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<あらすじ>

 ニキヤはインドの寺院に仕える美しいバヤデール(舞姫)。ニキヤにはソロルという恋人がおり、二人は寺院の聖なる火に永遠の愛を誓ったが、勇士としての誉れ高いソロルはラジャに娘のガムザッティーと結婚するように命じられてしまった。最初は断ろうとしたソロルだったが、美しいガムザッティーに心を動かされ、ついにはラジャの命令に屈服してしまった。
 
 ニキヤに横恋慕する大僧正は、邪魔者ソロルを抹殺せんとして、ソロルがニキヤと恋仲である事をラジャに告げ口したが、大僧正の思惑とは裏腹にラジャはニキヤを邪魔者とし、抹殺する事を決意した。
 一方、一目でソロルに恋したガムザッティーは大僧正とラジャの話しを立ち聞きし、ニキヤを呼び出して、ソロルは私と結婚するのだから身をひいてくれと迫った。しかしニキヤは一歩も譲ろうとはせず、ついには強引に迫るガムザッティーに刃を向け、拒絶した。ガムザッティーは怒りに燃え、「ニキヤは死ぬわ」と言い捨てた。
 そしてソロルとガムザッティーの婚約式の日がやって来た。ニキヤは舞を舞うように命じられるが、その際に渡された花かごに毒蛇が仕込まれており、かまれたニキヤは息絶えた。

 ソロルは自責の念に苛まれ、阿片に溺れた。そして阿片の幻覚の中でニキヤの亡霊を見、影の王国に連れていかれ、再びニキヤと愛を確認するのだった。
 しかし現実の世界に戻ったソロルにはガムザッティーとの結婚式が待っていた。抜け殻のようになったソロルは式に臨むが、その時聖なる火への誓いを破った事に怒った神が寺院を崩壊させてしまい、そこにいた者はすべて瓦礫の下に埋め尽くされてしまった。そこへニキヤの亡霊が現れてソロルの魂を救い、天国へと導いていくのだった。




<詳しい物語>


第一幕・第一場 (深い森にある寺院)

 
 パゴダの前では、苦行僧マグダヴェヤがこれから行われる火の祭りに備えて準備をしている。そこへ虎狩の一行が来る物音がしたので、マグダヴェヤは一旦身を隠した。

 クシャトリヤ(王族・武人階級)の戦士ソロルは同じくクシャトリヤのトロラグヴァに、自分はこの寺院のバヤデールに用事があるから先に行ってくれるように、と言い、一行はソロルを残して立ち去った。一人になったソロルは手を叩いてマグダヴェヤを呼び出し、愛しいニキヤに逢引の約束を伝えるように、と言いつけた。マグダヴェヤは、ニキヤ様は神に仕えるバヤデール、そんなだいそれた事はもうごめんです、と断るが、ソロルはきつくいいつけ、自分は物陰にかくれて待つ事にした。



 その時、パゴダから僧たちが出て来た。火の祭りが始まるのだ。一番最後に出て来た大僧正はマグダヴェヤに聖なる火をおこすように言いつけた。マグダヴェヤが合図をするとたくさんの苦行僧たちが出て来て、聖なる火を燃え上がらせた。そこへバヤデール(舞姫)たちも出て来て、聖なる火の周りで舞を舞った(バヤデールたちの踊り)

 ひとしきり舞が終わると、大僧正が僧の一人に、「ニキヤがおらぬ、来るように命じよ。」と捜しにいかせた。その間に苦行僧たちは手に小刀を持ち、聖なる火を飛び越えながら踊った(苦行僧たちの踊り)。そしてその踊りが終わると、ヴェールをかぶったニキヤが現れた。大僧正がヴェールをとると、下から輝くばかりに美しい舞姫ニキヤが姿を現した。

※ この場面を見ると、ニキヤだけ特別な地位にいるバヤデールのように見えますが、そうではない、と思います。この後大僧正がニキヤに求愛しますが、その時に、「お前を寺院で最高位のバヤデールにしてやろう。だから私の愛に応えてくれ。」と昇進をエサに思い通りにしようとしていますから。なお、バヤデールには、デヴァダシ、ナッチェ、ヴェスチアトリシ、カンセニシの4階級があるそうです。ニキヤがどの階級なのかはよくわかりませんが…。(ボニング版CD 小倉重夫氏の解説より)

 
 大僧正は、舞で聖なる祭りを讃えなければならぬ、とニキヤに聖なる舞を命じた。(ニキヤのヴァリエーション)そしてニキヤが舞っている間中、大僧正はその美しい姿に魅せられるのだった。

 ニキヤの舞が終わった後も祭りは続き、苦行僧たちは火をあおり、バヤデールたちは舞を奉納し続けた。その一方、大僧正は聖職者としての誓約も地位も忘れ、冠さえ捧げてニキヤに求愛したが、ニキヤはきっぱりと拒絶した。大僧正は悶々とした思いだったが、祭りは一段落し、バヤデールたちは聖なる水を水瓶に満たして苦行僧たちに与え始めた。

 ニキヤも聖なる水の入った水瓶を手にし、逢引の連絡役であるマグダヴェヤに何食わぬ顔をして近づいた。マグダヴェヤは水をもらうふりをしながら密かにソロルが待っている事をニキヤに伝えた。ニキヤの顔はパッと輝いた。そして胸をときめかせながら他のバヤデールたちと共に一旦パゴダの中へ消えた。



 僧たちも引き上げ、一人になったので、マグダヴェヤはソロルを呼び、ニキヤに伝言を伝えたことを報告し、物陰に消えた。ソロルもマグダヴェヤと共に隠れた。

 誰もいなくなると、水瓶をかかえたニキヤが現れた。あたりを見回したが、ソロルが見当たらないので、ひとり恋心を表すかのように踊るのだった(ニキヤのヴァリエーション)。と、合図の手拍子が聞こえ、恋しいソロルの姿が見えた。ニキヤは駆け出して行き、幸せにあふれてその腕の中に飛び込んだ。(ニキヤとソロルのパ・ド・ドゥ)

 そこへ大僧正が通りかかり、抱き合っている二人の姿に気がついた。嫉妬と激しい怒りにかられながらも大僧正は柱の陰に身を隠し、二人の会話に耳をそばだてた。

 「二人でここから逃げて幸せになろう。」
 「お言葉に従います。でもこの聖なる火に誓っていただきたいのです、あなたのお心は私以外の誰のものでもない事を、そして命ある限り私を愛してくださる事を。」
 「誓うとも。神にかけて私は生涯あなたに誠を尽くすことを誓う。」
 「ああ、私は幸せよ。でもね、決してこの誓いをお忘れにならないで。もしあなたがこの誓いを忘れるような事があれば、ありとあらゆる不幸がふりかかる事でしょう。」



 そこへ見張りをしていたマグダヴェヤがやって来て、大僧正が覗き見をしている事を知らせた。ソロルはあわてて立ち去り、マグダヴェヤは隙を見てニキヤをパゴダの中へ帰らせ、自分も立ち去った。聖なる火の前で大僧正は嫉妬と怒りの炎を燃え上がらせ、「今に見ていろ。きっとあの邪魔な若造を抹殺してくれる。」とソロルへの復讐を誓うのだった。


第一幕・第二場 (ラジャの宮殿)


 大広間にはソロルの肖像画がかかっており、幾人かのクシャトリヤがチェスをしている。ラジャのドゥグマンダは娘のガムザッティーを呼び、ソロルの肖像画を見せて、お前はこの男と結婚するのだ、と言い渡した。ガムザッティーはソロルの肖像画を見て胸をときめかせたが、「私はまだこのお方にお会いしていませんが、このお方は私を愛してくださいますでしょうか。」とラジャに問うた。ラジャは、「この男は私の臣下だから私の命令は聞かなければならぬ。」と答え、ソロルを呼びにいかせた。ガムザッティーはいったん自室にさがった。

 ガムザッティーの乳母アイヤに導かれてソロルが登場すると、ラジャは、「お前は私の娘ガムザッティーと結婚するのだ。」と言い渡した。ニキヤとの愛を誓ったばかりのソロルはうろたえたが、そこへヴェールをかぶったガムザッティーがアイヤに先導されて現れた。ラジャがヴェールをとると、大切に育てられた、非のうちどころのなく美しい王女の姿が現れた。ソロルはその美しさに気圧されてしまい、心が揺れた。

 お祝いに侍女たちの踊りが踊られた(ジャンペの踊り)。その間、ガムザッティーはソロルと並んで腰をおろしていたが、恋する女の直感でソロルの心に迷いがあるのを見てとった。…この人は私を愛していない。でも私が王女ということでこの人は私と結婚することになるのだわ…。



 そこへ大僧正がやって来て、ラジャに人払いを求めた。一同はさがったが、一抹の不安を胸に持つガムザッティーは帳の影に隠れて聞き耳をたてた。大僧正は、ソロルはとんでもない男で、夜毎バヤデールのニキヤと逢引をしており、聖なる火に愛を誓ったばかりか、駆け落ちまでしようとしている、どうか処罰していただきたい、とラジャに訴えた。
 
 しかし大僧正の期待に反して、ラジャは、邪魔になるニキヤを抹殺する、と言い出した。驚いた大僧正は、神に仕えるバヤデールであるニキヤを殺すと神罰がくだります、とラジャに警告したが、ラジャは耳を貸さなかった。そして明日のガムザッティーとソロルとの婚約式にニキヤを毒蛇で殺害する、と宣言した。大僧正は真っ蒼になった。そしてラジャと大僧正は退室した。


 不安が的中したガムザッティーは早速ニキヤに会って話し合おうと考え、アイヤにニキヤを呼びに行かせた。まもなくやって来たニキヤを見てガムザッティーは驚いた。その美しさは想像以上だったのだ。ニキヤを手なづけようとしたガムザッティーは腕輪を与えようとするが、ニキヤはそのような高価な品をいただくいわれはございません、と断った。

 手強そうな相手だと思ったガムザッティーは、これをごらん、とばかりにニキヤをソロルの肖像画の方に押しやった。…なぜこんなところにソロルの肖像画があるのか…と戸惑うニキヤに、ガムザッティーは勝ち誇ったように言った。「私はソロル様と結婚するのよ。お前のようなただのバヤデールではクシャトリヤのソロル様とは結婚できないわ。」

※ インドにはカースト制というものがあり、結婚は同じカースト同士で行われます。クシャトリヤ(王族・武人階級)のソロルとニキヤはもともと身分が釣り合わないのだと思います。。

 ショックを受けたニキヤだったが、負けてはいなかった。ニキヤは、ソロルは私との愛を聖なる火に誓ったのだから、王女様とは結婚する事はできません、と言い返した。その自信に満ちた様子にたじろいだガムザッティーは、お願いだからあの人を私に譲って、と身につけていた高価な首飾りをニキヤに差し出しながら懇願した。

 しかしニキヤは頑として聞き入れず、ガムザッティーの手から首飾りをひったくると、その足元に投げつけた。そして激高したニキヤは、たまたま近くにあった短剣を手に取り、ガムザッティーに飛びかかったが、あわや、というところで身を呈したアイヤにとりおさえられた。 

 我に返ったニキヤは逃げ帰った。王女の方は怒りに燃えて立ち上がった。そして、「ニキヤは死ぬわ。」と言い捨てた。



第一幕・第三場 (宮殿の庭)

 王女ガムザッティーとソロルの婚約式が始まろうとしている。兵士、僧侶たちに続いて招待客たちが登場。ラジャやガムザッティーも輿に乗って登場し、ソロルもそれに続いて現れた。そしてラジャの命令でお祝いの舞踏が始まった。


 ○ 扇を持った踊り
 ○ おうむを連れた踊り
 ○ つぼの踊り(マヌー)
 ○ たいこの踊り(インディアン・ダンス)
 ○ パ・ダクシヨン
     ・ 4人のソリストAの踊り (モデラート)
     ・ 4人のソリストBとガムザッティー、ソロルの踊り (アレグレット)
     ・ ガムザッティーとソロルのアダージオ (with 4人のソリストBと男性2人)
     ・ 4人のソリストAの踊り (アレグレット・デリカート)
     ・ ソロルのヴァリエーション (アレグロ・ペザンテ)

     ・ ガムザッティーのヴァリエーション (アレグロ
)  
     ・ コーダ (テンポ・ディ・ヴァルス・ブリランテ)・・・・・全員


※ ここでの踊りは一部が省かれたり、または加えられたりする事がよくあります。例えばマカロワ版ではおうむを連れた踊りやつぼの踊り、たいこの踊りはありません。またキーロフの版ではここで黒人の少年たちに伴われた黄金の仏像の踊りが踊られます。

       
 
 これらの踊りが終わると、王はニキヤに来るように命じ、踊って皆を楽しませよ、と命じた。ガムザッティーと並んで座るソロルはニキヤをまともに見ることすらできなかった。そしてガムザッティーは嫉妬に満ちてソロルを監視していた。そんな中でニキヤはソロルに捨てられた悲しみを身体いっぱいに現して舞い始めた。 (ニキヤのヴァリエーション)

 
ラジャはニキヤが舞っている間にアイヤに命じて花かごを持って来させた。アイヤはその花かごを、ソロル様からの贈り物です、と言ってニキヤに渡した。悲嘆を隠せなかったニキヤだが、ソロルがまだ少しは自分の事を想っていてくれるのだと思い、少し救われたような気がした。そして気を取り直して踊り、花かごから花を取り出してソロルに自分の気持を伝えようとした。

 その時、花かごから毒蛇が現れ、ニキヤを噛んだ。蛇の毒が身体中に回り、苦しみながらも気丈なニキヤは、これはガムザッティーの仕業に違いないと思い、それを訴えようとした。しかしラジャに制され、ついには倒れてしまった。
 気が動転したソロルは思わずニキヤに駆け寄ろうとしたが、その横でガムザッティーが殺気立った様子でソロルの様子をうかがっていた。

 この事態を予測していた大僧正は用意してきた解毒剤を取り出した。そして、私の愛を受け入れるならば命を助けてやろう、とニキヤに解毒剤を渡した。
 ニキヤはすがるようにソロルを見た。しかしソロルは差し出されたガムザッティーの手をとり、顔をそむけたままその場を立ち去った。ニキヤの手から解毒剤がこぼれ落ちた。そしてそのままニキヤは息絶えた。
     


第二幕・第一場 (ソロルの部屋)


 あまりにも悲惨な形でニキヤを失ったソロルは後悔と悲しみに溺れ、半ば廃人のようになっていた。そんなソロルを慰めようとマグダヴェヤは阿片の吸引を勧めた。ソロルは言われるままにパイプをくゆらせ、次第に幻覚症状に陥っていった。

 と、壁にすすり泣くニキヤの亡霊が見えた。…あなたは誓いを忘れたのね。でも私はまだあなたを愛しています…亡霊はそう語りかけているようだった。ソロルはニキヤの亡霊をとらえようとしたが、無駄だった。そしてますます阿片に溺れていった。そしてソロルは次第に意識を失い、寝椅子に倒れ込んだ。


第二幕・第二場 (影の王国)

 淡い月明かりの中、32人(または24人)の精霊たちが白いヴェールをつけ、天から降りて来た。(精霊たちの入場)。そして精霊たちは夢のようにはかなく美しく踊った(コールドと3人のソリストの踊り、テンポ・ディ・ヴァルス)
   
   ※ この入場の場面はコールドがアラベスク・パンシェをしながら次々とスロープを降りて来る有名な場面です。

 そこへソロルがニキヤを捜してやって来た。ニキヤの亡霊も現れ、こう言った。
 「ここはとてもよいところでしょう。私は罪なくして死にましたが、神は私にお恵みを与えてくださったのです。ただ私にはあなたがいないだけです。」
 ソロルが、どうすれば私はあなたのものになれるのか、と訊ねると、再びニキヤは言った。
 「どうか私を裏切らないでください。そうすればあなたは私と一緒に、ここで魂のやすらぎを得られるでしょう。」
 そしてソロルとニキヤは手を取り合って踊り出した。

 ○ ニキヤとソロルのパ・ド・ドウ withコールド (アンダンテ)
 ○ 女性ソリスト1のヴァリエーション (アレグロ)
 ○ 女性ソリスト2のヴァリエーション (アレグロ・モデラート)
 ○ 女性ソリスト3のヴァリエーション (モデラート)
 ○ ニキヤとソロルのヴェールの踊り (アレグレット)
     途中からニキヤのソロ、コールドが加わり、最後はソロルのソロ。
 ○ コーダ (ヴィヴァーチェ)


 踊りが終わるとニキヤの亡霊も精霊たちも消えてしまい、後にはソロルだけが取り残された。


※ キーロフ版など一部の版では、ここでの一連の踊りが終わったところでフィナーレとなり、寺院崩壊のシーンはありません。また、ここでの一連の踊りの後、二人がヴェールでつながれて昇天する版もあります。

     


第二幕・第三場 (ソロルの部屋)

 ソロルが幻覚症状から目覚めると、トロラグヴァがラジャからの高価な贈り物を捧げ持った使者たちを連れて現れた。ついに結婚式の時が来たのである。トロラグヴァはソロルを促して結婚式へと連れて行こうとするが、ニキヤとの約束を思いだしたソロルは拒否した。
 
 しかしそこへガムザッティーが現れた。ソロルは後ずさりするも、ついにきっぱりと断る事はできなかった。


第三幕 (寺院)

 寺院では、結婚式の準備がなされていたが、突然、安置されていた仏像が動き出した(黄金の仏像の踊り)。聖なる火への誓いを破ろうとするこの結婚に、神は怒りを示したのである。
 やがて大僧正はじめ僧侶たち、バヤデールたちも集まり、新郎ソロルと新婦ガムザッティーも現れた。

※ キーロフ版ではこの黄金の仏像の踊りは一幕三場の婚約式で踊られるので、神の怒りというよりも、お祝いの踊りであるように思われるのですが、少なくとも寺院崩壊の場面のあるマカロワ版では神の怒りとして扱われているようです。

 しかしガムザッティーにはソロルの心がここにはない事がわかっていた。ソロルの愛を得られない事を嘆き、何とか自分の方を振り向いて欲しいと願いながら、ガムザッティーはソロルの心を慰めようと舞を舞った。(ガムザッティーのヴァリエーション)

 そしてバヤデールたちも新郎新婦を祝福して踊り、儀式を始めるべくガムザッティーとソロルはひざまづいた。と、その時、ソロルはニキヤの亡霊が自分とガムザッティーの間に割って入いるのを見た。
 うろたえるソロルに乙女たちが新婦に捧げる花束を渡したが、そこへまたニキヤの亡霊が現れ、花束を遠くへ投げ捨ててしまった。…どうか誓いを忘れないでください、私を裏切らないでください…そんなニキヤの叫びがソロルには聞こえるようだった。

 今度は乙女たちが新婦ガムザッティーに花かごを渡したが、それはへびが中に潜み、ついにはニキヤをかみ殺したあの花かごにそっくりだった。ガムザッティーは思わず蒼白になり、後ずさりした。そこへまたニキヤの亡霊が現れてガムザッティーを責めるかのように指差した。しかしラジャがそれを制し、式を続けるように、と命令を下した。

 そしてとうとうソロルとガムザッティーは大僧正の足元にひざまづき、大僧正は二人の手を重ねあわせようとした。その時、稲妻がひらめき、雷鳴がとどろいたかと思うと、恐ろしい音をたてて寺院は崩壊した。聖なる火への誓いを破った事に神罰がくだったのである。ラジャやガムザッティー、ソロルを始め、一同は瓦礫の下に埋め尽くされてしまった。




アポテオーズ


 瓦礫の中からヴェールでつながれたニキヤとソロルの姿が現れた。そしてニキヤはソロルの魂を救い、天国へと導いて行くのだった。

                                           
                                                                          (終わり)


  <MIYU’s コラム>


「ラ・バヤデール」基本情報


振付      マリウス・プティパ
台本      マリウス・プティパ、S.フデコフ
音楽      レオン・ミンクス
初演      1877年1月23日 於サンクトペテルブルク大劇場
初演配役   ニキヤ・・・・・エカテリーナ・ヴァゼム
         ソロル・・・・・レフ・イワノフ



「ラ・バヤデール」の基となった作品

 
 ラ・バヤデールはインドを舞台にしたオリエンタル色の濃いグラン・バレエです。原作というわけではありませんが、鈴木晶先生によれば、オペラ・バレエ「神とバヤデール」(1830年)とバレエ「シャクンタラー」(1858年)が直接的な影響を与えているのではないか、という事です。

 まず、「神とバヤデール」ですが、ゲーテの詩「神と舞ひめ」を原作として作られたものです。ゲーテの詩はインドの伝説を基にしており、滅びかけた魂の救済を歌っています。以下はゲーテの物語詩のあらすじです。

 …人間考察のために、旅人の姿をして地上に舞い降りた神マハデエ(シヴァ神)が町外れの娼家で一人のバヤデールを買い、彼女のもてなしの中に人間の真実な心を見出した。そして舞ひめも旅人に抱かれるうちに真実の愛に目覚めた。しかし、あくる朝舞ひめが目を覚ますと、旅人は死んでいた。やがて人々は旅人の亡骸を火葬場に送るが、舞ひめは人々の止めるのも聞かず、その荼毘の炎の中に飛び込んだ。すると炎の中から若者の姿をした神が立ち上がり、舞姫を抱いて天へ上って行った…。


※ インドのバヤデールとは、舞姫と訳されますが、娼婦でもあるそうです

※ インドには、夫が亡くなった際にその妻が夫の荼毘の火中に身を投じて殉死する、サティーと呼ばれる習慣がありました。ここでは、一晩を共に過ごしただけの舞ひめが死んだ旅人を夫と考え、妻として殉死しているのです。

 
 バレエでは舞ひめにゾロエという名がついており、神である旅人は「謎の男」となっているそうです。そしてゲーテの詩とは違って、舞ひめゾロエに横恋慕する権力者が現れ、謎の男に心惹かれて自分には振り向かないゾロエを火あぶりの刑に処します。すると謎の男が神となって現れ、ゾロエを抱いて天国へ昇って行く、という筋だそうです。(※鈴木晶先生の「バレエ誕生」参照)



 そして「シャクンタラー」ですが、このバレエの原作は4世紀末に作られた、サンスクリット文学の代表作と言われる、カーリ・ダーサーの「シャクンタラー姫」(戯曲)です。以下、そのあらすじです。

 …ある時、狩のために深い森にやって来たドゥフシャンタ王は、カンヴァ仙人の養女で神の血をひくシャクンタラー姫に会った。たちまち二人は恋に落ち、王は姫を妃とする約束をした。そして王は姫に指輪を与えて国へ帰ったが、王恋しさにぼんやりしていたシャクンタラー姫は、ドゥルヴァーサス仙人が訪ねて来た事に気がつかず、礼を失してしまった。これを怒ったドゥルヴァーサス仙人は、件の指輪を見せない限りはドゥフシャンタ王は姫の事を忘れてしまい、妻である事を否認するだろう、という呪いをかけた。
 
 やがてドゥフシャンタ王の子を身ごもったシャクンタラー姫は王を訪ねて行った。しかし途中の泉で沐浴の際に王からもらった指輪を落としてしまったため、呪いにかかったままの王はシャクンタラー姫の事を思い出さず、姫は妻として認めてはもらえなかった。悲しみと悔しさの中、シャクンタラー姫は王宮を去った。
 しかし漁師が泉で捕った魚の中から指輪が発見され、それが王のもとに届けられて、王はやっとシャクンタラー姫の事を思い出した。

 ドゥフシャンタ王は姫と離れ離れになった事を嘆き暮らしていたが、乞われて神の国へ羅刹退治に出かけた折、シャクンタラー姫と無事に生まれ育っている息子に出会った。そして王が姫を忘れたのは本心からではなく、ドゥルヴァーサス仙人の呪いであった事が明らかになり、王と姫は仲直りするのだった。そして、めでたし、めでたし、で物語はおしまい。


 鈴木晶先生の「バレエ誕生」によると、バレエ「シャクンタラー」(振付=リュシアン・プティパ、台本=テオフィール・ゴーティエ)では、「王に思い出してもらえないシャクンタラー姫を王の愛人が火あぶりに処するように仕向けるが、王が指輪を見て姫を思い出し、一転して愛人が火あぶりに処せられることになる。しかしシャクンタラー姫がとりなして、お話はハッピーエンドで幕を閉じる」のだそうです。そしてその王の愛人の名がガムザッティなのだ、という事です。




「ラ・バヤデール」のドラマ性について
 


 確かにこのオペラ・バレエとバレエをあわせると、ニキヤ、ソロル、ガムザッティー、ラジャ、大僧正、と役者がそろいますね。そしてインドのエキゾティックな深い森で「ラ・バヤデール」のお話は華々しく展開していきます。

 というと、何だか素晴らしいドラマのような気がしますが、残念ながらそうはなっていません。確かにバレエとしては見せ場が多く、豪華絢爛で素晴らしいのですが。
 その理由はあまりに欲張って見せ場をたくさん用意しすぎたところにあるのではないか、と思います。そのせいでドラマとしてはあるはずもない場面がたくさん挿入され、あっちこっちに枝が広がりすぎて、しっかりした幹のない脆弱なものとなってしまったのです。


 
 最大の疑問は、なぜ一介のバヤデールに過ぎないニキヤをラジャやガムザッティーが対等のライバルであるかのように扱って殺さなければならないのか、という事です。いくらソロルとニキヤが聖なる火の前で愛を誓ったからと言って、ニキヤなど無視してソロルとガムッザッティーを結婚させてしまえばいいのでは?だってラジャは権力者なんだから…。

 ※ 小倉重夫氏の解説によれば、ソロルとガムザッティーは幼い頃に婚約を取り決められていた、という事になっています。とすれば、横恋慕したのはガムザッティーではなくて、ニキヤ?


 それに神だって、ソロルが誓いを破ったというだけで、どうして罪のない周りの人々まで瓦礫の下に埋め尽くしてしまうのか…。あまりに理不尽ではないですか…。

 
 この疑問に対する鍵は古代インドの夫婦に対する考え方にあります。夫婦の誓いというのは神聖なものであり、破れば神罰があたると考えられていたのです。ですから、ラジャもソロルとニキヤの誓いを無視する事ができず、ニキヤを殺してソロルを独身に戻そうとしたのですね。ガムザッティーがニキヤに「身をひいて」と頼んだのもそのためでしょう。

 とはいえ、ニキヤは普通の娘ではなく神に仕えるバヤデールです。自分の使命も忘れて勝手に男と恋に落ちて神に永遠の愛を誓っても、それを神が認めて保護を与えるなどと、あまりに虫のいい話だと思います。だってニキヤはソロルに愛を誓わせて、一緒に逃げ出そうとしていたのですから。言わば遊女の足抜きのようなものですね。そんなのを認めていたら、バヤデールなんてそのうち一人もいなくなってしまうでしょう。


 しかもニキヤは聖なる火に近くでソロルと逢引(しかも見張り付き)していたのです。それは神への冒涜でしょう。更に言えば、大僧正に迫られて、「神に仕える身でそんな…」と言って、つっぱねていたその舌の根も乾かぬうちにです。これでは二枚舌?

 もともとバヤデールであるニキヤとクシャトリヤのソロルはカーストも違いますし、ガムザッティーのことがなくても結婚するのは不可能なのです。そんなカップルの誓いにまで保護を与えていたら、人間の社会はつぶれてしまいます。ましてや罪のない人々を巻き添えにするなんて、とんでもない話です。これではニキヤは「八百屋お七・バレエ版」になってしまうではありませんか

 


 
 さて、この神の怒りによる寺院崩壊ですが、キーロフ(マリインスキー)版では省かれてします。影の王国で終わってしまうのです。旧ソ連では、たった一組のカップルのために多数が犠牲になるというこのシーンはまずいと思われたのかもしれません。はたまた舞台装置にお金がかかりすぎると思われたのかも…。

 そのあたりはよくわからないのですが、影の王国で終わる方が「滅びかけた魂を神が救済する」というゲーテの詩と同じテーマはよく浮かび上がると思います。ニキヤも執念深い亡霊にならなくてすみますし。

 ※ 2012年11月15日にマリインスキーバレエの「ラ・バヤデール」をみてきましたが、はじめてニキヤを可哀想に思いました。ウリヤーナ・ロパートキナのニキヤには凛とした神々しいまでの美しさがありました。亡霊になってまでの醜い争いもなく、この女性とならば天国まで追って行ってでも一緒になりたい、というソロルの気持も納得できました。
 


 
 マカロワ版は寺院崩壊の場面がある代表的な版です。この版は「魂の救済」よりも「女の対立」を重要視し、ともかく視覚的に派手に作られているように思います。小倉重夫氏も物語の最後を、「ニキヤは勝利を得た。そして足元に横たわる愛するソロルを優しい眼差しで見つめる。」と締めくくっておられるように、一人の男をめぐる女の対立も「ラ・バヤデール」の重要テーマの一つなのですね。

 ただし、このテーマを前面に押し出して寺院崩壊の場面を入れると、どんどんとニキヤが業の深い恐い女となっていきます。亡霊となってまで結婚式に出没、執拗にソロルとガムザッティーの間に割って入いった挙句、神の怒りでみんな死んでしまったのを奇貨として、もはや物言わぬガムザッティーからソロルを奪って行く…。恐いです、その妄執ぶり。

 一般的にはニキヤは可哀想な女、というイメージがあるようですが、どうもマカロワ版ではそのようには思われません。中にはニキヤは清純な乙女、という人もいますが、どこからそういうイメージがわくのか、どうもわかりません。別に寺院崩壊の場面がなくても大僧正を体よく拒否した後に自分は情夫を引き入れるわけですし、侮辱されたとはいえ、小刀を持ってガムザッティーに切りかかるわけですし。アイヤがとめなかったら、ニキヤはガムザッティーを斬り殺していたのではないですか?

 また、一般的にソロルは弱い最低男、と言われていますが、私はごく普通の男性だと思います。恋の熱に浮かされている間は、「愛してる」だの、不可能であっても「結婚しよう」だの、男は何でも言いますよ。でもそんなのはうわ言のようなもので、信じた女はかなりの確率でバカをみます。

 もともと男性に、「社会より恋を選べ」というのはかなり難しい事だと私は思います。社会的にしっかり生き残れる強い男性なら、「捨てた女がどうなろうと知ったこっちゃない。」というところでしょう。後悔して阿片に溺れるなんて、ソロルはまだ優しい心を持った方だと思いますよ。

 それに比べてガムザッティーはちょっと損な役割ですね。親に決められたフィアンセに神に愛を誓った女性がいて、「身をひいて」と頼んだところ刃を向けられ、挙句は殺人犯とされ(真犯人はラジャ?)、ソロルの愛も得られずに神の怒りにふれて死んでしまう…。本当にドラマがあるのはニキヤよりもむしろガムザッティーの方では?




 さて、前述のニキヤのバレエのヒロインとして異例の激しく業の深い性格ですが、これはインドという遠い異教の地を舞台としたからこその有様だと思います。
 一般的に男性は伴侶としては従順で常識的な女性を望みます。しかし、それでいて、心のどこかに業の深い絶世の美女と恋に落ち、執着されてみたい、という願望をもっていたりするのではないでしょうか。また、社会の要請の前に恋を捨て去っても、心の中に想いは残ります。もちろん男たちはそれを押し隠して社会生活を送るのですが、そこに男のロマンが発生します。

 そういった普段は抑圧されているものを、エキゾチックな異教の地、バヤデールという聖なる娼婦のイメージに託したのでしょう。キリスト教世界を舞台にした「ライモンダ」では、徹頭徹尾、貞淑な女性をえがいていますものね。プティパは恋が原因の決闘騒ぎを起こすほど情熱的な人ですから、普段は心の隅にくすぶっているものを「ラ・バヤデール」に託し、それはさぞや「エキゾチックな聖なる娼婦」に興味津々の男性たちにうけた事でしょう。

※ 「18世紀以来、ヨーロッパにおいてインドのバヤデールは、エキゾティックな女性美の象徴であった。バヤデール(ロシアではバヤデルカ)は「舞姫」と訳されるが、インドの神殿に仕える娘である。神に踊りを捧げるのだが、同時に娼婦でもある。人類最古の職業ともいわれる売春はもともと寺院から発生したといわれるが、ヨーロッパでは早くから宗教的な場所とは関係がなくなっていた。19世紀の異国趣味の高まりとともに、「聖なる娼婦」としてのバヤデールに男たちの注目が集まるようになったのである。」(鈴木晶/著 「バレエ誕生」より引用)


 
 また一幕一場の終わりでは大僧正が怒りと嫉妬を爆発させ、場は盛り上がって終わりますが、その後は告げ口するだけで、大僧正の役割は尻すぼみとなります。敵役はラジャとガムザッティーに変わってしまうのです。

 しかもラジャとガムザッティーが共謀する場面はなく、どちらが蛇を花かごに仕込んだのかわかりません。そもそも王女と言えど、ラジャには絶対服従のはずで、でしゃばって共謀をもちかけるなど、普通は考えられません。そもそもそんな事をしたら立ち聞きしていた事がばれてしまいますから、やっぱりラジャとの共謀は考えれません。

 小倉重夫氏の解説によると、ガムザッティーは「ニキヤは死ぬわ」と言っているので、ラジャが殺すのをそのまま見ていただけ、と考えるのが正解かと思われます。

 ※ これだったら日本の刑法での従犯にもあたらず、ガムザッティーは無罪では?更にガムザッティーにラジャの行為を止める責任なんてありませんから、不作為犯にもなりませんものね。

 そもそも、ラジャが殺すと言っているのに、それ以上何をする必要があるでしょう。後は黙って見ていればいいだけなんですから。だから「ニキヤを殺す」ではなくて、「ニキヤは死ぬわ」なんですね。

 

 
 
 この作品の題名は「ラ・バヤデール」ですが、ドラマの主人公はソロルと考えるのが自然でしょう。ニキヤとの愛を聖なる火の前に誓ったソロルですが、現実の権力と美貌の誘惑に負け、ニキヤを裏切ります。そして目の前で哀れなニキヤを殺されたことから、心を病んで阿片に溺れます。

 そうして社会を切り離した自分の純粋な心の中でニキヤの亡霊と再会し、愛を確認します。その結果、それまで必死でしがみついていた現実の世界の価値観が音をたてて崩れていきます。つまり、寺院の崩壊というのはソロルの心の中での現実世界の崩壊なのです。

 こうして社会性を失った男は廃人となります。もはや生きて行く事はできません。こうして情念にからめとられたソロルは、ニキヤに導かれてあの世に旅立って行くのです。

 ドラマとして一貫させようとすれば、こういったソロルの葛藤が中心となるかと思いますが、如何せん、これでは絵としてちょっと地味すぎる気もします。何しろ鈴木晶先生の言葉を借りれば、「…プティパのクラシックバレエ様式においては物語はどうでもいい、重要なのはそこに挿入される踊りである。」ですから。

 そこで、「もう何でもいい、見栄えがするように派手にやっちゃえ!」という事になったのでしょう。このHPのタイトルは「名作ドラマへの招待」ですので、いろいろと書いてきましたが、バレエは演劇とは違い、ドラマを純粋に追及するものではありませんので、こういうアプローチも間違ってはいないと思います。





 かくて、「ラ・バヤデール」はドラマとしてはあれこれ詰め込みすぎて疑問を感じるところが多くても、たくさんの踊りと印象的な場面に彩られた豪華絢爛の娯楽大作となりました。
 
 この作品はロシア(及びソ連)では、「バヤデルカ」としてずっと上演され続けて来たらしいですが、それ以外の国では全幕が上演されるようになったのは、比較的最近の事のようです。現在、わが国では私の知っている限り、新国立劇場(寺院崩壊あり)、谷桃子バレエ団(寺院崩壊なし)、東京バレエ団(寺院崩壊あり、マカロワ版)によって上演されています。
 



<参考文献>

CD「ラ・バヤデール」ボニング版       小倉重夫/解説

バレエ誕生                    鈴木晶/著   新書館

ゲーテ詩集                    大山定一/訳  小沢書店

シャクンタラー姫                 カーリ・ダーサー/著  辻直四郎/訳

DVD「ラ・バヤデール」             ミラノ・スカラ座公演 2006年 於 ミラノ・スカラ座
                           配役  ニキヤ・・・・・スヴェトラーナ・ザハロワ
                                ソロル・・・・・ロベルト・ボッレ
                           TDKコア株式会社

DVD「ラ・バヤデール」             キーロフ・バレエ  1977年
                           配役  ニキヤ・・・・・・・・・・ガブリエラ・コムレワ
                                ソロル・・・・・・・・・・Rejen Abdyev
                                ガムザッティー・・・タチアナ・テレホワ
                           KULTUR

公演「ラ・バヤデール」             新国立劇場バレエ団
                           2011.1.18 於 新国立劇場オペラパレス
                           配役   ニキヤ・・・・・小林ひかる
                                 ソロル・・・・・デニス・マトヴィエンコ

公演「ラ・バヤデール」             谷桃子バレエ団
                           2011.2.5 於 東京文化会館
                           配役   ニキヤ・・・・・佐々木和葉
                                 ソロル・・・・・今井智也



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