法話 この世の終わり
釈迦如来の弟子マルーンクヤープトラは、この世は永遠か、宇宙は限りがあるのか、死後の世界はあるのかといった哲学的問題でいつも頭を悩ましていました。 お釈迦様は「プトラよ、ここに一人の男が毒矢に射られたとしよう。家族や友人が集まり、急いで矢を抜いて手当をしようとするが、男は誰が矢を射たか、男か女か、毒の種類は何か、わからない内は矢を抜いてはならないと言ったらどうだろう?」 「いうまでもなく、それらのことがわかる前に、この男は毒が全身に回り死んでしまおう。この宇宙が永遠であろうが無かろうが、生老病死、悲しみ、苦しみ、悩みの種は次から次と迫ってくる。この迫りくる悩みを払いのけることが大切で、人は道を修めなければならない。自分にとって今、何が問題なのかを知ることが大切である。」とプトラに説かれました。
お釈迦様は、説くべきことを説き、説く必要のないことは説かれませんでした。 私の場合も、必要な時期に必要なお諭しを観音様から頂いているような気がします。 今頂いているお言葉は、「何があっても、どんなことが有ろうが動揺することなく、黙々と自分の道を邁進するように」ということです。
もう既に起きてしまいましたが、また近々、大地震が来ようが、世界経済が破局を迎えようが、戦争が起ころうが、わかっていても諸仏諸天は未来のことは発表なさらないのです。でも、人々が幸せな道を歩むよう、大難が小難ですむよう努力なさっていることは仏典に説かれているように確かなようです。毎日毎日を大切に感謝の気持ちを持って堅実に生きるのが最善の生き方でしょう。
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