椿姫 小説 アレクサンドル・デュマ・フィス/作 (1848年)
ラ・トラヴィアータ(椿姫) オペラ ジュゼッペ・ヴェルディ/作曲 (1853年)
アルマンとマルグリット バレエ フレデリック・アシュトン/作 (1963年)
椿姫 バレエ ジョン・ノイマイヤー/作 (1978年)

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あらすじ


 19世紀半ば、パリの裏社交界では、若さと美しさを武器に男から金を吸い上げる高級娼婦たちが騒々しく派手な生活を送っていた。いつも椿の花で身を飾っているマルグリット・ゴーチェはその中で最も美しく金使いの荒い女のうちの一人として有名だったが、肺を患っており、自分の命がそんなに長くない事を知っていた。罪深い女としての惨めな末路が見えて来たマルグリットは、心の救いを求めながらも得られず、放埓な生活で死の不安を紛らわせ、病状を悪化させて行った。
 そこへアルマン・デュヴァールという青年が現れ、マルグリットの身体を心配し、心からの愛を告白した。マルグリットは心を動かされ、アルマンを商売抜きの愛人にした。世間知らずで純粋なアルマンの愛は、男と嘘と金銭トラブルでまみれたマルグリットの生活と摩擦を起こしたが、マルグリットは次第に彼の一途な愛に心を奪われるようになった。パリでの贅沢な生活は意味を失い、マルグリットはパトロンたちとも高級娼婦としての生業とも縁を切った。そして静かな郊外でアルマンとのつつましく清らかな愛の生活に残された人生のすべてを賭けるようになった。
 しかし二人の仲はアルマンの父親の知るところとなり、父親はマルグリットを訪れ、「たとえ二人の愛が本物であり、あなたが改心したと言っても、一度道を踏み外した女を世間は許さない。息子を本当に愛しているのなら、今のうちに別れて欲しい。」と説得した。父親の説得に現実に帰ったマルグリットは、アルマンの将来を守るために、唯一の希望である愛の生活をあきらめて身を引く決心をした。パリに戻ったマルグリットは、心ならずも新しいパトロンを作り、高級娼婦稼業に戻った。事情を知らないアルマンは裏切られたと思い込み、彼女をさいなむ事に激しい情熱を傾けた挙句、傷ついた心を抱いて外国へ旅立った。
 身も心も深く傷ついたマルグリットの病状はどんどんと悪化し、ついに死の床についた。世間からは全く忘れ去られ、誰からも見捨てられてしまったが、心の中はアルマンへの愛に満たされていた。いつかアルマンが別れの本当の理由を知る事を願って、事の顛末を手記に書き記し、自分の死後アルマンに渡してくれるように、と友人に託した。アルマンはマルグリットの危篤を知り、急いでパリへ向かったが、間に合わず、マルグリットは最後までアルマンへの愛を唯一の希望として、孤独のうちにその短い生涯を終えた。
 (終わり)
※オペラ「ラ・トラヴィアータ」、バレエ「椿姫」(ノイマイヤー版)、バレエ「マルグリットとアルマン」(アシュトン版)の物語はMIYU’sコラムにあります。


<詳しい物語>


 1847年の春のことである。作家修行中の「私」は、クルチザンヌ(高級娼婦)として名高かったマルグリット・ゴーチェの遺品を処分する競売に出かけて行き、「マノンをマルグリットに贈る。つつましやかなれ。」という書き入れに興味を惹かれて、「マノン・レスコー」の本を高額で競り落とした。しばらくすると、金髪で背の高い青年が「私」を訪ねて来て、「マノン・レスコー」を譲ってくれと申し入れた。ひどく取り乱したその青年はアルマン・デュヴァールと言い、マルグリットに「マノン・レスコー」を贈った本人であった。「私」は「マノン・レスコー」を無償で贈呈し、どうやら込み入った事情があるらしいが、よければその事情を話してくれないか、と頼んだ。今はまだ混乱していて話せる状況ではないが、もう少し落ち着いたらお話しましょう、とアルマンは約束した。
※「マノン・レスコー」…アベ・プレヴォーの小説(1731年)。名門に生まれた騎士デ・グリューは享楽的な美少女マノン・レスコーに一目惚れし、名誉も幸せもすべて失いながらも、どこまでもマノンに誠実な愛を捧げ続ける。
 アルマンはマルグリットが死んだ事をまだ納得する事ができず、どうしても一目会いたい、変わり果てた姿でも見なければ想いを断ち切る事ができない、という気違いじみた熱情につき動かされ、永久墓地に埋葬し直すという口実の下、マルグリットの遺体を掘り起こす事にした。アルマンに頼まれた「私」は墓を掘り返すのに立ち会うが、変わり果てたマルグリットの姿にアルマンは発狂寸前となり、脳膜炎で倒れてしまった。「私」は15日間、看病を続け、アルマンはやっと回復し始めた。そして自分の胸の中の想いを吐き出すように、「私」にマルグリットとの物語を語り始めた。以下は「私」がアルマンから聞いたものを脚色せずにそのまま書き記したものである。



 マルグリット・ゴーチェはクルチザンヌと呼ばれる高級娼婦の中でも一際目立つ美しい女で、いつも椿の花束で身を飾っていたため、椿姫というあだ名がついていた。彼女は並外れた贅沢ぶりでも有名で、彼女のために破産させられた男は数え切れないとも言われていた。そのくせ、他の女たちにはないような情があり、田舎から家出して来てこのような稼業に足を踏み入れた女とはとても思えない気品を感じさせる女でもあった。
 アルマン・デュヴァールは少しは遊びも覚え始めた年頃の青年で、普通に暮らす分には余裕はあっても、マルグリットのような女を囲うだけの財力のある男ではなかった。しかし彼は初めてマルグリットを見かけた折に一目惚れしてしまった。その際には世慣れない態度を笑いものにされ、頭に血がのぼってそれきりになったが、マルグリットの印象は彼の心の奥に深く刻み込まれた。その後、マルグリットは肺の病気になって湯治に出かけてしまい、しばらくは姿を見る事もなかった。
 2年後、ヴァリエテ座という劇場でマルグリットを見かけたアルマンは、再び心が燃え上がるのを感じた。そしてマルグリットの隣に住み、男たちとの仲介役をしているプリュダンス・デュヴェルノワという中年女の仲立ちでマルグリットに近づき、家に招き入れられた。マルグリットは気に入らないN伯爵を侮辱して追い出した後、夜中まで陽気に騒いでいたが、突然咳き込んだかと思うと自室へ逃げ込んで喀血した。マルグリットは不治の病に犯されており、その不安を紛らせようと享楽的な生活を送った結果、病状はどんどんと悪化して行ったのであった。数多くいたパトロンも、病身の彼女から遠ざかり、今や彼女を支えるのは昔なじみのG伯爵と、退屈で年老いた公爵のほぼ二人だけになっていた。
 アルマンは後を追って行き、自分が彼女の事でどれだけ心を痛めているか、もっと身体を大切にして欲しい、と涙ながらに訴えた。マルグリットはアルマンが自分に惚れているのに気がつき、自分のような女とは適当に付き合った方がいい、と忠告した。しかしアルマンは引き下がらず、粘り強く彼女への想いを訴え続けた。マルグリットは情を動かされ、「信じる、おとなしく言う事をきく、でしゃばらない」を条件として、アルマンを商売抜きの愛人として受け入れる事にした。



 最初こそ天にも昇る心地だったアルマンであるが、マルグリットが老公爵からの金が予定通りに入るかどうかを気にして上の空になったり、G伯爵と会うために嘘をついて逢瀬の約束を反古にしたりする事態に直面し、驚くと同時に早くも我慢ができなくなってきた。高級娼婦の舞台裏を知るプリュダンスは、こういう女に本気になっても仕方がない、お金がないくせに彼女とつきあいたいのならば、今の立場に甘んじるしかない。それがいやならば別れなさい、とアルマンに説教した。プリュダンスの言う事がもっともなのはわかるだのが、若く潔癖なアルマンは嫉妬や独占欲、プライド、そして自身の潔癖な理想を捨て去る事はできなかった。
 マルグリットもそんなアルマンの気持ちを尊重し、夏には郊外に家を借りて、稼業を少し休んでアルマンと二人で暮らそうと計画をたてた。しかしそれもまた金銭なしには立ち行かない事柄だった。この計画のためにG伯爵から金を引き出そうとしたマルグリットはアルマンに嘘をついて伯爵の相手を努めたが、アルマンはそれがまた我慢ができず、もはや二人の仲もこれまでだ、とマルグリットの家の鍵に別れの手紙を添えて突っ返した。しかしそんな感情的な事をすればするほど、マルグリットへの想いがいかに断ち切り難いものであるかを悟ったアルマンは、プリュダンスに再び仲を取り持ってもらい、泣いてマルグリットに謝った。
 アルマンは自分の勝手な行動を許してくれたマルグリットへの想いを一層深めて行き、、死の影に脅えながらも、自分との愛に最後の夢を見出そうとするマルグリットに、最大の愛を持って報いようと決心した。もはやG伯爵に嫉妬する事もなくなり、「マノン・レスコー」を贈ったのもこの時であった。しかし高級娼婦の愛人という立場を受け入れたアルマンは、マルグリットとの遊行費を捻出するために賭博に手を出し、堅気とは思われぬ放埓な生活にふけるようになった。そして父親や妹の待つ故郷への帰省も怠るようになった。


 


 マルグリットとアルマンは、夏をパリの郊外にあるブージヴァールという静かな町で過ごす事にした。ブージヴァールでの生活に必要な金銭は年老いた公爵から出ていたが、遊びに来た賑やかな若い友人たちが公爵をからかった事から、公爵はへそを曲げ、マルグリットから手を退いてしまった。そして誰も郊外の家には寄り付かなくなったのだが、それがアルマンには幸いし、彼はマルグリットと水入らずの生活を心ゆくまで楽しむ事ができた。のんびりした自然の中で贅沢を捨て去ったマルグリットは実に清らかで、高級娼婦の面影は消えていた。もはやマルグリットにとってパリでの騒々しい贅沢な暮らしは意味を持たず、ブージヴァールでのつつましいアルマンとの愛の暮らしに残された命をすべてを捧げようとしていた。
 マルグリットは高級娼婦としての生活からはきっぱりと足を洗う決心をし、復縁を迫る公爵の申し出も断り、今までの借金を払うために、プリュダンスに頼んで馬車や豪華な宝石類、衣類を処分した。それを知ったアルマンはマルグリットのために何かしてやりたいと思い、公証人の下に出向いて母の遺産をマルグリットに譲り渡す手続きをとった。それが父親のデュヴァール氏の知るところとなり、デュヴァール氏は話があるからパリで待っている、と手紙をよこした。
 パリでアルマンを待っていたデュヴァール氏は、お前の悪い噂のせいで妹の縁談が破談になりかかっている、今すぐマルグリットと縁を切るように、と言い渡した。しかしアルマンは何があってもマルグリットとは別れない、と言って父親を怒らせてしまった。
 アルマンの決心は固かったが、デュヴァール氏の登場はマルグリットの心の平和をかき乱した。マルグリットの様子は日に日におかしくなり、ある日、アルマンがパリから帰って来ると、マルグリットはいなくなっていた。夜中まで待っても帰らないのを心配したアルマンは暗闇の中を徒歩でパリまで戻ったが、そこで見たのは、豪華な衣装を纏ったマルグリットの姿であった。マルグリットはあれほど嫌っていたN伯爵を新しいパトロンにして、元の高級娼婦としての派手な生活に舞い戻っていたのだった。



 …あんなに自分を愛しているように見えたのに、嫌っていたN伯爵をパトロンにしてまで豪華な衣装やお芝居などの浮かれた生活に戻りたかったのか…気高い天使にも見えたあの女はやはりただの娼婦だったのか…ショックを受けたアルマンは、茫然自失状態で父親に連れられて故郷へ帰ったが、やがて自分を取り戻すと、マルグリットへの激しい執着を抑えきれなくなり、パリへ戻った。そしてオランプという美しいが性悪の娼婦を愛人にし、その女と共にマルグリットをいじめ、侮辱するという形で自分の断ち切れぬ想いをぶつけ続けた。
 アルマンの行為は激しい愛情の裏返しだとわかっていたマルグリットは黙ってされるがままになっていたが、ついに限界に達し、そっとしておいて欲しい、と頼むためにアルマンに会いに行った。するとまた激情が抑えられなくなったアルマンはマルグリットを抱きしめて一夜を過ごした挙句、帰った彼女を追いかけて家まで押しかけた。N伯爵が来るから、と追い返され、嫉妬から自制心を失ったアルマンは、「これは昨夜娼婦としてのあなたを買った代金です。」という侮辱の手紙に紙幣を同封してマルグリットに送りつけた。ついに心身ともに消耗してしまったマルグリットは、英国へと逃げ出した。いたたまれなくなったアルマンも近東へ旅立った。



 アルマンはアレクサンドリアにいた時にマルグリットが危篤である事を聞き、急いでマルグリットに手紙を書き、パリへ引き返した。そしてツーロンまで帰って来た時、マルグリットからの返事を受け取った。その返事には、アルマンに会いたい、だけどきっと自分はアルマンが帰って来るまで生きてはいられないだろう、パリに帰ったらジュリー・デュプラという女性から私の手記を受け取って読んでほしい、と最後は読めないぐらい弱々しい筆跡で書かれていた。
 アルマンがパリに着いた時はマルグリットはすでにこの世の人ではなく、埋葬も済み、競売さえ終わった後であった。そしてアルマンはマルグリットの最期を看取った友人のジュリー・デュプラから手記を渡された。そしてアルマンはその手記によって、ようやくマルグリットの本当の気持ちとその最期の日々がいかなるものであったか、を知ったのだった。
 ここまで話したアルマンは手記を「私」に渡して読んでくれ、と言ったまま、精魂尽き果てたように軽い眠りに陥った。以下はマルグリットの手記とジュリー・デュプラが書き足したマルグリットの最期の様子をまとめたものである。



 「やがてマルグリットはパリへ帰ったが、心身の激しい消耗により病状はどんどんと悪化し、ついに死の床に伏せるようになった。咲き誇るようだった美貌もすっかり衰え、男たちの熱い視線の中心にいて一、二を争う高級娼婦であった面影はもはやどこにも見られなくなっていた。パトロンにも見捨てられ、マルグリットを利用して利益をあげていたプリュダンスのような女も寄り付かなくなって、世間からは全く忘れられた存在となっていた。そして派手な生活をしたツケとして、債権者が家に上がり込み、死後の競売の準備として、持ち物を一つ残らず差し押さえて行った。
 そんなマルグリットの心の中はアルマンへの愛でいっぱいだった。今は傷つき、自分を恨んでいるだろうが、やがて真実を知れば、きっと感謝し、いつまでも愛してくれるに違いない。そう思う事がマルグリットの心の支えのすべてだった。マルグリットはいつかアルマンが真相を知るように、事の顛末を手記に書き記した。
 『お父様はあなたがパリに行っている間に、私に会いにいらっしゃいました。最初はいかがわしい女相手だと思って高飛車な態度で息子と別れるように、とおっしゃったのですが、私が過去とは一切縁を切り、心からあなたを愛している事を申し上げると、あなたにお願いがある、と私に頭をお下げになりました。そしておっしゃったのです。

 …たとえあなたが生業とは縁を切り、気高い心をもって息子を愛しておられても、一度道を踏み外した女を世間は決して許してはくれない。今は息子もあなたに夢中になっているが、長い年月が経ったらどんな情熱でも冷めてしまう。そしてあなたと一緒になった事で世間からはじかれ、出世の道も閉ざされてしまった時、息子はあなたと一緒になった事を後悔し、あなたを疎ましく思う事だろう。本当に息子を愛しておられるなら、今のうちに別れて息子の将来を守ってやって欲しい…。

 お父様のお言葉は私が内心抱えていた不安を思い出させ、現実に帰らせました。私は残された唯一の希望である愛の生活をあきらめ、あなたの将来のために身を退く決心をしました。何時の日か真実を知ったあなたにいつまでも愛される事を私は選んだのです。

 そして一人パリへ帰り、心ならずもN伯爵の囲い者になり、高級娼婦稼業に舞い戻りました。ただ離れて行くだけでは、あなたがどこまでも私を追いかけていらっしゃる事がわかっていたからです。そして哀しみを忘れるために、より一層派手で放埓な生活にのめり込んで行ったのでした。あなたの攻撃を受けて、私は苦しみながらも耐えていましたが、ついには追い詰められ、パリから逃げ出しました。そして帰って来た時はもうあなたは旅立っておしまいになっていたのです。

 それからは私の身体はどんどんと悪くなって行き、もう命もそう長くはもたないでしょう。すでに世間からは忘れ去られ、相手にしてくれる方とてありません。一目あなたにお会いできれば、どんなに幸せな事でしょう。』
 この手記を書き終えたマルグリットは日に日に弱って行き、話す事も身動きする事すらできなくなったが、扉が開く度にアルマンかもしれないと思うらしく、目に輝きが浮かんだ。アルマンさえ帰ってくればまた元のように元気になり、二人で幸せに暮らせるとでも信じているかのようであった。そして苦しい日々を孤独に過ごし、よいよ最期の時が近づいたマルグリットはうわ言で数回アルマンの名を呼んだ後、息絶えた。」



 すべてを「私」に語り終えたアルマンは心の重荷を降ろしたかのように見え、目に見えて回復していった。そして二人でマルグリットの墓に詣で、その後「私」はアルマンと共に故郷の父親、デュバール氏を訪れた。そしてアルマンを愛情にあふれた父親や妹に引き渡して安心した「私」はパリへ戻り、この物語を一気に書き上げた。
 「私」は最後にこう記している。━━━娼婦に同情の目を持ってこのような物語を書いた事を不愉快に思う人がいるかもしれない。しかしたとえ娼婦であっても、真の愛に目覚めて悔い改め、悩み苦しんだ後に浄化される者もいるのだ。稀なケースではあろうが、ここに記したマルグリットの物語は真実なのである。
(終わり)




<MIYU’sコラム>


<原作とそのモデルについて>

 この物語は「三銃士」や「モンテ・クリスト伯」で有名なアレクサンドル・デュマ・ペールの息子、アレクサンドル・デュマ・フィスが自分とその恋人であった高級娼婦のマリー・デュプレシとの実話を元に創作したものです。
 父親のデュマは作家を志望し、単身田舎から出て来て成功をつかんだ、豪快で魅力的な男性でした。しかし今ひとつ道徳的と言えないところもあり、まだ貧乏だった頃に同郷の女性と生活上の都合から同棲し、息子のアレクサンドル(父と同じ名前です。区別するために父をペール、息子をフィスと呼んでいるようです。)が生まれました。
 父デュマは作家として成功した後は、たくさんの女優などと関係、または結婚しましたが、ついにアレクサンドルの母親のカトリーヌとは結婚しなかったようです。後に認知はしましたが、アレクサンドルはフィス(いわゆる私生児)であったのです。社会的な枠が厳然としてあった当時の社会では白い目で見られ、アレクサンドルは父親を愛しながらも、自分が私生児である事に悩み、父親に群がる女優などの派手な女性たちを非常に嫌い、自分自身は道徳的な人物であろうと努力をしたそうです。
 そんなアレクサンドルですが、父を見習って作家になろうと思いながらも思うようにはいかずに悶々としていた頃に、当時の裏社交界で一際目立つ存在であったクルチザンヌ(高級娼婦)のマリー・デュプレシ(本名アルフォンジーヌ・プレシ)に一目惚れしてしまいました。そこから堅気ではない女性たちに対しても理解を示すようになり、それどころか、私生児として差別される自分と同じ被差別者としての境遇に心を寄せるようにもなりました。そしてマリーとのいきさつを元に、悔い改めた高級娼婦を主人公として書いたのが、この「椿姫」なのです。



 アレクサンドルとマリー・デュプレシとの恋の顛末は、アルマンがマルグリットに別れの手紙と共に家の鍵を突っ返すところまでは、「椿姫」の物語とほぼ一致するらしいです。しかし現実のマリーは享楽的な生活をやめる事などとうていできず、自分の潔癖な理想を押し付けるアレクサンドルにうんざりしてケンカが絶えなくなり、ついにアレクサンドルはマリーに家の鍵を返すと共に別れの手紙をたたきつけて、それきりになってしまったのです。
 マリーと別れたアレクサンドルは父親と共に長い旅にでかけましたが、それから半年ほどしてマリーの病状は悪化し、物語のマルグリットのごとく、亡くなってしまいました。マリーの死を知ったアレクサンドルはかなりのショックを受け、あんな別れ方をしてしまった事に対する後悔もあったのでしょう。まもなく猛烈な勢いで集中し、マリーにかくあって欲しかった、という思いを込めて「椿姫」を書き上げたのです。実在の有名人をモデルにしたこの小説は、発表と共に大変な反響を呼びました。
 アレクサンドルと別れた後、マリーは有名な作曲家であるフランツ・リストに自分から近づきました。リストには大人の落ち着きと包容力があり、アレクサンドルに未熟な理想やエゴを散々ぶつけられてうんざりしていたマリーには、理想的な恋人と思われたのでしょう。しかし大人としての知恵を持つリストには、マリーのような女性と深入りする気はなく、まもなく去っていきました。
 その頃からマリーの病状はいよいよ悪くなっていき、自分の命が残り少ない事を知ったマリーは、何とか日陰から脱して陽のあたる場所にたどり着きたいと思い、嫌われながらも最後まで自分の側にいたペルレゴオ伯爵と結婚しました。この結婚の手続きは英国でなされ、故意か偶然か、フランスでは無効なものであったのですが、ともかく一応伯爵夫人という称号を手に入れたわけです。しかしその頃、ペルレゴオ伯爵はマリーに貢ぎ続けたせいで破産しており、マリーに渡すお金はもはや残っていませんでした。そして名ばかりの夫婦はケンカが絶えず、ペルレゴオ伯爵はマリーの元を去ってしまったのです。そして彼がマリーの元に戻ったのはいよいよ臨終という時でした。
 このペルレゴオ伯爵が一番マリーを愛した人物だったようで、この人のイメージがアルマンの中にも取り入れられ、また同時にN伯爵のモデルにもなっているようです。ペルレゴオ伯爵は小説と同じようにマリーを仮の墓地から永久墓地へ埋葬し直し、墓地を椿の花で埋めつくしました。以後自分は生涯独身を通した、という事です。
 さて、小説やバレエの題名の一部ともなった椿の花ですが、これについて小説では、「月の25日間はその椿の花は白く、あと5日間は紅であった。どうしてそんな風に色をとりかえるのか、誰にもわからなかった。」(「椿姫」吉村正一/訳 岩波文庫より引用)となっていますが、実際はちゃんと理由があったようです。そしてみんなそれを知っていました。少なくとも、彼女に関心のある男性は。要は白の時は「いつでもOK。」であり、紅の時は「アレが来てます。」だったそうです。まあ、言ってみれば商売道具の一つ。やっぱりマリー・デュプレシはれっきとしたプロの娼婦でありました。そして創作とはこういうものなのか、とアレクサンドル・デュマの作家魂にも感心いたしました。



 アレクサンドルやマリーが生きた時代は、オルレアン家のルイ・フィリップが王位についていた時代で、産業革命が進展して貧富の差が拡大し、ブルジョワジーが台頭した時代でした。文化的にはロマン主義やロマンティック・バレエが花開いた華麗な時代でしたが、貧しい者にとっては生き難い時代であったようです。
 マルグリットのモデルのマリーは、父親には虐待され、小さい頃から回りの男たちのおもちゃになって、食べていくためには自分の身体を売るのが当たり前という生活をしていたようです。だからパリに出て自分の美貌を武器に高級娼婦となって憧れのすべてを満たし、それがために男たちを破産に追い込んで家庭を壊しても、それを悪い事とは思いもしなかったのでしょう。
 しかし厳しい道徳に律された表の社会には秩序というものが厳然としてあり、いかに若さと美しさで男を思うがままに操っているように見えても、高級娼婦など所詮はまともな社会からは相手にされない底辺の人間であったのです。しかも表社会に悪をもたらす汚らわしく罪深い女たちとして、許される事はなかったようです。
 今日ではたとえ娼婦であろうとも、「罪の女」などという言われ方をする事はあまりないと思います。確かに今でも売春は罪ですが、貧しさから売春をした人であっても、悔い改めたならば、それなりに生き直すチャンスもあるのではないか、と思います。そういう意味で、今を生きる私たちには、「椿姫」は少し理解しがたいところがあるかもしれません。
 親に虐待され、愛を知らずに身体を売って食べて行く事しか知らなかった女性が、死を目前にしてやっとめぐり合った愛。それなのに、「一度道を踏み外した女はいかに改心しても世間は決して許さない。」なんて、可哀想な話ですね。
 しかし「決して許されない。」というのはやっぱり、「許してはならない。」という社会的な必要性があったからなのでしょう。恋愛に対して何でもありだった貴族の時代と違い、ブルジョワジーの時代には堅実な家庭や労働が尊ばれ、厳しい道徳が人々(特に女性)を縛りました。若く美しく才知にとんだ下層階級の女性が男の心をつかんで表社会に入り込み、妻や子供を追い出せるのだとすれば、、堅実な社会なんて維持できません。そしてこういう暗黙のルールによって男たちは安心して女遊びをする事ができたのでしょう。
 そもそも娼婦を主人公にした小説を書くという事自体が不道徳ととられたらしいです。そういう事情もあって、作者は改悛後のマルグリットに苦しみの多い哀れな末路を与え、まるで受難の後昇天する聖女のように描きました。そのようにマグダラのマリア化する事で不道徳のそしりを切り抜けようとしたのかもしれません。(このあたりは「娼婦の肖像 村田京子/著 新評論」に詳しいです。また、アルマンがマルグリットの墓を暴くという異様な行動に出た理由の謎解きもあって、大変おもしろいです。)
 「椿姫」は19世紀半ばの社会という背景があってこその物語です。
 しかし、そんな19世紀半ばに生きた人たちもマルグリットの物語を競って読み、涙を流したというのですから、人の気持ちは時代を超えて普遍だとも言えそうです。

 


<オペラ椿姫 "LA TRAVIATA"について>
 
作曲     ジュゼッペ・ベルディ
初演     於 ヴェネチア・フェニーチェ歌劇場 1853年3月6日
 小説「椿姫」が評判になってすぐに「椿姫」を戯曲化して上演する話が持ち上がりました。アレクサンドルは自ら戯曲を書き上げましたが、テーマが不道徳だと言う事で、政府からはなかなか許可がおりませんでした。やっと上演できたのは、ルイ・ナポレオンがクーデターを起こして政治体制が変わった1852年2月2日の事でした。
 その観客席にはすでにオペラ作曲家として名をなしていたヴェルディがいたのです。さるソプラノ歌手との許されぬ愛に悩んでいたヴェルディは感動し、題名を「ラ・トラヴィアータ(道を踏み外した女)」として、オペラを書き上げました。
 変わったのは題名だけでなく、登場人物の名前もオペラ独自のものとなっています。

     
小説 オペラ
マルグリット・ゴーチェ ヴィオレッタ・ヴァレリー
アルマン・デュヴァール アルフレード・ジェルモン
父親デュヴァール氏 ジョルジョ・ジェルモン
マルグリットの友人の娼婦 フローラ
マルグリットのパトロン ドゥフォール男爵
マルグリットの最期を看取る召使 ナニーヌ


 初演は失敗であったと伝えられています。失敗の原因としては、歌手たちと役柄の声域がうまくマッチしていなかった、とか、主役のヴィオレッタを歌ったソプラノ歌手が太りすぎていて、肺を病んで死んでいく薄幸の美女にはとても見えずに滑稽だった、などいろいろな事が言われています。ヴェルディも「私の音楽が悪いのか、歌手が悪いのか」と悩んだそうですが、今では代表的な名作オペラとしてあちらこちらで上演されているところを見ると、「ヴィオレッタ超太りすぎ・健康優良児説」は正解なのかもしれません。何しろ初演の1853年にはヴィオレッタのモデル、マリー・デュプレシを知っている人がまだ何人もいたのですから。
 物語はラストが小説とは違い、まだヴィオレッタの息のあるうちにアルフレードが帰って来て二人は愛を確かめあいます。また、父親のジェルモンもヴィオレッタに別れを迫った事を後悔し、謝罪に訪れます。そしてヴィオレッタは二人と忠実な召使のナニーヌに囲まれ、息を引き取るのです。他にも違いは幾つかありますが、小説と舞台という表現方法の違いから来るもので、根本的に違うというわけではありません。
 以下、有名なアリア、二重唱などを織り交ぜながらご紹介します。



 第一幕

  ヴィオレッタの家で華やかな宴会が開かれており、たくさんの客で賑わっていた。ヴィオレッタはパリの裏社交界の中でも際立って美しく、有名な高級娼婦。アルフレードも友人に連れて来られて、憧れのヴィオレッタに紹介してもらった。アルフレードを中心にみんなで「乾杯の歌」を歌い、座は賑やかに盛り上がるが、肺の病に侵されているヴィオレッタは咳き込んでしまった。常々遠くでヴィオレッタを見て心を寄せていたアルフレードは、彼女の身体を心配しながら、愛を告白した。(ヴィオレッタとの二重唱「あの日僕は幸せでした」)
 客が帰った後、ヴィオレッタは自分がアルフレードに心を惹かれた事に気がついた。(「ああ、そはかの人か」)しかしハッと我に返り、自分はもはや真剣な恋をするような立場には戻れない、命ある限り快楽に身を任せて享楽的に生きるのよ、と自分に言い聞かせた。(「花から花へ」)

 第二幕・第一場

 結局ヴィオレッタは、高級娼婦としての生活を捨て、アルフレードとのつつましい愛の生活を選び、二人は静かな郊外で二人で暮らすようになった。しかし生活資金が底をつき、ヴィオレッタは馬車や宝石を売り払った。それをアルフレードが知り、お金を工面して馬車や宝石を取り戻そうとパリへ出かけて行った。(「僕の燃え滾る魂の」が歌われる。)
 そこへアルフレードの父親ジェルモンが現れて、息子とあなたの関係のせいで娘の縁談が破談になりかかっているので、今すぐ息子と別れるように、と迫った。
 ヴィオレッタは、どんなに自分が真剣にアルフレードを愛しているか、また自分は卑しい稼業からは足を洗い、贅沢品も売り払って、アルフレードとつつましく暮らしている事を切々と訴えた。
 しかし、いくら改心しても、一度道を踏み外した女を世間は決して許さない、長い年月がたてば恋も覚め、その時あなたと一緒になった事で世間からはじかれた息子はあなたを恨むようになるだろう、とジェルモンに説得され、ヴィオレッタは厳しい現実に目を向けて、アルフレードと別れる決心をした。(このあたりがヴィオレッタとジェルモンの二重唱「天使のように清らかな娘を神様は私に授けて下さった」〜「どうぞお話になってください、美しく清らかなお嬢さんに」
 ヴィオレッタはアルフレードに手紙を残してパリへ帰り、再びドゥフォール男爵の囲い者となった。その旨を手紙にしたためて行くが、それを読んだアルフレードは気が狂ったようになった。再びジェルモンが現れて、アルフレードを正気に返らせ、故郷へ連れて帰ろうとした。(「プロヴァンスの海と大地を」が歌われる)しかしヴィオレッタに裏切られたと思ったアルフレードは復讐心に燃え、ヴィオレッタを追いかけてパリへ行ってしまった。

 第二幕・第二場

 ヴィオレッタの仲間の高級娼婦フローラの家で仮装舞踏会が開かれている。ジプシーや闘牛士に扮したダンサーたちの踊りが場を華やかに盛り上げていた。
 
 アルフレードは賭博に興じていると、そこへパトロンのドゥフォール男爵と共にヴィオレッタが現れた。アルフレードと男爵は賭博で勝負をし、険悪な雰囲気になった。ヴィオレッタはアルフレードに、男爵はあなたをよく思っていないから、ここを去るように、と言うが、アルフレードはドゥフォール男爵はじめみんなを呼び集めて、賭けで勝ったお金で借りを返すと言って、ヴィオレッタに紙幣の束を投げつけた。ヴィオレッタはショックのあまり、気絶してしまった。
 ドゥフォール男爵はアルフレードに決闘を申し込み、客たちも女性を侮辱したアルフレードを非難した。ジェルモンも現れて、アルフレードを叱りつけた。(ヴィオレッタは悲痛な愛の叫び「ねえ、アルフレード、この心の内、…すべては愛のため」が歌われる。)

 第三幕 

 ヴィオレッタの寝室。第二幕から2ヶ月が経ち、ヴィオレッタは肺の病気が進行して死の床についており、側にいるのは忠実な召使のナニーヌだけ。アルフレードは決闘で男爵を負傷させた後、外国へ旅立っていた。ヴィオレッタはアルフレードとの仲を裂いた事を詫びたジェルモンの手紙を読み返していた。(ヴィオレッタのアリア「さようなら、過ぎ去った日と美しく楽しい夢よ」
 そこへ危篤を聞きつけたアルフレードが駆け込んで来た。二人は再会を喜び合った。再び二人で暮らす事を夢見る。(「パリを離れて僕たち二人」)しかしもはやヴィオレッタの身体は動かない。(ヴィオレッタの嘆き、「こんなに若くして死ぬなんて」が歌われる。)ジェルモンも到着し、ヴィオレッタに許しを乞うた。ヴィオレッタはアルフレードがつつましく清らかな女性と出会って結婚するならば、ぜひ自分の絵姿を渡し、天上であなた方の幸せを祈っている者からだ、と伝えて欲しい、と言い残す。(アリア「もしもつつましく清らかな」)そしてヴィオレッタは息を引き取った。


<バレエについて>

 バレエは演劇やオペラのようにセリフや歌詞がないので、複雑な内容を表現するのは難しいです。しかし見た目の美しさはやはりどの表現方法よりも優れているように思います。私はオペラの「椿姫」を観た後は、その音楽の素晴らしさ、ヴィオレッタの健気さにいつも泣いてしまうのですが、同時にヴィジュアルの悪さに泣いているようなところも無きにしも非ずです。(「椿姫」初演の失敗をご参照ください。)
 ジョン・ノイマイヤー振付の「椿姫」はこの点、素晴らしいです。まるで絵画を思わせる美しさなのです。私が見たのは、DVD用にスタジオで録画されたものだと思いますが、装置も衣装も豪華で、19世紀のパリの華やかな社会のイメージがよく伝わってきます。そしてダンサーたちの美しさ、踊りの見事さ。アルマンは背が高く金髪でスタイルもマスクもいいダンサーが演じ、マルグリットはちょっと年配すぎてアップに少々難があるものの、やはりすらりとしていて爪先まで美しいその様子は、まさしくバレエが夢の芸術である事を、今さらながらに感じさせてくれます。
 音楽はフレデリック・ショパンです。「椿姫」と言えばヴェルディと思い込んでいた私は最初は戸惑いましたが、少し霞がかった絵画のように繊細な美しさを持つこのバレエには、ショパンのピアノ曲(オーケストラも入っています。)こそふさわしい、と何度か観るうちに思うようになりました。 
 ショパンと言えば小説の作者アルクサンドル・デュマやマルグリットのモデル、マリー・デュプレシと同じ時代にパリに生きた人です。リストと違ってマリー・デュプレシの愛人であった事はないようですが、1849年にマリーと同じ肺の病気で死んでいます。同じ時代の空気を吸って生き、同じような不幸を背負った二人ですから、ショパンの曲でマリーをモデルにした物語を彩るのは、雰囲気がぴったりしているのも頷けますね。




「椿姫」ノイマイヤー版

     原作      アレクサンドル・デュマ・フィス
     振付・演出  ジョン・ノイマイヤー
     音楽      フレデリック・ショパン
     美術・衣装  ユルゲン・ローズ
     初演配役   マルグリット…マリシア・ハイデ
              アルマン  …エゴン・マッドセン
     初演      1978年 11月4日 シュツットガルトバレエ団

<プロローグ>
 クルチザンヌ(高級娼婦)として名を馳せたマルグリット・ゴーチェの遺品の競売が、彼女の住んでいたアパルトマンで開かれている。マルグリットを最期まで看取った忠実な召使ナニーナも今や住みなれたこのアパルトマンに別れを告げようとしていた。 囲い者の生活に好奇心をおこした堅気の婦人たちは品定めに夢中であり、、故人のパトロンであった公爵や故人に好意を抱き続けたN伯爵は故人が思い出され、それぞれ感慨にふけっていた。
 誠実そうな老紳士、デュヴァール氏も心に痛みを抱えているように見え、故人の美しい肖像画をじっと眺めていた。そこへ背の高い青年がただならぬ様子で入って来た。その青年アルマン・デュヴァールはしばしマルグリットの幻を見ているかのようであったが、やがて気を失って倒れてしまった。父親であるデュヴァール氏はアルマンを助けおこし、アルマンはしばし父親の胸に顔をうずめた。
やがて真紅のドレスがアルマンの目を捉える。それはマルグリットとの出会いの夜に彼女が着ていたドレスだった。アルマンの心の中に過ぎし日が甦る。アルマンはマルグリットとの日々をデュヴァール氏に語り始めた。

<第一幕>
 かねてから金持ちの公爵をパトロンに持つ高級娼婦のマルグリットに心を動かされていたアルマンは、ヴァリエテ座でバレエ「マノン・レスコー」を観ていた時、マルグリットを見かけて友人のガストンに紹介してもらう。
 気まぐれなマルグリットは手ひどくアルマンをからかうが、それでもアルマンの気持ちはマルグリットに惹きつけられていた。
 マルグリットの方でも段々とアルマンが気になってきた。もしこれが恋だったら…。マルグリットは自分を舞台上のマノンと重ねてしまう。マノン・レスコーは、自身の享楽的性格と思慮のなさから哀れな末路をたどるが、恋人のデ・グリューを愛しながらも彼まで道連れにし、堕落させてしまう女だ。一方、アルマンも自身をデ・グリューに重ねてしまう。
 観劇後、マルグリットは人々を自宅に誘い、浮かれ騒いだ。アルマンとガストンもマルグリットと男たちの仲介役をするプリュダンス・デュヴェルノワについて行き、マルグリットの深夜の宴会に加わった。
 マルグリットはどんなに邪険にされてもつきまとうN伯爵に嫌気がさして平手打ちを食らわした際に咳き込んでしまい、自室に逃げ込む。マルグリットは不治の病に侵されていた。
 アルマンは彼女の身体を心配しながら愛を告白する。彼の情熱に押されたマルグリットはついに彼をパトロンではない、「愛人」として受け入れる事にした。
 そうしてマルグリットは公爵をパトロンとして贅沢で享楽的な生活を続け、一方、愛人であるアルマンとの純粋な愛の生活も楽しむようになった。公爵に郊外に家を借りてもらい、田舎暮らしを楽しみ始めてもその日々は変わらなかった。

<第二幕>
 しかし段々とアルマンの誠実な愛はマルグリットの心を捉えて行き、贅沢も大騒ぎも色褪せたものとなっていった。そしてついに公爵とアルマンは対立するようになった。マルグリットは公爵から送られた高価な首飾りを叩き返して、公爵との縁を切ってしまった。
 そしてアルマンと二人きりになったマルグリットは高級娼婦稼業や享楽的な生活とはきっぱりと縁を切り、アルマンとつつましく清らかな愛の生活を始めた。
 しかしある日、アルマンの父親デュヴァール氏からマルグリットと二人きりで話しがしたいと言う手紙が届く。マルグリットはアルマンをパリへ行かせ、一人でデュヴァール氏を迎える。デュヴァール氏は居丈高な態度でアルマンと別れるように迫った。
 マルグリットは自分がどれだけ真剣にアルマンを愛しているか、娼婦稼業とはきっぱりと縁を切って、アルマンに迷惑をかけないように暮らしているかをデュヴァール氏に訴えた。デュヴァール氏はマルグリットの改心と真剣な愛をわかってはくれたが、それでも息子の将来のために別れて欲しいと丁重に申し入れた。
 マルグリットの目の前に再びマノンの影がちらついた。いくら自分が改心しても世間は一度道を踏み外した女を決して許しはしないだろう。そんな女と一緒になったアルマンも世間からははじかれてしまう。それではデ・グリューまで堕落させてしまったマノンと同じ事になってしまう…。マルグリットは別れを決意した。そしてそのままパリへ戻った。
 パリから戻ったアルマンはいつまでたってもマルグリットが戻らないので心配になり、再びパリへ様子を見に行った。そこでアルマンはマルグリットが再び公爵をパトロンとしてクルチザンヌに舞い戻っているのを知った。

<第三幕>
 ある日、アルマンはマルグリットがオランピアという性は悪いがとても美しいクルチザンヌとシャンゼリゼ通りを散歩しているのに出会った。アルマンは早速オランピアを自分の女にし、オランピアを使って、自分を裏切ったマルグリットをいじめ始めた。
 耐えられなくなったマルグリットは許してくれるように、とアルマンを訪れたが、そこで二人の情熱はまた燃え上がってしまった。マノンの影に脅えるマルグリットは、デュヴァール氏との約束を思い出し、アルマンをデ・グリューのような目に会わせるまい、とアルマンが寝ている間に立ち去った。
 マルグリットに自分のこらえきれぬ想いをぶつけずにはいられないアルマンは、さる集まりの席で、侮辱の手紙をマルグリットに渡した。「昨夜あなたを買った代金です。」という手紙に添えられた紙幣の束はマルグリットの心をえぐった。マルグリットはその場に倒れ込んだ。
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 アルマンはマルグリットの思い出を語り終えた。デュヴァール氏は心を動かされ、自分のした事に心が痛み、黙ってその場を立ち去った。そこへナニーナが現れ、アルマンにマルグリットの最期の様子が書かれた日記を手渡してアパルトマンを去って行った。アルマンは日記を読み始めた。
 アルマンと別れてからマルグリットの病状は急速に悪化し、孤独な病床で、アルマンとの愛だけがマルグリットの心の支えだった。何とか生きようとするマルグリットは最後の力を振り絞って「マノン・レスコー」を観にヴァリエテ座へ出かけたが、そんな彼女はもはや生ける亡霊のようであった。
 マルグリットは早々に劇場を後にしたが、マノンとデ・グリューの亡霊はマルグリットにつきまとった。
 マノンは流刑地まで追って来たデ・グリューの腕の中で息絶える。死んだマノンをひきずって去って行くデ・グリューを見送りながら、マルグリットは一瞬、アルマンの姿を垣間見る。帰って来てくれたのね…。貧困の中、アルマンの幻を見ながら、孤独なマルグリットは息を引き取った。
 ━━━読み終わったアルマンは深い想いに満たされ、静かに日記を閉じた。 
(終わり)



「アルマンとマルグリット」アシュトン版

原作        「椿姫」 アレクサンドル・デュマ・フィス
振付        フレデリック・アシュトン
音楽        フランツ・リスト
装置・衣装    セシル・ビートン
初演配役     マルグリット   マーゴ・フォンティン
           アルマン     ルドルフ・ヌレエフ
初演        1963年 3月12日 於 ロイヤルオペラハウス(ロンドン)

 ノイマイヤーの「椿姫」はプロローグと全三幕からなる125分に及ぶ長編ですが、アシュトン版は一幕もので、上演時間は30分ほどと、、とてもコンパクトな作品となっています。ノイマイヤー版はできるだけ原作の雰囲気を表現する事を心がけているように思えますが、アシュトンは反対に心理的なものを凝縮して抽出し、細部は一切切り落とす表現方法をとっているようです。
 舞台装置も抽象的で簡素。シェイクスピアの「真夏の夜の夢」をバレエ化する時も細部を省いて妖精を中心にコンパクトに構成し、タイトルも"The Dream"としていましたが、デュマの「椿姫」も、タイトルを「アルマンとマルグリット」としています。
 舞台は死の床につくマルグリットが、アルマンにもう一度会いたいと願い、アルマンとの恋を回想するところから始まります。そして一場では出会い、二場では郊外での清らかな愛の生活とデュヴァール氏の登場による別れ、三場では裏切られたと思い込んだアルマンがマルグリットに裏返しの激しい情熱をぶつけ、侮辱し、マルグリットがそれに耐えながら身も心も消耗して行く場面です。
 そして最後は後悔したデュヴァール氏がマルグリットに謝罪し、デュヴァール氏から真相を知らされたアルマンが駆けつけて、マルグリットがアルマンの腕の中で息絶えます。
 第一場の出会いの場面ではマルグリットは紅のドレスを着ています。裏社交界で一、二を争うクルチザンヌであったマルグリットですが、不治の病である肺の病気に侵されており、それを知った若く陽気な男たちは去って行き、年老いた公爵がマルグリットの生活を支えています。
 
 相変わらず華やかな場に身をおいているとはいえ、老公爵と一緒では楽しくも何ともありません。そんなあきらめにも似た空虚な生活に突然、若々しい青年アルマンが現れます。アルマンは彼女の身体を心配しながら、情熱的な愛を捧げるのです。マルグリットの心は甦ります。そして彼の愛を受け入れます。
 第二場は清らかな愛の生活と別れの場面で、マルグリットのドレスの色は白。マルグリットは高級娼婦としての享楽的な生活とはきっぱりと縁を切り、アルマンとの愛を選び、パリの郊外でつつましく清らかに暮らしています。
 
 しかしアルマンが出かけている間に、アルマンの父親デュヴァール氏がマルグリットを訪ねて来て、アルマンと別れるようにと迫ります。デュヴァール氏は社会の厳然たる枠と常識を象徴する存在として描かれています。
 最初は脅えていたマルグリットですが、やがて心のありたけを訴えます。しかしながらその後に現実を悟り、別れの決心をするに至ります。
 
 そしてアルマンとの最後の時を哀しみを押し隠して過ごすマルグリット。何も知らない幸福そうなアルマンを永遠にまぶたに焼付けておこうとするかのように、彼を見つめます。そして寝てしまったアルマンを残して、マルグリットは去っていきます。
 第三場は裏切られたと思い込んだアルマンがマルグリットを追い込んで行く場面です。マルグリットのドレスの色は黒。再び華やかなドレスに身を包み、宝石で身を飾るマルグリットの顔は哀しみに満ちています。
 
 老公爵にエスコートされ、魂の抜けた人形のようになったマルグリットの元に、アルマンが現れます。激しい恋の情熱がそのまま裏返しになったアルマンはマルグリットの手を乱暴につかみ、引っ張り回し、マルグリットの首飾りを引きちぎった後、紙幣を投げつけます。そして後ろ指を指して去って行くアルマン。
 
 マルグリットは自分の本当の気持ちをわかってもらえたら…と思いますが、デュヴァール氏との約束を思うとそれはできません。
 そして回想が終わり、デュヴァール氏から別れの真相を聞いたアルマンが死の床にあるマルグリットのもとに駆けつけて来ます。夢にまで見たアルマンとの再会に何とか生きたいと願うマルグリットですが、アルマンに抱かれたまま息絶えます。 

(終わり)


<参考文献>


椿姫        アレクサンドル・デュマ・フィス/著   吉村正一/訳  岩波文庫
「椿姫」と娼婦マリ   秦早穂子/著   読売新聞社
     マルグリットのモデル、マリー・デュプレシや作者のアルクサンドル・デュマの事がいろいろと詳しく書かれています。
娼婦の肖像   村田京子/著  新評論
     マルグリットのみならず、マノン・レスコーやその他の小説に登場するクルチザンヌたちについて詳しく書かれていて、おもしろいです。
魅惑のオペラvol.2 「椿姫」
           音楽    ジュゼッペ・ヴェルディ
           台本    フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ
           指揮    カルロ・リッツィ
           演奏    フェニーチェ管弦楽団&合唱団
                  トスカナバレエ団
           配役    ヴィオレッタ    エディタ・グルベローヴァ
                  アルフレード   ニール・シコフ
                  ジェルモン     ジョルジョ・ザンカナーロ
           1992年12月 於 フェニーチェ歌劇場 (ヴェネツィア)
DVD「椿姫」   ハンブルク・バレエ団      
           振付      ジョン・ノイマイヤー
           美術・衣装  ユルゲン・ローズ
           音楽      フレデリック・ショパン
           配役      マルグリット    マリシア・ハイデ
                    アルマン      イヴァン・リスカ
           録画      1987年
           発売元     新書館
DVD「アルマンとマルグリット」
           振付・台本  フレデリック・アシュトン
           音楽      フランツ・リスト
           演奏      フィリップ・ギャモン
           衣装・装置  セシル・ビートン
           配役      マルグリット    シルヴィ・ギエム
                    アルマン      ニコラ・ル・リッシュ
                    デュヴァール氏  アンソニー・ダウエル
           録画      2003年6月
           
HAMBURG BALLETT JOHN NEUMEIER
Lady of the Camellias Synopsis



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