BLUE DWARF を探して                     藤枝松庵

プタハ=パテク像の絵

Statuette of Dwarf Ptah Pateque

材質:ファイアンス
高さ:10p
出土地:エドフ
王朝時期:不明
国立カイロ博物館所蔵


以上は、1990年の夏に池袋のセゾン美術館において開催した『黄金のエジプト王朝展』にて展示してあった、ファイアンスという材質で作られ、青い肌をしたプタハ=パテクの像である。
プタハ=パテクのプタハとはプタハ神のことである。
紀元前三千年頃、上エジプトと下エジプトはファラオによって合併され、首都はナイル・デルタの頂点にあるメンフィスにおかれた。
そして メンフィスの最高神にして運命を司る神として、プタハ神が万物の創造者として宣言された。
プタハは、『神聖職人』または『美術の守護者』とも呼ばれる。『神聖職人』の技術のなかには治金術も含まれるが、古王国の壁画や浮彫には治金工が小人として描かれることがあり、治金神プタハも足の短い小人として表されることがあるという。
プタハは、『神聖職人』と呼ばれる位であり、エジプト文明の技術的発展(ピラミッド・ミイラ等)に相当部分で関与していたと推察される。
推察を拡大すると、プタハ=パテク像として残ったプタハ神の原姿である青い肌の小人は、もともとエジプトの原住民ではなくエジプト人以外の種族、すなわち失われた大陸アトランティスから渡来した人たちではなかったのかと考えられる。
この考えの基礎になったのは、中国で今から二千年以上前に書かれたとされる鍼灸医学の古典『黄帝内経(素問・霊枢)』のなかの霊枢・陰陽二十五人第六十四篇である。
木形之人。比於上角。似於蒼帝。
其為人蒼色。小頭。長面。大肩。背直。身小。手足好。有才。
                                    霊枢・陰陽二十五人第六十四篇
この原文を簡単に訳すと、木形タイプの人は、その顔色は青く、頭は小さく、顔は長く、肩幅が大きく、背骨はまっすぐであり、身体は小さい、そして手先や足先が器用で、有能であると訳せる。頭が小さく、背骨がまっすぐで、身体が小さいという点は、まさに小人のことである。
こびと症は知能や生殖器の発育障害を伴うものが多いが、真性こびと症(不明の内因による)では全く正常に保たれている。
                                         南山堂・医学大辞典より


五行論の方位によるアトランティス大陸の位置について

中国には、陰陽五行論という独特な宇宙観がある。それは宇宙の根源に太極という混沌があり、太極が分かれて陰陽になり、陰陽から五行が生まれたという考え方である。
陰陽はプラス(暑い)とマイナス(寒い)というような二元論であり、そして五行には世の中の森羅万象を五つのパターンに分けて考える色体表というものがある。
色体表で五行の木・火・土・金・水の順列を分類すると、例えば、
木ー東ー青―春ー風ー魂ー肝―胆ー眼ー怒
火ー南ー赤ー夏ー暑ー神ー心ー小腸ー舌ー喜
土ー中央-黄ー土用ー湿ー智ー脾ー胃ー口ー思
金ー西ー白ー秋ー燥ー魄ー肺ー大腸ー鼻ー悲
水ー北ー黒ー冬ー寒ー精ー腎ー膀胱ー耳ー驚
というパターンになる。すなわち、五行論に於いての方角と肌色の関係は、東方が青、南方が赤、中央が黄、西方が白、北方が黒になる。
現在の大雑把な人種分類で、方角と肌色を中国(黄色)を世界の中心にすえて、世界地図をみると、アフリカは黒色、南米は赤色、北米は青色、ヨーロッパは白色となる。
だいたい五行論と同じであるが、唯一、北方に位置する黒い肌が南方のアフリカにあることだけが違っている。黒い肌が、五行論では北方に位置するのは、氷河期以後に人類が誕生したという点が加味されたと考えられる。五行論では黒は水であり、水が寒さで凍った氷河期が、北方が南方に位置した頃に終わり、氷が溶けて最初の人類である黒人が誕生したと考えたのであろう。
実際に最古の人骨はアフリカで発見されているが、『黄帝内経』は口伝されたものを二千年前にまとめて書かれたとされているので、この解釈によれば我々は人類誕生の瞬間を代々記憶してきたということになる。青い肌をしたアトランティス人は、五行論によると、中央である中国からみて東方に位置する種族ということになる。また、アトランティスのことを『ティマイオス』と『クリティアス』という書で後世に残したプラトンの記述によるとギリシャからみて西方になる(詳しい出身地については、後に述べる)。
東方の民である青い人は航海術にたけていた関係で(バイキングやスペインのバスク人が、航海術に精通していたのはアトランティス人の遺伝子の影響か?)、他の大陸に交易その他の目的で渡っていったと思われる。そして、古代文明の成立に技術面で多いに貢献したのではないか?
故郷の消失等、何らかの理由で、帰る場所なく他の地に残された青い人達は、土地土地に於いて生活を営む他なく、彼らの技術力をその地に住む人々に提供していったのであろう。彼らの様々な技術は、人々の生活を向上させ、当然、そこに都市文明が生まれることとなった。赤い人はアンデス文明、黄色い人は黄河文明、白い人はシュメール文明、黒い人はエジプト文明(インダス文明)ということになる。
アトランティス人の文明への影響は、それぞれの文明が生み出した陶器の模様がどことなく似通っている点からも類推できる。
エジプト文明に於いては、古い時代に製作されたものほど造形的な質が高いということも文明成立の初期段階に於ける青い人の影響の濃さの現れだと思う。
余談だが、五行論に従えば肌色でみた人類の発展段階は、黒人→青人→赤人→黄人→白人ということになるのも興味深い。
ここでアトランティス人が、先住民といかに係ったかを、彼らがプタハ神(技巧神)となって祀られたエジプト史について掘り下げて考えてみる。


プタハ神からアメンホテプ四世まで

おおナイルよ。(略)プタハの業を栄えしむるもの。         ナイル讃歌(屋形髣コ訳)
とまで、メンフィスの守護神であり、工芸の神プタハのモデルであった青い肌の小人であるアトランティス人は讃えられた。
メンフィスが首都である古王国時代の夫婦像や家族像などには、他の人々と同じように小人の男性が、結婚している様子が描かれているという(古代オリエントの生活・三笠宮祟仁篇より)。エジプト文明史に於いて、アトランティス人とエジプト人との混血は、小人も努力次第で書記や神官などの職業に就いたということからみて、身分的な違和感なく、実際におこなわれていたようだ。文明成立時の文化面に於ける精神的おおらかさを感じさせる事柄である。
青い肌の小人が地球上から消滅した理由は後に述べるが、アトランティス人とエジプト人の間の混血は、長い歴史の内に青い肌の小人の遺伝子は薄れていき、彼らの魂は子孫のなかに残されていった。そしてエジプトの歴史の節々に彼らの遺伝子は強く顔をのぞかせている。
例えばそれは、エジプト第十八王朝(紀元前1567年頃〜紀元前1350年頃)にきて、突如、異端の王アメンホテプ四世(アクナトン)として、アトランティス人の遺伝子が浮かび上がってくる。
アメンホテプ四世は、神官が王の統治権にまで影響を及ぼすようになり、強大化しすぎたそれまでのアメン神を排するため、太陽円盤を表すアテン神を信仰し、これを国教として宗教改革を断行、名もアクナトンに改め、テーベの北方三百キロのテル・エル=アマルナに遷都した。
アクナトンとは、アテン神に有用な者という意味で、神と人民の仲介者的な役割をになう王ということである。
そして、アマルナの地では、アテン神信仰の原理に基づき、それまでのアメン信仰の伝統から脱却した、自然主義的・写実主義的芸術が栄えた(アマルナ芸術)。
第十八王朝の頃は、エジプトが最も繁栄し、国力も充実した時期であるが、反面、繁栄の代償に自然破壊や管理社会が進んでいき、人々の心は荒んでいたと思われる。アクナトンはこのことを憂え、文明が起こった頃の豊かな心を持ったエジプトに戻ろうと決意し、青い人が信仰した太陽神によって自然回帰することを願ったのではないか?
アマルナ芸術は写実的だというが、エジプト博物館にある王の巨像は、長い顔、こけた頬、異様に膨らんだ腹という身体的な誇張が目立つ。また、プタハ=パテク像のように後頭部が異常に発達した王女の像など家族の姿形も写実的であり、アトランティス人の遺伝子の影響と考えるのに十分である。
アクナトン王をアトランティス人との混血の子孫と考えると、絶世の美女とうたわれる王妃ネフェルティティもその名が、プタハと妻のセクメトの間に生まれた男子ネフェルティム(麗しき朝日の意味)に似ている点はかなり暗示的である。またプタハの妻の名セクメトとは、人類の破壊の意味を持つという、アトランティス大陸や住民の運命を象徴する名である。
エジプトの王がかぶる王冠は、上エジプトが白冠、下エジプトが赤冠である。しかし、アクナトンは青冠をかぶった彫像が残っていることから、自分の先祖の肌色である青を意識して王冠に使ったと思われる。
また、アクナトン王自身そして彼の家族の肌にもかなり青い部分が残っていたと考えられる。その証拠は、『黄金のエジプト王朝展』に展示してあった王女の頭部像(伝アクナトン王の王女メリタトン)の彫刻の数箇所に青い塗料の跡がわずかに残っていることからもうかがえる。
自然回帰を目指し、写実に徹することで自然と人間の調和をとるという宇宙観を実行したアマルナ時代は、旧来のアメン神官達の圧力に負け短命のうちに終わり、ツタンカーメン王の御世から再びアメン神に帰依することとなった。
アメン神は、新帝国時代以降に、首都以外でも多くの信仰の中心地で礼拝された神である。この神の名は隠すという意味の動詞《imen》に由来する。従ってアモンは「隠れたもの」、「目に見えないもの」である。外観は、アメンはたいてい人間の姿、新帝国時代には度々青い肌をした人間の姿で表現される。
このアメン神とプタハ神の肖像をつくったツタンカーメンは、旧来のアメン神官達に受け入れられたように思えるが、しかし、ツタンカーメンの母はアメンヘテプ三世の妃ティであるという説を考慮すると、ツタンカーメンはアメンホテプ四世(アクナテン)と兄弟(父違いの?)ということになり、彼も青い人の遺伝子を持つ者になる。彼がアメン神だけではなくプタハ神の肖像をつくったのは、アメン神官に対する少なからぬ抵抗意識の現れではなかったのかと考えられる。
「すべての神は三(柱)、アメン、ラァ、プタハにして、かれらに比肩しうるものなし。」という賛美の記録があり、アクナトン以前にアメン=ラァと同一にあつかっていた神々を、アテン神に於いては太陽を同じように崇拝するラァのみを残したのは、力を持ちすぎたアメン神官団を排除する手段であったように思える。
ツタンカーメンが若くして亡くなった理由を謎とする場合、アクナトン的考えを捨てきれずにいるとアメン神官団に読まれていたため手を下されたと考えられる。


アメンホテプ四世以後にエジプト史に登場するプタハ神

ラアメス二世(前1290−1224年)は治世が長かった。彼の本名はラアメス・メリアメン「(ラァが生んだ)・(アメンに愛された)の意」、即位名はウセルマァトラァ・セテプエンラァ「(ラァの正義は力強い)・(ラァに選ばれた)の意」であった。彼は戦争にしても建築事業にしても、特にその名を後世に残したファラオだった。
彼の戦争の中で最も有名なのは「カデシュの戦い」で、統治第五年(前1286年)に、ヒッタイト王ムワタリシュを相手として戦われた。戦場は以前から強国の間で支配権の争奪が行われてきたシリア地方であった。
エジプト軍は四都市から出動し、それぞれの守護神の名がつけられた四つの軍団に編成されていた。ラアメス二世が即位の時からデルタに於ける王都としていたペル・ラアメスからは「セト軍団」、宗教都市ヘリオポリスからは「ラア軍団」、メンフィスからは「プタハ軍団」、テーベからは「アメン軍団」が参加した。記録では両者とも自軍の勝利を誇っているが、戦後のシリア地方に於ける勢力関係は、戦前とあまり変わっていなかったとみられる。
ラアメス二世と第二王妃イシノフラアとの間に生まれ、王位を継承したのはメリエンプタハ「(プタハに愛された)の意)」であった。王名からもわかるように彼はプタハを信仰し、メンフィスにあるプタハの大神殿の近くに新しい王宮を建てている。
モーゼに率いられたイスラエルの人々がエジプトを脱出する物語を記した『旧約聖書・出エジプト記』はラアメス二世か、次のメリエンプタハの時代であったろうと聖書学者は考えている。
プタハ神である青い小人は、自然の中で、人間はいかに生きるべきかを知っていた民であるので、戦争は本来好まないのに、この頃になると名のみ利用されプタハ神の本質が見失われてしまっている。
このように青い肌をした小人であるアトランティス人の存在は、文明の波に流されエジプト史上で痕跡が徐々に薄れていった。


エジプト史以外のアトランティス人の痕跡について

アトランティス大陸に住めなくなった人々は、世界各地に渡っていき、かの地に住みついたと思われる痕跡が、遺跡や美術工芸として世界各地に残っている。
エジプトの太陽神、イングランドのストーンヘンジ、南米の巨石文化等のすべての元になるのは太陽神の信仰に行き着く。
暦などの体系化された信仰基盤を確実なものとして持っていたのはアトランティス人であり、彼らが世界各地に人類が地球上で平和に生きる知恵として太陽神の信仰を伝えていったと思われる。
ここに、世界各地に残るアトランテイス人の痕跡のいくつかを列記する。

[ストーンヘンジ]
エジプトでピラミッドが建造された紀元前二千八百年頃、巨石記念建造物の中で最も有名なストーンヘンジがイングランドに建造された(放射性炭素年代測定法による)。
巨大建造物の構築技術はアトランティス人の頭脳から生み出され、現地人と共に実行されたと考えられる。彼らの小人という身体的特徴は、大きな建造物をつくることに意思を向かわせたのかもしれない?それとも宇宙への帰趨本能か………
ストーンヘンジは、帰るべき祖国を失ったアトランティス人が、故郷を懐かしみ円形都市に似せてつくった構築物と思われる。なぜなら、ストーンヘンジの中心部には青石(輝緑岩)の柱が立っている。重さ五トンもあるこの岩は、わざわざ二百キロ以上離れた地からここに運んできたものである。
青石の柱には、自分達の肌色について、彼らのこだわりが窺い知れる。

[古代アメリカ文明]
メキシコ南半とグアテマラからなるメソアメリカ地帯、中央アンデス地帯。この二つの中心地には紀元前千年以前から、アメリカ大陸に於ける他の文化より、さらに複雑な内容を持つ高度な文明が発達したという。
その特徴は、大規模な土木工事、著しい経済発展、いくつもの階級に分かれた複雑な社会組織、洗練された芸術、広範囲に渡る交易活動などであり、特筆すべきは、高度に発達した数学、天文学、医学などの学問、それに複雑な宗教体系と、宗教を軸として動く、公的・私的な活動であったという。
また、古代アメリカ文明の一つ、オルメカ文化は、マヤ文明の勃興と共に衰えたのだが、彼らは、ネグロイド、モンゴロイド、鷲鼻のセム人など、様々な人種的特徴を持った石彫像を残しているという。このことは、かつて地球規模の人種間交流があった証拠である。
オルメカ文化の、ラベンダ最大の巨石人頭は、四十トンもの重さがあったという。この石を運んだ技術は青い小人が教えたのではないだろうか?
最後に、アステカ文明には、王と会話する小人のレリーフ像も残っている。

[インドネシアの小人族]
2004年、インドネシアのフロレス島で小さな人の頭を研究者達が発掘した。研究者は、新種の人類と結論し、ホモ・フロレシエンシスと命名した(あだ名はホビット)。
2007年に、ホビットの脳のコンピュータモデルを分析した学者によれば、彼らは小頭症ではなくユニークで進んだ脳の持ち主だということだ。
特徴: 脳の大きさは、現代人の脳の3分の1ほど。前頭葉、非常に巨大な脳回(表面のひだ)がある。より高度な思考と関連する特徴。側頭葉、聴覚や記憶や感情を司るが、ホビットの脳は、この領域が著しく大きくなっている。小脳、小頭症ではこの部分が、突き出た奇妙な形になるが、ホビットの小脳には異常がない。
              NEWSWEEK2007.3.28「DNAで解く 新・ヒト進化論」より抜粋

[ビールについて]
エジプトでは、古王国時代から、黒ビールなど四種のビールが知られていた。彼らはパンを水の中で発酵させてビールをつくった(ブドウ酒も同時代頃からつくられていた)。ビールの製法をエジプトに伝えたのはアトランティス人ではないかと思われる。
アトランティス人が祖国を失ったため移り住んだ土地の一つであるアイルランドには、無名の詩人がつくった詩が残っている。青い人にも関係するのでここに書き写してみる(アイルランドの民話は、ヨーロッパ大陸の諸民族の民話とかなりの違いが感じられるという)。

そこには“私のもの”も“あなたのもの”もない。
そこでは歯は白く、眉は黒い、
目を楽しませてくれるのは、居並ぶ人びと、
そこではみんなのほほがジギタリス色。
平原じゅうは紅に染まり、
クロウタドリの卵は驚くほど美しく見える。
ファール平原は、すばらしいながめだが、
マグ・マール(大きな平原)を一度知ったら、色あせて見える。
アイルランドのビールをあなたはうまいと思っているが、ティル・マール(大きな土地)のビールはさらに愉快にしてくれる。
不思議な土地だ、私の語る土地では、そこでは若者は年をとらない。
甘くあたたかい流れが、その地を流れ、それは、選り抜きのハチ蜜酒やワインの川。
汚れのない、りっぱな人びと、
罪や欲望のない考え。
                                 ケルト文化 ライフ人類100万年より

この詩は、ケルト人の天国をうたった詩であるが、アトランティス大陸のことであると言及しても内容的に差支えないと思える。
みんなのほほがジギタリス色とあるが、ジギタリスには二種類あり、分布する地域がヨーロッパ西部及び南部という、詩の内容にぴったりのジギタリス・パープレアと呼ばれる植物の花色は、紫紅色であり、アトランティス人の肌色と共通している。また、若者は年をとらないという部分は、小人だったら納得できるであろう。
アトランティス人は、ビールづくりのうまい人々であり、エジプト等の地に移り住んでも、おいしいビールの製法を伝えていったのではないか。
マグ・マール(大きな平原)という描写は、アトランティス大陸のあった位置を北米大陸だったのではないかと想像させる。ミシシッピー川流域にもマヤ文明タイプの遺跡が存在したり、マンハッタン島はかつて遺跡だったという話からも推理できるのだが、何よりもアメリカが地球的にみて稀な多民族国家になっていて、人々をひきつける理由は、その開放的な政策を別にすると、青い人の遺伝子を持つ世界各地の者にとって、本来の故郷への帰趨本能ではないかと思われる。

[ヴェーダ]
インドで編纂された古文書ヴェーダ(Xede、知識)のなかには、小人の記述があるかもしれない。

[蒙古斑]
乳児の背面の皮膚に、大小不規則な灰青色の斑紋が見られる。これはモンゴロイドの乳児では約90%出現するので蒙古斑という名がつけられたのだが、実は白人や黒人の乳児にも組織学的には出現するものであることが明らかにされているという。
蒙古斑とは、本来は表皮にある色素細胞が真皮にもある。DO科学 朝日新聞より。
すなわち、蒙古斑によって、過去に青い肌をした人達が存在し彼らは地球上から絶滅したが、その遺伝子は確実に人類に受け継がれていると証拠づけられないだろうか?


世界史上でのアトランティス人の存在意義について

アトランティス人の存在意義を考える時、今日に於いてなぜ彼らが存在していないのかを推理することが必要になる。
彼らは、当時流行った疫病(肝炎ウイルス)によって、地球上から死滅してしまったと思われるのだが、その推理の素は陰陽五行論で青と肝を結び付けた関係にある。
青い人達が、原因不明の病で次々に亡くなっていった時、不思議に思った周りの者が彼らの体を解剖[この言葉は鍼灸の古典である黄帝内経のなかにはっきり書かれている(霊枢・経水第十二/其死可解剖而視之)]してみて、肝臓の異常に気付いたことから肝イコール青と結び付けたのであろう。
青い人自身が、肝臓の病だと話した可能性もあるが、周りの者には病の原因がわからないままなので、終いには青い人の存在をも恐怖に思い、彼らの存在そのものを地球上から抹殺したため、現在、彼らの痕跡がほとんど残っていないのではないだろうか?
青い人が生きていた頃の地球上に於ける存在意義は、陰陽五行論の相生相剋関係に残っている。人類は互いに生かしあうという相生では、木→火→土→金→水→木の関係になり、相手を抑制しあうという相剋では、木→土→水→火→金→木というのが相生相剋関係である。
人類が地球上で生きる時にこの関係を保つことは、自然環境のバランスに於いても重要であったのだが、木人が消滅して以後、地球上はずっと人類的にバランスが崩れた不自然な状態が続いている訳である。
相生相剋関係で人の生き方をみると、自己解放(子供の部分・利)と自己抑制(大人の部分・義)ということになる。個人では、子供は成長して大人になるのではなく、子供と大人の部分を持った人間になるのだ[見利思義(見義思利)。見危授命。久要。不忘平生之言。亦可以為成人矣。論語・憲問第十四]ということであり、大人と子供の比率は8対2が理想的な中庸であると思う。人間は義と利のどちらに片寄っても究極に於いては破滅が待っているので、利または義に片寄った時に、中庸に戻れるかどうかが人間には重要になってくる。
祭りは本来、義の強い過酷な仕事に従事する者が、利によって息抜きするものである。現代文明社会に於ける際限なき祭りの反復は、人間が事物から受ける感動を鈍らせてはいないだろうか?
地球環境に於いては、人間が地球に生かしてもらっていると義に感じ、自然には開放できる部分と開放してはいけない部分があるということを自覚し続けられるのかが、地球上に生活する人間にとって重要になっている。
相剋関係において木が土を抑制するということは、木がなくなって砂漠化が進んだ土地を見れば一目瞭然である。
陰陽五行論で青い人が木と結び付いているように、彼らは森林の管理者の役も担っていたのかもしれない。そして、森林の破壊者には怒りをあらわにしたのであろう。
地球文明の基礎をもたらしたのは青い人であり、彼らは自分達の技術は快適さと引き換えに必要以上の自然破壊を引き起こすことを自覚していたための怒りであったと思う。
彼らは、その卓越した航海術で世界各地を訪れて、そこに住む原住民に技術的な恩恵を与えた筈なので、アマゾンやニューギニアの原住民のように恩恵に浴しているとは思えない人々がいることについては、原住民は真に自分達に必要な技術のみをセレクトし、他の技術を用いないかわりに、青い人によそ者が来て自然破壊をしないように頼んだのではないかと思われる。彼らはあえて自然破壊の少ないゆったりとした後進国の道を選んだのである。
しかし、彼らを守ってくれた青い人が地球上からいなくなって後、他民族の侵入が始まって今日に至り、自然破壊の担い手である先進国は終いに後進国を開発途上国と言い換えてしまった。青い人が消滅した原因となった肝炎ウイルスは、自然破壊によって森に住めなくなったウイルスが、街中に出てくるという現代の学説に一致していたと思われる。
ウイルスが出てこないように青い人は、利に片寄って自然破壊する傾向のある人間の心理を抑制するために、宗教観というものを利用していたのかもしれない。
万物に神が宿るという原始宗教観は、自然を破壊から守るのには非常に役立つ方法だと思える。そして、人間同士も相手に神が宿っていると思うことは戦争の抑止につながる。
しかし、何らかの原因によって、森からウイルスは出てきて青い人を襲い始めてしまった。
現在、肝炎ウイルスは、青い人の遺伝子を濃く受け継いだ者ほど病を劇症にする可能性があるのかもしれない。
原始宗教観に於ける自然保護(人間保護)の目的が経年によって変質すると、新たな宗教が生まれて万物に神が宿っていることを人々に思い出すように説得するのだが、次に続く宗教家達の宗教維持の目的意識の強さによって解釈に様々な付加価値が加えられる内に、宗教の本質が暗闇のなかに再び隠れてしまうということを繰り返して宗教は今日に至っている。
現代に於いて理想的な宗教とは、万物に神が宿るという原始宗教を世界的な核にして、その周りをローカル宗教として、既成宗教、または既成のものには無宗教とする者が囲むという地球的宗教観ではなかろうか?
青い人は、人類に地球上で生きるための均衡のとれた文明をもたらすという存在意義があったのだが、世界史上で青い人が消滅し、人種の相互バランスが崩れたままの状態が続いてきた。人類に今日求められているのは、青い人のスキ間を埋めるために支え合う、愛である。


(参考文献)
◎黄金のエジプト王朝展カタログ
◎古代オリエントの生活 生活の世界歴史@
 三笠宮祟仁篇 河出書房新社
◎エジプト神話
 ヴェロニカ・イオンズ 酒井伝六訳 青土社
◎古代エジプトの神々
 三笠宮祟仁著 日本放送出版協会
◎アトランティス大陸
L・ザイドレル 中山一郎訳 大陸書房
◎エジプトの神々
J・チェルニー 吉成薫・吉成美登里訳 六興出版
◎エジプトー王朝文明のルーツを探るー カタログ
◎エジプト博物館 世界の博物館17 講談社
◎オリエント史講座 学生社
◎クリティアス 世界の名著7 中央公論
◎図説 エジプトの神々事典 河出書房新社


2012.11.21

※ 時々、誤解されるが、このサイトは,新興宗教ではない。

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