KISS? KISS!? KISS!! −番外−
 

『ラーメン屋紅蘭誕生秘話』


「ついにこの日が来た・・・」
 ところは桜美町商店街の一角、時は本編より遡ること約3年前、そこに積年の夢を果た
した壮年の男が、とりつけ中の看板を見つめながら、感慨深げにそう呟いた。
 その男の名は諏訪内 教次(すわうち きょうじ)、その年48の年男の彼は、長年勤
めていた東京のラーメン屋から独立し、ここ桜美町に彼の城を構えることになったのだ。
「ふっふっふ、笑いがとまらんぞ・・・」
 見た目は、ちょっと小柄ないい小父さんな教次だったが、この日はただ笑い続ける変な
オッサンにしか見えなかった。
「パパぁ〜、笑ってないでこっち来て準備手伝ってください」
 まだ、準備が整っていない店内から、彼の長女であり、ついこの間、結婚して婿をもら
った諏訪内 法子(すわうち のりこ:25歳)が、彼女特有の舌っ足らずなアニメ声で
そう言ったが、店の主人には聞こえていないようだった。
 ちなみに諏訪内家では教次の呼び名は家族の数だけあったりする。
 例えば・・・
「お父さん、駄目ね。しばらく笑わしときましょう」
 と、ため息まじりに教次をお父さんと呼んだのが、諏訪内 育美(すわうち いくみ:
47歳)、彼の妻となって二女一男を産んだ人である。
「はい、ママ。法子、頑張りますね」
 可愛くガッツポーズする法子、彼女は未だに末っ子に間違えられるほど、小柄で童顔で
あった。
「じゃあ、がんばっちゃいましょう!」 
 その法子の母親育美は、身長170近くあり、どう並んでも二人が肉親には見えなか
ったりする。だが、この家族は今時めずらしくイソノ某家なみに仲がいいのだった。

 不気味がる看板屋の職人が、含み笑いを聞き続けること一時間、ようやく取り付けが終
わりそうなころに、この笑いの発生源の子供残り二人が帰ってきた。 
「あ、親父がまだ笑ってるよ」
 と、呆れたようにいったのは、三年後これから引っ越してくる煎餅屋の孫娘とラブスト
ーリーらしきモノを繰り広げるはずの、諏訪内 哲だった。
「まぁ、四歳の時からラーメン屋になるんだって考えていたそうだし・・・ やっとこお
やっさんの夢が叶ったんだから、笑かしとこうか」
 こちらの完全に呆れているのが、次女の諏訪内 心(すわうち こころ)である。名前
のおかげで、子供の時は『ココロン』と呼ばれていたりもした。でも、彼女は自分の名前
を結構気に入っていた。
 ちなみに二人はご近所に出前用のお品書きを配りに行っていたのだった。
「でも、気になってたんだけど・・・」
 まだ一四歳の哲は、あまったメニューを見ながら、何とはなしに呟いた。
「たしか『こうらん』って名前だったよね?」
「そのはずだよ、お祖父ちゃんが『李香蘭』って歌手の大ファンだったから、お祖父ちゃ
んの為にって、おやっさんが『香蘭』ってつけたんだ」
 心の説明に、まだ首を傾げている哲が、メニューをさして姉に疑問を言おうとしたとき
・・・
「なぁにぃ〜〜〜!!」
 突然、素っ頓狂な叫びが、商店街に木霊した。
 その叫びの主は、口をあけたまま、指でとりつけの終わった看板をさした姿勢で、彫刻
のように固まっていた。
 その看板には、こう書かれていた。
 『ラーメン専門店 紅蘭』と・・・
「ほら、漢字が違うんだよ、小姉」
「ほんとだ」
 親のショックを気にもせず、子供たちは淡々と語り合っていた。
 ただ、看板取り付けが終わった途端に、絶叫されて、気を失いかけるほどの恐怖を
味わってしまった看板職人さんが、話に関係ないが、ちょっと哀れだった。

「まったく、どうなってるんだ!」
 そして家族そろっての夕食の席、ここには法子の旦那でもあり、今日付けで会社を辞め
てこのラーメン屋を手伝うことになっている、諏訪内 学(すわうち まなぶ)も、同席
している。
 ちなみに学は、頼まれもしないのに、自らすすんで婿養子になった奇特な青年であった。
短く刈りそろえた髪の毛と、すらっとした容姿の、見た目はなかなかの好青年である。
「義父さんの書いた注文書にも、『香蘭』じゃなくて『紅蘭』になってましたよ。勘違い
して覚えていたんじゃないですか?」
 いつまでも、納得いかない教次に、諭すように学は言った。
 教次は『香蘭』で、看板屋や印刷会社に教次が出したと思っていたのだが、注文書を確
認してもらうと、全部『紅蘭』で申請されているのだ。役所に提出した書類すらそうだっ
たのだ。
 もう出来上がってしまったものに文句を言っても始まらないのだが、教次は合点がいか
ないのだった。それは。祖父だけでなく、彼も李香蘭のファンだったからだったりする。
今でもカラオケに行くと「夜来香」は必ず歌うほどだ。
「まぁ、おやっさん。看板で味が変わる訳じゃないんだし、気分をかえて頑張りなよ」
 心のその言葉で、その話題は終わりになった。
 店のオープンは明日の11時だ。今更変更は不可能なのだ。教次はようやく腹をくくっ
て立ち上がった。
「よおし、じゃあ明日のオープンに向かって、諏訪内〜!」
「「「「「「ファイト!!」」」」」」
 父親の号令にあわせて、家族そろっての円陣を組んだりして、明日への気分を盛り上げ
る諏訪内ファミリー。こんな一家だから、哲みたいな子供が育ったのだろうと納得してい
ただけるとありがたい。

 そして、夜も更けて・・・
 ここは、法子と学の部屋。
「うまくいったね、学くん」
「あぁ、義父さんには悪い気もしたけどね・・・」
「いいじゃん、こっちの方が法子好きだよ」
「うん、僕もだよ」
 会話からわかる通り、『香蘭』が『紅蘭』に変わってしまったのは、この長女夫婦の暗
躍によってだったらしい。
 教次が書いた書類をすべて「会社にいくついでに出しときますよ」と親切を装って預か
り、各所に出す前に『紅蘭』と書き換えておいたのだった。
 なにが二人にそうさせたのか?
 それは二人の仲睦まじい一枚の写真をみていただければ、わかっていただけると思う。
 その写真には、髪を三つ編みにして、でっかい丸眼鏡をかけた法子と、短い髪を気持ち
立てた学が、どこぞの歌劇団のようなきらびやかな衣装に身を包み、ポーズを決めている
姿が写し出されていた。
 ・・・二人は、某帝国華激団のコスプレをしているのだ。こういう世界の人間だったの
である。ちなみに二人の出会いもこのコスプレだった。
 ちなみにこのことは、家族の誰も知らなかったりする・・・
 父の『李香蘭』への思いは、娘夫婦の『李紅蘭』に対する思いによって阻まれてしまっ
たのだった。
 これが、『ラーメン屋紅蘭』の命名に関する顛末であった。

 で、オープン当日の朝・・・
 朝8時、まだ開店まで3時間はあるというのに、一人の少年が店の前に立っていた。
 店先の掃除にでた哲は、小首を傾げながら、話しかけてみる。
「あの、開店は11時ですよ?」
 少年は、180以上の長身の、なかなかの男で哲から見ても格好いいと思える容姿をして
いた。
「わかってます、でも楽しみだったものですから・・・」
 少年はちょっと恥ずかしげに笑いながら、話し出した。
「東京の『天真』本店の調理責任者だった人が、ついに独立して店をだした。それが僕の
家のそばだったと思うだけで、嬉しくたまらなかったんで」
 その少年は、どうやら哲と同年代くらいだというのに、かなりのラーメン通らしい。教
次の前身を知っているくらいだから、いろいろなラーメン専門誌もに目を通しているようだった。
 ちなみに、いまも小脇にそれ系の雑誌を挟んでいる。
「そうなのか、ありがとう! 親父に言っておくよ!」
「期待していると伝えてください」
 これが、後にバッテリーを組むことになり親友にもなる、諏訪内 哲と鷲海 英の出会
いだった。
 ちなみに、無口で有名な英が、これだけ饒舌−ってほどじゃないかもしれないが・・・
−だったのは、この時だけだった。

そして、諏訪内家は桜美町に根付いていったのだった。

 −番外・終わり−
 
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