカップが置いてあるテーブルから、もう一つ青いカップを手に取り、俺に手渡した。
俺がきょとんとしていると、真崎はどこか照れを隠すように笑いながらこう言った。
「おそろい、とかどーですカ」
・・・思わず、面食らってしまう。
俺はまた吹き出して、短く答えた。
「うん。いいんじゃない、」
「あー!今、バカにしただろ!」
「してねーって、」
「絶対したっ!」
そんな風に俺と真崎がふざけ合っていると、店の奥から白髪のふくよかなおじさんが出てきた。
「お気に召したものはございましたか。」
レジの前に立ち、俺達二人にニッコリと優しく微笑みかけ、おじさんは言った。
「あ、はい。これお願いします。」
俺は真崎の持っていたカップを取り上げ、自分の持っていたカップと合わせて、会計に出した。
「山瀬・・?」
「今日はいいとこ連れてきてくれたし、トクベツな。」
今日、真崎が俺と海に来てくれた事に感謝の意を込めながら、言う。
「うちでは、コーヒーのサービスもしているんですよ。一杯いかがですか。」
会計を済ませ、釣りを財布に入れていた俺に、おじさんのふんわりした声が降ってくる。
「飲んでこうぜ、」
「じゃあ、せっかくだから、そのカップに入れていただけます?」
真崎の言葉に頷き、カップを新聞紙に包もうとしていたおじさんに俺は言った。
「それはいいですな。」
また、ふんわりと微笑み、おじさんは俺達をカウンターへと案内してくれた。
おじさんがコーヒーをいれる後姿を、俺達は何も言わずにジッと見つめていると、
やがて俺達の前に先程のカップが置かれ、ほかほかの湯気をまとったコーヒーがそこへ注がれた。
コーヒーの香ばしい匂いに、自然と吸い寄せられる。
「すげーいい匂い、」
真崎がマグカップを両手で持ちながら、スーッとその香りを楽しんでいた。
そして俺達は、コーヒーをいただく事にした。
「いただきます。」
――――カツン。
とくに意味もなく、俺達はコーヒーの入ったカップで乾杯をした。
カップの重なり合う音、笑い声、・・・真崎。
今ここには、こんなにものたくさんの幸せが存在している。
その一つ一つには、とても重みがあって、俺にとって大切なものだ。
だから俺は、この幸せな時がいつまでも続くようにと、心の中でひそかに願っていた。