法話 鬼子母神教育法
鬼子母神のように優しくも厳しい妻の教育法
仕事が仏像彫刻家、仏師という狭い世界に閉じこもる性質のものですから、たまに自分の子供の名前も忘れるほど、子供には無頓着でした。しかし、家内は私の分もしっかりと彼女自身の哲学である教育法で子供二人を教育してくれました。「おとうさんは、自分の世界に閉じこもり子供と話をしても、あっ、そう。あっ、そうばかりだから」と事の善し悪し、父親の偉大さを小さいうちに骨身にしみてわからせる必要があると、最初は平手打ちでしかっていたのですが、手が痛くなるのではえ叩きに変更。これが利いたか、良い子に育ってくれたと感謝しているところです。痛みを与えた分だけ添い寝してやって、愛情も十二分に与えるのがコツと言ってました。今は子供は成長して一人は社会人、一人は大学院生です。これも鬼子母神のように優しくも厳しい教育法のお陰だったと感謝しているのです。
鬼子母神の生まれ変わり、御母堂様
児童虐待ということが言われていますが、ある意味では体でわからせる教育法も必要かもしれません。「獅子は子を千じんの谷へ突き落とす」ともいいます。修業時代、私は18才から30才になるまでお寺で過ごしました。私の師匠はテレビラジオでおなじみの霊感僧侶として一世を風靡していました。師匠の御母堂である母親で尼さんのT子法尼は実に鬼子母神のように厳しく怖い人でした。師匠もT子法尼には叱られると震え上がるほどですから、私たち弟子には小言も多く、鬼子母神の生まれ変わりではないかといつも憎たらしく思っていました。私は12年間も、この尼さんにも仕えたので、性格が18才までとは全く違ってしまったんです。とにかく、白を黒と決めたら主義を貫く人ですから町の八百屋さんなど煙たがっていた人は多かったのです。
ところが、T子法尼には本当に感心することがありました。それは、毎朝1年365日、お天道様に向かって2時間くらい拝まれるのです。ちょうどこの鬼子母神のおすがたのように合掌して。尼さんだから拝むのは当たり前ですが、これほど徹底している人はいないでしょう。だから息子である師匠はご利益で不出世の大発展をしたのでしょう。私はこの鬼子母神のようなT子法尼に青春、普通の人が味わう楽しい青春を全て奪われてしまいました。今でも憎たらしく思い出すと涙が出てくるんです。しかし鬼子母神のような厳しいT子法尼のお陰で、仏師として貴重な誰でも持ってない神仏と通じる私独特の霊感というか霊的力をいただいたのですから、大恩人でもあります。お釈迦様は出家してすぐダイバダッタというお釈迦様には宿敵のような仙人に、薪を拾い食事の支度をして長年の間仕えたので悟りを得ることが出来たと法華経にあります。
「六方礼経」に親子の道が説かれております。
子は父母に仕え、家業を手伝い、家運をもり立て、父母の死後は懇ろに供養をする。親は子に善悪を教え(しつけのことですね)、教育を受けさせ、独立させてやる。こういう家庭は平和で波風が立たない。
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