カイメラ氏の英雄詩講座

マリネンコ文学の城Home

    第5回 ユーカラ瞥見



1、アイヌ叙事詩について

 アイヌの叙事詩ユーカラ(yukar)は、これまで見てきた西洋の代表的な口承叙事詩と較べ、一風変った印象を残す世界である。その風変りな印象は必ずしも類例がないということではなく、どうやらどのサンプルからも迫ってくるシャーマニスティックな雰囲気の等質性から来るようである。アイヌのカムイ(神)の観念は人格神ばかりでなく、動植物にまで及んでいる童話的な汎神論とでも言うべきものだが、これらカムイ(神)が一人称で語るという独特の叙述形式は世界に存在しないわけではない(エッダの神話歌謡で、オーディン自身が語るもの等)。ところがアイヌ叙事詩では、英雄の叙事詩に至るまで、ほとんどの物語がこの一人称の形を取るのである。一人称叙述がシャーマニスティックな歌謡の段階に由来するものであるとすれば、そこからアイヌ叙事詩が三人称の客観的形式を発展させなかったことには、何らかの事情があるに違いない。そのことがまたアイヌ叙事詩の一風変った印象の原因なのであろう。

 広義のユーカラは、カムイ・ユーカラ(神々の詞曲)とアイヌ・ユーカラ(人間の詞曲)とに分類される。カムイ・ユーカラは神謡ともいわれ、狭義の神謡=カムイ・ユーカラ(自然神の詞曲、即ち動物神などが自ら語るもの)と、オイナ(聖伝、アイヌ・ラックルが自ら語るもの)に分けられる。神謡という厳(いかめ)しい言葉から印象されるのとは異なり、狭義のカムイ・ユーカラは優美な動物メルヘンである。もっともこう言ってしまっては interpretation はならないわけで、アイヌのメルヘンは彼らの狩猟民としての生活上の想像力と密接に結びついている。ここではそれに詳しく触れているわけにはいかないが、一般にメルヘン的な世界観にも、その生まれてくる生産上の納得のいく背景があるということを、アイヌのメルヘンは示しているようである。
 アイヌの世界観は、おおまかに言って、人間と動植物などの自然界と神とからなるようである。しかし存在するのは人間と神であり、あいだの自然界は神が形を変えて現われたものと見なされている。しかも中心は人間であって、神は人間なしには生きていけないのである。人間もまた、狩猟採集民としてのアイヌにとって、神が形をとって自らを食糧として人間に賜う動物たちなしには生きられない。熊や鮭などは神の仮の姿であり、その肉をアイヌ(人間)たちはありがたく頂いて、その魂を神界に贈り物と共に送り返すのである(霊送り)。そうした儀式の際の歌謡が神謡であるとされる。動物たちが一人称で語る形式をとる神謡は、全く人間的な視点で、神である動物と人間との互恵関係を語るものが多い。こうしたアイヌの自然・宗教観は、狩猟・採集民の生活と密接に結びついているのである。

 さて、この神謡の起源は、シャーマンの託宣の歌に求められている(久保寺逸彦「アイヌの文学」第九章)。託宣の歌というものは、今日起源的な形で伝承されてはいないので(英雄詞曲の中に見られるものは既に芸術化されたものである。あるいは少なくとも叙事詩の伝統に逆に影響されていよう。これは採集された巫女の託宣歌についても言えよう)、どのような推移で神謡が発生したか、具体的には比較できないようだ。その上、託宣が歌謡形態をとるには、既に歌謡の伝統が前提されることだが、これについては後でふれたい。とにかくアイヌの神謡は巫覡(ふげき)に憑いたカムイが、その口を借りて自ら物語るという形をとるようである。神謡は、本来の巫覡の託宣なるものから想像されるよりもはるかに物語的なものであり、すでに歌い手が神憑り的なシャーマンから、芸術意識を持ったバード(bard ) へ進んでいることを想定させる。アイヌの間で職能としてのバードが、ケルト人の間でのように独立して存在したか、あるいはシャーマンを兼ねた存在であったかは、興味ある点である。それはともかく、叙事詩(従ってその歌い手)とシャーマニズムの当初の歌謡段階での一般的な結びつきは、世界の進んだ段階にある英雄叙事詩においてもその痕跡が見いだされる。例えば、ギルガメシュはフンババを呪文を使って倒しており、ベオウルフは超人的なダイバーぶりを発揮し、エッダのヘルギの歌では、鷲に変身したり、首無し死体が闘ったり、呪術的要素が濃厚である。
 また歌い手の精神構造にも、シャーマン的思考の特徴は反映している。オデュセイアの歌人ペーミオスは「神さまが私の心にありとあらゆる歌の道をお植えつけなされた」(第22巻)と言い、カラ=キルギスの一歌人は「私はどんな歌でも歌える。神が私の胸に歌の才能(ギフト)を植えつけたのだから。私は言葉を探さなくても、神がちゃんと私の舌に言葉を与えてくれる。私は私のどの歌も学んだりはしなかった。どんなものでも私の内部から、私自身からわいて出る」(バウラ「英雄詩」p.41)と言っている。

 さて、神謡の発生でいま一つ叙事詩の起源の見地から興味あるのは、神謡に付帯する sakehe (折り返しの囃し詞)というものの存在である。これは神謡、特に自然神の神謡を歌う場合、多く一句ごとにその前か後につけられる囃し詞であり、
例えば、
 「ハンチキキー ひと房の稗穂(ひえ)を
 ハンチキキー 我臼(うす)に搗(つ)き
 ハンチキキー 稗の酒をつくり」
 といった具合である。ここで注目されるのは、このsakehe に関連して、神謡が古くは“祭儀に演じられた呪術的仮装舞踊劇の詞章であった”(知里真志保)と考えられていることである。呪術はさておき、舞踊と歌謡(ないし叙事詩)の関係は起源においても、また原理的にも深いものである。この関係はさらに根本的には、舞踊と詩(詞)と音楽の関係と考えることができる。芸術の起源的な段階においては、これら“舞踊と詩と音楽は自然的な統一をなし、これをわかつには技巧をもってするより外はない。未開段階にあるこれら三芸術のそれぞれを、その状態や効果を正しく理解し、評価しようとするならば、我々はこれら三者が独立しているのではなく、密接な生命的関係にあることを、絶えず念頭におかねばならない”とグローセは言っている(「芸術の始原」第十章)。
 これは素朴な段階での芸術の観察から帰納された、客観的な結論と言ってよいだろう。また理論的にも、ハーバート・スペンサーが言うように、“言語におけるリズム、音におけるリズム、動作におけるリズムは、当初は同一の事柄の諸部分であった”(「第一原理」)のであり、この言語(詩)と音楽と動作(舞踊)における共通部分であるリズムを媒介とした三者の根源的統一は、歌謡・叙事詩論の原理的な出発点である。さらに芸術発生のメカニズムとして見れば、そもそも言語芸術が発生するには、この三者の統合状態に最もよく発現される共同体の集団のエネルギーが必要であり、ここを基盤にして個々人の創意が生まれ、また個々の芸術へと分化し、発展していく可能性が生まれていくことであろう。
 その意味で、アイヌ叙事詩の核である神謡の発生を、巫女の託宣歌という一特殊に求めるよりも、この舞踊と詩と音楽の根源的統一状態からの歌う詞としての歌謡の独立・発展を考える方が説得力がありそうである(巫女の託宣歌は、むしろこの舞踊を伴った祭儀歌からの一分化と考えるのが自然のように思われる)。

 さて、sakehe が本来祭儀の舞踊劇に必要とされたものとするならば、歌謡が物語的興味を主として独立していく場合、sakehe は邪魔物と感じられたことであろう。しかも歌謡が長くなって、筋が輻輳してくるにつれてその感は増すだろう。そこでやや長いオイナ(聖伝)においては sakehe は失われてゆき、英雄のユーカラでは全く消失したに違いない。神謡に加えられるオイナは、アイヌの祖先とされる神とも人ともつかないアイヌ・ラックル(人間くさい神)又はオキクルミの自叙する物語であるが、これは自然神の神謡と英雄のユーカラの間にあって、後者の発展の基となったものとされる。知里真志保によると、自然神の神謡は血族小集団からなるトーテミズムの社会を背景にしたものであり、これに対して人格神の活躍するオイナでは社会に階級分化が生じ、生産においても自然に対する人間の優位の感じられる、シャーマン酋長の支配するシャーマニズムの爛熟した社会が背景に考えられる。そしてオイナから発展した英雄のユーカラは、北海道を本拠とするヤウンクル(内陸人)と大陸からやって来たレプンクル(渡来民)との葛藤、“民族の存立興亡を賭して戦った歴史的な大事件”を背景にしたものであるという(これには反論もあるようだ)。それはとにかく、オイナと英雄のユーカラの密接な関係は、両者の語り口、筋書、語法、常套句、ヒーローを較べれば明白なことである。フォーミュラ(常套句)の多用ということでは、アイヌ叙事詩は世界の口承叙事詩と共通している。これはかなり長い部分、同じパターンがくり返し用いられる。オイナのフォーミュラはそのまま英雄のユーカラでも踏襲される。

2、英雄のユーカラ

 アイヌ・ユーカラ(人間の詞曲)は英雄詞曲(狭義のユーカラ yukar)とメノコ・ユーカラ(婦女詞曲)を併せたものを言う。英雄のユーカラ(英雄詞曲)は、これは別のところでもふれたが(「エッダ」)、多くのエピソードを幾段にも積み重ねて成っている。といって全体としての構成や、エピソード間の連絡が見られないわけではない。細かい分析は煩わしいであろうから、一点だけ挙げると、前のエピソードにおいて、次のエピソードへの導入ないし布石が置かれる場合がある。例えば、「虎杖丸(いたどりまる)」第七章で、チワシペツびとに、

 「命を惜しむ、我ならんや。
 たといわれ死すとも、メナシシャム村、汝のゆく先に、
 首領だちみな、そこに相集まりて、
 汝を討たんその首途に、酒宴を設けて、」

 云々と言わせて、第八章でのメナシシャムびとの村でのポイヤウンペの戦闘を予告するような具合である。ワカルパ翁伝承の「虎杖丸」が、第九章で次へのエピソードを暗示して終っているのも、まだまだポイヤウンペの冒険に聴者の期待をそそっているわけである(残念ながら伝承されていない)。

 さて、アイヌの英雄のユーカラは、ホメロスやエッダの英雄叙事詩や英雄歌謡とは、だいぶ雰囲気の異なった世界である。ホメロスやエッダの叙述やアクションに見るリアリズムは、ここでは何とはない非現実味を帯びて見える。アイヌの英雄たちは、戦の場で “肝の割き合い” という壮絶な決闘を行うようだが、そのパターン化した語り口は次の如くである。

 「そのとき、チワシベツびと、言うよう――
 『何時まで、太刀撃ちの闘いを、われらすとも、
 果てしのつくべき、ようもなければ、
 片手軽やかに、片手は重く、
 肝の割き合いもて、互の武勇を試むべし』
 云う声したれば、我諾(おお)と、答えをしてやりたり。
 国土の上に、猛き力足を、我へ踏み延ばす。
 こなたよりも負けじと、猛き力足を、われ踏んばる。
 先ずさきに、我を突き来る矛の、わが上へかぶさり来る、
 その矛の下蔭へ、わが身をかがめて、ひらりと伏せば、
 兜の縁の上を、矛の逸るる音、チャリンと鳴り渡る、
 その矛の蔭より、われわが矛を反らして、
 われ胸のみずおちを切って、われしたたかに刺す。
 にが苦しき咳、深く咽せ返りて、くわッと彼吐けば、
 鼻より出ずる血は、玉をなしてこぼれ、
 口より出ずる血は、吐瀉の如くそそぎたり。
 更にまた、我を刺し来るときに、矛のさきに、
 われと我身をそばめ交わせば、
 わが胸の上を、矛すべり行く。
 そのときに、刀を執る手を、われぐいと掴み、
 つまさきの上を、われむずと踏み、
 (下から)上のほうへ、(上から)下のほうへ、
 魚の背割をする如くに、わが手元を競いたりけり。
 苦しみあえぐもの、今いちど我を刺し来るときに、
 避けむも今はいやなり。
 わがみず落ちを、われしたたかに突かす。
 にがくるしき咳、われ深くむせかえりて、くわッと吐けば、
 勝に乗って、我がせし通りを、我に仕返し来り、
 我が片肩をつかまえ、わが足のゆびの上を、ふみつけて、
 相互いに、(下から)上へ、(上から)下へ、
 魚を背割りする如くに、相(割き合い)したりけり。
 何痛むや、人間ならば、しかあるべきなれど、
 苦痛の様子も、更にありはせず。」

 地上での闘いに呼応して、天空では“われにつく神、他人(あた・敵)のつき神”が激しい神戦を演じている(金田一京助訳「ユーカラ」虎杖丸第6章より)。この神・人のパラレリズムは、だいぶ雰囲気が違うが、「イリアス」の第20巻にも見られる。それはともかく、上の情景は、もはや人間の生理的条件を超えているようである。ホメロスでも殺伐とした、生々しい戦闘の描写は、前に紹介したところだが、、そこでは多かれ少なかれ実際以上の誇張はあるとしても、戦士たちが生身の人間であることを一瞬たりとも忘れさせない。総大将のアガメムノンも、腕に傷を負っただけで、戦線離脱を余儀なくされるのである。
 エッダでも、皿に載ったヘグニの心臓は、まさに生と死の緊張の中に生きる英雄の世界を生々しく象徴している。次の短い一節は、ゲルマンの英雄世界の日常的な一情景を髣髴させて、エッダのリアリズムのエッセンスである。

 「アトリは駿馬にまたがって殺害の場を後にし、家にむかった。屋敷はかまびすしかった。馬が押し合い、ひしめき、兵士らの武器の立てる響き。彼らは荒野から戻ったのだ。」(「アトリの歌」)

 これらの叙事詩の戦闘場面のリアリスティックな雰囲気が、叙事詩の伝統の発端における(時には詩人自身の体験した)実際の戦闘を背景にし、そこから由来するものであることを推測させるのに対し、先のアイヌ叙事詩での戦闘場面は、こうした要素が武勇の超人的な誇張によって希薄化していることが、比較の上から見てとれる。それには色々理由が考えられようが、ここではアイヌ叙事詩のシャーマニスティックな特徴と関連づけてみたい。

 ユーカラの口演の仕方は、“昔は演奏者は炉端に仰臥して、右手で胸を叩きつつ演奏したこともあったが、今日では、演奏者は手に四、五寸の棒 rep-ni を持ち、炉縁を打ち叩き打ち叩き、拍子を取りながら吟誦する。それを聴く人々も、手に手に棒を取って炉縁や床を叩き、時々口々に「へッヘッ」と囃し(これをヘッチェ hetche という)ながら聴く”(久保寺逸彦「アイヌの文学」)。特にこのヘッチェという掛声は、この掛声の調子如何によって歌い手の調子が出たり出なかったりして、ユーカラの演者と聴者の渾然一体となった雰囲気の中で重要な役割を果たしたという。この雰囲気は、祭儀における仮装舞踊劇の詞章であった神謡が、、やはり演者と見まもる側とが(あそらく sakehe を媒介として)渾然一体となった呪術空間を創り出していたであろう、その呪術的な雰囲気が、英雄のユーカラの口演に伝えられたものと考えてよかろう。
 このことからまた、ユーカラの歌い手が一種の神憑り的な夢遊状態にあることを考えさせる。叙述が一人称形式をとることも、この状態に陥ることを容易にしよう。いわば演者はユーカラの主人公にとりつかれるわけであり、あるいは少なくとも一体化するわけであり、そのためにポイヤウンペが敵と闘う時の憑かれたような戦闘ぶりは、また我々が夢の中で魔と闘う時の無我夢中の状態を惹起させるのである。ユーカラが英雄叙事詩として中途半端な段階にあるのは(注:後述の<英雄詩の発展段階説>を参照されたい)、一つにこの歌い手の現実と夢との境のはっきりしない意識状態に帰せられるものであろう。この夢の意識との類似性は、またユーカラの世界が深層心理的な興味をかきたてる点でもある。論者が興味を持った一点を挙げると、それは昔のアイヌ民族の間に存在したかもしれない女性コンプレックスである。

3、結婚説話

 近年の研究では、一昔前のアイヌ社会には“男系と女系とは判然対立して、アイヌ社会の根抵に横たわる二つの大きな流れとなっていることが明瞭にされた”(「アイヌの文学」110頁)そうである。巫術はもとより、病気の治療や助産、神謡・詞曲の伝承も、女系を中心に行なわれた。従ってそうした能力を持つ女性は尊敬され、また時には恐れられもしたであろう。「虎杖丸」第八章では、そうした村の畏敬の対象の老婆を、ポイヤウンペが骨をへし折ってかたづけ、彼女に化けるくだりがある。首領たちが老婆に敬意を払い、、ポイヤウンペの変装に気づかない所がみそである。ユーカラで無残な殺され方をするのは、醜い老婆ばかりではない。美女達も男と同様の武勇を発揮し、従って倒される時も男同様、容赦されることはない。今「ノーオウー」という物語を紹介してみよう(金田一京助訳)。これはアイヌラックルが自ら叙する歌で、

 「国の神、島の神なる、わが姉
 我を養育(ひたし)しつつ、我等暮らしけり。
 宝器の彫刻、宝鞘の彫刻、それのみを、
 わがわざとして、よく養われ、美しく育てられて、我在りき。」

 という常套的な文句で始まる。ところが近頃、どこからか家の高窓にしきりと消息が届き、姉も憂い顔である。そこで彫刻を片づけ、姉に問いただしてみると、しぶしぶ言い出すことには、襁褓(むつき)の頃からの許嫁、カイポク(波陰)びとの妹が、天(あま)の門(と)の彼方に住む巨魔に奪われたというのである。そこで鎧兜を身につけ、宝刀を帯にさし、さっそうと高窓より跳びだし、海づらを風にのって駈けだした。やがて大きなる神城につき、窓の帷をはだけて中をうかがってみると、右座に神とも人ともつかぬ者、横座に襤褸(つづれ)の鎧の六人の首領、左座には禿頭の六人の首領、居並んでいる。波陰乙女はと見ると、六つの函を重ねて、その中に彼女の魂がとらわれていた。そこで念力もてその魂を拾いとり、佩く太刀の雌眼に造ってはめこんだ。
 さて、くだんの山城の西陰に、美しい小家のあるのが目にとまり、行って隙見をすると、うら若い乙女が糸を紡ぎ、わさ(輪差)を降し降ししている。 見ていると気づかれ、“隙見などしないで、お入りなさい”という。 安からず思いながら、入って炉の上の座に、、どっかと趺座をかいた。乙女が飯を炊いて言うには、 “食事の間に、わたしの兄達が襲いかかってきますが、残らず殺してしまえれば、あなたは真の大将です。その時はあなたに、朝夕お仕えしましょう” と。
 憎い女がつべこべ言いながらさしだす椀に、二度三度箸をあげると、胸騒ぎがして、頭上に神刀の光がふってくる。ずばりと刀を抜いて、その光の下に太刀を舞わすと、襤褸(つづれ)の鎧武者六人、肉汁の肉(み)を散らすように吹っとんだ。つづいて禿頭の六人の首領を同じように散らし、最後に大悪神を斬り殺すと、死霊の昇りゆく音、鳴りとよむ。乙女、鼻を掩って感嘆し、 “こうなったら、あなたと私、似合いの女夫と世に謳われましょう” などと言う。 “悪神の娘を、如何(いか)でもため” こう考え、椀を戸柱へ投げて打ちくだき、悪女の上にさっと刀を振ると、太刀の行く先、波の白泡の、影もない。行く先々へ揮い回しても、太刀の引っかかる、気配もない。

 「追いかけ、追いかけて、終にその髪の毛を
 我が手に巻きて、引っ掴み、
 大地の上へ、哄と撃ち据え、
 踵を立てて、踏みに踏めば、首が、ずぼりと抜けて来る。
 首の真中を、丁と割り、
 遙かなる嶺の頂に、首の半分を、我投げてやり、
 『嶺の神に、この女の、美しき首を、捧ぐべし。
 戸を鎖し、窓を鎖し、かまえて出すな』
 と詞を附け、次に、首の半分を、
 沖の原、うな原の上に、我投げてやり、
 『沖の妖精、この女の、美しき首を、汝に送り遣わすべし。
 窓を鎖し、戸を鎖し、かまえて出すな』
 と詞を附け、たりけり。」

 すると憎き女の首無し胴体、大きな声でわめき、刀を振り振り、追ってくる。近く相追い、遠く相追い、追いつ、追われつするほどに、終に襟首をつかまえて、引っ張ると、すっぽり丸裸に、石ころの抜け落ちるように、抜け落ちた。

 「『なぞや、下郎の子、にくき振舞のみする。
 昔から大事にする乙女の懐ろに、恥見するよな。
 今に罰あるべければ、思い知れ』
 憎さげなる、雑言を吐きたれども、
 何処までも、首無き胴体、刀を目にも止まらぬ程に、
 打ち振り打ち振り、追いかけ来る。
 ついに、二つに斬り、三つに斬り、滅多斬りに斬り伏せたれば、
 死霊の昇り行く音も、苦悩の音を立てて、底つ国へ沈み行きたり。」

 いやな気持になって家へ帰ると、姉がにこやかな笑みを口元にたたえて、迎えに出る。かんかんに腹を立てて、太刀を抜き放つと、姉はどこへ行ったか、行方が知れずなってしまった。そこで腹の立つまま、カイポク(波陰)びとの山城へ行き、太刀の雌眼に造った波陰びとの妹を、窓より投げ入れて帰り、かくして腹立たしく寝てばかりいると、とある日、波陰びとがそっと戸をあけて入り、宝を入れた袋をさしいれて言うには、“わが弟よ。お蔭にて、我がはしたなき妹も、取り返されたれば、妹の首の上を映えさす為に〔つまり嫁入り支度として〕、わが持つ限りの宝をひとつらにつらねて、我持ち来れるなり”と。」

 ちょっとカフカの「田舎医者」でも読んでいるような印象を与える歌謡である。夢のシンボルを指摘することも、容易いであろう。特に主人公の姉に対するコンプレックス、近親相姦のタブーが、夢魔となって主人公に襲いかかっているようである。“姉”をものにするには、まず“兄”たちと闘わねばならず、また神とも人ともつかない存在である“家父長”と闘わねばならない。そしてこれがタブーであることは、雌眼に造られた波陰びとの妹が許嫁として与えられていることで明らかだ。腹立ちながらも近親相姦の誘惑を断ち切り、他村の娘をめとる、いわば無意識の世界での教訓的なドラマである。“アイヌラックルの結婚説話は大きな意味で近親結婚を戒める、いわば性典ともなっていた”(新谷行「ユーカラの世界」)というのも、頷けることである。

4.ユーカラの韻律

 ユーカラの韻律は、西洋詩のように厳密なシラブルや詩脚や強勢や押韻の規則を持たないようである。“神謡を歌うには、短い言葉は、伸ばして長めに歌い、長い言葉は早めに歌って、ほぼ四拍子に合う程度にして、多く対句にして歌う。だから、これを筆録して見ても、各ラインは大体同じ長さとなって、簡潔なものである。”(「アイヌの文学」121頁) また英雄詞曲も “「神謡」の演奏と同様、概して、長い句は早口に、短い句は長くゆっくりと引っぱり、調子を整えて吟唱するのであるが、詞つきをあっさりと簡約に演ずるもの、詳細に場面の推移を叙して謡うもの、あるいは歌詞はともかく、曲調は長めにゆっくりとしたテンポで歌うもの、早口に短く歌うものなど種々である。”(同書171頁) 
 これで見ると、ユーカラの韻律は歌い方が主体であって、大体一句が四拍子に合うようにルーズに作られるものであるようだ(基本は4音節か5音節の句からなる)。これはアイヌ語が日本語と同じように、音楽(つまり歌い方)に対して柔軟性を持っているためなのであろう。短い言葉は伸ばして長めに、長い言葉は早めに、というのは日本語の音数律の歌い方と同じである。これは韻律の発展にとっては不利な条件であるが(というのは、言語の音韻的な自律性がなければ、音楽と結合するための媒介物である韻律の発展の根拠も存在しないからである)、また言葉が比較的容易に音楽にのせうるという利点でもある。
 論者はアイヌ語については不案内であるが、
 
 Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe
 ranran pishkan, arian repko chiki kane

 「銀の滴降る降るまわりに、金の滴
 降る降るまわりに。」という歌を私は歌いながら
       (「アイヌ神謡集」知里幸恵訳)

 などという詩句を口ずさんでみても、日本語よりははるかに音楽的な言葉であるように思われる。ユーカラの言葉はまた、日常語ではなく雅語が用いられるが、これは他のところでもふれたように(「ホメロス」)、たいていの口承叙事詩に共通している。ユーカラの伝承は、文字どおり口伝されたままを伝承するのではないようだ。クトゥネシルカ(虎杖丸)には三種のそれぞれ伝承者の異なったヴァージョンがあり、伝承者ごとに内容が異なるようである。これはアイヌの伝承詩人もまた、世界の他の口承叙事詩人と同じように、口承伝統の規範が許す範囲内で、それぞれの“創意”を発揮していたのであろう。

 さて、厖大なユーカラの世界に、論者は未だ途中下車ほどの観光めぐりをしたにすぎないので、以上は思考整理のための覚え書のようなものである。詳しくは、「アイヌ神謡集」「ユーカラ」(共に岩波文庫)などを手にされ、また碩学の書にあたりなどされたい。

参照:「ユーカラ」(金田一京助訳、岩波文庫)
    「アイヌ神謡集」(知里幸恵訳、岩波文庫)
    「神謡について」(知里真志保、上掲書に収録)
    「アイヌの文学」(久保寺逸彦、岩波新書)
    Heroic Poetry (C.M.Bowra, Macmillan)
 近来の研究・解説として、面白く読んだものは、
    「アイヌの物語世界」(中川裕、平凡社)
 ユーカラの実際の口演をCDで聞くことができる。思ったよりも単調なようである。
    「アイヌのユーカラ」(世界民族音楽大集成、King Record )

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 補説:英雄詩の発展段階説

 バウラ (C.M.Bowra) はプリミティヴな物語詩の発展段階というものを説いている(Heroic Poetry ch.1)。それによると、第一にシャーマニスティックな詩がくる。これは主人公として呪術師が登場し、呪術が事を成功させる主要手段である。この典型として「カレワラ」を挙げている。次に人間中心の世界観が起こって詩に影響し、初め英雄の讃歌 (panegyric) や哀悼詩 (lament) として現われ、ついで物語詩に浸透し、神々と人間(英雄)とが共存する英雄詩を生みだす。これは更に、神々の詩と人間(英雄)の詩へ分化していく。バウラが“英雄詩( heroic poetry) ”と呼ぶのは、第二段階の神々と人間(英雄)の共存する詩と、第三段階で分化した人間(英雄)の詩である。 さて、この段階説をそのままアイヌ叙事詩にあてはめるわけには行かなかろうが、かえってその特徴がつかめそうなので、いちおう対応させてみると、まず自然神の神謡(狭義のカムイ・ユーカラ)は神々の詩ということになろう。そうすると、普通考えられている、狭義の神謡をオイナ(聖伝)や英雄詞曲よりも前に置く説とバウラの説は矛盾してくる。つまりオイナから(アイヌラックルを神と人の中間とすれば)、狭義の神謡と英雄詞曲が分かれたということになってしまう。古代ギリシャでは確かにホメロスの神々と人間の叙事詩の後に、ヘシオドスの「神統記」(神々)と「仕事と日々」(人間)の両叙事詩、また「ホメロス讃歌」が来ているわけだが、これを一般化するわけにはいかないようだ。
 次にオイナ(聖伝)については、この主人公アイヌラックル(オキクルミ)を、知里真志保はアイヌの酋長でもあり、シャーマンでもあるとする。そうすると、シャーマンを主人公とするシャーマニスティックな段階、つまりカレワラのワイナモイネンにいちおう対応するわけである。しかしオイナは同時に神々の詩(神謡)でもあるから、これはシャーマンと神々の共存する詩でもあるわけだ。カレワラと較べると、この共存の度合はオイナの方に濃厚で、主人公シャーマンの関心がより地上に向けられ、神話性から脱していく時、ワイナモイネンのようなカルチャー・ヒーローが生まれるのであろう。
 それでは英雄詞曲のポイヤウンペは何者であろうか。先ずシャーマニスティックな段階から英雄詩への過渡(ないし併行)とされる英雄の讃歌や哀悼歌が、アイヌ叙事詩に欠けていることが注意される。オイナからそのまま英雄のユーカラへ発展しているわけである。これはこれらの中間段階が、必ずしも一般的でないということなのか、あるいはこの点がアイヌ叙事詩の性質を決定する鍵なのであろうか。これは、アイヌ叙事詩がはたして“英雄時代”を背景にした英雄詩なのであろうかという問題とかかわってくる。
 パネジリック(panegyric)やラメント(lament)の発生の理由には、一つにはそれらを歌人に要求する強力な王権の出現ということがあろう(例えば、ズールーのシャカのパネジリック)。そもそも人間(英雄)中心の世界観が生じるには、それに対応した階級分化が見られるはずである。その頂点に立つ王や戦士階級の、征服や統一や、侵略や防衛を背景にして、個人の武勇を中心にした英雄詩が作られていくのである。パネジリックやラメントは、現にある(あった)対象に向かって二人称で呼びかけ、その武勇を賞賛し、またその死を悼む詩であり、それによって詩に現実的な叙述をもたらし、次に来る回顧的な英雄叙事詩の基調を準備することになる。
 アイヌ叙事詩にパネジリックやラメントが存在しないことは、これらのプロセスが存在しないことである。これは一つには、アイヌ社会の共同体的な構造に由来することであろう。アイヌには王権は出現せず、外敵と当たる時には、村単位の連合を組織して事に臨んだようである。これがアイヌ叙事詩の主人公の、無名戦士的な性格に反映しているようである(ポイヤウンペは小さい本土の者、小英雄という意味であり、敵方が呼ぶ場合の仇名でもある)。アイヌはいわば、個性的な英雄(これはつまり権力的な支配者のことだが)を必要としなかったのである。
 ところでこれは、アイヌ叙事詩がシャーマニスティックな段階から脱けきらなかったことと関係してこよう。一般にシャーマニスティックな詩と英雄詩との区切りを考えて見ると、これはバウラの言うように、呪術が主か、英雄の人間能力に基く武勇が主かということである。呪術から武勇への移り行きは、様々な段階があろうが、肝心なことは、“実際”の戦闘においては呪術は無力であるということである。従って“英雄時代”をへた叙事詩には、かならず武勇の呪術への優位が顕著にあらわれるはずである。これはアイヌ叙事詩が英雄詩であるとすれば、当然オイナから英雄詞曲への発展に見られなければならないが、ここにアイヌ叙事詩には、オイナのアイヌラックルに見られるように、シャーマンが同時に戦士であるという特徴がある(刀の争いを避けるワイナモイネンと比較されたい)。これは王権の不在と併せて(王は存在すればシャーマンのライヴァルとなろう)、アイヌの英雄にシャーマンの特性を深く刻むことになる。戦の場においては戦士であっても、村へ帰ればシャーマン酋長であり、叙事詩の世界でも容易にシャーマンへ回帰していくことであろう。ここに虎杖丸(いたどりまる)という武勇と呪術を折衷した剣に象徴される、アイヌ叙事詩の独特にマジカルな世界が生まれてくる所以があるのであろう。(なお、参考までに上の要点を図示しておこう。)


<バウラの英雄詩発展段階説>

@呪術師を主人公とするシャーマニスティックな詩 ⇒ A英雄を讃える詩・哀悼する詩 ⇒ 
B神々と英雄の詩 ⇒
C−1 神々の詩
C−2 英雄の詩


<アイヌ叙事詩の展開>

@シャーマニスティックな神々の詩(神謡) ⇒ A神々とシャーマン戦士の詩(オイナ) ⇒
B戦士シャーマンの詩(英雄のユーカラ)



 (ユーカラ瞥見・了)

 Up: 2014.3.25