〜プティパ名作バレエの物語〜

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 クラシック・バレエの父と言われるマリウス・プティパは1818年3月11日、舞踏家の父と女優の母の次男としてマルセイユに生まれました。幼い頃に父親の仕事でベルギーへ行きましたが、その後もボルドーやナント、アメリカ合衆国、マドリードなど、仕事を求めてあちらこちらを転々とします。
 踊りそのものは兄のリュシアン(「ジゼル」アルブレヒトの初演者で、パリ・オペラ座の人気ダンサーでした。)ほどではなかったプティパは早くから熱心に振付に取り組んでいました

 そんなプティパがペテルブルクへ招かれたのは1847年でした。招かれたのはダンサー兼メートル・ド・バレエとしてでしたが、まもなくジュール・ペローが主席メートル・ド・バレエとしてやって来たため振付はさせてもらえず、ダンサーとして舞台に出ていました。
 それでもプティパはこの期間もペローの振付の仕方を熱心に勉強していたという事です。

 1860年にペローが去りサン・レオンが主席メートル・ド・バレエになると、チャンスがめぐって来ました。
1862年には「ファラオの娘」を振付けて認められ、1869年には「ドン・キホーテ」の成功の後で主席メートル・ド・バレエとなり、1903年に辞任するまでロシア・バレエの中心に君臨し続けました。

 ※ プティパは長生きで、その後も1910年まで生きました。再婚した妻は36才年下で夫婦仲は良かったといいますし、子供もたくさん生まれたので、心身共に若くいられたのでしょうか…。

 プティパの功績はクラシック・バレエの完成者として「眠れる森の美女」「白鳥の湖」「くるみ割り人形」等の素晴らしい作品を作り上げた事だけではありません。それに加えてフランスでは消えようとしていたロマンティック・バレエを改訂しつつ保存した事もプティパの功績です。
 現存しているほとんどのロマンティクバレエの作品はプティパの改訂を経てロシアで上演され続けてきたものです。 

 さて、そのように功績の大きいプティパですが、ドラマ的に考えた時には必ずしも偉大とは言い切れません。鈴木晶氏は「バレエ誕生」の中で、
 
 「バレエはその歴史を通じて、劇と舞踊との間を揺れ動きながら、発展してきた。ノヴェールの<バレエ・ダクシヨン>やその流れを引くロマンティック・バレエは、バレエを劇の方に引き寄せ、その半世紀後、プティパはバレエをぐっと舞踏のほうに引き寄せた。」
と書いておられます。またさらに、
 
 「<眠れる森の美女>によって完成した、プティパのいわゆるクラシック・バレエ様式においては、物語はどうでもいい。重要なのはそこに挿入された踊りである。それも、マイム的な踊りではなく、ストーリーとは直接無関係な抽象的・幾何学的な踊りである。」

とも言っておられます。そうなんです、プティパにとって大切なのは踊りそのものでした。タマラ・カルサーヴィナはプティパの偉大さについてこう表現しています。
 
 「プティパは私たちのために、先人たちのあらゆる長所をうけつぎ、自分自身の舞踏芸術でそれらをさらに豊かにしました。彼は集団舞踏、群舞の新しい構成法を開拓しました。また複雑であっても、目でみるとたいへん明快な構図を描き、そうやって、次代のメートル・ド・バレエたちに、現代舞踏の基礎をなすかぎりなく豊かな材料を遺産として残したのです。」
 
 また、マーゴット・フォンテーンもこう言っています。

 「プチパのバレエは総体的に情熱とは縁が薄く、特徴はシナリオと振付が一分の隙もなく巧みに構成されているところで、それが今日までバレエの名作とされているゆえんなのです。」

 実際、プティパの作品はバレエとしては素晴らしいのですが、ドラマとして見た時にはまったくもってなっていないのです。踊りのための物語にすぎず、ドラマとしては単純すぎたり、納得がいかなかったり、ほとんどドラマになっていないものすらあります。

 そういうわけで「名作ドラマ」には該当しないのですが、現在でもプティパの作品はバレエには不可欠のものですので、ここに「プティパ名作バレエの物語」というページを作りました。そして全幕で上演されたり発表会やコンクールで踊られる事の多い「ドン・キホーテ」「ライモンダ」「ラ・バヤデール」をご紹介しておく事にします。
 
 プティパが認められるきっかけとなった「ファラオの娘」もラコット氏によって復元されていますので、そのうちご紹介する事ができればなぁ、と思っております。





作品名 初演年度 作曲者 一言説明
 ファラオの娘 (1862年  チェーザレ・プーニ  砂漠を探検中の英国人ウィルソン卿。ピラミッドの中で眠り込んだ彼は夢の中でエジプト人タオールとなり、古代エジプトのファラオの娘アスピシアと恋に落ちて大冒険を繰り広げる。
 ドン・キホーテ (1869年)  レオン・ミンクス  父親の思惑で金持ちと結婚させられそうになった町娘キトリ。恋人バジルと駆け落ち・狂言自殺騒動をおこし、最後は父親も折れてめでたく結婚式をあげる。ドン・キホーテは脇役。
 ラ・バヤデール (1877年)  レオン・ミンクス  戦士ソロルとの愛を聖なる火に誓った寺院の舞姫ニキヤ。しかしソロルはラジャの娘と結婚する事になり、邪魔になったニキヤはラジャたちに殺されてしまう。ソロルはニキヤを忘れる事ができず、阿片に溺れて幻の中で再会したニキヤの亡霊と愛を確認するのだった。
 ライモンダ (1898年)  アレクサンドル
  ・グラズノフ
 十字軍に遠征した婚約者ジャン・ド・ブリエンヌの帰りを待つ貞淑な令嬢ライモンダ。サラセンの騎士アブデラフマンに誘惑されるが、あわやというところで帰って来たジャン・ド・ブリエンヌが決闘でアブデラフマンを倒し、めでたく二人は結婚式を挙げる。

※ チャイコフスキー3大バレエはこちら  
白鳥の湖
眠れる森の美女
くるみ割り人形・ワイノーネン版

くるみ割り人形・ピーター・ライト版




<参考文献>


バレエ誕生          鈴木晶       新書館

マリウス・プティパ自伝   マリウス・プティパ/著  石井洋二郎/訳     新書館

バレエの魅力        マーゴ・フォンテーン/著  湯河京子/訳     新書館

バレエ            薄井憲二    音楽之友社
 〜誕生から現代までの歴史〜



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