メッセージ
アドベント第三週
『混沌の中に生まれた救い主』
イザヤ書 9章6−7節
2001/12/16 説教者 濱和弘
ただいま司式の兄弟にお読みいただきましたイザヤ書の9章6節から7節は、救い主メシヤの誕生を預言している箇所だと言われています。ですから、6節で言う「ひとりのみどりごがわれわれのために生まれた。ひとりの男の子がわれわれに与えられた。」とある、その「みどりご」、「男の子」とは、イエス・キリスト様のことが予言的に暗示されているということになります。このイエス・キリスト様のお誕生を預言するイザヤ書は、おおまか紀元前7世紀半ば頃から後半にかけて神様からイザヤになされた預言と歴史的出来事が記されており、その中でも、この9章6節7節は、それに先行する7章から続く文脈との関係から、7百3-40年代になされた預言であろうと考えられます。ですから、実際にイエス・キリスト様がお生まれになったときから7百年以上も前から、イエス・キリスト様がお生まれになるということが、旧約聖書において預言されていたということになります。
このイザヤ書に預言されたイエス・キリスト様の御降誕を覚え感謝を捧げるクリスマス礼拝まであと1週間となったわけですが、同時にそれは、今年もあと残すところ半月ばかりとなってしまったということでもあります。ご覧になった方も多いかと思いますが、先日、今年1年を振り返って漢字一文字で表すとすると、どのような漢字になるかというアンケートの結果を、テレビで放送しておりましたが、最も多かったものは「戦(いくさ)」、戦うという文字でした。おそらくは、アメリカでの同時多発テロ事件からおこったアフガニスタンにおける報復行動や、イスラエルとパレスチナで繰り広げられている争いなどによって与えられる、戦い、戦争のイメージが、この「戦う」という「戦(いくさ)」という文字を多くの人に選ばせたのだろうと思います。過る20世紀は戦争の世紀と呼ばれた時代でしたので、21世紀こそは平和の世紀となって欲しいと願いながらこの21世紀最初の年を迎えましたが、しかし、21世紀の幕開けもまた戦争で始まってしまったようです。
もとより、戦争が良くないことなど、人類のだれもが知っていることだろうと思うのですが、しかし、だれもが、それは良くないことであると知り、なくなって欲しいと願っていることなのに、一向になくなることはなく、むしろ切に願っている平和がいっこうに実現されない現実に、私たち人間の罪深さといったものを感ぜずにはいられません。そういった意味では、今朝お読みいただきました、イザヤ書9章で預言された、「ひとりのみどりご」であるイエス・キリスト様は「平和の君」と唱えられ、「そのまつりごとと平和は増し加わって限りなく」とありますので、今の世相を考えますと、まさに平和の君たるイエス・キリスト様と言うお方が、この地上に平和の君としておいで下さるならばと、心からそう思わされます。
ところが、この平和の君であるイエス・キリスト様がお生まれになったのは、強大なローマ帝国によって支配され、こまごまとした紛争はあったかもしれませんが、しかし戦争らしい戦争もない時にお生まれになり、実際イエス・キリスト様ご自身も戦争をご経験になってはおられないようであります。もちろん、争いの火種が全くなかったわけではありません。熱心党(ゼロッタイ)と呼ばれる民族主義に基づいて、ローマ帝国を打ち倒そうと願っていた集団もあり、彼らとローマ帝国の間には非常な緊張関係があったようです。ですから、チョット事が起これば、ローマ帝国とユダヤ人の間で争いや戦争に発展するような状況ではあったといえます。ですから、イエス・キリスト様が十字架で死なれて、30年以上たった紀元60年代後半には、ユダヤでローマ帝国に対する反乱が起き、紀元70年にはエルサレム神殿がローマ軍によって破壊されるというような事も起こってしまったのです。今日、エルサレムに残されている嘆きの壁と呼ばれる場所は、このときに破壊された神殿の一部なのですが、とにもかくにも、それはイエス・キリスト様の死後30年以上経ってからのことであって、確かに、イエス・キリスト様が生きておられる時代には、際立った争いはおこらなかったのです。
ですから、北朝鮮とアメリカの間に緊張関係が起こったときに、カーター元大統領が仲介に入り平和をもたらしたように、ことさらイエス・キリスト様によってこの地上に平和がもたらされたというような出来事があったというわけではありません。むしろ、ローマ帝国と熱心党(ゼロッタイ)やのちにでてくる短剣党(シカリオイ)などのユダヤ民族主義の間に立って争いを回避し、それが表面的であったとしても、しかし平和を維持しようとして努力したのは、むしろイエス・キリスト様が鋭く御批判なさったサドカイ派やパリサイ派の人々だったのです。口語訳聖書では、6節7節において、「まつりごと」とやくされていますが、「まつりごと」という日本語は、いうなれば政治ということです。ですから、そういった意味での「まつりごと」、政治といった面において、歴史の表面上で平和を維持し支えていたのは、ユダヤ側にあってはサドカイ派の祭司やパリサイ人たちであったいえます。
もっとも、このようなことは、広大なローマ帝国の中にあって、ユダヤ・サマリヤ地方という一地方の出来事であって、ローマ帝国全体という大きな視野から見れば、「ローマの平和」と呼ばれるような平和な時代であったと言うことができます。そして、この平和だった時代に、初代の教会は、その「ローマの平和」にまもられ、ローマ帝国内で広く伝道活動をし、そしてキリスト教は急速に広がって行きました。イエス・キリスト様を救い主として心にお迎えする人々が増えていったのです。もちろん、この初代教会の伝道を助けた「ローマの平和」自体も、イエス・キリスト様がもたらしたものではありません。それはローマ帝国の強大な軍事力と政治力によってもたらされた平和でした。こうしてみますと、ユダヤ・サマリヤ地方においても、ローマ帝国全体においても、政治上での平和をもたらし、それを維持していたのは、けっしてイエス・キリスト様ではないのです。けれども、旧約聖書は、生まれてくる「みどりご」イエス・キリスト様は「平和の君」と唱えられると言う。
だとすると、イエス・キリスト様は一体どのような意味で、まつりごとを肩ににない、平和の君と呼ばれ得るのでしょうか?この、イザヤ書9章で平和と訳されているヘブル語はシャーロームという言葉です。このシャーロームという言葉の持つ概念は、健康な状態や健全な状態であり、それは体の健康さや健全さだけでなく、心が平安・安心でいられるといった心身ともに健全な状態を指している言葉です。心身ともに全く欠けがなく健全ですから、身も心も安全であり、だからこそ真に平和だと言える。そういった言葉がシャーロームなのです。イエス・キリスト様がお生まれになった時代、そして福音が伝えられていったその時代、それらのときは、確かに表面的には政治上は比較的穏やかな時代であったということができるかもしれない。けれども、身も心も全く欠けがなく健全であり、健康であったというと必ずしも、そういうことはできなかったと言えます。
イエス・キリスト様が救い主メシヤとして公然と活動をなされる前に、バプテスマのヨハネが罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていたと新約聖書は告げています。マルコによる福音書の1章4節、5節を見ますと「バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔い改めを宣べ伝えていた。そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。」とあります。悔い改めとは、今までの生き方から神様の方に目を向け、神を思い生きていくように生き方を方向転換することです。バプテスマのヨハネは、人々に神様に目を向け神を思いながら生きていくように人々に宣べ伝えながら、自分のうちに神様の前に罪の自覚があるものは、その罪を神様に告白し、罪の赦しを受けるためにバプテスマ受けるように説いて歩いました。すると、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが彼のもとに来て、自分の罪を告白し、ヨルダン川でバプテスマを受けたというのです。
ユダヤ全土とエルサレムの全住民とは、少し大げさな感じもしますが、しかし、それこそ全住民と言っていいほどのおびただしい数の人がヨハネの下にやってきたのでしょう。それだけ多くの人が、改めて、あなたは神様の方をちゃんと見て、神様の前に罪を犯さず、一点の曇りもなく生きていますかと問われると、ヨハネの前に出て来ざるを得なかったのです。いかえれば、誰も自分は神様の前に胸を張って生きたと言きる自信がないのです。どこかで神様の前に顔を合わすことができずに、顔を神様からそむけなければならないようなことがある。だから、いかに神様から選ばれた特別な民、選民イスラエルの一人であったとしても、罪の赦しを得させるバプテスマを受けなければならないと言われると、出て行かざるを得ないのです。それは、心のどこかに自分の犯してきた罪に対する不安があるからです。自分は神の選びの民であるという心と、その心のどこかに、自分の犯してきた過ちのゆえに、自分は神様の前に赦されないことがあるかもしれないという不安が入り混じり混沌としている心持の現れであると言っていいかもしれない。
しかも、バプテスマのヨハネが説いた悔い改めのバプテスマは、犯した罪、この場合、おそらくはイスラエルの人達が感じた罪とは、彼らが定めた律法に反することであろうとおもわれますが、その犯した罪のゆるしを与えるバプテスマであり、パプテスマを受けた後も決して律法から解放されるわけではなく、これからも律法を守りつづけて生きていかなければならないのです。ですから、彼らは本当の意味で、自分の罪とその裁きに対する不安と恐れから解放されたわけではないと言えます。そのような人たちの只中に、イエス・キリスト様を罪からの救い主と信じ、心に受け入れる信仰によって、完全に罪を許し、罪とその罪の裁きである死から解放してくださる救い主がお生まれ下さったのです。そして、それは、完全な罪のゆるしであるがゆえに、もう恐れることはないのです。ただ罪が赦されたという安堵感と平安を私たちにもたらし、私たち心にシャロームをもたらしてくださるお方がイエス・キリストさまと言う御方なのです。
しかし、この罪とその罪の裁きに対する恐れから解放して下さったお方は、単に罪の赦しをもたらし、私たちの心から恐れと不安を取り除くというお方だけではありません。私たちが生きていく生き方、人生においても、私たちを導き、私たちの心を満たしてくださるお方であるということができます。実は、口語訳聖書において政治的意味合いを持った「まつりごと」と訳されている言葉は、新改訳聖書では「主権」と訳されていますし、新共同訳聖書は「権威」と訳されている。もちろん、主権も権威も、7節の「そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め」とありますから、それは統治者の持つ権威であり主権という意味において神の国の主権・権威としてまさしく「まつりごと」ということになるであろうと思われます。そして、このイザヤ書が書かれた時代背景からすれば、この預言の言葉を残したイザヤは、かってイスラエルの民が最も栄え、平和を享受したダビデの王国をイメージしていたと思われます。
イザヤが、この預言の言葉を語った時、イスラエル民族の2つの国のひとつである北イスラエル王国は、アッシリアによって滅ぼされるといった悲惨な状況にありました。そして、もう一つのイスラエル民族によって構成されている国である南ユダ王国も、当時の南ユダ王国を取り巻く国々の間にあっては、ほんの小さな小国にすぎず、エジプトや、アッシリアなどの大国が攻めてきたならば、どうなるかわからないような状況だったのです。ですから、そのようなイザヤ自身が、この預言の言葉をどのように受け取っていたかと言うと、それは、ユダヤ民族に、かつてのダビデの王国にもたらされたような栄光に満ちた王国が再興され、周りの大国におびえることなく平和に暮らせる、そのような国と、それを統治する王を頭に描いただろうと思われます。しかし、イエス・キリスト様はそのような王としては生まれにはならなかったのです。この地上に王国を樹立し、領土をしっかりと保ち統治する、そのような主権者として神の民を導かれる王とはなられませんでした。いえ、むしろそのような王は、ローマ帝国の主権者であり権威をもって統治した皇帝達であったと言えるかもしれません。
けれども、イエス・キリスト様は、彼を信じる民の生き方をしっかりと導かれたのです。初代教会は、ローマ帝国が築き上げた「ローマの平和」の下で伝道し、急速に拡大していきました。実に多くの人々がクリスチャンとなっていきました。このように、初代教会において伝道の成果が著しく見られた原因についてはいろいろといわれますが、その中の一つに、道徳的に荒廃していたローマ帝国の中にあって、当時のクリスチャン達が持っていた倫理観とか、生きていた生き方といったものが、人々の目に魅力的に映ったからではないかといわれます。確かに、その当時、例えば性道徳的にもかなり乱れているような中で、当時のクリスチャンが保っていた純潔性や、女性が虐げられ軽んじられている中にあっては、今日から言えばまだまだかもしれませんが、当時にしてみれば、その当時のクリスチャンの中での女性の置かれた立場といったもの、あるいは、その共同体の中での互いに助け合い、愛し合う姿や、また他者に示す愛などは、人々の目を引き付けたのかもしれません。
しかし、それは半面で、「ローマの平和」を享受していた人々が、その平和の中で与えられる生き方の中に、どうやって生きていったらいいのか見出せずにいたということを示していることでもあるのです。そして、ただ快楽的、刹那的生き方の中で生きていたということにほかならないのです。人がどのように生きていきていくかということ、それは言い換えれば人としてどうあるべきかということでしょう。そういった人としての生き方や、人として生きていく倫理観といったものが混沌として明確でない時代に、イエス・キリスト様を信じる群れは、明確にそれを持って生きていたのです。彼らは、弟子達を通して語られたイエス・キリスト様の生涯と、その教えを通して、いかに生きていくべきかという生き方、倫理観をはっきりともち、そしてそのような生き方をしていたのです。
先日、所要があって、とある横浜の教会を訪ねなければならないことがありました。そういうわけで、私は横浜駅のホームで乗り換えの電車を待っていたのですが、そこを行き交う何人か人を見ながら、ちょっと不安な気持ちにかられました。というのも、今の日本の国の状況とローマ帝国が滅亡していく末期とが重なりあっているのではないだろうかという不安にかられたのです。もうずっと以前の話になりますが、本で読んだのか、テレビの番組で見たのか、一つの繁栄した国家が滅亡していくのは、外敵がやってきて滅ぼされるのではなく、国の内部が乱れ、人々が享楽的退廃的な生き方をするようになり、そのために内側から国が崩壊していったのだといった内容のことを聞いた記憶があったからでした。もちろん、まだ私たちの国の人々が享楽的退廃的生き方に染まっていると言い切ってしまうとするならばそれは言い過ぎになるでしょう。若い人たちの中にも、他者のために精一杯生きている人たちだって少なくはない。昨日も、戦火のアフガニスタンの中にあって、飢えや病に苦しむアフガニスタンの人々のために働く若者の姿が報道されていましたが、そういった人も決して少なくないだろうと思います。
けれども、だからといって手放しで安心だと言える状況でもないと言うこともまた事実だろうと思うのです。そういった意味では、私たちの生活の中に、生き方の中に、確実に無秩序でどうしていいのかわからないという混沌が入り込んでしまっているのかもしれません。混沌とした世界は闇の世界であるといえます。少なくとも聖書の見方はそういっています。創世記の1章の1節2節は「はじめに神は天と地を創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が、水のおもてをおおっていた。」となっています。「この地は形なく」と言う言葉は、新共同訳では「地は混沌として」と訳されているのですが、まさしく「形がない」と言う言葉は「混沌」とも訳せる言葉なのです。そして「混沌」とした世界は、光がない闇の世界なのです。けれども、この闇に光が差し込んだのがクリスマスだと聖書は言います。まさに、私たちがどう生きていくか、如何に生きていくかという事に混沌として道が見出せないときに、光となって導いてくださるお方がイエス・キリスト様であり、このお方がこの地上にお生まれ下さったのがクリスマスなのです。
お祈りしましょう。