■昆虫の翅
次に、昆虫の翅や鞘翅についてみて見ましょう。翅は3億年前の、水性節足動物に起源し、体節部(中胸節と後胸節)に1対ずつあった突起が巨大化したものです。翅はチョウ類で、鞘翅は甲虫などでなじみ深い、種独特の色や模様をもっています。
鞘翅は前翅が変化したもので、後翅の保護カバーになっていますが、構造は基本的に表皮の構造と同じです。比較的薄い層の外表皮(epicuticle)と厚い原表皮から成り、原表皮は外原表皮(exocuticle)と内原表皮(endocuticle)に分かれています。原表皮のクチクラは前述のようにコレステリック液晶と同じ構造をした複合体が重層した構造になっています。
翅は通常、蛹の時期に形成されます。翅になる部位(翅原基)は幼虫時に既に存在し、最終の終齢幼虫から蛹の時期に、この部位から袋状の平たい膜が伸びます。この膜に囲まれた上下の部分が接し、膜内部の空洞に気管や翅脈を作り翅となります。この膜の表皮細胞の一部が膜上に整列し鱗粉細胞とそれを固定するソケット細胞となります。ソケット細胞は鱗粉細胞を中心に囲んでおり、囲まれた鱗粉細胞から毛状の突起が次に出ます。この突起が扁平になりながら成長します。最終的にこの鱗粉細胞は死に、クチクラのみが残ります。これが鱗片です。従って、鱗片の1枚1枚がそれぞれ1個の細胞(感覚毛細胞)に由来します。鱗片は厚さが数ミクロンの極めて薄い板状をし(長さ0.2mm、幅0.1mm程度)、少しずつお互いに重なりあいながら翅を隙間無く覆います。また個々の鱗片は1枚1枚独立した色を持ち、周囲の鱗片とは色が異なります。
鱗片の表面は立体的に非常に複雑な構造になっており筋構造(リッジ)が鱗片の長軸方向に何本も並行に並んでいます。他方、裏側は平坦です。蝶の翅ではこの鱗片1枚毎に1色に発現し、配列する事で多彩な模様が表現されています。鱗粉は多彩な色を出すのみならず、体温調節(夏型や冬型など季節により色が異なる)や防水機能、また臭いを出す(発香鱗)役割も果たしています。例えば、春や気温が低い地域では、翅の色を暗色にして日光を集め、体温を上げます。一方、気温の高い地域や夏では翅色は薄くても体温は確保されます。このような背景でチョウの成虫は、季節に応じた翅の色や模様を変えるようになったと考えられています。これを季節型といいます。また鱗粉は生存上もおおきな役目を果たしています。多くの昆虫の鱗粉や細かい毛は身体から取れやすい構造になっているのです。これは毛や鱗粉を残すことで捕食者から逃れる役目を果たしているのです。ちなみにクモの網に捕らえられた時には、鱗粉や毛を網に残す事で通常の約半分の力で網から抜け出せるといわれています。但し例外はアゲハチョウです。アゲハチョウの鱗粉は翅にしっかりとつながっていますが、アゲハチョウは飛翔力が強く、身体も大きいために小さいクモの網は力ずくで破り抜け出すとの事です。
この鱗片の色は、色素による発色と、色素によらないでリッジの構造等による発色に大きく分かれます。鱗片に使用されている主な色素は通状、蝶の種類により異なります。メラニン色素、フラボノイド色素、プテリン色素、オモクローム色素、パピリオクローム色素など主に使われていますが、カロテノイド色素は鱗粉では使われていません(体色では用いられています)。シロチョウ科では白〜黄色の色はプテリジン、タテハチョウ科の赤い色にはオモクロームが、アゲハチョウ科やギフチョウ科の黄色にはパピリオクローム、ジャノメチョウやシジミチョウ科ではフラボノイド色素が各々用いられているのです。ちなみにパピリオクロームの“パピリオ”とはアゲハ蝶の属名です。
パピリオクロームについては詳しい事は不明ですが、オモクロームのようにトリプトファン代謝に関係するのみならず、チロシン代謝やアラニンなどとも関係しているようです。
この他、チョウの黒い鱗片の色はメラニン色素によります。これら鱗片の色素顆粒は表面のリッジやこれらを結ぶ構造体(リブ)に付着しています。なおシロチョウ科に属するチョウでは多量の尿酸も存在していますが、色は主にプテリジンにより発色しています。さらにオオモンシロチョウの翅の青色はピルベルジンというピリン系色素によるものです。またアオスジアゲハの翅の告ツ色の斑紋にもビリン系色素がみられます。またミロタイマイの翅の香A青、藤色やピンク色の斑紋はオモクロームとビリン系色素の重なりで出ている様です。
なお、オモクロームはアミノ酸であるトリプトファンから作られています。過剰なトリプトファンは発育を阻害しますが、昆虫では脊椎動物で保有しているトリプトファンを分解する代謝経路がありません。このため昆虫は過剰なトリプトファンをオモクロームに変え排出しますが、その一部を色素として蓄積しています。オモクロームは特にタテハハチョウ科の蝶の翅や排泄物に多く見られます。また昆虫で赤い眼をしている種がありますが、この色はオモクロームによるものです。単眼の周りの細胞に存在して、遮光の役目をしています。オモクロームは無脊椎動物にのみにみられる色素になっています。
オモクロームやパピリオクロームは生体の代謝と関係する物質です。いわば生体活動の老廃物ともいえます。ここで窒素の代謝について追加しますと、アミノ酸を代謝したあと、魚類ではアンモニア、人間は尿素として尿中に窒素を排出していますが、昆虫では鳥類と同じく、尿素ではなく水に不溶の尿酸として窒素成分を排出しています。シロチョウ科の蝶では蛹のときに尿酸が翅に多量に排出されています。この意味では昆虫の皮膚や翅は老廃物の蓄積所ともいえるかもしれません。