世界の酒       ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第十二回  奈良の酒

                              2007.3.31

 

三月末、奈良に遊んだ。西ノ京、郡山、斑鳩と歩き、また山の辺の道にも出かけ、春を楽しんだ。桜は種類によってずいぶんと開花の時期に差があり、すでに散ってしまったもの、満開のもの、これから咲こうとするものとあり、驚いたのは、梅もいくつか残っていた。桃もやさしく力強く、艶やかである。そして私の好きな、それこそが万葉を代表する花だと思う馬酔木が、神社仏閣の境内や人家の庭先に咲き誇っていた。垣根にはあけびやぐみが可憐な花を咲かせていた。

そこで旨い酒に出会った。中世の酒である。「菩提もとの酒」とあり、室町時代に、奈良菩提山にある正暦寺で醸造されていた酒を復活させたものである。宣伝文句を引用すれば、「正暦寺領の米と水を用い境内より分離した『正暦寺乳酸菌・正暦寺酵母』の働きにより、もとを造り、これに近代醸造法を融合させた奈良県独自の地域特性のある濃醇旨口の純米酒」である。

 私がここで惹かれたのは、まず、寺の酒であるということだ。奈良市の東南部、山のふもとにあるこの寺の境内には碑があって、「日本清酒発祥の地」とある。まさにここから清酒が生まれた。今はその面影すらないが、ここはかつては120もの塔頭寺院が山内に置かれていた、いわば寺のコンプレックスで、たくさんの僧が住んでいたはずである。そしてその僧たちが、乳酸菌と酵母を育て、酒作り技術を伝えてきたのである。

 ヨーロッパでも、ワインとビールは教会や修道院で製造されてきた。すでに書いたように、ミュンヘンは、その町の名の語源はmonkであり、修道院の町として発達してきており、そこにビール文化が花咲いた。あるいは私は、ライン川やモーゼル川に沿って歩き回り、教会が広大な葡萄畑を持っていて、その教会の名を冠したワインが作られているのを見、そしてそのワインを味わってきた。キリスト教にとってワインは必須であったし、ビールは「飲むパン」であり、修道僧にとっては、必需品である。そしてそれは、日本においても同じであった。もっとも宗教と酒の関係はそれほど単純ではなく、そのことについては、これから一年間かけて、ゆっくりと解明して行きたいと思っている。(ちなみに連載一年、方針をたてずに始めた企画だが、段々と本気になって、もう少し続けたいと思う。)

もうひとつは、乳酸菌を活用しているということだ。酒は、米のでんぷんを麹の力で糖に変え、さらに酵母の働きでアルコールに変える。原理はそれだけで、材料も、従って、米と水、それに麹と酵母だけである。しかしさらに、乳酸菌の役割は重要である。酵母を繁殖させる過程でどうしても雑菌が出て来る。そこで乳酸菌を活用して、雑菌の繁殖を抑える。乳酸菌が他の菌を死滅させ、さらに自らも自らの酸で死滅した後に、酵母が繁殖する、という順番で酒をつくるためのもとが作られる。そしてその乳酸菌が、酒をまろやかにする。必ずしも酒がすっぱくなる訳ではない。しろうとの私の作る酒は、実はかなり酸っぱいのだが、乳酸菌は、もとの段階で繁殖するに過ぎず、実際の醗酵の段階では、すでに死滅しているし、その役割は、酵母の繁殖率を高め、その死滅率を低める役割であって、その結果、酒は腰があって、それでいて軽やかなものとなる。それが酒の旨みとなる。

 これは中世の酒であり、今日の酒である。十数の酒造会社が競争して、寺の境内から作ったもとから、それぞれの酒を作っていて、私はそのうちのいくつかを飲んだ。どれもおいしい。まだ味の若いものもあり、まだ成長するかもしれない。酒は冬に作ったものを、夏を越して翌年から飲むのが旨いのだが、まだそのあたりの計算はこれからの課題だと思う。

旅の最後に、私は、天理から伸びている山の辺の道の最終地点近く、三輪にある大神神社を訪れた。ここは酒神少彦名命を祭り、境内には酒樽が積まれ、また賽銭箱の前には、カップ酒が供えられていた。倭(やまと)は酒のまほろば、山隠(ごも)れる、倭しうるわし。

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