マリウス・プティパ/作 (1869年)
<あらすじ>
ラ・マンチャの郷士アロンソ・キハーノは騎士道物語を読みふけった末に頭がおかしくなり、自らを遍歴の騎士ドン・キホーテだと思い込むようになった。そしてドゥルシネア姫という空想上の思い姫の面影を胸にいだき、サンチョ・パンサという農民を従士として、悪を懲らし困っている者を助ける遍歴の旅に出た。
バルセロナの町に着いたドン・キホーテ主従は、宿屋の美しい娘キトリに出会った。そのキトリにはバジルという貧しい床屋の恋人がいたが、父親のロレンソはキトリを金持ちの貴族ガマーシュと結婚させようとしていた。キトリはバジルとの結婚を許してくれるようにと何度も父親に頼んだが、ロレンソは頑として許そうとはしない。こうなったらもう駆け落ちしかないと思い、キトリとバジルは手に手をとって逃げ出した。
ロレンソとガマーシュはすぐに二人の後を追いかけた。キトリをドゥルシネア姫だと思いこんだドン・キホーテもサンチョと共に二人の後を追って行った。
ドン・キホーテはジプシーの野営地でキトリとバジルに追いついたが、そこにあった風車を悪しき巨人だと思い込み、風車に向かって突進した挙句にはねとばされてしまった。そして気絶したドン・キホーテは、キューピッドに導かれ、愛しのドゥルシネア姫と森の妖精たちが舞い踊る、美しい夢を見た。
一方、追手の気配を察したキトリとバジルは馴染みの居酒屋に逃げ込んだが、ついにロレンソとガマーシュに見つかってしまった。そこでバジルは一芝居打つ事にした。キトリとの結婚を許してもらえない事に絶望して自殺するふりをしたのだ。それを察したキトリは死んでるふりのバジルに調子を会わせ、せめて冥土の土産に結婚の許可を与えてやって欲しい、とロレンソに懇願した。
それでもロレンソはうん、とは言わなかったが、ドン・キホーテに説教され、ついには脅されて、しぶしぶ二人の結婚を認めた。その途端にバジルは元気よく起き上がり、キトリと手をとりあった。ロレンソはあわてたが、後の祭り。こうしてキトリの結婚騒動はめでたく幕を閉じた。
そしてキトリとバジルの結婚式がにぎやかに行われた。それを見届けたドン・キホーテは、ドゥルシネア姫の幻影に導かれ、サンチョと共に新たな冒険へと旅立って行くのだった。
(終わり)
<詳しい物語>
プロローグ
ラ・マンチャ地方のとある村に住む郷士アロンソ・キハーノは騎士道物語を読みふけった挙句、ついには気がおかしくなり、自らが騎士ドン・キホーテとして遍歴の旅に出ようと思い立った。遍歴の騎士たるもの、思い姫がなくてはならぬ。そこで勝手にドゥルシネア姫という思い姫をでっちあげた。そして曽祖父の使っていた時代遅れの鎧兜や槍のほこりを払って身につけ、近くの農夫サンチョ・パンサを従士とし、名馬…ならぬ年老いたやせ馬ロシナンテにまたがって、ドゥルシネア姫の幻影に導かれるように遍歴の旅に出かけた。
第一幕 (バルセロナの街の広場)
活気あふれる広場には人々が行き交い、娘たちが楽しげに踊っている。と、宿屋の扉があき、主人のロレンソがどこかへ出かけて行った。すると父親がいなくなったのを確かめて、娘のキトリが姿を現し、軽快に踊り始めた(キトリのヴァリエーション)。
キトリは街一番の器量よし。彼女には床屋のバジルという似合いの恋人がいるのだが、父親のロレンソは娘を金持ちに嫁がせたいと思っており、貧しいバジルとの結婚を認めてはくれない。しかしキトリは父親の目を盗んでちゃっかりとバジルとの愛を育んでいるのであった。
広場に出て来たキトリは早速バジルの姿を探した。しかし友人である花売り娘たちに聞いてもまだバジルはここへは来ていないようだ。キトリがちょっとがっかりしたその時、得意のギターを抱えたバジルがさっそうと飛び出して来た。そして二人はギターと扇子を小道具に、じらし合ったりしながら仲良くふざけ合った(キトリとバジル)。そして街の人たちにはやし立てられながら、テンポの速いスペイン舞踊を踊った(モレノ)。
そこへロレンソが帰って来て、抱き合っている二人を引き離した。キトリは、どうか結婚を認めてくれるように、と父親に頼んだが、ロレンソは首を縦に振ろうとはしない。バジルもやって来て、二人してロレンソの前にひざまづいて頼んだが、ロレンソは怒って二人を引き離すだけ。そして、金のない奴に娘はやれん、とバジルを怒鳴りつけた。
バジルは、自分は貧しい床屋だから金はないが、キトリを愛している、とアピールしたが、ロレンソは聞く耳を持たなかった。
そこへお屋敷から、金持ちだが間抜けな事で有名な貴族ガマーシュが出て来た。そしてロレンソに近づき、あなたの娘のキトリと結婚したい、と申し出た。ロレンソは大喜びでさっそくキトリをガマーシュにあてがった。しかしキトリは、冗談じゃないわ、こんなトンマ、とばかりにガマーシュを袖にしてしまった。
さて、街の雰囲気は一層活気づき、人々は扇子やタンバリンを手に、セギディーリャ(スペイン舞踊)を踊り始めた。それが終わると、粋な雰囲気の街の踊り子、闘牛士たち(トレアドール)、そして花形闘牛士エスパーダがさっそうと登場した。そして踊り子は扇子を手にエスパーダとあだっぽく絡みながら、闘牛士たちはマントをひるがえしながら華やかに踊った(街の踊り子、エスパーダ、闘牛士たち)。
更に盛り上がった闘牛士たちは、小刀やマントを手に、闘牛を模したダンスを踊り(闘牛士たちの踊り)、街の踊り子も闘牛士たちが置いたゴブレット(または地面に突き立てられた小刀)の間を巧みにすり抜けながら華麗なダンスを披露した(街の踊り子の踊り)。
※ 版によっては街の踊り子を二幕三場で出て来るメルセデスと同一人物としているものもあります。メルセデスとエスパーダは恋人同士なのですが、自由を求めるジプシー女であるメルセデスは束縛を嫌い、エスパーダとの間にいろいろある、という設定らしいです。この街の踊り子もエスパーダとの間に何かありそうですから、メルセデスと同一人物とした方が自然な気もしますね。
踊り子や闘牛士たちのダンスが終わり、みんなが一杯やろうとしたした時、街に何やら妙なものが近づいて来た。それは槍を携え、やせ馬ロシナンテにまたがった遍歴の騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと、驢馬の灰毛公にまたがった従士、サンチョ・パンサであった。
人々がその時代遅れのものものしい姿に唖然としていると、騎士様が宿と食事を欲しておられるが、どこか宿屋はないか、とサンチョが訊ねた。みんなが、あっち、とロレンソの宿屋を指差すと、サンチョは主人を呼ぼうとして、ラッパを吹き鳴らした。それがまた主従の見てくれと同じくひどい音だったので、人々は耳をふさぎながらずっこけ、ロレンソは驚いて飛び出して来た。
サンチョがロレンソと話す間、ドン・キホーテは人々にあいさつしていたが、皆はすぐにドン・キホーテがキ印である事に気がついた。…これはちょっとばかり気晴らしができそうだ…という事で、まず女たちはサンチョを目隠し鬼ごっこに誘った。人のいいサンチョはホイホイと誘いにのったが、やがて男たちに小突かれた挙句、胴上げよろしく何度も天高く放り投げられて、真っ蒼になってしまった。
そして人々はまたダンスを始めた。まずは花売り娘の踊り。途中からはキトリとバジルも一緒に踊った。バジルはキトリに赤い薔薇を捧げたが、そこへキトリを愛しのドゥルシネア姫だと思いこんだドン・キホーテが割り込んだ。キトリはバジルの薔薇をポイッと投げ捨て、面白半分でドン・キホーテのドゥルシネア姫ごっこに調子を合わせた。
バジルはドン・キホーテからキトリを奪い返し、二人はアダージオを踊ったが、そこへまたドン・キホーテが割り込み、騎士らしくドゥルシネア姫(キトリ)を宮廷風のメヌエットに誘った。キトリはドン・キホーテをからかうのがどうにも楽しいらしく、ドゥルシネア姫になりきって優雅に踊った。街の女性たちやガマーシュもつきあい、いつしか広場は優雅なメヌエットの時間となった。
しかしバジルは、いつまでこんなキ印のおっさんにつきあってるんだ、とばかりにキトリを取り戻し、二人は中断していたアダージオの続きを踊った。そしてバジルは花売り娘たちを引き連れて踊り(バジルのヴァリエーション)、キトリもカスタネットにのってソロを踊った(キトリのヴァリエーション)。そして最後はみんなで盛り上がってにぎやかに踊った(コーダ)。
と、パンとぶどう酒を盗み食いしたサンチョがロレンソに追いかけ回されて広場へ転がり出て来た。そしてロレンソは泥棒サンチョをぶん殴ろうとして、間違ってガマーシュの頭をパカーンとやってしまった。痛がるガマーシュ、平謝りのロレンソ、その隙に逃げ出すサンチョ。
そんな大騒ぎの中、キトリとバジルは手に手をとって逃げ出した。ロレンソが結婚を許してくれないならば駆け落ちをするまでの話である。
ロレンソはガマーシュと共に二人を追いかけようとしたが、「姫に無礼を働く事は許さぬぞ。」とばかりに、ドン・キホーテが槍で二人の行く手をふさいでしまった。その間にキトリとバジルはみるみる広場を遠ざかり、姿を消してしまった。
第二幕・第一場 (ジプシーの野営地)
キトリとバジルは風車小屋のあたりにやって来て、一休みすることにした。邪魔者を振り切った二人は幸せいっぱいで語り合ったが、そこはジプシーたちの野営地で、二人を見つけたジプシーたちは、何だ、何だと物見高く寄って来た。
そこでバジルが、自分は床屋で、恋人と駆け落ちをして来た、と言うと、ジプシーたちは二人を受け入れ、歓迎の踊りを踊ってくれた(ジプシーダンス数曲)。
※ ここも版によってかなりいろいろなようです。私が見たものでも、失恋したジプシーの若い女の狂おしい踊りとか、恋人同士のジプシー2人の踊り、ジプシーの群舞、またはジプシーダンスは全くない版もありました。CDにはたくさんのジプシーダンスの曲が入っていましたから、本当に版によっていろいろのようです。
と、座がざわめいたと思うと、ロシナンテと灰毛公にまたがったドン・キホーテとサンチョ・パンサが現れた。キトリとバジルを追って来たのである。ドン・キホーテはひざまづいてキトリの手をとった。相変わらずキトリをドゥルシネア姫だと思っているようだ。
ジプシーたちは歓迎の印に人形劇を見せてくれる事になった。最初は人形たちのぎこちない動きを真似してご機嫌だったドン・キホーテだったが、悪役の人形が出て来たあたりで興奮し始めた。人形劇と現実を取り違えたのだ。そして悪者にとらわれようとしている姫(人形劇の中の)を救い出さん、と舞台に乱入し、人形劇をめちゃめちゃにしてしまった。
折りしも、近くにあった風車が回り始めた。するとドン・キホーテは悪い巨人が暴れ始めたのだと思い込み、サンチョたちが止めるのも聞かず、槍をかざして風車に躍りかかった。そして羽にひっかかって宙に放り上げられたかと思うや、ドスーン!と地面にたたきつけられてしまった。
サンチョやバジルが驚いて駆け寄ると、ドン・キホーテは気絶していた。
第二幕・第二場 (ドン・キホーテの夢の中)
ふと気がつくと、ドン・キホーテはうるわしい森の中にいた。あたりにはたくさんのドリアード(木の精霊)がいる。と、ドン・キホーテはキューピッドに手招きされた。ついて行くと、そこにはドリアードの女王、そして愛しのドゥルシネア姫(キトリ)がいた。ドン・キホーテが姫の美しい姿に感極まっていると、ドリアードやキューピッドたちの踊りが始まった。
・全員の踊り〜アレグレット〜
・ドリアードの女王のヴァリエーション
・キューピッドのヴァリエーション
・ドゥルシネア姫(キトリ)のヴァリエーション
・コーダ (全員)
恍惚状態になったドン・キホーテは思わずドゥルシネア姫の手を乞うた。…ああ、何たる幸せか…と、ドン・キホーテが思ったその時、すべては消えて行き、ドン・キホーテは現実に引き戻された。
バジルはドン・キホーテを介抱していたが、追手が迫って来る物音がしたので、キトリと手をとりあって逃げ出した。
意識が戻ったドン・キホーテがようよう起き上がると、ロレンソとガマーシュがやって来た。キトリとバジルを見なかったか、と問われ、ドン・キホーテは二人のために、正反対の方向を教えようとしたが、気のきかないサンチョはホイホイと実際に二人が逃げた方向を教えてしまった。
ロレンソとガマーシュは急いで二人の後を追った。ドン・キホーテもヘマをしたサンチョをひきずるように、後を追った。
第二幕・第三場 (居酒屋)
居酒屋には、キトリの友人である花売り娘たちや闘牛士、ジプシー女のメルセデスが来ており、華やいでいた。そこへキトリとバジルが現れた。エスパーダも華々しく現れ、賑やかなダンス合戦が繰り広げられた。
・ キトリとバジル
・ エスパーダのヴァリエーション
・ メルセデスのヴァリエーション
(その他、数曲。 オリエント・ダンスとか、ギターの踊りとか、版によって全く違うようです。)
と、居酒屋の主人が、追手がやって来た事を知らせたので、キトリとバジルはあわててエスパーダたちの影に隠れた。さて、乗り込んで来たロレンソとガマーシュは、二人はどこだ、と探し回ったが、人々はしらんぷり。ロレンソは、知らないわけはない、どっちに行ったんだ、としつこく食い下がり、亭主は、あっちだよ、とあらぬ方を指差した。
その隙にキトリは反対方向へ逃げ出そうとしたが、ついにロレンソに見つかってしまった。
ロレンソは、もうわがままは許さんぞ、とばかりにキトリをとらえ、ガマーシュに引き渡した。キトリは何とか逃げ出そうとしたが、ついにガマーシュに手をとられてしまった。ああ、万事休す…。
そこへマントを身につけ、刃物を持ったバジルが現れた。バジルは駆け寄ったキトリを突き飛ばし、「この薄情な裏切り者め!愛するお前を失った今となってはもう俺は生きていく事ができない!さらばだ!」と言って、勢いよく胸に刃物を突きたてた。みんなはあまりの事に思わず目をふさいだ。
刃物を突きたてたバジルの胸からは血しぶきが飛び散って…となるかと思いきや、バジルは余裕しゃくしゃくでマントを脱いで地面に敷き、その上に仰向けに寝転んで死んだふりをした。ロレンソをだますための狂言自殺だったのだ。
その場は大騒ぎになったが、キトリは間もなくバジルの策略に気がついた。そしてロレンソに、せめて冥土の土産に結婚の許しを与えてやって欲しい、そうでなければこの人の魂は安らかに天国にはいけません、と訴えた。しかしロレンソは簡単には、うん、とは言わない。
それにガマーシュも、バジルの足を持ち上げてみたり、自分の剣を突き刺そうとしたり、バジルの策略に勘づいているようだ。ああ、このままではバレてしまうかもしれない…。
そこへドン・キホーテがサンチョ・パンサを連れて現れた。キトリはドン・キホーテに駆け寄り、助けを求めた。ドン・キホーテはさっそく騎士道精神を発揮し、二人の結婚を認めてやるように、とロレンソを説得した。ロレンソはそれでもしぶっていたが、ドン・キホーテに槍を突きつけられて、ついに、うん、認める、と言わざるを得なくなった。
その途端にバジルは元気よく起きあがり、キトリと手を取り合った。ロレンソは、そんな馬鹿な、とあわてたが、すでにその場は、めでたい、めでたいのお祭り騒ぎ。今度はロレンソが万事休す、の事態となり、娘を金持ちに嫁がせる夢ははかなく消え去った。
※ この後のガマーシュの扱いはいろいろです。ドン・キホーテがロレンソを説得するあたりで男たちにかつがれて退場になったり、ロレンソがキトリとバジルの結婚を認めるや、仕方がない、とばかりにあっさりと納得して三幕のお祝いに加わってみたり。また、三幕の結婚式が始める前に騎士のかっこうをして出て来てドン・キホーテに一騎打ちを挑むガマーシュもいます。
第三幕 (広場)
さて、キトリとバジルの結婚式が賑やかに開かれる事になった。ダンスを披露してくれる招待客たちが賑やかに入場してくる。ドン・キホーテとサンチョも来賓として席に着いた。
そして、ロレンソの合図でお祝いの踊りが始まった。
・ ファンダンゴ (スペイン舞踊 )
・ クラシック・ヴァリエーション1(女性数人)
・ クラシック・ヴァリエーションUキトリとバジルの登場
・ アダージオ
・ 第一ヴァリエーション (キトリの友人)
・ バジルのヴァリエーション
・ 第二ヴァリエーション (キトリの友人)
・ キトリのヴァリエーションwith 扇
・ コーダ
※ コーダはキトリとバジルの派手な回転合戦で始まります。キトリの友人のヴァリエーション等は省かれることもあります。
踊りが終わると、キトリとバジルの幸せを見届けたドン・キホーテはサンチョと共に新たな冒険に向けて旅立って行った。キトリとバジルをはじめ、一同は恩ある遍歴の騎士を、敬意をもって見送るのだった。
(終わり)
<MIYU’sコラム>
「ドン・キホーテ」基本情報
振付 マリウス・プティパ
台本 マリウス・プティパ
原作 ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドゥラ 「ドン・キホーテ」 "Don Quijote de la Mancha"
前編(1605年)、後編(1616年)
音楽 レオン・ミンクス
初演 1869年12月14日 於 モスクワ・ボリショイ劇場
このバレエはセルバンテスの「ドン・キホーテ」を原作としていますが、中心になっているのは後編19〜22章のバジル(バシリオ)とキトリ(キテリア)の結婚騒動で、ドン・キホーテは脇役となっています。
「ドン・キホーテ」はプティパ以前にも何度もバレエ化されていますが、その多くは前編のエピソードが中心となっていたそうです。後編のバシリオとキテリアのエピソードが初めて取り上げられたのは1801年にオペラ座で上演された「ガマーシュの結婚」だったそうで、プティパはそれを基に自分の「ドン・キホーテ」を作りました。
モスクワの初演では4幕8場でしたが、1871年にペテルブルクで上演した時には、5幕11場に改訂。ドン・キホーテがキトリをドゥルシネア姫だと勘違いするようになったのも、キューピッドに矢に射抜かれてドゥルシネア姫に恍惚とする夢の場が設けられたのも、この改訂からだ、という事です。
その後、1900年にはアレクサンドル・ゴルスキーがリアリズム演劇の手法に基づいて全面改訂しました。その後の版は実にいろいろなものがあるようですが、ほとんどのものがこのゴルスキー改訂のボリショイ版に基づいているのだそうです。このゴルスキー改訂のボリショイ版の特徴を、小倉重夫氏は以下のように表現しておられます。
「…主役中心の演出を廃し、コールド・バレエや舞台全体のアンサンブルも舞踏によるドラマの一要素とし、プティパ・バレエの特徴である厳格なシンメトリカルな舞台構成を止め、踊り手一人一人に自然な演技、ドラマティックな表現を要求したことである。」(「バレエ音楽百科」音楽之友社)
そう言えば私が見たどの版も舞台のあちらこちらで何やらごそごそと小芝居をして、主役を食ってしまうほどおもしろかったです。プティパは、「おれの作品をめちゃめちゃにしやがった。」と激怒したそうですが、そういった改訂によって、「ドン・キホーテ」は踊りが素晴らしいだけではなく、親しみやすくて楽しいものになったのですね。
バレエの基となった原作・後編19〜22章のあらすじ
ドン・キホーテは武芸試合に参加するためにサラゴサへ向かいますが、その途中で4人の農夫と学生に出会い、彼らの村で行われる盛大な婚礼に招かれます。花婿は大金持ちの農民カマーチョ、そして花嫁は同じく農民の娘キテリア。器量よしのキテリアにはバシリオという幼なじみの恋人がいましたが、キテリアの父親は財産のないバシリオに娘をやりたくないので、大金持ちのカマーチョとの縁談をさっさとまとめてしまったのです。
キテリアとカマーチョの婚約を知った日からバシリオは独り言以外は口をきかなくなり、食べることも眠ることもせず、さながら生きた彫刻と化してしまいました。
さて、ドン・キホーテは誘われるままに、そしてサンチョは婚礼のご馳走に惹かれて、婚礼へと出かけていきました。婚礼は草原の木立で開かれていました。たくさんの人が集まっており、ご馳走も山ほど出され、剣を使う男たちの舞踏や、美しい娘たちの踊りも披露されました。キューピッドや妖精に扮した踊り手も現れ、素晴らしい歌や踊りで婚礼は盛り上がりました。
そして司祭や親族に伴われて新郎新婦も登場。しかし、そのめでたい席に突然バシリオが現れ、「薄情なキテリアよ、君がカマーチョと結婚するなら僕は死ぬ。」と言い捨てて、剣の切っ先に飛び込んで、刃に貫かれてしまいます。血がどっと流れ出しました。
そしてバジリオは苦しい息の下で、「もうすぐ死んで行く僕だが、キテリアに『妻になる」』言ってもらいたい。」と望みを口にしました。ドン・キホーテも最後の望みをかなえてやれ、と言い、バジリオの友人たちもそうだ、そうだとカマーチョに迫ったので、ついにはカマーチョも同意しました。キテリアは一旦瀕死のバシリオと結婚し、バシリオが死んだ後、改めてカマーチョと再婚する、という事になったのです。
そしてキテリアはバシリオの妻になる、と誓い、司祭はバシリオとキテリアの手をとり、祝福しました。するとバシリオはすっくと立ち上がり、身にささっていたはずの剣を難なく抜き取ったのです。自殺はキテリアを取り戻すための狂言でした。(流れ出した血は、あらかじめ袋の中に用意して来たものでした。)
カマーチョ側は怒りをあらわにしましたが、ドン・キホーテがそれを説得、または槍で脅迫。司祭のとりなしもあり、カマーチョも納得して事は何とか収まりました。
バシリオは恩人のドン・キホーテを手厚くもてなします。そしてドン・キホーテは3日間をバシリオのもとで過ごした後、「多芸多才もいいが、勤勉に働いて貧乏を脱するように。」と説教をした後、次の冒険に出かけて行くのでした。
※ バシリオは運動は万能、歌もギターも上手、剣の達人でもある事になっています。現在ならプロスポーツ選手や芸能人にもなれるのでしょうが、当時はこれらの芸ではお金が稼げなかったようですね。なお、バレエではバジルは貧しい床屋という事になっていますが、原作が書かれた頃の床屋は医者の役割を兼ねるなど、村でも一目おかれる存在だったようです。
その他、原作との関係
直接的に基ネタとなった後編19章から22章の他にも、バレエは原作のいろいろな所を拾い上げています。ドン・キホーテが風車を巨人だと思って突撃した挙句気絶する前編のエピソードは2幕の夢の場面の直前にもってこられていますね。
また、前編でドン・キホーテは宿屋を城、宿屋の娘を姫だと思い込む妄想にとらわれています。そしてその結果、様々なドタバタ騒動を引き起こし、ドン・キホーテもサンチョも散々な目に会うのですが…。
原作に出て来るキテリアは農民の娘ですが、バレエで宿屋の娘という事になっているのは、このへんのエピソードもからめているのでしょう。
そして原作のドン・キホーテは、「遍歴の騎士が宿賃を払うなど、聞いた事もない。」と言って宿賃を踏み倒して出発しようとしますが、その際にサンチョが宿屋の主人や物好きの泊り客につかまってしまい、毛布にのせられて何度も空高く放り上げられます。
この「サンチョの毛布上げ事件」もバレエの一幕の街の人々とのシーンで取り上げられています。バレエではドン・キホーテが宿賃を踏み倒すのではなく、食い意地の張ったサンチョが宿屋の食料を盗み食いする、という事になっていますが。
また、一幕のキトリとバジルのアダージオの途中でドン・キホーテがキトリの手をとって優雅にメヌエットを踊りますが、原作のドン・キホーテはダンスは全くダメです。後編で舞踏会に参加させられる場面がありますが、全く踊れないのをいたずら好きの女性たちに引っ張り回されて、くたくたボロボロになってしまいます。
※こういったところから、ロレンソの宿屋を城だと思い込み、街の人々が踊っているのを舞踏会だと勘違いして、姫であるキトリの手をとってメヌエットを踊っているのだという解釈もあるようです。
そもそもロレンソという名前ですが、これはドン・キホーテが思い姫であるドゥルシネア姫のモデルとしたトボーソ村のアルドンサ・ロレンソという女性から来ているものと思われます。ドゥルシネアというのは、「もとの名が生きていて、しかもやんごとない姫君や淑女方に似合う名」だと思ってドン・キホーテが考え出した名前です。
※ アルドンサ・ロレンソという女性は実際には一度も登場しません。
前編の1章では、「姫にはあの女性を、と思いついた時はさらに喜んだ。それは近くの村の百姓娘で、なかなかの器量よしであったという。ひところ娘に胸を焦がしていたが、娘は露知らず、騎士殿が思いを伝えようとしたふしもない。名はいかにも鄙、アルドンサ・ロレンソ。」となっています。
前編でドン・キホーテはドゥルシネア姫への手紙をサンチョに託して、返事をもらってこい、とお使いに出します。そしてこのあたりからドゥルシネア姫のイメージはえらい事になってしまいます。そもそもサンチョは渡すべき手紙をドン・キホーテから受け取っていない上に(ドン・キホーテも渡すのを忘れている)、姫を捜すのがめんどうになって、会いもしないままに戻り、口から出まかせの報告をドン・キホーテにするのです。
この報告の内容がすごいのです。姫のお住まいに参上した時、姫は小麦をふるっておられた、とか、姫は胸毛が生えていて体臭がきつかったとか、男並のすごい体格とか、ガハハと豪傑笑いをしたとか…。それでもドン・キホーテの姫への恋心はびくともしません。
後編ではドン・キホーテ自らトゥルシネア姫に会いに行きます。サンチョに道案内を頼みますが、前回は出まかせで切り抜けたサンチョは困ってしまい、たまたま通りかかった3人の下品で醜悪な百姓女をドゥルシネア姫と侍女たちだと更に出まかせを言います。
ドン・キホーテの目には百姓女そのままにしか映りませんが、「そんな風にしか見えないのはドゥルシネア姫が魔法にかけられているからだ。」と、サンチョはうまくドン・キホーテを言いくるめてしまいます。(ドン・キホーテは魔法だと言えば、何でも信じてしまうのです。)
その場は「魔法にかけられたお気の毒な姫よ…。」とドン・キホーテが嘆いて終わるのですが、結局サンチョはそれらの出まかせのツケを払わせられる事になります。
後編でドン・キホーテ主従が武芸の試合のためにサラゴサへ向かうのですが、アラゴンでさる公爵夫妻がドン・キホーテ主従を待ち受けており、館へ招いて歓待します。
※ 後編ではドン・キホーテの武勇談が本として出版されていて大人気という事になっており、公爵夫妻はドン・キホーテとサンチョの大ファンなのです。
しかし、公爵夫妻は何しろヒマだし、大のいたずら好き。何かと主従をからかうべくいたずらを仕掛けます。そんな事とは露知らないサンチョは、自分がドゥルシネア姫について嘘八百でドン・キホーテをだました事をいい気になって公爵夫人にしゃべってしまいます。
そこで公爵夫妻はサンチョをからかういたずらを考案。召使に命じて魔法使に化けさせ、「サンチョの尻をむき出しにして鞭で3、300発自ら打たせれば、ドゥルシネア姫の魔法は解け、美しい姿を取り戻すであろう。」と言わせるのです。
もちろんドン・キホーテはこれにコロリとだまされ、サンチョに自分のお尻を鞭で打つように迫ります。哀れ、サンチョは真っ青。自業自得ではありますが、それからはずっと、どうやって鞭打ちから逃れようかと知恵を絞ることになります。結局は闇夜にまぎれて、お尻の代わりに樹の幹を打ってごまかすのですが。
このように、原作ではドゥルシネア姫にまつわるエピソードは散々なものとなります。バレエの夢の場の美しさとはえらい違いですね。
版によってはこのいたずら好きの公爵夫妻がバレエに取り入れられている事もあります。ドン・キホーテが風車に激突して気絶した後、サンチョが助けを呼びに行くのですが、その時に狩をしていた公爵夫妻に出あうのです。そして主従は館に招待され、、キトリとバジルの結婚式も公爵の館で開かれる、という事になるようです。
また、結婚式の直前にガマーシュが騎士の姿をしてドン・キホーテに一騎打ちを挑む版もありますが、これの基となるようなエピソードも原作後編にあります。サンソン・カラスコという同じ村に住む予科学士がドン・キホーテを村に連れ戻そうとして騎士に化け、果し合いを申し込むのです。
※ 原作にはドン・キホーテの目を覚まさせて村に連れ戻そうとする人々が他にも登場します。同居する姪とその乳母、友達の神父や床屋のニコラス親方といった面々です。神父などは自らお姫様に化けてまで何とかしてドン・キホーテを村へ連れて帰ろうと企むのですが、真剣に心配しているというより、心配しているつもりで実はドン・キホーテをおもちゃにして楽しんでいるような感じです。
そしてドン・キホーテが負けた場合は遍歴をやめておとなしく村に帰る、という約束をさせますが、初回はサンソン・カラスコ扮する鏡の騎士の馬がぐずぐずしている間にドン・キホーテに打ち負かされてしまい、ドン・キホーテは意気揚々と旅を続けます。
2回めの対決はバルセロナで行われます。今度は銀月の騎士を名乗るサンソン・カラスコはついにドン・キホーテに勝利し、ドン・キホーテは約束通り、故郷の村へ帰ることになります。
そして村へ帰ったドン・キホーテは熱を出し、数日後に亡くなってしまいます。最後は常識的な村の郷士アロンソ・キハーノに戻り、遺産の相続者である姪に、騎士道小説を読み耽る男とは結婚するな、と遺言しつつ…。
ちょっとさびしい終わり方ですが、「ドン・キホーテ」人気に乗じて勝手に他人が続編を書くことができないように主人公の人生を終わらせてしまったようです。そもそも後編を書いたのも、贋作に対抗するためだったようですし。できればバレエのように、意気揚々と次なる冒険に向かって出発する形で終わって欲しかったですね…。
さて、プティパのバレエの主人公はキトリとバジルであり、バレエと原作はあまり関係がないようにも思えますが、捜してみれば案外つながりはあるもの。原作は1605年に出版された前編と1616年の後編があり、かなり長いですが、いろいろと訳も出ていますので、興味のある方は少しずつでも読んでみてください。時には爆笑、時にはあきれ…また時代や国民性の違いを感じながらも、きっと楽しめると思います。
<参考文献>
DVD「ドン・キホーテ」 マリインスキー・バレエ(ゴルスキー版)
於 サンクト・ペテルブルク マリインスキー劇場 2006年
配役 キトリ・・・・・・・・オレシア・ノーヴィコワ
バジル・・・・・・・レオニード・サラファーノフ
発売元 DECCA
DVD「ドン・キホーテ」 アメリカン・バレエ・シアター(バリシニコフ版)
於 メトロポリタン・オペラハウス 1983年6月
配役 キトリ・・・・・・・・シンシア・ハーヴェイ
バジル・・・・・・・ミハイル・バリシニコフ
発売元 NVC ARTS
「ドン・キホーテ」 ”Don Quijote de la Mancha” 前編 上・下 後編 上・下
ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドゥラ/著
荻内勝之/訳
新潮社
CD「ドン・キホーテ」 ソフィア・ナショナル・オペラ・オーケストラ
発売元 NAXOS
バレエ誕生 鈴木晶/著 新書館
バレエ音楽百科 小倉重夫/著 音楽之友社
レニングラード国立バレエ公演パンフレット(2007−2008)
東京バレエ団公演パンフレット(2008)
新国立劇場バレエ団パンフレット(2009−2010)
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