この話は、一人の恋愛に不器用な女の子と、一人の朴念仁の男の子との、ちょっと変わ
った恋愛のお話になる予定のお話である。


−With You 冴子SS−

KISS? KISS!? KISS!!


 冴子が諏訪内 哲という少年のことを初めて知ったのは、高校一年の夏のことだった。
 この話は彼らが高校二年生の時から始まるのだが、プロローグがわりにその時のこと
を再現してみよう。

 −高校一年 7月−

諏訪内 哲(すわうち てつ)はSt・エルシア学園野球部に所属していた。
その年、St・エルシア学園野球部は、巷で話題になっていた。スポーツニュースで
も5分間くらい割かれるほどである。
理由は・・・
創設一年目で順調に神奈川県の予選大会を勝ち抜いてきた、からではない。
 その部に、『女子のレギュラー』がいたからだった。ちなみに高校野球で女子が出てはいけないという規約は無いはずだ。
 これには理由がある。
 面倒くさいが、説明をいれておこう。
 諏訪内 哲が入学する前年まで、St・エルシアには、男子野球部というモノがなかった
のだ。
 だが、女子野球部はあった。それもかなりの強豪校として県下に勇名を馳せていた。
 高校に入ってから、その事実を知った諏訪内は「無いなら創ろう!」と創部を決意。
 彼の友人の鷲海 英(わしうみ ひかる)と二人で色々と学園内を暗躍し(そこには、
海老フライの様な髪型のかしましい少女の協力もあったという噂もチラホラと)、わずか
一ヶ月で正式発足してのけたのだ、凄い行動力である。
 だが、予選大会が始める6月中旬、野球がなんとか出来る男子が7人しか集まらなかっ
た。普通ならそこで「来年こそ、ちゃんと人数を揃えて!」と考えるだろうが、諏訪内
は違った。頭の構造が少し違うようだ。
 彼は『名前だけでいいですからぁ〜〜』と泣きついて監督を兼任してもらった女子野球
部監督、佐竹和樹(32歳独身)にとんでもないことを頼んだのだ、ここまで話せば想像
がつくでしょう。
『レギュラーとはいいませんから、ライトとレフト守れる選手貸してください!』
 と、両手を合わせて拝んだのだった。
 最初は呆気にとられ、難色を示した佐竹監督。でも『女子野球部の良い宣伝なりますよ
〜』と諏訪内に耳元で悪魔のように囁かれていくうちに、その気なってしまったらしく、『来年レギュラー確実』の2年生二人の女子を男子野球部に貸し出したのだった。
 その子たちは、別に話に関わってこないはずなので、ここでの説明はカットさせていた
だく。
 そして甲子園を目指す神奈川県の予選一回戦、対戦校は女子がいることにビックリ、レ
ギュラーだというので二度ビックリしたのだった。
 そこで負ければ、世間もあそこまで騒がなかっただろう。スポーツ紙に「こういうこと
があった」と出る程度だったと思う。
 でも、ピッチャー諏訪内 哲。キャッチャー鷲海 英。このバッテリーが実は凄かった
のだ。
 一回戦三対0であっさり勝ってしまったのだ。
 そして二回戦も四対0、三回戦二対0、四回戦一対0で勝ち進んでいった。スコアを見
ていただければ、薄々わかると思うが、ピッチャー諏訪内、一点も取られていないのだ。
 彼の左腕から繰り出される白球は、相手チームに三振の山を築いていった。彼と対戦
したバッターA君は、彼のピッチングを端的にこう評した。
『打てそうで打てない球を投げる奴だ』と。
 そして、ベスト16まで残った創部一年目のSt・エルシア学園野球部。ここにきて学
校側も舞い上がり、全校生徒を召集し球場に繰り出した。
 対戦相手が昨年の夏の甲子園の優勝校だったこともあり、一般のマスコミもわんさと小
さな市営球場に押し掛けた。なぜか桜美町商店街からも応援団が駆けつけていた。手に持
つ幟や横断幕には『がんばれ桜美町商店街の星 諏訪内 哲! 魚屋源八』『目指せ甲子
園!! ラーメン食べるなら紅蘭へ!』などと、自己宣伝の意図がありありと浮かんでい
るが。
 そんな混雑した観客席の中に、一年生の田中冴子の姿もあったのだった。
 彼女の親友、信楽美亜子とともにベンチ裏最前列に陣取っている。
 随分と前ふりが長くなってしまったが、この球場がこの話の主人公になるはずの田中冴
子と、諏訪内 哲の『出会い』の場所だった。クラスが違うとはいえ、同じ学園に通って
いるのだから、顔くらい知っていたし、冴子も哲も同じ桜美町商店街に住んでいたので、
片言の挨拶くらいは交わしてもいたが、この日、この場所で、二人は本当の意味で『出会
った』のだろう。

 スコアボードに、また『0』が表示された。
 マウンド上ではその日十個目の三振を取った哲が「よっしゃー!」と派手なガッツポー
ズを決めている。
 St・エルシア学園VS緑上高校の試合は、白熱の投手戦と化していた。
 七回終わって0対0。しかも、哲はこの大一番でエラー二つのノーヒットノーランを続
行中なのだ。
「へぇ〜、やるもんだなぁ、あの諏訪内っても」
 試合前は全然、野球に興味がなかった冴子も、この緊迫した好試合にいつの間にか引き
込まれていた。
「にゃは、でしょでしょ!?」
 最初っからテンション高く、巨大メガホンを使って応援していた美亜子はメガホンをポ
ンポン手で叩いて喜んでいる。
「てっちゃ〜〜ん! かっこいいよぉ〜〜ん!!」
 メガホン使って、好投を称えると、声援が届いたらしく哲は美亜子に向かってVサイン
をびしっと決める。ノリがいい奴なのだ。
 美亜子と哲、それと調子に乗っている哲の頭をはたいたキャッチャーの鷲海 英は、何
故か知り合いだという。出会いの経緯とか詳しいことは冴子も訊いてはいないのだが、
美亜子が所属する学校非公認組織EBC繋がりだそうだ。
 英がキャッチャーマスクを外してベンチに戻るたび、観客席の女生徒多数から黄色い嬌
声が飛ぶ。理由は簡単、彼が格好いいからだ。
 十六歳にして190近い長身、西洋人のように彫りが深い目鼻立ち、そして切れ長の目、
短く刈り上げた髪と、実際モデルや芸能界などのスカウトがひっきりなし彼のもとを訪れ
るくらいだ。でも、彼はもの凄い無口だった。そして、今時の少年にしては珍しく硬派で
もあった。彼の親友の哲に言わせると「ナマケモノだから」だそうだが・・・。
 St・エルシアで彼と人気を二分する柴崎拓也の十分の一も話さず、百分の一の愛想も
ないから、英の回りを柴崎のように女子が取り囲むようなことはないが、それでも本日の
活躍で彼の株は急上昇間違いないだろう。
ちなみに哲は身長が165センチと冴子と対して変わらない、顔も童顔でなにか可愛い
って感じのする少年だ、未だに中学生料金で映画を見ているらしい。
『四番、キャッチャー、鷲海君。背番号、2』
 年代物のスピーカーから、年齢不詳のウグイス嬢の声がするや、再び歓声というより、
黄色い嬌声がスタンドから上がった。
「うるさいなぁ〜〜」
 指で耳栓して、左打席に立つ英を見る冴子。ちなみにこのスタンドでもっともデシベル
を上げてると思われる隣りに座っている美亜子は、メガホンで前方に声を飛ばしているから、冴子にはそんなにうるさくなかったりする。
「ここが、山場だろうな」
 素人の冴子が見ても、ここが勝負所とわかる場面だった。
 この大会、初めてマウンドに立った緑上高校のエース景山、来年ドラフト指名間違いな
しと言われたりもしてるほどだ。ちなみに顔はガメラに似ている。
 それに対して、この試合一人で2安打を放っている英、こいつはもっと恐ろしいことに
なんと一回戦から全打席全安打、10割バッターだったりする。野球漫画でもめったにい
ないぞ、そんな奴。
 そして、その安打記録は景山を前にしても続いていた。でも、彼がいくらヒットを打っ
ても、全然点にはならない。彼の前にランナーが出てないのだから。
 知らないうちに、白くなるほど、拳をぎゅっと握っている冴子。なんかガンマン同士の
生死をかけた決闘みたいな雰囲気と緊張が、グラウンドから伝わってきている。が、そん
な事もお構いなしに、相変わらず黄色い声援はとんでいるが・・・。
「お前がホームラン打たなきゃ、勝てねぇーぞ、この試合!!」
 ベンチから哲のよく通る声が聞こえた。ちなみにこのSt・エルシアの野球部、打点も
三番の哲と四番の英の二人で全部稼いでいたのだ。よくそれで、ここまで勝ち残ったもん
だ。でも、その好打者の哲でも景山には手も足も出てないのだ。彼に出来るのは三振した
あと大声で「が〜めら〜♪」と歌いながらベンチに引き上げ、景山を挑発するくらいだっ
た。景山はガメラ顔を気にしているらしい。
「へぇ〜」
 その哲の声に冴子は妙に感心した。
『あいつ、勝つ気でいるんだ』
 声に出さずに思ったこと、それが冴子が感心した理由だった。この球場にいる人間は、
心のどこかで『緑上の勝利』を信じているような節がある。女子が混じっているような色
物チームに、名門校が負けるはずがないと。
 冴子も、St・エルシアの生徒たち桜美町商店街の方々も、『善戦』を期待していたが、
勝てるとは思ってないところがあった。
「え〜い、ひかるくん! いっそ、バット飛ばしてガメラ退治しちゃえ〜〜!」
 となりで美亜子は物騒な応援をしている。『みゃーこも、勝つと思ってるんだろうな
ぁ〜』と、冴子は苦笑混じりにそう思った。付き合いは短いが、この娘の考えることは大
体わかるようになってきたのだ。
「もう一人くらい、いてもいいかな」
 勝利を信じて応援する物好きがいても。冴子はメガホンを美亜子から取り上げ大声で叫
んだ。
「ガメラ野郎なんか、ぶっとばせぇ〜〜!!」
 冴子の応援というか、一個人に対する中傷の絶叫。それは、メガホンで見事に拡声され
あまねく球場全体に響き渡った。一瞬シーンとなる球場、そして所々で失笑、爆笑、大笑
いが起きてしまった。マウンド上の景山のこめかみにバッテン印が浮上する。
 思いも寄らぬ反応に、あわててメガホンを美亜子に渡し、真っ赤になって縮こまる冴子。
恥ずかしかったのだろう、うん。
「にゃはは! サエもやるもんだね! よ〜し、かっとばせ〜ひかる、ガメラを倒せ〜
よ!!」
 冴子からメガホンを返された美亜子はノリノリ度アップでメガホンで拍子をつけて、声
援を送り始めた。それがエルシア側の応援席に徐々に広がり、一大声援と化すまで二〇秒
かからなかった。景山の顔が火でも吹きそうなくらい真っ赤になってきた。
 それはそうだ、多人数に怪獣呼ばわりされて歓喜する高校生はなかなかいないだろう。
 そして、この試合最大の山場。ガメラ景山対驚異の10割打者鷲海の一戦が始まった。
 第一球、とんでもなく速いストレート! 英、手が出ず。スピードガンで計測されてい
なかったのが惜しいくらいの超速球だ。打席では英が苦笑している。
 第二球、これまた速いストレート!! 再び見送る英。その表情から、わざと球を見送
っているのか、手が出ないでいるのか、わかりかねる。
 あまりの剛速球二連続に、スタンドも、というより球場全体がシーンとなってしまった。
「はにゃぁ〜、ひかるくん、打てないのかなぁ〜?」
 楽天家の美亜子が眉を八の字にしてしまうほど、英のピンチって感じである。でも、ス
ポーツマン、じゃなかったスポーツガール(あるのかな、こんな言葉?)である冴子には、
英が諦めていないことがわかった。そこでわかった、あの英って男も、この試合に勝つ気
でいるということが。
「ちょっと、人間にはガメラ退治は難しかったかなぁ〜。みゃーこちゃんみたく、バット
で殴りかかれとは言えないし」
 と、ベンチにいる哲が美亜子より物騒なことを言っているのが、ベンチ上の冴子達に聞
こえてきた。そして、部員達の笑い声も後に続いている。
 そういえば・・・ そこで冴子はあることに気が付いた。この野球部、見ていても十二
分にわかるくらい、楽しく試合をしているのだ。そういえば練習してた時も、野球部から
は笑い声が聞こえてきていた。
 その中心にはいつも哲の姿があった、子供みたいな笑顔を浮かべて。
 キィーーーン!!
 冴子の思考が試合から外れていると、突然、月並みな打撃音が響いた。しかも、快音で
ある!
 打った英も、打たれたガメラ・・・じゃなかった景山も、打球の方向を見つめている。
 レフト方向、かなり山鳴りの打球が落下を始めた。そして、フェンス際にはレフトがす
でに構えている。
 ジャンプ一番、そして無情にも英の打ったボールは、この大会初めてアウトになった。
 St・エルシア学園応援席から一斉に「あ〜〜〜あ!」という溜息が合唱される、指
揮者もいないのに見事に揃っていた。

 そして、最大のチャンスを生かし切れなかったSt・エルシア野球部は、その試合に敗れ
た。
 一対0、九回裏、サヨナラ負け。エラーの連続で出たランナーがタッチアップでホーム
に戻って、である。女の子が外野手だったことが、ここで勝敗の分かれ目になった。
 つまり、ノーヒットで負けたのだ、St・エルシア学園は。
「あう〜〜〜! てっちゃんも、ひかるくんもみんなも頑張ったのにぃ〜!」
 そして、試合も終わり、応援団も散り散りに帰っていく。美亜子が未だ地団駄踏んで、
メガホンをパコパコ鳴らして、悔しがっている。
「・・・惜しかったよな」
 冴子がそう呟く。すると、試合の終わったマウンドに、哲がゆっくり歩いていくのが見
えた。野球帽を目深にかぶっているので、表情までは見えない。
 そのまま、スコアボードを見つめている。
「・・・あいつ、負けた気がしてないんだ」
 哲の後ろ姿を見つめていると、いつの間にかキャッチャーの英が、美亜子の隣の座って
いる。無口な彼が喋ったのだが、冴子にはその珍しさより、彼の発言の方に心がいった。
そうだろう、哲はヒットを打たれずに負けてしまったのだから。
「ありがとう」
 英が美亜子の頭に手をポンとおいて、哲を見ながらいった。応援してくれた二人に対し
てのありがとうか、部の創設に尽力した美亜子に対しての礼かも、わからない。きっと、
全部ひっくるめての『ありがとう』だろう。
 それっきり、英は黙ってしまった。これで、あと一月は彼の声を聞く者はいないはずだ。
美亜子は「ひかるく〜ん!」と、英にすがりついてグスグスと泣き出してしまった。こ
こを離れるまで、もう少しかかりそうだ。
 そして冴子は、目を逸らさずにずっと哲の後ろ姿を見ていた。何故だか自分でもわから
ない。ただ、見ていたかったのだ。
「・・・大丈夫だよ、諦めないよ」
 冴子の耳に、いきなりそんな言葉が聞こえてきた。すごく小さかったが、たしかに哲の
声だ。
こんなに離れているのに、あいつの声が聞こえたのか?
 横の二人には届いてないみたいだ。
 でも、続いて聞こえた言葉に、そんな疑問はどっかいってしまった。
「来年こそは、甲子園、だな」
 笑いを含んでいた哲の声。小さいけどしっかりと聞き取れた。冴子は何故か、彼の決意
を聞いて嬉しくなっていた。
 そして、マウンドから振り返って、こっちに戻ってくる哲。今度はしっかりいつもみ
たいに笑っている。笑いながら自分たちに手を振っている。
「みゃーこちゃん!煎餅屋〜! ありがとなぁ〜!」
 その時、哲は初めて冴子を『煎餅屋』と呼び、以来長くに渡って、その呼称を使っ
た。冴子の住んでいる家が、江戸時代からの煎餅屋であることに由来する呼び名だ。
「お前もよく頑張ったよ、ラーメン屋!」
 そして冴子も彼のことを『ラーメン屋』と呼ぶようになった。哲の家はラーメン屋なの
だ。
『来年も、ここであいつを応援してそうだな』
 声に出さず、冴子はそう思った。
 そして、その通りになった。


−高校二年の夏が始まる−
−夏の日差しに照らされた、不器用な女の子と朴念仁の男の子の恋の話も− 

*このSSは、フィクションです。事実と違う事が書いてあっても、寛容な心で
お許し下さい。(今現在、高校野球の公式戦に女子選手が出場することは認められていないそうです。)
 
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