メッセージ
アドベント第一週
『恵みのときの到来』
マタイによる福音書 11章25−30節
2001/12/2 説教者 濱和弘
いよいよ12月になり今週からアドベント(待降節)に入ります。アドベントは、イエスキリスト様がこの地上にお生まれ下さったことを覚え、そのことを感謝し、祝うクリスマスを前にして、じっと,イエス・キリスト様がお生まれ下さったことの意味と意義に想いを馳せながら、クリスマスを待ち望む期間です。もっとも、初代教会の時代、すなわちイエス・キリスト様が十字架で死なれた直後からしばらくの間、大体紀元3世紀ぐらいまでは、イエス・キリスト様がお生まれ下さったということにあまり関心が払われませんでした。むしろその時代の人々にとって、もっとも大切だったことは、イエス・キリスト様が十字架にかかって死なれ、復活なさったということであり、その十字架の死と復活ということがどのような意味があり、私たちになりをもたらすかという、十字架の死と復活の出来事に対する解釈、理解といったことが,その関心の中心にありました。しかし、イエス・キリスト様の十字架の死と復活といった出来事も、実際のところはその誕生ときっても切り離せない出来事なのです。
神の独り子であられるイエス・キリスト様が十字架の上で、私たちの罪の身代わりとなって死なれ、そして、その罪の裁きである死に打ち勝って復活なさったということが意識されればされるほど、神の独り子が、まさに人となってお生まれ下さった、私たち人間とまったく同じようになってくださったということの重大さが意識されるようになり、クリスマスということが、教会にとって大切な行事の一つに数えられるようになってきたのです。いわば、クリスマスという、神の独り子がお生まれになったときから、聖書の宗教の歴史が大きな転換を成し遂げた。パレスチナ地方の一民族宗教だったユダヤ教から、キリスト教とへと一大変化をもたらしたといっても過言ではないだろうと思います。
今朝お読みいただきました聖書の個所は、25節の「そのときイエスは声を上げていわれた、」という言葉から始まります。この「そのとき」というのは、この25節の前の文脈の20節から24節までのコラジンやベッサイダ、カペナウムといったガリラヤ地方の町々を、イエスキリスト様が厳しく叱責なさった「そのとき」であろうとおもわれます。イエス・キリスト様のなされる業を見ながらも、しかしイエス・キリスト様の語るメッセージに耳を傾けず、悔い改めようとしないコラジンやベッサイダ、カペナウムの町の人々を見ながら、おのおのの町に対してそのような厳しい叱責の言葉を語れたまさにそのときに、同時にイエス・キリスト様は「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や、賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことにみこころにかなった事でした。すべての事は父から私に任されています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。」
と言い、あのキリスト教会でもっとも有名な言葉の一つである、「すべて重荷を負うて苦労をしている者は、私のもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは、柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」と言われたというのです。この言葉は、何か慰めを感じさせる響きを持った言葉です。「わざわいだコラジンよ。わざわいだベッサイダよ。」という何か悲痛さを感じさせる響きのある叱責の言葉を語られた、そのときに、まったく逆の慰めの言葉をイエス・キリスト様は語り始められるのです。
あるときに、一人のおばあさんが、教会にたずねてこられたそうです。教会の門をたたき「ごめんなさいよ。」と声をかける。誰かたずねてきたのかと、教会の牧師が玄関に出てみると、おばあさんが荷物を一杯持って立っておられる。「どうしたんですか?」と声をかけると、そのおばあさんは「すみませんねぇ。お世話になります。」といって会堂にあがりこんできた。牧師は、何事かあったのかと、お茶を出しながら、「何かあったんですか?」とたずねると、「いやチョット買い物をしすぎて、荷物が重くて重くて仕方がないし、家まではまだまだ遠いし、困ったなと思ってふと見上げると、玄関のところに「すべて重荷を負って苦労している人は私のもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」と書いた看板が出てるじゃないですか。本当に助かりました。少し休ませていただきますよ。」と言ったという話があります。これが事実かどうかは定かではありません。むしろこの聖書の個所から作られたジョークだろうと思われますが、ジョークになるほど、確かにこの「すべて重荷を負って苦労している人は私のところにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」という慰めに満ちた言葉は、多くの教会が、その教会の看板に書き記す聖書の箇所であると言えます。
また、伝道会などでメッセージを取り次ぐときに、多くの牧師は、聖書のこの箇所をテキストとして伝道メッセージを行うといったことが少なくはありません。それは、この聖書の箇所にイエス・キリスト様が私たちにもたらしてくださった福音、私たちにとって素晴らしい神様からのメッセージがあるからだと言えます。そして、その、イエス・キリスト様が私たちに示してくださった父なる神様からメッセージは、当時のユダヤ教の世界の中にあって、もはやイスラエル民族の民族宗教であったユダヤ教という殻を打ち破って、キリスト教が単なるユダヤ教に一分派(セクト)ではなく、一つのキリスト教として独立する中心的内容(使信)がそこにあると言うことを示しています。言わば、この「すべて重荷を負うて苦労をしている者は、私のもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは、柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」という言葉が、イエス・キリスト様の時代において、当時のイスラエルの人々とクリスチャンとを分ける境界線上にあったと言ってもいいであろうと思われます。
では、同じ聖書の神を見上げつつ、当時のイスラエルの人々とクリスチャンの間に一線を引いていったのでしょうか。どんなメッセージが、イエス・キリスト様を通して父なる神様から示されたと言うのでしょうか?イエス・キリスト様は、「すべて重荷を負った人は、わたしのもとにきなさい。」といわれますが、この重荷とは、先ほどのおばあさんの話のような、何か重い荷物を持っている人ということではないことは言うまでもありません。むしろ一般的には、何か困った問題で悩み苦しんでいることとか、精神的な重圧で苦しんでいると言った感じに受け取られているのではないでしょうか。もちろん、一概にそれが間違っているということではありませんが、しかし、この重荷という言葉は、もう少し深い意味を持って語られているように思われます。というのも、イエス・キリスト様が生きておられた当時、イスラエルの人々は、彼らが旧約聖書のもとにして取り決めた様々な、そしてこまごまとした規則や戒律、いわゆる律法を、どうやら「重荷」と呼んでいたようなのです。
もともと、決まりや規則といったものは、人が生活するにあたって、人と人との関係を円滑にし、倫理的には人が誤りなく生きていけるようにするものです。同様に、神様が人間に律法というものをお定めになったのは、神と人との関係において、また人と人との間柄においても、円滑に、問題のなく生きていけるためのものといった一面もあります。しかし、反面規則や決まりが、事細かに決められ、融通なく人を規制してしまうと、極めて生きづらい生き方になるものです。私は、ラグビ−やサッカーが大好きですし、私自身アメリカンフットボールをしていましたが、スポーツにはルールが付き物です。しかし、ラグビーでもサッカーでも、またアメフトにしろ、絶対にルール通りにはいかないもので、細かい反則は、四六時中起こっています。ですから、そのような細かい反則をいちいち審判が厳格に取っていたら、ゲームは一向に進んでいかないでしょうし、見ているほうも、プレイしている方も窮屈で仕方がないだろうと思うのです。
もちろん、神様の前にいい加減であってよいなどというわけではないのですが、この時代のイスラエルの国では、神様が旧約聖書で記したことを、当時に律法学者と呼ばれる人たちが、事細かに解釈して、様々な規則の細目を作り、それを守らなければならないと言っていました。例えば、旧約聖書の有名な十戒には、安息日を聖なる日として何の業をしてはならないとありますが、これは、言うなれば極めて大雑把な表現です。ですから、安息日にしてはならない業とは何かを、律法学者達が解釈し、それを伝承として人々に守ることを求めたと言うのです。これは人から聞いた話で、実際に確かめたわけではないのですが、イスラエルの国では安息日にはエレベーターが動かなくなるといった話を聞いたことがあります。なぜならば、エレベーターの行き先の階のボタンを押すことが仕事になるからだということらしいのです。
もっとも、エルサレムなどは観光都市ですから、いちいち安息日ごとにエレベーターが止まっていたりしたら高層ホテルなどにとまっていられませんから、その話が本当かどうかは疑わしい感じがしますが、しかし、要は旧約聖書に出ている原則的な規則を、人々の解釈などで、細分化しそれを絶対化して守らなければならないと迫られるならば、本来は私たちにとって良いものであるきまりや規則といったものも重荷となってしまうということであり、実際に、イエス・キリスト様の時代にはそのようなことがあったのです。しかも、もっとしんどいことに、そういった規則やきまり事を守れるか否かといったことが、その人の人間としての評価につながっていたのです。神の定めた律法、もっともその多くは律法学者達の解釈によって取り決められたきまりなのですが、そのきまりや規則を守ることができない人たちは、罪びととされ、決して評価されずにいた。そしてそういった人たちは、同じユダヤ民族の中にあっても、一段蔑まれて見られていたのです。
人から評価されないということは、人間にとってとても辛いことです。評価されたいからこそ一生懸命になって頑張るといった側面がないわけでもない。律法学者達によって定められた細かい規則を厳格に守りながら生きていくことが、当時のイスラエルの社会では、高い社会的評価を受ける一つの生き方だった。だからこそ、そのような生き方をできない時、社会的な重圧が、どっと肩の上にのしかかってくるようで、まさに重荷になって人々を押しつぶそうとするように思われる状況があったようです。それは、規則とか取り決めといったものが、宗教的内容と深く結びついているところから起こってしまう現象だと考えられます。もとより、宗教とは人間の存在の根底を支えるものであり、人間が如何に生きるべきかといった問題を取り扱うものですから、そういった意味で倫理的な面を必ず持ち合わせています。むしろ、倫理的な側面をいい加減に扱う宗教は、宗教として気をつけて見たほうがよろしいかと思いますが、宗教が宗教である限り、そこには確かにどう生きるべきかという倫理的側面が生まれてくる。ですから、これはすべきでないとかこうあるべきだといったことが、少なからず問われます。それはキリスト教においてもそうでありますし、だからキリスト教倫理といった学問分野も成立するわけです。
けれども、イエス・キリスト様は、そのような宗教の持つ倫理性が絶対視され、そのために人が評価されたり蔑まれたりするような中にあって、律法学者達が定めた様々な規則や取り決めが重荷となってあなたを押しつぶしそうになり疲れ切っている人は私のもとにきなさい。休ませてあげようと言うのです。これは、けっして宗教的な倫理性、聖書の語る倫理性といったものを否定している言葉と受け取るべきものではありません。イエス・キリスト様が「わたしのもとにきなさい」と呼びかけられておられる人々は、重荷を負うて苦労している人や疲れきっている人々なのです。「こうあるべきだ、こうしてはならない。こういうことは罪だ。」と提示され、彼らもまたそれを承認している。じゅうじゅうわかっているのです。けれども、わかっているけれども、それができない自分。そしてできないがゆえに社会から、人々から蔑まれるような視線にさらされ、自分の罪を痛み、悔やみ悲しみ、悩みつかれている人、絶望しているような人々に「私のところにきなさい」とそう呼びかけておられる。
たとえ同じように、取り決めや規則が守れなくても、そんなことなど歯牙にも止めず、かって気ままに生きている人に向かって「わたしのもとにきなさい」とは決して呼びかけられてはいないのです。こうしてみますと、まさに、25節で「そのとき、イエスは声を上げて言われた」と言うそのときは、20節にありますように「悔い改めをしなかった町々を責めはじめられた」ときのことです。かたや罪を自覚し、悔改めをしない町々を責められ、もう一方では自分の罪を深く自覚し、その罪を痛み苦しみ、悩むものに慰めの言葉をおかけになられるのです。まさに、律法学者やパリサイ人といった宗教的指導者によって導かれていた当時のユダヤ教とキリスト教が一線を画そうとするその境目のその接点に、このイエス・キリスト様の言葉があると言うことができる。
律法学者やパリサイ人と言われる人が、必ずしも神様を軽んじていたかと言うと、必ずしもそうであったと言い切ることができるかどうかは疑問です。彼らは彼らなりに父なる神様に真摯でありたいと願っていたかもしれない。しかし、何をしたか、何ができるかが評価され、誇ることのできる宗教は、バプテスマのヨハネの時までで終わったのです(マタイ11:14)。イエス・キリスト様がこの世にお生まれ下さったときから、何をしたか、何ができるかではなく、むしろ何かをしたという実績や、何かをできるという能力ではなく、むしろ自分は神の前に何も誇ることがないことを自覚する心に、神の恵みがあらわされることによって生きることのできる新しい時代、新しい聖書の宗教が開かれていくのです。
イエス・キリスト様の時代においては、一級の賢者、賢いものと呼ばれる人たちは律法学者達であったと言うことができるでしょう。そしてその時代の一流の知恵は、人に如何に生きるべきかを示しました。つまり、人間が自分の力で神様の前にどのように生きていくかという自律した生き方を示し、そして教えたのですが、同時にそれによって人を裁いていきました。しかし、神様の恵みは、自分の力では神様の前にたつことができないものたちに知らされていったのです。自分の力だけではとても神様の前に生きていけないような者、親に頼り、寄りすがらなくては生きていけない幼子のようなものに、告げられ、慰めの言葉が語られていったのです。私たちは、このことをしっかりと心に留めておかなければならないように思います。特に教会というものは心してこの聖書の言葉を心に刻んでおく必要があると思うのです。というのも、このような恵みの言葉に触れたものであっても、次の瞬間から、人を罪に定めていった律法学者のようになってしまうことが、少なからずあるからです。
いえ、私たちが神様というお方を深く知れば知るほど、神様の聖さというものを知れば知るほど、私たちもまた教会も、神様の恵みといったものから遠ざかってしまう危険性にさらされているといってもいいかもしれません。私たちキリスト教の信仰は、自分の罪の自覚から始まります。もちろん信仰に導かれるきっかけは様々であろうと思いますが、自分の罪を自覚するということを通ることなしにキリスト教の信仰はありえないと言ってもいい。そして、その自分の罪をイエス・キリスト様がその身に背負い、十字架の上で身代わりとなって死んでくださったことを信じることによって、自分の犯した罪と、その罪の裁きから救われ、それだけでなく、罪を犯さざる得ない私たちの罪深さからも救われます。救われるために、まさしく何をしたか、これから何ができるのかを問われることなくクリスチャンとなることができるのです。
ところがどうでしょうか。ひとたびクリスチャンとなり、聖書の語るところを知り、神様が聖いお方であるということがわかればわかるほど、私たち個人も、また教会も神様の前に何をなすべきで、何をなさざるべきかということがわかってくる。そして、なすべきことをなし、してはならないことはしないようにと心がけるようになります。そしてそれは決して悪いことではない。けれども、如何に心がけてもできないこともあるのです。してはならない、しない方がいいとわかっていてもできないことだってあるのです。あなたの隣人を愛しなさいと言われる。本当にそうだと思うのですが、でもどうしても愛せない、好きになれない相手という者がいたりもします。互いに赦しあいなさいと聖書に書いてあることはよくわかっている。でもどうしても赦せない人もいたりするのです。そんな時、本当に自分はだめだなと思う。それはそれで健全なクリスチャンの感情だと思います。どうしても愛せない相手がいる。どうしても赦せない人がいる。どうしてもは離れられない罪がある。
そんな時、「人間ってそんなものよ。」とあきらめてしまったり、納得してしまったりするのは確かに問題です。しかし、逆にそのことで、自分を責めつづけ、自分を否定しつづけるとするならば、それはそれで決して正しいことではないのです。もちろん、それが自分自身だけのことではく、他の人に対しても同じことが言えるだろうと思います。私たちは決して自分自身に対して否定的な自己イメージを持つべきではありませんし、人にそのような自己イメージをもたせるべきでもありません。ウォルター・トロビッシュと言う宣教師が「自分自身を愛する」という本を書かれております。これは日本語のも訳されていますが。その本の趣旨は、「自分自身を愛せないものは人を愛することができない」ということですが、まさしくそのとおりだろうと思います。自分自身が自分自身によって愛されて、初めて人を愛することができるようになる。同じことが、許すということにも言えます。自分自身が赦されることによって、初めて人を赦していけるようになっていくのです。
ところが、愛するという事も、赦すということも、人間にとって決して自然に湧き上がる感情ではありません。自然ではないからこそ、愛せないでいる自分、赦せないでいる自分の姿に気づくのです。愛すること、赦すことといったものは、愛される、赦されるという経験を通して学んでいくのです。心理学の言葉に、ストロークというものがあります。ここにはM兄弟もおられますが、M兄弟はストロークという言葉がテニスでも使われているなとお思いになっておられるかと思いますが、テニスでストロークというと、相手が打ってきた球を、こちらが打ち返すといった一連の動作を繰り返すことを言います。それと同じように、人が他の人に対して投げかけた言葉や動作といったものが、相手の心に作用し、そしてその人の動作やものの見方を築き、それによって人との関わりあい方などとなって帰ってくることを、心理学で言うところのストロークというのです。ですから、親から、お前はだめだ、何もできないといって育った子供は、どうしても自己否定的なイメージを持ってしまい消極的になってしまい、逆に誉められながら育った子供は、肯定的な自己イメージをもち積極的な人間になるというのです。
同様に、愛されるという経験をもち、赦されるというストロークをもらったものは、自分自身を愛することができ、人を赦すということができるようになる。まさしく、愛するという事、赦すということは、愛してくれる人と、共に寄り添い生きながら学ぶものなのです。だからこそ、イエス・キリスト様とくびきを負うとたとえられるように、しっかりと結び合わされてイエス・キリスト様に寄り添い生きながら、愛すること、赦すことを学ぶのです。そして、同時に、教会もまた、一人一人のクリスチャンを愛し、赦し、互いに愛を学ぶ場、許しを学ぶ場になっていかなければならない。教会とは、クリスチャン一人一人によって築き上げられる交わりです。まさしく、自分自身が神様を選んでクリスチャンになったわけではなく、神様に選ばれてクリスチャンになった一人一人が集う場です。 だからこそ、教会という場もまた、イエス・キリスト様と共に、一人一人の兄弟姉妹に寄り添いながら、愛すること、赦すことを経験し学ぶ場にならなくてはならないのです。
もちろん、愛し、赦されると言うのですから、そこには確かな罪の認識と、その罪を痛み苦しみ、悩む思いがなければなりません。それなしには本当の悔改めには至らないのです。しかし、その罪の認識がもたらす痛みや苦しみ、悩みが私たちを押しつぶすのではなく、その罪にいたむ私たちが、愛され、赦されるといった経験、ストロークをいただいて、もう一度立ち上がっていけるのです。28節にあります「すべて重荷を負うて苦労をしている者は、私のもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」という言葉の「休ませてあげよう」という言葉は、収穫の実りを刈り取った畑が、また同じような収穫の実りをならせるために、一年間休ませる、いわゆる休耕田とするという意味の言葉が使われています。イエス・キリスト様は、より良い実りを結ぶために、もう一度立ち上がっていけるようにさせてくだるというのです。またイエス・キリスト様が選んでくださったクリスチャンが集う教会という場は、そのような場であるというのです。
イエス・キリスト様の生きられた時代、神の選びの民であるイスラエルの民の間で、神様を知り、神様に近づくように生きるために、(この場合旧約聖書ということになりますが)聖書を細かくしらべ語り、聖書を教えたのは、律法学者やパリサイ人でした。そして、神に近づくように生きるための細かな規則や基準を設けたのです。しかし、彼らが決めたい規則やとりきめによって、神の道、神の民の生きる道を語るとき、その道からそれてしまった者、その道を歩めない者達を裁き、押しつぶし苦しめていることになっていったのです。そのような中で、イエス・キリスト様は愛される恵みと、赦される恵みをもって慰めの言葉を語り、慰めの共同体を築こうとなされたのです。そして、その慰めの言葉と、慰めの共同体を教会に託された。だからこそ、教会は、今日のテキストにあるこの聖書の言葉を心に刻まなければならないとおもうのです。この慰めの言葉を、まだクリスチャンとなられておられない方、求道中の方に語られている言葉として聞くだけでなく、神の道、神に近づく道を示し生きる教会は、この言葉にしっかりと耳を傾けながら、その営みを営んでいかなければならないと思うのです。
ともすれば、教会もまた、かつての律法学者やパリサイ人のように、彼らが定めたこまごまとしたきまりで、人を評価し、裁いたりすることがないともいえません。一心不乱に祈り、伝道をし、奉仕をすることが神に喜ばれる道であるとして、がむしゃらに奉仕をすることを求め、それができないとクリスチャンとして何か問題があるような自己意識を与えてしまうようであったとするならば、それはかつての律法学者やパリサイ人と同じなのです。律法学者やパリサイ人が定めた規則や取り決め。それは人が罪から離れ、神様に向かって生きていこうとするということにおいては悪いものではなかったでしょう。しかし、恵みの言葉、慰めの言葉が忘れられていったときに、それはむしろ、人々を神様から遠いものとしていったのです。そのように、伝道すること、奉仕することは決して悪いことでもありませんし、私たちが伝道し奉仕することを神様は喜んでくださっていることは間違いのないことです。しかし、それだけが一人歩きをするならば、それは私たちを苦しめ押しつぶすものとなってしまうことに気づかなければなりません。
以前、ある書物に書かれていた一人の方の言葉が、私にとっては忘れられない言葉となっています。その方は、クリスチャンとなられて、一生懸命に教会の奉仕をなさっていた。それこそ、日曜日は教会学校から始まって夕方に至るまで様々な奉仕や集会、交わりにと時を過ごされていたようです。けれども、だんだんと体も疲れ、そういったご奉仕が負担となり、結局そういった奉仕から一時は離れることになった。けれども、そのような奉仕から身を引かれると同時に、奉仕ができないでいる自分の姿に、自分はだめなクリスチャンだという思いがのしかかってき、教会の中での自分の居場所、存在価値を見失ってしまったようなのです。つまり、自分のクリスチャンとしての価値、教会での存在意義が、何をなしているか、何ができるかに寄りかかっていたということなのだろうと思うのです。そして、そのような思いや考え方にしたものがまた、教会であったかもしれないのです。
何か、具体的に目に見える行為や、成果に信仰のあり方を絡めながら、何かをなすこと、何かができることがよりよいクリスチャンのあり方であるように賞賛の言葉を語ったり、目に見える行為に向い、叱咤激励する言葉が教会で語られたりするとき、教会もまた、人が何ができ、何をなしたかで、人を評価するような雰囲気をかもし出していく。本来は、その人が教会という交わりの中に存在しているということ自体が、その人存在の意義であるべきはずなのに、そこに「いる」ということよりも、なにか「なす」ということが重きを持ってくる。もしそうだとしたら、教会は、イエス・キリスト様の時代のイスラエルの民の在り方に逆戻りしてしまったと言える。何ができるか、どう生きるのかではなく、存在するということそれ自体の意味が重んじられるときが到来したのです。
ただ、規則や取り決めを行うことが神の道を歩むこと、神に近づく道を生きることであるという人の能力や力が問われた時代は、イエス・キリスト様の御降誕によって終わりを告げたのです。そしてむしろ、神であられるお方が人に身をやつされ、人の間に住んで人を愛され赦されて生きられることによって、愛と赦しという恵みが支配する、まさに神の国が到来したのです。だからこそ、教会は「すべて重荷を負うて苦労をしている者は、私のもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」というイエス・キリスト様の言葉に心して耳を傾けなければならないのです。私たちは、このアドベントの期間を、この恵みと慰め言葉をかみ締めながら、その恵みの世界をもたらすために、神の一人子、イエスキリスト様が人となって、私たちの間にお住まいになられたクリスマスという出来事に想いをはせながら過ごすものでありたいと願います。
お祈りしましょう。