四世界の理論:第二部――応用編

マリネンコ文学の城Home

目次: Shamanism―観念論の発生 ; LeibnizのMonadologieをめぐって ; 天動説幻想


 Shamanism――あるいは観念論の発生

 (内容:shamanismの現象学、心理的発生過程、現象形態、表象の特性、ritualization、methodization、社会環境への再編入、統合の過程、private magicianからpublic magician=shamanへ、植物精神と動物精神、巫覡への退化 他界の観念とshamanism)


 (1)表象世界の形成

 あらゆる生き物、動物の中で人間だけが自己自身であることに留まっていられない傾向を示すことは、特に注目すべきである。人間に近い社会を構成する蟻や蜜蜂において、社会的環境から離れた個体は、単に生存が不可能というよりも、その事態の中では自動的に生への意志が停止すると言ってよい。彼らにとって、自己自身を規定する存在条件が失われることは、とりもなおさず自己自身の生の根拠が失われることである。一般に環境との適応を失った生き物は、単に死に見舞われるばかりでなく、生の可能性さえ放棄する傾向があるといえる。それは適応が失われたと同時に、個体を生存へと動かしている、生の意味が失われるからである。生の意味とは、個体の中にすでに遺伝情報として蓄積されている、行動のパターンの可能性にほかならない。遺伝情報による行動のパターンが、環境において適応を見いだせず、あるいは環境の変化において挫折する時、個体はそれに代わる行動の可能性を、自己自身のうちから取り出すことができないのである。そこではいわば行動の不可能を前にした生き物のVerzweiflungが生じるであろう。それはすでに死に先立つ生への意志の放棄であると言える。人間の社会においても、たいていは、社会的適応を失った、あるいは社会から追放された個人は、絶望からおのずと死に至るであろう。けれども、ここに一つの例外として現われてくるのが、ある種の宗教現象であり、とりわけその現象的な一形態であるshamanismにおいて見られる、絶望と死の克服の過程である。
 生き物において絶望が克服されるためには、絶望に代わる生の意味が個体の中から取り出されるのでなければならない。絶望の克服が人間においてのみなされるとすれば、人間と他の生き物とを区別する行動の特徴はなんであるか。そしてさらにその行動の特徴の中に、絶望を克服する行動の可能性として現われてくるものはなんであるか。人間と他の生き物とを決定的に区別する唯一の特徴は、そのすぐれた表象能力であると言える。表象はがんらい動物において、生への意志の道具として、世界内活動における世界モデルの形成手段として、生み出されたものである。それによって動物は過去の出来事を蓄積し、未来の出来事を予測する、行動の自由を獲得した。それらは認識のモデルとして種の遺伝情報に組み込まれ、個体の活動を支配する本能のモデルとなるとともに、ある部分は個体にのみ固有の経験内容として、個体の生の独自性を形づくることになる。遺伝情報は認識の枠組みすなわちFormを与え、個体の経験はそのFormを充実していくものであるといえる。このようにして動物の表象の世界が形成される。その表象としての世界において、それに適応した動物の行動が可能となるのである。
 表象活動は、動物の世界への適応であると同時に、いったん表象の世界が成立すると同時に、それに対して動物の生の営みは、適応を見いださねばならないのである。表象世界が限られた範囲であるほど、生の活動も限られた範囲に留まり、それは表象世界と生の適応とが完全に一致した、本能的行動の世界を現わしだすであろう。それに対して、表象世界が広がるほど、遺伝情報によって決定される部分は相対的に小さくなり、適応行動が多様になっていくであろう。そして表象に対する相対的な自由が生まれてくるであろう。もはやあらゆる表象に対して、生の手段とみなす必要はなくなり、いわば生の適応の観点からみて、表象の過剰の状態が現われるであろう。無限に多様な表象の中で、人間が生の適応行動にとって必要とするものは、ほんのわずかな部分にすぎない。けれども、そのほんのわずかな部分は、種の存続の死活を制するとともに、個体の生死をも決定する優先的な部分なのである。表象世界のある選択的、優先的部分に対して、種として全的に適応し、さらに個体として適応していくことが、すぐれて表象的な動物である人間の、最も重要な行動パターンであるとみなされるのである。
 すぐれて表象的な動物である人間においても、いわば過剰な表象世界全般に対する適応が問題となるのではなく、その限られた部分に対して生の活動が集中するのであるが、このことは生の意味が単に表象世界の一部においてしか実現されないことである。もし種や個体において、表象世界の片隅における生のいとなみが挫折し、生の意味が失われる事態が生じるならば、それは単に世界のその部分ではなく、表象世界全体の危機として現われてくるのである。表象世界における生の連関を失うならば、表象世界そのものが根底から瓦解の危機に瀕するのである。そこには環境への適応を失った、あるいは奪われた、動物の絶望と生への意志の放棄に等しい事態が見られるであろう。そして多くの場合、人間も動物と同じ運命をたどったであろう。けれどもここに絶望を克服する力となり、人類を破滅から救ったものは、ほかならぬすぐれて表象的な動物である人間の、過剰な表象能力であったといえる。
 人間がはじめて道具を発明した時、単に余剰的な表象であった地上の石が、新たな生の連関の中に取り入れられることによって、いわば表象世界の優先的部分へと移しかえられたのである。言い換えれば、表象世界の重心を変えることによって、人間は新たな生の可能性を見いだしたのである。ここに人間の表象世界を探求する能力とむすびついた、絶望と対置される希望の可能性が生まれたのである。この方向は表象世界における生の連関を拡張し、両者を総合的に確固たるものとしてゆき、それによって人類の文明をもたらし、繁栄をもたらすことになった。その目差すところは、表象世界に対する、全的適応であるといえる。工夫と発明と発見とが、表象世界全体を意味あるものとし、新たな生の活動の可能性を開いてゆく。この方向を、この世界における生の拡張と名づけることができよう。

 (2)シャーマンの表象世界

 これに対して、生の挫折における絶望が死にいたらずに、しかもこの世界を超越する方向においてなされる例がしばしば見られる。それがshamanismの本来の問題となるであろう。そこでは言わば、いったん危機に瀕した表象世界は、それを支えようとする努力がなされることなく、むしろ徹底的な瓦解にゆだねられるのである。それと同時に、表象世界の重心をなしていた生の連関も消滅し、そこには死のほかにいかなる余地も残されていないかに見える。けれども、そこからあたかも不死鳥のように甦る新たな表象の世界と、そこでのあたかも実在に対するかのような生のいとなみが出現するのである。このような甦りは、いかにして可能なのであるか。一つには、同じく表象の過剰から説明することができるであろう。人間は世界を現前に表象すると同時に、それを記憶として蓄え、さらにそのimageによって未来を予想し、眼前にないものを想像する。そしてそれらの表象はつねに生の連関において関連づけられ、選択され、意味づけられる。生の連関から外れた表象は、いわば重心をなす表象に対して、半ば意識された、あるいは無意識の、背景をなすに過ぎない。けれども、生の挫折と同時に、あらゆる表象は等しいもの、あるいは等しく無意味なものと化す。そこではいわばあらゆる表象が、重心を失って意識の中を還流する状態となり、世界はとりとめのない夢の状態に陥るであろう。人間はまた、夢を見ることにおいても、すぐれた動物であるから、願望が夢を導くことによって、そこにつかのまの架空の充足が実現されるであろう。けれども単なる夢が、この世界における生のいとなみと等しいほどの意味を持った実在性でもって、生への意志をとらえることが出来るであろうか。夢が単に実在の影であるとされる限りにおいて、それは決して生への意志をとらえ、その意欲を実現するものではありえないであろう。けれども絶望の極限において、すでに実在とされる表象世界が夢と一色のものとして瓦解をとげた状態においては、そこにまったく新しい事態が現われてくるであろう。それは単に夢を見ることではなく、表象の瓦礫の中から、あらたなFormの発現によって、まったく別個の表象世界を再構築する可能性を与えるであろう。けれどもこのことが起こりうるためには、すでにまったく別個の表象世界を生みだす能力が、少なくとも可能性として遺伝情報の中に与えられていなければならない。生の挫折による絶望において、一つの表象世界が瓦解する時、生の絶体絶命の危機感のなかで、残された表象構築の可能性が、それに代わる表象を発現させるであろう。もしこの代替表象の可能性がなければ、実在の世界への適応を失った人間が、動物とは異なり、なにゆえに単なる空想の世界において、実在の要求に対しては最も貪婪である生への意志をも、満足させることができるのかを理解できないであろう。人間はこの世界に絶望した時、単に生への意志を放棄し、死にいたるばかりでなく、それに代わる別の世界を構築する能力を、自己のうちに与えられているのである。けれどもその新たな世界においても、適応を見いだせるかどうかは、別の問題である。すでに絶望がその条件であるように、好んでこの世界とあの世界とを交換する者は、まれであるといえる。

 (3)生の超越的体験としてのshamanism

 生き物の危機的状況に当たっての対処の仕方は、二とおりである。一つは認識の拡大であり、一つは自己のうちの遺伝情報の指示するところに耳を傾けることである。認識の及ばないところでは、動物はもっぱら後者に依存するであろう。そしてそこにおいて生存の可能性が閉ざされた時には、自ら生への意志を放棄するであろう。人間はあまりに認識に依存しすぎたために、自己自身の内部から囁くものに、不審をいだくまでになった存在である。けれども、もはやいかなる認識も及ばない危機的状況においては、人間もまた動物と同じように、ひたすら自己自身のうちから囁きかけるものに、耳を傾けるほかはない。そこにおいて生死をしいられ、決断するほかはないのである。あらゆる宗教現象の根底もまた、ここにあるであろう。宗教の本質が超越であるとすれば、超越をなさしめるものは認識の拡張ではなく、私自身の中にある超越の可能性である。そこへとおもむき、そこへと強いられる道は、つねにネガティヴであるほかはない。そのことを絶えず個人的な体験として明らかにする点において、shamanismは宗教の現象形態であると同時に、あらゆる生の超越的体験のモデルとなるであろう。
 shamanとなる者は、まずなによりも多かれ少なかれ、社会的不適応者である。その欠陥が気質的なものであれ、身体的なものであれ、彼は人並み以上の生のLeiden,生への意志の挫折にさいなまれ、そしてたいていは生存の闘いにおいて淘汰されていくであろう。shamanが職能として社会的位置を得るまでは、彼は単に生存不適者にすぎなかったであろう。彼がもし苦悩によってこの世界を突破し、別世界との交通を開いたにしたところで、彼は単に一介のprivateなmagicianにすぎず、そのこと自体は彼になんの実益ももたらさなかったであろう。けれども彼はLeidenによってLeidenを克服することによって、いわばLeidenのspecialistとなる。自らを癒すことの出来るものは、また他者をも癒すことが出来るであろう、という理由から、彼は最初の医者となる。彼は言わば、Leidenにおいて社会から疎外され、Leidenにおいて社会への復帰を果たすのである。この段階において、彼はprivate magicianから、public magician=shamanへと歩みだす。
 彼shamanはまた、みずからの苦が癒された過程によってのみ、他人の苦を癒すことが出来るであろう。彼は共同体において与えられた職能をはたすために、みずからの体験を反省し、それによって最初の形而上学者となるであろう。彼は彼の体験を組織づけ、さらにその体験へといたった道を反省することによって、それを一つのmethodeあるいはtechniqueと見なすようになるであろう。それによって共同体における職能としてのshamanの伝習の型が固定し、神話的伝習が確立していく。けれどもshamanismにおいて根本的問題は、つねにそのUrphaenomenにおいて求められねばならない。それが方法化され、techniqueと化したものも、このUrphaenomenの見地から見ることによって、よりよく理解されるであろう。
 shamanismの根本の原理は、あらゆる肉体的、心理的手段を駆して、この表象世界を瓦解させ、それに代わるあの世界の表象を現出させることにあると言えよう。その言わば自然のprocessにおいては、それはこの世界に挫折し、苦悩し、絶望することによる、生への意志の放棄によって、半ば狂気の状態において、見いだされるのである。shamanの志願者が、それほどに完璧な絶望者でない場合には、彼は言わば絶望をsimulateすることになる。彼は食を断ち、過酷な状態に身をおき、あたかも狂気のようにふるまう。あるいは、みずからを狂気に近い状態へと追いこんでいくのである。絶望者の自然的な狂気に対して、shamanの狂気は方法的な狂気であるといえる。絶望者はその絶望の真摯さにおいて、単なる社会的職能の望まれざる一つであるに過ぎないshamanとなることを、必ずしも望むわけではない。けれども彼は、shamanとなる自然の条件に身をおいていることになる。そのことがまた、社会環境によっては、一つの絶望となるであろう。それは絶望者がおのれの狂気をも、絶望の一つに数えあげるごときものである。狂気もまた最後の挫折であるから、そこには生への意志の最後の抵抗、この世界への未練を見ることが出来るであろう。けれどもまた、shamanismの職能として確立している社会環境では、社会的不適応者や絶望者は、死や精神病院への隔離にいたるかわりに、一つの公認された社会復帰の場を与えられているといえる。shamanは単なる精神病者や絶望者ではなく、社会的疎外から癒された、彼自身癒す者である(healed healer)。shamanは苦悩のspecialistであることによって、あらゆる苦悩を癒す権能を授けられるのである。
 shamanを志願するものは、すでに自然的素質において、苦悩に精通している者であるが、その修行において、かえって苦悩を悪化させねばならないことになろう。苦悩が極限に達し、絶望が飽和点に達した時、はじめてこの表象世界は全的に瓦解し、その瓦礫の中から、新しい表象世界が再構築されるであろう。それは単なる幻想ではない。それはその中に生への意志を包みこむだけの実在性を持った世界である。絶望者が、この世界から、その世界へと突破した瞬間に、あらゆる苦悩の癒しの道が開けるであろう。その瞬間から、彼はhealed healerとなるのである。

 (4)shamanの世界観

 shamanの表象世界を端的に表わすものは、あの世界への突破のKriseをなすecstasy状態における体験であるが、その神話的、伝承的、象徴的要素にいろどられた形而上的世界の分析に先立って、shamanの世界観がその間接的反映となって現われている、その独特の行動様式において、その世界についての予備的な暗示を得ることができるであろう。shamanがこの世界からあの世界へ突破して、再構築された表象世界にとどまっていられるのは、ecstasyの間に限られているのであるが、その体験はいわば別世界の存在の消しがたい刻印となって、彼の中に記され、さらに彼の戻って来たこの世界の上に、他界の影として投影されるであろう。彼はもはやこの世界を、単にこの世界とは見ないであろう。彼は確かにこの世界に生きる存在として定められてはいるが、同時に他の世界の実在の保証を、自己自身のうちにもつ人間である。彼はこの世界の表象のうちに、かつて見なかったものを見るようになるであろう。shamanの世界観の特徴として、まず表われるものは、元来種の保存と密接に結びついている表象世界において、種の限界がとり払われ、生命との一体感、万物との共感が、人間と同等のレベルで行なわれることである。彼は鳥の言葉を聞き、獣と語らい、木々の対話に耳をかたむけ、風を呼び寄せ、大地の力をみずからのものとする。このことは元来、人間を含めた動物にとって、表象世界が生への意志に奉仕する認識の手段にすぎない、限られた範囲の意味しか持たないものであることとは、まったく対立し、そのことによって、あたかも精神の未発達な、空想的なレベルにあるものと考えられがちである。けれども表象世界の認識において、種の限界、個体の限界を超えることは、かえってそこに単に功利的、動物的でない、超越的な認識が働いていなければならないであろう。あらゆる生命の一体感は、人間が種の限界、個体の限界にとらわれた、動物的認識にとどまっているかぎりは、決して到達されないものである。shamanはいかにしてこの認識に到達するのであるか。それはecstasyにおける別世界構築の体験において認識されたものの、この世界における反映であるといえよう。彼はecstasyにおいてこの世界を瓦解させた瞬間に、全宇宙の存在と一体化するといえる。彼が交渉するものは、単に神々や祖先の霊ばかりでなく、この宇宙のあらゆる存在が、彼に対して心を開くのであるといえる。そのAll-Einheitの瞬間こそは、shamanismをはじめ、あらゆるMystikの究極の到達点であるといえる。shamanismにおいては、それは次の瞬間に直ちに神々の世界、死後の世界といった、伝承的な内容によって規定された表象世界の構築へとおもむくであろう。けれども、それらの伝承的な表象によっても、ecstasyがこの世界を突破する真のecstasyであるかぎりは、その核心をなす認識は覆われることはないであろう。
 shamanの獲得する認識がいかなる性質の認識であるかを明らかにするためには、そもそも新たな次元の認識が可能になるためには、人間に与えられていなければならない遺伝情報がいかなるものであるかを、考えるのが近道であろう。精神の発展段階において、画期的な区切りをなすものは、一般に考えられるように、猿から人への進化ではなく、まして文明の進歩でもないであろう。動物の精神は、表象能力の発展過程にかかわらず、基本的には同一の原理によって動かされるものと見なすことができる。それは活動のための精神であり、そのために個体化へと向かう精神である。それゆえに精神の発展の画期的分岐点をなすものは、植物のそれと、動物のそれとの分化であると見ることができる。植物的精神は、その電気的反射の研究において明らかにされたように、あらゆる生命との共感において成り立っている。植物の精神は、たえず他の生命との一体感の中に共振していると言える。そして植物的生はまた、動物においてもその根幹をなす部分を構成している。けれども動物においては、植物的精神は動物的生を導く動物的精神によって圧倒されて、つねに可能性として潜在しているに過ぎないであろう。shamanが動物的精神を解体させることによって、おのれの中から呼び出すものは、まさにこの眠れる可能性としての植物的精神にほかならないであろう。このことはshamanの天界飛翔、神々との交流とは矛盾するかのように見えるけれども、植物こそはまさに、その絶えざる努力によって、確固たる上昇への意志を主張する存在であると言えるのである。その根は黄泉に発し、その頂は光の世界の彼方に達するのである。shamanismのみならず、多くの宗教が、その究極の到達点における主張として、なんらかの植物を欠かすことがまれであるのは(世界樹、蓮、もみ、沙羅双樹、白樺、等)、植物精神との関連を暗示するというよりも、むしろ端的に宗教体験の実相を主張しているものと言えるであろう。

 (5)shamanと巫覡

 shaman=magicianといわゆるmedium(巫覡フゲキ・男女の巫)とを区別するものは、共同体の中でのその職能の見地からは求められないとすれば、もっぱら彼らの他界の体験に対する心理的態度に求められるほかはないであろう。shaman=magicianはそのecstasyないしtranceの状態において、つねにある程度の自己意識、自己自身の体験に対する主体のcontrolを保っていなければならない。彼はいわば、他界の表象世界をみずから生きる存在である。それに対して、単なる巫は、すでに伝承的な他界観念の支配のうちに、自己自身を没入させ、無意識状態において、自己をもっぱら他界の力の駆使にゆだねるpassiveな存在でしかない。それを特徴づけるものが、他界との関係におけるpossetion、神おろし、憑依、等々の、使役されることによって、使役する他界と共同体との間の交通手段の、文字どおりの媒介mediumでしかないことを表わす言葉である。もし自然物や山や祭具などに、神を下ろすことが可能であるならば、巫が神おろしの道具として、それらと異なるところは、どこにあるであろうか。もちろん巫とそれらの道具との関係は比喩に過ぎず、巫の存在がそれらの道具の有効性の前提とはなるであろう。けれども、基本的に巫は道具の中の道具に過ぎないものと見なされるのである。しかし巫が神おろしの道具たりうることは、さらにそもそも、神おろしの観念が可能であるためには、そこにすでに他界の観念が前提されるのである。そしてこの他界の表象こそは、本来のshamanのecstasy体験において実現された世界の表象にほかならないのである。それが伝承化され、神話化することによって、shamanの本来の表象世界の創造者としての意義は薄れていったのであるといえる。巫は、創造性を失ったshamanの化石した姿であるといえよう。他界と共同体との間の、化石化の圧力のなかで、shaman=magicianは両者の間で二重に使役される、単なる道具としての存在に退化していったのであるといえる。

 (6)Shamanism & Cosmology

“In the archaic cultures communication between sky and earth is ordinarily used to send offerings to the celestial gods and not for a concrete and personal ascent; the latter remains the prerogative of shamans.・・・Only they transform a cosmo-theological concept into a concrete mystical experience.”
“After the interruption of the easy communication that, at the dawn of time, existed between mankinds and gods, certain priviledged beings (and first of all the shamans) preserved the power to actualize, for their own persons, the connection with the upper regions.”
“The shamans did not create the cosmology, the mythology, and the theology of their respective tribes; they only interialized it, “experienced " it, and used it as the itinerary for their ecstatic journeys.”
 ――Eliade:Shamanism p.265-266

 他界観念の発生とshamanismとを切りはなして考えるEliade(エリアード)の立場からは、shamanismの宗教体験のUrphaenomenとしての性格は失われてしまうであろう。そこには表象の創造者としてのshamanのecstasy体験の軽視が、あるように思われる。すでに歴史上、記録上のshamanが、既存のcosmology、mythologyを背景としており、それらの継承者の役をもになうことから、ただちにshamanのecstasy体験と他界の観念の創造のはたらきとを別のものとする結論はでてこず、少なくとも他界の表象の発生の有力な起源として、shamanのecstasy体験は他のもろもろの説明に並ぶばかりか、その最も重要な要素とみなされるべきであろう。他界の観念が単なるimaginationにとどまらず、実在の体験とみなされるのでなければ、それは一般の人間はおろか、shaman自身に対しても、ほとんど宗教的な影響力を及ぼすことができないであろう。
 他界の表象が単なるmythology でもtheologyでもなく、宇宙の実相として人の想像に意識されるためには、この世界とは異なったparallelな世界の存在が、実在として体験されていなければならない。その体験をなしうるある少数の者の権威にもとづいて、あらゆるmythology、theology、そしてcosmologyは構築されるのでなければ、それらはいかなる実在の根拠をも持たないことになるであろう。かくしてmythologyおよびcosmologyからshamanismを説明することは、すでに歴史化したshamanismの姿を見るにすぎず、その説明自体が元来shamanの体験にいずるものであることを考慮しないのである。
 たとえば、かつて天と地との交流が自由におこなわれた楽園の時代があったとし、両世界の交通が閉ざされたのちに、ただ選ばれた者のみが特権として原初の自由を回復することが許されるとする、shamanismの起源についての神話的説明は、天と地の交流の観念がすでに前提とされている故に、説明すべきものから説明する循環におちいっているのである。天と地の交流の観念は、shamanismとは別個の表象活動にもとめるとしたところで、それを体験的事実となしうるものをshamanとするかぎりにおいて、天地の交流はshamanの表象的創造において、はじめて実質性を持ちうるものとなる。体験の領域に属さないものは、単なる神話に過ぎず、それゆえに古代人の世界観は今人にとって神話に過ぎないのである。shaman以前の天と地は、単に目に映るままの天と地に過ぎず、単なる想像によっては、それを目に見えない存在によって満たすことは不可能である。想像を実在体験に変えるshamanのecstasyにおいて、はじめて、目に見えないものもまた実在の持つ影響力に匹敵する作用をもって、想像力に働きかけることが可能となる。

  *     *     *

 Von der Leibnizschen Monadologie
   ――ライプニッツのモナドロジーをめぐって


 Monadologieのparadoxは、異なった次元の思索を、共通の次元において考えようとする困難にあるように思われる。その根底には単一と多(Einheit & Vielheit)の問題がある。atomismにおいては、もはや分割されないとされるatomは、それが延長を持つかぎりは、さらに無限に分割されていく。Zenonが示したように、自然界のものにおいては、それが延長を持つかぎりは、もはや分割されない単一の存在、延長を持たない点のごときものは、想像されえないのである。他方意識は、それ自身において単一の意識を持つことは明らかである。私はcogitoとしての私自身を認識するかぎりにおいて、単一な存在としての私をそこに見いだす。しかもEinfachheitとしての私の意識の存在は、単にklarかつdeutlichであるばかりでなく、認識の最も高い意味においてのadequatでかつintuitivな確実性の意識を伴っている。Descartesにおける認識の出発点は、しかしLeibnizにおいては、ただちに存在論の出発点である。意識は彼によればperceptionのgradeを持つ。それは認識のdunkelな状態から、Klarheit,Deutlichkeit,Adaequatheit,さらにIntuitionにいたる階梯をなす。すなわちcogitoとしての意識は、einfachでありながら、その質ないし状態においてはVielheitであるところの存在である。ここに単一と多との模範的な共存が示されうることになる。
 けれども、ここにおける単一と多との関係は、もっぱら意識の質の状態において見いだされた共存の関係であり、それがただちに延長の世界、あるいは時間空間において現われた世界へと、適用されていくところに、Monadologieのparadoxと困難が生じてくるようである。物の世界においては、単一と多の関係は、ただちに量の関係にひるがえされてしまう。もしmonadeが物の世界においても単一な単位でありうるならば、それは延長を持たなければならないことになる。延長を持つかぎり、それは単一な存在ではありえない。けれどもmonadeが延長を持たないとするならば、それはこの世界の量的に複合された姿を、決して説明することができない。この世界の複合性、多様性は、意識の質的な多様性、複合性によっては、たんにAnalogieとしてのほかには説明されえないからである。そこで確かに単一と多との関係を意識においては確立することができたものの、それをただちにものの現象の世界の原理とすることは、ただいずれの世界にも混乱を引き起こすだけにおわるであろう。それを予定調和の美名のもとに覆ってみても、根本のparadox、困難は解決されないであろう。
 両世界の混同から来るLeibnizのいま一つの難点は、monadeが無数に存在すると考えることである。それは単一的存在をこの世界の単位と考えることによって、当然帰結する考えである。彼は、単一の存在が同時に唯一の存在であるとする独我論は、夢にも思わなかったであろう。そこでMonadologieとatomismの奇妙な混交が生じることになる。monadeが延長のない点としての、独立した世界の中心であるならば、それはいかにして他のmonadeの存在を知るのであるか。この困難を解決するために、彼は各monadeに付属物としての身体を与えたのであろう。なぜならmonadeが他のmonadeの存在を認め合うのは、自己および他の身体の認識においてのほかはないであろうから。神だけが身体を持たない純粋のmonadeであるとされる。けれどもmonadeとmonadeの関係が身体と身体の関係であるならば、それは自然界のmechanismにおける関係にひるがえされうるものであり、その関係は量的な認識に媒介されるものである。monadeの表象において、何故におのれのものとされる身体の表象に、特別の位置を与えねばならないか。もし私の世界がもっぱら質的な多様であるならば、私は私の身体と、私の身体でないものとを、見分けることができるであろうか。monadeが身体を持つとするならば、それは全宇宙がそのままmonadeの身体であるべきではないか。異なった次元との混同において、私はこの身体のみを、私の身体とするのではないか。
 けれどもUrmonadeである神が、身体を持たないように、全宇宙を身体とする私の身体は、それをもはや身体と呼ぶことはできないであろう。全宇宙が私の身体である時、私はもはや私の外に世界を持たず、私は私自身ともっぱら内的に一致した存在であるだろう。それに対して、わたしがIndividuumとしての私の身体を見いだす時に、はじめて私の外に世界が広がるであろう。すなわち身体を伴ったmonadeは、その本来の次元とはまったく異なった次元に、おのれを見いだすことであろう。その意味で身体は、二つの世界の間を媒介する表象である。私は身体と同時に、そこに無数の中の一、Individuumとしての私を見いだす。けれども私がIndividuumとして、身体としてこの世界に投げ出されていないならば、またこの多としての世界も存在しないのである。いわばmonadeとしての私は、私自身の中の多様な表象内容を見るためには、私自身をIndividuumとして、その中にincarnateしなければならないのである。なんとなれば、身体とは、つねに見るところの主体にほかならないからである。全宇宙は身体に対して現われることによって、はじめて認識の対象となる。そして全宇宙に対して身体としての私を見いだすことによって、はじめて自己認識が可能になる。そしてさらに、世界と私との認識において、私自身がKarmaにおいて創造した世界の姿、すなわち、とりもなおさず、私自身の姿が明らかになるのである。その認識において、はじめて私は私自身から自由になることができる。自由な創造者としての私の自由を行使することができる。私は私の世界を否定することも、肯定することも自由である。そしてこの自由の意識に到達するために、私はまず私自身を一個の身体として、Individuumとして、私自身の表象の中の特別な表象として、現わし出さなければならず、それによって私自身と私の世界についての、認識へと至らねばならなかったのである。すなわち自由へのDrangこそが、私をしてこの世界におけるIndividuumとしての存在の姿を取らしめたのである。
 このように見る時、monadeと身体の関係は、明瞭なものとなるであろう。monadeは自己自身から表象を生みだすばかりではなく、自己自身表象として生みだされるのである。延長のない点である、あるいは純粋意識であるmonadeは、たんに質における多様をうちに含むに過ぎず、自己が自己自身に一致した状態であるといえる。monadeの世界が量における多様として現われうるためには、monadeは自己自身を量的な単一において映し出さなければならない。量的な単一とは、すなわち多の中の一にほかならない。すなわち多を含んだ一である(独立的)存在が、多の中の一となるParadoxにおいて、monadeの自己認識はなされうるのである。身体はmonadeの自己認識におけるpoint de vueである。いわば自己自身のうちに向かって垂れ下がった触手である。そしてmonadeが他のmonadeの存在を認めうるとすれば、それは他の身体の存在においてのほかはないであろう。けれども可能的な無数のpoint de vueの中から、ただ一つこの身体のみが私の視点として現われてくるのである。もし私の身体がmonadeそのものであるならば、たしかにそれら無数の視点としての身体は、無数の他のmonadeでありうるだろう。けれども無数のpoint de vueの可能性は、唯一のmonadeとしての私の世界における、私の視点の可能性に過ぎなくもあろう。私は私のpoint de vueを、他の可能的なpoint de vueと対決させることによってのみ、私と私の世界についての自己認識をなしうるのである。この唯一の私を、無数の視点の中の唯一の視点とすることによって、私は私の認識を可能にすると同時に、私の認識を完成するのであり、そしてそれによって私の自由への自己救済へと到達しうるのである。そこに身体的存在としての私の自我の究極の意味があると同時に、私の唯一性、絶対性が、その相対性によって損なわれることのない、究極の根拠があるであろう。
 もし他の身体が他のmonadeの存在を表わすのであるならば、私の創造した表象がなにゆえに他のmonadeのそれと一致するのか。予定調和をもちだすのでもなければ、表象の自発性を否定するほかはないであろう。またもし汎神論的に、あらゆるpoint de vueを、すべて一つの意識の多様な現われと見るならば、何ゆえにこの私があの私ではなく、ただこの私であるかが、説明できないであろう。この私とあの私は、少なくとも私の意識の質においては同一であるはずであり、私は単なる感情移入によってではなく、ただちにあの私になることが出来るはずである。この私は唯一独自な私であるばかりでなく、無数の可能性の中で、唯一実現された私であると言うことができよう。そしてその実現のためには、無数の私の可能性が、同時になければならなかったのである。

     *    *    *

 天動説幻想

 1、天球論

 “かの堅くして鋳たる鏡のごとくなる蒼穹(そら)”――ヨブ記37−18
 “大空を薄絹のごとく布き、これを住むべき幕屋のごとく張り給う”――イザヤ書40−22

 天は天体を散りばめた球状あるいは蓋状の<もの>であるという観念、無限の空間、何もない場所としての天の観念に先立って、物質的個体性をともなった、透明な物体としての天の観念があったであろう。しかもそれは二重の表象でありうる。一つには太陽とともに現われる青空または燃える天であり、一つは夜の星と月との背景である暗黒の天である。一方は生命の天であり、他方は死者の天である。死者は死して星となり、生命とその営みに必要な火は、太陽からもたらされる。暗黒の天と光の天とが同一の天であることが理解されるまでには、天文知識の十分な発達が必要であっただろう。
 天において最初にその運行の見いだされる天体は太陽である。これはすでに昆虫や鳥でさえ、適確な認識をすることができる。けれども太陽と異なった天の意識は、動物にはないであろう。天とは太陽の存在によって知られる方向にすぎない。原始人の表象も、このようなものに過ぎなかったであろう。このような方向の表象から、次第に生じた天の観念は、蓋天のそれであったろう。太陽のないところに、天はないのである。けれども次第に他の天体の存在、とりわけ月の存在が意識されるようになるにつれ、月の運行する天が、太陽のそれと対比されてくるであろう。月さらに星の現われる天は、どのようにして太陽の天と替わるのであろうか。日没とともに天そのものが消失する動物の表象とは異なって、日没とともにそこに夜の天が表象されるならば、それはどのような仕方で表象されるのであるか。
 一つにはそれは単純なる消失による交替であろう。いわば天のvaultが張り替えられるようなものである。この場合、天は動かず、日々交替する昼の天と夜の天の上を、太陽と月と星が、なんらかの仕方で運行することになる。けれどもさらに観察が進むと、昼の天と夜の天とが、連続して移り変わっていくことが気づかれるであろう。天そのものが回転して、一方の天を他方の天が押しやっていく。回転する天の観念がそこに生まれる。太陽や月や星は、ただ回転する天に張りついて、ともに動くに過ぎない。
 けれども昼の天と夜の天とを、大地を取り巻くただ一つの天球であるとするや、ただちに困難が見いだされる。すべての天体が、ただ一つの天球に固定されてはいないからである。まず太陽と月との顕著な位置の変化、位相の変化が気づかれたであろう。さらに観察が進むと、太陽と他の星との位置関係の変化も気づかれたであろう。二つの考え方が可能であろう。一つは唯一の天球を考え、その上に張りついて動かぬものと、なんらかの理由で動きまわる天体とを区別すること。また一つは、独自に動く天体ごとに、固有の天球を考えること。あとの考えは、遊星が発見され、その停留や逆行を説明するためには、はなはだやっかいな問題を惹き起こすであろう。唯一の天球を考える場合、どの天球を唯一とするかが問題となろう。じっさい恒星と太陽と月と、どの天体の天球をも唯一とすることが可能であろう。

 2、中心の意識

 現代宇宙論においては、世界には始まりはあっても、中心はない。宇宙の初発の状態が、わずか数ミリの空間に押し込められてあるとしても、その一点が宇宙の中心として、ここやあそこの特定の場所にあるのではない。宇宙そのものが、数ミリの大きさしかなく、宇宙はその数ミリの外に出でないのである。客観的にこの宇宙にいかなる中心もないのであるならば、中心の観念はいかにして生じたのであるか。それは意識的存在においてはじめて可能となる、宇宙についての観念であろう。中心とは中心の意識にほかならない。中心の意識は、意識に本来備わった中心への志向、あるいは中心のcategoryであると言えよう。それ故に、意識的存在はつねに世界を中心の観点からとらえようとする。それは単に身体の観点にとどまらない。意識がその視点をおく世界のいかなるaspectも、意識にとって世界の中心となりうるのである。その意味では意識的存在は、なんらかの《中心世界観》から逃れがたい条件にあると言える。
 geocentricもheliocentricも、ともに中心の観念からまぬかれてはいない。さらにour galaxcyにせよ、our universeにせよ、根底には意識的存在の中心のcategoryが横たわっている。AristotleもKantも、この中心のカテゴリーには注意を払わなかったようである。場所および時のcategoryがそれに近いであろうが、十分に他の観点に対する排他性と同時に、その相対性を表わしていない。一つの観点は他の諸観点に対して排他的でありながら、それ自身いつでも他の観点に中心の位置をゆずりうるのである。一つの円の中心はその円の中点であるが、他の円がそれと比較される時、もはや意識の観点はそれにのみとどまってはいない。あるいは円と円とのつりあいの点が中心となるであろう。あるいは一方の円が、他方の円を中心として、回転するものと見なされるであろう。意識はいたるところに中心を求めてやまぬであろう。そして、ついにその根拠が客観世界において見いだされることが出来ないものであるとするならば、その根拠はもっぱら意識の中に求められねばならないであろう。
 意識はつねに統一の意識である。統一の意識とは、つねに中心を持った意識である。意識の統一そのものは、先験的であるから、意識の中心もじつは意識においては現われてこないであろう。私が私の意識の中心として見るものは、私の意識の中心が客観世界において、投影され、現われた姿である。従って、私は客観世界のいたるところに私の意識の中心を見いだすことが出来るが、それらすべての視点を統一する意識の先験的視点にさかのぼることだけは、少なくとも客観的な方法においては不可能である。言いかえれば、絶対的統一は意識の存在そのものであり、私の身体をふくめて、世界のあれやこれやの対象の中に、私の意識の中心があるのではない。それはあたかも、世界にもし中心があるならば、それは世界の絶対的統一の観点において可能となる中心でなければならないのと同様である。ただ一つの中心において存在する私の意識が、無限の私へと分散し、展開する姿が、この世界の客観的姿であると言えよう。

 3、天動説geocentric universe――古代人の想像力の形

 天球がただ恒星天のみであって、太陽も月も惑星も、みな天球に固定されて、恒星とともに等しく運動する定めであったならば、人々は天球の回転についていかなる疑問もいだかずに来たであろう。それはただ回転する円屋根のごときものであり、その回転そのものが屋根の回転に起因するものか、地の回転に起因するものかの問題は、もし立てられたとしても、まったく瑣末なものでしかなかったであろう。ところが天体の中には、天球の運動とは一様でない運動をするものが見つかる。それも人間生活にとっては非常に顕著な、影響の大きい天体がそれに属する。天球運動の最初に見いだされた変則は、おそらく月のそれであろう。月がもし一定の位置に、しかも太陽から遠からぬ位置に固定されてあるならば、その存在はほとんど注意をひかないであろう。月が太陽に対してつねに位相を変化させていることは、天球の不変の運動に対する著しい違反であった。そして月の運動に注意するうちに、天球の背景をなす星座との位置関係が気づかれてきたことであろう。そして太陽と月、昼と夜の関係が理解されるにつれ、両者の関係が背景の恒星天において変化していくことが、見いだされていったことであろう。すなわち唯一の天球上を独自に動くものは、月ばかりでなく、太陽もまたその一つであった。
 この関係は、非常に驚異的な感情を、古代人の心に呼びおこしたことであろう。天球が地の上を巡ることは、それほど不思議なことではないであろう。日々の昼夜の交替によって、それはいわば生得的な観念に近いものとなって、無条件に受け入れさせるであろう。けれども月や太陽が、天球の他の天体と独自な動きをしなければならない理由は、まったく生得的には理解できないことである。何ゆえに月は、いつでも満月の状態にとどまっていないのか。何ゆえに太陽は、天球の一定の高さ、場所にとどまっていないで、少しずつ恒星の間を動いていくのであるか。そこに古代人は何か超自然的な、神意のようなものを感じたであろうことは、容易に想像される。
 ナイルの氾濫の前になって、天狼星が夜明けの空に、その告知に現われる。もし太陽が恒星の間を進み、その告知の準備をするのでなければ、この奇蹟はありえないであろう。古代人は月や太陽の動きを、単なる気まぐれとは受けとらなかったであろう。それは地上の出来事に恩恵を与えるための、神々の配慮なのである。月の動きは暦を与え、太陽の動きは季節を与える。月が日々において異なった形をとらなかったならば、いかにして一日と一日の間を区別することができよう。太陽が星の間を動かなかったならば、いかにして季節の到来を知ることができよう(彼らは必ずしも太陽の高度差を季節の原因とは考えなかったであろう)。天球における天体の動きは、そのまま神意の現われである。
 geocentricな宇宙観は、元来がこのような天体の神的表象と切りはなせないものである。それは天体の運動が人々の日常活動に密接に結びつくが故に、その地上の生活の観点から見られた、宇宙観であるといえよう。それに対して、heliocentricな宇宙観は、この地上の生活から見て、まったく無意味な、愚者の思弁に思われたことであろう。天動説はいわば、古代・中世の社会の生産様式のうえにはじめて成り立ちうるideologyなのであり、科学が生産上の想像力と密接に結びついた形であるといえよう。月や太陽の運行が、人々の日々の活動に重要な影響を及ぼすことによって、単なる気まぐれではなく、神意の現われと考えられたのであるから、その運行はもっぱら地上に対して関係を持つものと考えられたのは当然である。それは天体の物理的な運行というよりも、むしろ超自然的な存在が天球の現象を借りて現わしだす、signのごときものと感じられたであろう。それ故に天体の観測は、神意を量るための神聖な業務であった。
 恒星天は神意をあらわにし、解釈を援けるための書割のごとき役割をはたす。太陽および月の通る道にそって、最初に星座が作られたのであった。ついで太陽と月のほかにも、恒星天とは独立した動きをする天体が発見される。それら五惑星は、もちろん太陽と月ほどには地上の生活に直接の影響を及ぼしはしないのであるが、すでに太陽と月とにおける絶対的な神意の現われよりかんがみて、それらがまったく無意味な気まぐれから、恒星天とは異なった運動を持つものとは、とうてい考えがたいであろう。それらもまた地上の生活となんらかの関係を持って、天球上を運行しているにちがいないのである。
 例えば、木星は安定した光輝と12年という周期によって(古代中国では木星の12年を一周期とし、5回巡るともとにもどる還暦とした)、また火星はその赤色の光と気まぐれな動きによって、想像力に強く働きかけ、地上の出来事との関連が求められたことであろう。Tycho(ティコ)の言うごとく、“Was koennte Ungeeigneteres und Abgeschmackteres ueber Gott gedacht werden, als dass er dieses grossartige und bebundernswerte Schauspiel aller Himmel und so vieler leuchtender Sterne vergeblich und fuer keinen Gebrauch hergestellt habe?”(この偉大にして賛嘆に値する、天と無数の輝く星々の景観を、神がむだに、なんの役にも立たせずに創造したとするのは、神についてこれほど不適切な、無趣味な考えがあるだろうか。)古代人はもちろん、このように感じる理由を、はるかに多くもっていたであろう。月や太陽が月日や季節の移ろいを、その比較的正確な運行によって告知するように、五惑星の不規則な動きはまた、人事の転変常ならぬ出来事を告知するように思われたことであろう。さもなければ惑星は、何ゆえに恒星天と異なった運動をしなければならないか。惑星がまったく無意味に、独自の運動をするということは、想像さえされなかったであろう。
 heliocentricな宇宙観を立てることによって、五惑星の運行を地上にとってまったく無意味と化してしまう可能性を考えたのはギリシャ人であるが、まさにその無意味さの故に、一般には受け入れられなかったのである。天文学は学問的であるとともに、また地上の生活にとって有意味でなければならなかった。Almagestの著者がtetra biblos(占星術書)の著者でもあるのは、その故である。geocentricな宇宙観、すなわち天動説は、がんらい占星思想と切りはなすことができないであろう。占星思想とは、そもそもにおいて天体の運行を神意の現われと見ることである。天体観測とは、がんらい神々の地上に対して現わし示したsignを読み取ることにほかならない。そこにはいかなる気まぐれも、無意味もないのである。ただ天体のsignを読み取るだけの能力と努力とが、人間に要求されるのである。そこに古代天文学の占トとしての顔と、学としての顔がある。
 geocentricな宇宙観からheliocentricなそれへの移行は、同時に天文学における占ト的な要素からの決定的な決別である。天界の現象の研究は、地上の人事にとってまったく無意味でありうることを承認することである。こうして学としての天動説はほうむりさられたが、それの占めていた人間的関心の部分は、現代の天動説、すなわちgeocentricな宇宙観であるastrologyとして生き残ったのである。
 古代ギリシャの宇宙観においては、学としての天文学が、神意の現われとしての占星思想と独立に発展し、分化する過程と、その学的純化の限界が見られるであろう。古代ギリシャ天文学の発展は、基本的には二つの考え方の確信にもとづくであろう。一つは天体の運行の円軌道の観念、すなわち天球sphereの観念であり、一つはそれと関係した地球球形説である。ターレスにおいては、いまだ天球は半球の状態であり、地球は平面状である。アナクシマンドロスの宇宙体系においては、地球は円筒形ではあるが、それを巡る天体は、円運動するものとされる。そこでは天球運動の基本である恒星天は、地から最も近い天球上にある。もし速度の考えに立つならば、最も早い速度で回転する恒星天を、最も内側におくことは考えうるであろう。恒星天の回転が、他の天体の回転運動の基本であることに変わりはない。ピュタゴラス派のフィロラオスの宇宙体系においては、地球は球形であり、しかも対地球とともに、透明な中心火の回りを公転する。しかも一公転の間に、月のように一自転するから、これによって天界の日周運動が説明されてしまう。すなわち恒星天は不動の球面であることになる。けれどもフィロラオス自身は、恒星天をも回転させている。天体の運行、ひいては宇宙の構造が、超自然的存在の神意の現われであるならば、その神意を解釈することによって、天界の構造も逆に構成されうるであろう。数の調和が神的原理そのものであるならば、同じ調和は必ずや天界の構造にも現われていることであろう。中心火をめぐる天体の数は、10でなければならないのである。占ト的思想が、逆に宇宙の構造を決定することになる。

 4、天球の幾何学

 天体の運動を予測するには、一つの天球では足りないことが気づかれた。そもそも天体の運動もしくは回転を、天球に固定させて考えることが、古代人の基本的な発想であった。天球がある種の物質である(たとえどのように霊妙なものであれ)という直観から、離れることができなかったのである。エウドクソスの同心球説を始めとして、偏心円(離心円)説、それに基づく周転円の考えなどによって、天球の数は各天体ごとに複数与えられる。エウドクソスでは全体で27の天球、アリストテレスでは56、周転円説ではさらに多いであろう。プラトンは、天体の見かけの不規則な運動を、一様な円運動に還元させることを天文学に要求していたが、プトレマイオスのアルマゲストがその完成であった。天体のあらゆる複雑で微妙な現象を、複数の天球の幾何学によって、数理的に解明しようとするのが、天動説の本領であった。
 そもそも、古代の天文学者が、そのような複数の天球が実在すると考えたのかどうかは、また別の問題であろう。天球の幾何学は、天体の不可思議なふるまいを合理的に説明するための、単なる補助手段とみてもよいわけである。「プトレマイオスの宇宙体系は、彼の観測の精度内で現象とよく一致した。なるほど、このようなしかたで積み重ねていけば、宇宙建築はどのようにでも竣工するであろう。しかし落成の暁において、累卵の危うさを呈するにいたる。そこには幾何学だけがあって、力学がない」(島村福太郎「天文学史」)のである。
 近世にいたって、天動説のこのような天球を捨象して、偏心球や周転円ではなく、天体そのものを運動させ、軌道を描かせることによって、最終的に地動説を経て、楕円軌道に到達したわけである。ケプラー、ガリレオ、ニュートンによる力学への転向である。天動説は、球面天文学としてのみ残った。あるいは占星術として、古代の命脈をつないでいる。



Up:2024.3.21 ; 4.13天動説幻想
入力:マリネンコ文学の城
copyright: shu kai 2024