KISS? KISS!? KISS!!
第一話 『戸惑い・・・』
5月29日
「はい、20分休憩ね〜!」
女子ハンドボール部キャプテンの声が、ハンドボールのコートに響きわたる。
らしくないとの意見もあるが、この話のヒロインであるところの田中冴子は、深い深呼
吸を一つすると、ユニフォームの胸元をパタパタさせながらコートをでる。
何気なく冴子の視線は、陸上のトラックにいってしまう。
そして、そこでスタートダッシュの練習を黙々と続ける少年に、冴子の視線は落ち着い
た。
伊藤正樹、それが少年の名前だ。言わずとしれたWith You本編の主役をはって
いた彼である。
冴子と彼とはクラスメイトであるし、仲も男女の枠を越えて仲がいい。ウマがあうと
いうやつだろう、そう思っていた。
でも、ここ最近、無意識に正樹をみつめる事が多くなっていた。走る彼を見るのが、何
故か心地良かった。
「・・・頑張ってんなぁ〜〜」
誰に語りかける訳でもなく、冴子がそんな言葉を口にすると、背後から「むぅぅぅ〜」
という小動物のうなり声のようなものが聞こえてきた。
冴子の表情が『ギクゥ』と擬音付きで一変する。
「田中先輩、またあの人見ていたぁ〜〜〜〜!」
冴子がおそるおそる振り返るとそこには、ハンドボール部員に「田中冴子個人マネージ
ャー」と言われ、黙認されている、橋本みよかがいた。右手にはスポーツタオル、左
手にはスポーツドリンクという「お疲れ様です♪グッズ」を持っているが、顔はさっきの
うなり声と同じ様な「むぅぅぅ〜」になっている、ご機嫌ななめのようだ。
「み、みよかか。いつもすまないなぁ〜〜」
いかにも取り繕ったって感じの笑顔で、冴子がみよかに挨拶する。
「どうして、どうして、どうして先輩は、あの人ばっかり見るんですかぁ〜? むぅぅぅ
ぅ!」
そう言いながらも、まずはタオルを冴子に渡すみよか。習性になっているのかもしれな
い。
「えーと、その、あのだな・・・」
冴子はタオルを受け取りながら、必死にみよかを納得させる言い訳を考えている。でも、
彼女の頭はこういうことに向いてないらしく、何も妙案が浮かばない。
「きまってるじゃない〜☆」
すると、あさっての方向から明るい声がする、顔を向けるまでもない。冴子の知り合い
で☆印のマークで話すのは一人だけだ。でも、今日は連れがいるらしい。
「お、ミャーコにラーメン屋!」
でも、この状況では冴子には救いに見えたようだ。あわててそちらに顔を向ける。
そこには、冴子の親友のかしまし少女、信楽美亜子と男子野球部エース兼キャプテンの
諏訪内 哲がいた。哲は練習用ユニフォームを着ている。彼も休憩中なのだろう。
「正樹くんに、・・・だもんねぇ〜、サエは♪」
きゃははは!と、脳天気に笑いながら、美亜子はそう言った。冴子の顔が再び引きつる。
みよかはもっと赤くなる。「むぅぅ〜」指数が上昇したようだ。
「へぇ〜〜、そうだったんだ。残念残念。グラウンドでたまに感じた熱視線は、俺に向けて
じゃなかったのかぁ」
冴子があわてて反論しようとする前に、美亜子を援護するように哲がそんなことを言っ
た。そして、二人でしたり顔で頷いたりしてる。
「わたしの田中先輩はそんな人じゃありませ〜〜ん!!」
いきなりみよかが冴子の所有権をひけらかして、冴子の前に割り込んできた。見事、キッパリと言い切った。
「ば、馬鹿、みよか、何言ってんだよ!」
あわててみよかの口をふさいで、フォローをいれようとする冴子。が、遅かった。
「・・・やっぱ、例の『ハンドボール部から謎の嬌声が!?』をEBCでニュースにしま
せんか、美亜子さん?」
「考える必要ありですね、哲くん」
みよかの魂の叫びを聞かされた二人は冴子達に背を向けて、時折いやらしい目つきで振
り返りながら、スタスタとハンドボールコートを去って行く。あきらかに、新たな誤解を
生んでしまったようだ。
「・・・たくぅ、何しに来たんだ、あいつら?」
無論、冴子をからかいに、だろう。
そのまま、二人の背を見続けていると、哲がさりげなくグラウンドを出ようとしたところ
を、野球部員四人によって担ぎ上げられ、強制的に連れ戻されていく光景が見えた。
「なにやってるんだか・・・」
冴子がそんな事を苦笑混じりに呟く。相変わらずSt・エルシア男子野球部は楽しそうに
練習をしているのだ、去年とかわらず。
と、『もがもが!』と妙な擬音が耳に入った。見るとみよかが、真っ赤な顔でモガモガ
と不平を上げている、そのまんまだった。
「あ、ゴメン、みよか!」
あわてて手を離すと、ご機嫌を完全に損ねたみよかが、かんしゃく玉のようになって、
UZIサブマシンガンのように冴子に不平を連射する。弾丸は「田中先輩ひどいですぅ〜」
的な内容だ
そんなみよかを必死でなだめすかしているうちに、休憩が終了してしまった。冴子は全
然休んだ気がしなかったが、なんとかみよかから逃れられそうだ。
練習に戻ろうとした冴子の目が、自然とまた陸上部のトラックの方に向く。
「!?」
思わず、動きが止まってしまった。視線が釘付けになる。
その視線の先には、正樹が髪の長い眼鏡をかけた女の子に抱きつかれている情景が写っ
ていた。
冴子は自分の胸の奥に、今まで感じたことのない小さな痛みを感じた。
「はぁ〜〜〜」
今日、何度目のため息になるだろうか?
正樹が謎の少女に抱きつかれているシーンを見てから、冴子は練習に集中できず、らし
くないミスの連発で散々だった。心なしか体の疲れもいつもより多い気がする。
「・・・なんだって言うんだよ、まったく」
何度、頭振っても、浮かんでくるのは先程のあの光景。そして、自分がなんでこん
なにモヤモヤといらついた感じになっているか、冴子自身にもわかってこない。
いや、わかりたくないのかも知れない。
そんなこんなで、一人ため息をつきながら、重い足取りで桜美町商店街に到着。この連
なる店の一軒に、冴子が住む江戸時代から続いているという老舗の煎餅屋がある。
「あ、サエちゃん!」
相変わらず重い足取りで、ずるずると歩いていると、後ろから鈴を鳴らすような可愛い
声が自分を呼んだ。
振り返ると、そこには桜美町商店街のアイドルと言われる、喫茶店ロムレットの看板娘、
伊藤乃絵美が笑っていた。かなり評判のいい、ウェイトレス衣装に身を包み、手にはアイ
スコーヒーが五つ載った銀のトレイを持っている。デリバリーの最中なのだろう。
「お帰り、おつかれさま」
「乃絵美は、デリバリーか。大変だな・・・」
そういえば、乃絵美はあの抱きつかれ正樹の、出来の良い妹でもあったことをぼんやりと
思い出した冴子。どうも、頭が普段なれない思考を繰り返していた為、活動がえらく鈍っ
ていた。
「・・・あのさ、ちょっと」
訊きたいんだけど、と繋げようとしたとき、今度は別方向から、声がかかった。
「あ、サエちゃん!」
言葉だけ書くと、先ほどの乃絵美と同じだが、今度の声は男だった。
「お帰り、おつかれさま」
声の主は振り返らないでもわかる。
「あ、てっちゃん。もうお家のお手伝いしてるんだ」
冴子が頭を手で押さえて、反応しないかわりに、乃絵美が声の主に笑顔を送る。ちなみ
に乃絵美が年上の男性である哲を『てっちゃん』などと呼ぶのは、哲が『てっちゃん』と
呼ばないと、すねてしまうからだ。
「いやぁ乃絵美ちゃん、相変わらず可愛いね」
声の主、ラーメン屋の看板息子の哲は実家のラーメン屋の名前が入ったエプロンをして、両手で二つの大きな岡持を持っていた。出前の最中なのだろう。
「・・・ラーメン屋は出前か」
そちらを向きもしないで冴子が言うと、哲は「デリバリーと言ってくれよぉ」と少し情
けない顔で口をとがらせる。呼び方を変えても、やることは変わらないのだが・・・
「で、二人でなんのお話だい?」
当然のように二人の間に割り込んでくる。おかげで冴子は、乃絵美に質問をしそこねた。
いや・・・ そこで冴子は気がついた。
『あたいは乃絵美に、何を訊こうとしたんだ・・・?』
思わず冴子は、俯いて黙りこくってしまう。
訊いて、あの眼鏡の子の正体がわかったって、なんになるのだろう。冴子は今まで感じ
たことのない感情に、ますます戸惑ってしまう。
「あれ、サエちゃんどうしたの?」
なぜかいつの間にかブルーになっている冴子に、談笑(と言っても話していたのは一方
的に哲で、乃絵美はそれに笑わされているっといった感じ)していたデリバリーコンビが首を傾げる。
「あ、いや、なんでもないんだ、ハハハ・・・ 疲れてんのかな」
何だか、頭がくらくらしてきた。帰って寝たい、ベットに倒れ込みたい。そんなことし
か考えられない冴子だった。
「ふぅ〜ん。じゃ、乃絵美ちゃん、いこ。どうせ、出前先は将棋クラブの不良老年たちだ
ろ? 途中まで一緒だから」
「うん、サエちゃん。ゆっくり休んでね。無理しちゃだめだよ」
冴子を気遣って、二人はその場を離れようとする。小柄で童顔の二人がそろって歩いて
いく後ろ姿は、何か、お使いにいく子供を連想させて微笑ましい。
「そうだ、煎餅屋」
思い出したように哲が振り返って冴子に声をかけた。
夕日のせいで、その顔はよく見えない。
「がんばれよ」
そう言うと、キョトンとしている冴子の返事も待たずに、哲は乃絵美と、とっとと歩い
ていってしまった。
「・・・何をがんばれって?」
冴子は、夕日のせいで見えなかった哲が、どんな顔をしていたのか、少し気になった。
6月1日、St・エルシア学園に一人の少女が転校してきた。
名前を鳴瀬真奈美といった。
偶然かはたまたお約束か、彼女は冴子のクラスに編入とあいなった。
真奈美は正樹と、それと彼の幼なじみの氷川菜織の、共通の幼なじみだそうだ。
あのグラウンドでの光景の意味も、何となくわかった。
7年ぶりに再会にうれしさ炸裂してしまった真奈美が、正樹に抱きついてしまった。
それだけだろう。
冴子は、好奇心の塊のような美亜子に引きづられるようにして、真奈美ともすぐに仲良
くなってしまった。
でもあの光景は、真奈美と正樹が笑顔で話しているたびに思い起こされ、かすかに胸が
チクッとなった。
その痛みの意味を、冴子はまだわかっていないようだ。何せ、不器用な女の子だから。
余談だが、この日同じくやってきた臨時の英語教師に「野球部の顧問になって
ください〜〜」と、頭を下げる哲と英の姿もあったそうな。
昨年、女子選手を出したため、高野連からのお達しで秋季大会に出れなかったSt・エル
シア男子野球部の、二度目の甲子園挑戦も、もうすぐ始まる。
−続く−
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