英雄詩講座ノート No.1

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     歌謡と叙事詩

 歌謡(リート)と叙事詩(エポス)の違いは、簡単に言えば“歌謡は短く、叙事詩は長い Das Lied ist kurz, das Epos lang.”(ゲンツマー)ということである。例えばエッダの歌謡は40行ほどから384行にわたっている。一般に(狭義の)叙事詩といわれるには2,3千行は必要なようである。ロシアの伝統的な byliny は40行の小品から、2千行のレーニン伝にまで及んで、(小)叙事詩の長さに達している。西洋の代表的な口承叙事詩を取りあげてみると、ベオウルフ3182行、ロランの歌4002行、オデッセー1万2千行、イリアス1万5千行等々、オデッセーあたりになって full epic とされるようである。
 更に長いものでは、ソ連の学者の採集したカラ=キルギスの一歌人の歌った Manas は4万行ほどあり、そのテーマのヴァリアントや続編を加えると25万行にも及ぶという(バウラ「英雄詩」第9章)。アイヌの叙事詩(ユーカラ)でも、一人の伝承詩人のレパートリーは、これに劣らぬ厖大なものであったようだ。
 さて、歌謡は短時間で一息に歌うことができるが、叙事詩は長くなると一日では終わらない。1934年に、ユーゴスラヴィアの南セルビア地方のイスラム教徒の老歌人から、ミルマン・パリーが1万2千行ほどの叙事詩を採集した時、午前2時間、午後2時間、30分ごとに小休止を入れて歌い、2週間をかけたが、間に声を回復するため1週間の休養を置いたという(バウラ「英雄詩」より)。従って叙事詩が発生するには、歌う側と聴く側の双方に時間のゆとりがなければならない。長い冬の夜の無聊を慰めるために、アイヌが長編叙事詩を発展させたのはその一例であろう。
 歌謡と叙事詩の関係はまた、単に長短の問題ではなく、両者の間にはもっと有機的な展開を考えることができる。一つには、歌謡がその技巧、構成、言葉などにおいて叙事詩のモデルとなる場合である。これはアイヌの英雄叙事詩が、短編のオイナ(聖伝)をモデルとして発展したと考えられていることが例証となる。オイナはアイヌの祖先とされる文化神アイヌラックルを一人称の語り手とした、長くて5百行ほど(金田一訳)のもので、その語り口がアイヌの‘英雄時代’を背景とする狭義のユーカラ(英雄詞曲)の主人公ポイ・ヤウンペの武勇伝に受けつがれる。
 また歌謡がいくつか積み重ねられ、あるいは継ぎ合わされて、叙事詩に発展する場合があろう。これにもアイヌの英雄叙事詩は、典型的な例を提供するようである。アイヌの叙事詩はいくつものエピソードが積み重ねられ、“一篇が幾段にもなって、波乱重畳、確かに幾つものオイナや神謡の筋を組み合せ、結びつけて、五段もの、六段もの、八段もの、十段ものというように、次第に長く長く構成していったあとが見える”(金田一京助「ユーカラ」解題)。
 しかし西洋の学者には、叙事詩がこのようにエピソードの積み重ねからなるという考え方には、いささか懐疑的なところがある。これは彼らの口承叙事詩観がホメロスの叙事詩の構成、成り立ちの問題を中心としているためのようである。バウラは「短い詩から長い詩への自然的、必然的成長を仮定するのは誤りであるが、同じ伝統の中で後の詩人が先行する詩人よりも〔スケールを]拡張させる傾向はあるように思われる」と慎重な言い方をしている(「英雄詩」第9章)。バウラはエピソディックな形で歌謡が長い叙事詩に結合されていくケースを挙げてはいるが、本来の叙事詩の特徴をそのようなエピソードの継ぎ合わせではなく、構想のまとまり、叙述の幅、アクションの広がり、などのスケールに見る。従って歌謡が expand するといっても、歌謡が集合するということではなく、構成的なまとまりのうえに、テーマや素材に肉づけが行われるということなのである。これは古代ギリシャやロシアなどの、プロフェッショナルな歌人が、伝統の上に立って叙事詩の技法や構成を洗練させていった過程であった。
 上の歌謡から叙事詩への成長の反対のプロセスとして考えられるのは、叙事詩から歌謡が発生するというケースであるが、これにもバウラは否定的である。カレワラにふれて次のように言う。「実際、そのような失われた叙事詩などという考え方そのものがロマンチックな錯覚のようである。叙事詩は歌謡に解体するよりも、短い歌謡から自然的な拡張のプロセスによって成長する場合の方が、ずっとありそうである。カレワラは本物の材料を含むが、長編叙事詩としては何ら比較の根拠とはならない。なぜなら、カレワラの持つ統一性なるものは、学者が鋏と糊で作りあげたものだから。」(「英雄詩」第9章)
 レンロートの失われた民族叙事詩の復原という作業を一応別にして、バウラも口承叙事詩がルーズな構成のエピソディックな形をとる例を挙げていることであるし、それらのエピソードが歌謡として独立するプロセスは、また必ずしも考えられないことではあるまい。一貫した構想(プラン)を持った叙事詩でさえ(例えばイリアス、Manas など)、エピソディックな部分が独立性を持っていることは、彼自身説いているところである。「歌人は〔例示された叙事詩の〕どの場合にも、歌謡の技法を知っており、彼らの長大な叙事詩においてそれを利用する。この点は、多くのエピソードの一見独立的な性格に一番はっきり見てとれる。詩人がエピソードを語りだし、述べていく仕方は、完結性のあるもので、そのエピソードが別個の詩としてとりだされ、朗誦されてはならない理由などないくらいである。」(同書第9章)
 この点で別の方面から示唆を与えているように思われるのは、久保寺逸彦「アイヌの文学」の次のくだりである。「ユーカラは、かくも厖大なる叙事詩なるがゆえに、これを諷詠吟唱するにしても、長い冬の比較的無聊閑散の折りなどに、宵早くから、炉辺で歌い始めても、夜が白々と明け放たれても、まだ終わらないようなことも珍しくない。従ってそこにまた、ユーカラの中には、演奏者が途中で止めたり、あるいは聴者が中座することもありうるから、その一部分しか伝承されずにしまうようなこともしばばしば生じることになる。」(第7章)
 さて、叙事詩と歌謡は、以上の観点を離れて、独立したジャンルとしてみれば、また両者の違いは小説でいえば、長編と短編の違いであろう。長編小説と短編小説では、構成において、また叙述のゆとり等において当然の違いが生じるように、叙事詩と歌謡でも、その枠組み、制約に応じて、それぞれの特徴が表われる。一般に歌謡は、叙事詩に比べて、素材、テーマの範囲が制限されるために、構成的に緊密な、叙述において簡潔な、芸術的にまとまりをもったものへと完成されやすいだろう。例えば、エッダの中でそうした小叙事詩の集中性を発揮した代表的な歌謡は、(短い方の)“アトリの歌”である。その特徴をみると、作者はその扱う素材がすでによく知られたものであるため、説明のための贅言を要しない。物語の要所要所に専ら心を配って表現を選んでいるため、聴く者はあたかも長い宿怨の物語が一個の活人画となって枠におさまったかのような‘視野’を与えられる。しかも登場する人物たちの激情的な動きは、それぞれの悲劇へと宿命的になだれ落ち、あたかも宇宙の崩壊を見るかのようなスケールをこの小さな歌謡に与えているのである。
 叙事詩に関しては、今日の長編小説のプロトタイプであるといえば充分であろう。



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入力:マリネンコ文学の城
Up : 2010.9.26