『喜びと悲しみの間』
マルコによる福音書 1章40−45節
2005/10/30 説教者 濱和弘
賛美 11,205,394
さて、今お読みただ来ました、テキストの箇所も、内容と致しましては、先週のテキストの箇所に続くものであります。そこには福音を語り、神の国に関する教えを語ろうとするイエス・キリスト様と、癒しを求めてやってくる人々の狭間にある、微妙なずれがあります。その狭間にある微妙なずれの前に立たされたイエス・キリスト様のお心が44節の「何も人に話さないように、注意しなさい。」という、イエス・キリスト様のお言葉の中に現われているように思われます。人々が病や、悪霊に憑かれているという意識や評判の中で苦しんでいる人々の苦悩に、深く心をよせるイエス・キリスト様と、そのような病の癒しや悪霊を追い払うだけでは、解決のつかない私たち人間の罪の問題に向き合うイエス・キリスト様のお姿があります。
もちろん、病や悪霊に憑かれている状況は、極めて現実的なことです。ですから、人々の求めがそこに集中するのも、分からない訳ではありません。もっとも、病の現実的なのことは分かるとして、悪霊に憑かれていると言うことが現実的だといわれても、現代の私たちにはピンとこないかもしれません。しかし、信仰は、その時代時代のものの見方や考え方に強く繁栄されます。例えば、中世ヨーロッパの素朴な人たちは、純粋に魔女や魔王といった存在を信じていました。信じていたからこそ、魔女狩りと言ったような狂気が嵐のように吹き荒れたのです。そして、この時代には、様々なことが悪霊の働きとして捉えられていました。例えば、ものが言えないとか耳が聞こえなくなると言ったことも、霊の働きとして捉えられていました。ですから、聖書の様々な癒しの記事などを見ますと、これは、今日で言うならば「てんかん」の症状だなとか、臨床心理学の世界で言う、ヒステリーであるとか、多重人格といったものではないかと思われる部分が、いくつもあります。そう言ったものの全てが、聖書では悪霊につかれたためであると言われていますが、当時の人は、本当にそう思っていたのです。そして、そう信じている人々には、そう信じているようになさった。悪霊に憑かれていると思っている人には、悪霊を追い払う宣言を通してお癒しになられたのです。
今、このように申しておりますのは、人々にとって、病や悪霊に憑かれているということが、極めて現実的であったと言うことを述べたいからであって、決して悪霊といったものの存在を否定しているわけではありません。聖書の中には、先程申しましたような医学や臨床心理学では説明しきれないような出来事も記されているわけで、そういった意味では、本当に悪霊に憑かれるといったこともあるのだろうと、私も信じています。しかし、いずれにしても、今日の医学や臨床心理学で説明のつくようなことも憑かないようなことも含めて、それは、このマルコの福音書に出てくる人たちにとっては、実にいきいきとした現実の世界なのです。そのような中で、一人のらい病をわずらった人が、イエス・キリスト様のもとにやってきます。口語訳聖書にはらい病と書かれていますが、最も最近に出た、新改訳聖書第三版は、このらい病というのをツァラアトという風に書いてあります。新共同訳聖書では、重い皮膚病となっていると思いますが、ツァラアトというのは、当時の人々が、呼んでいた病名そのままです。どうして、らい病という訳をツァラアトと訳したかというと、聖書で言うツァラトという病は、今日で言うらい病、つまりハンセン死病とは異なったものだからです。一節によると、当時の古代のイスラエルのは、ハンセン氏病事態が存在しなかったと言う節もあります。
それでは、どうしてらい病と訳されるようになったかというと、旧約聖書がギリシャ語に訳される際に、らい病という意味をもつレプラという言葉を、このツァラアトにあてたからだようです。ですから、このマルコによる福音書に出てくるらい病人とは、いわゆるハンセン氏病にかかった人と言うわけではありません。そんなわけで、新改訳聖書の第三版は、へたに訳語をつけず、そのままツァラアトとしたようですが、そのあたりのことは、聖書図書刊行会からでている「聖書翻訳を考える」という本に出ています。ところが、この「聖書翻訳を考える」という本を読んでおりますと、そこには興味深いことが書かれてありました。ともうしますのは、このツァラアトという言葉をどう訳すかと言うことを、検討していく中で、λεπραという言葉を考えたというのです。λεπραという言葉は、らい病と訳される言葉です。その言葉を、あえて使おうかと考えた背後には、多くの英語の聖書では、Leprosyと言う言葉が問題なく使われていると言ったことがあったようです。しかし、辞書を引きますとわかりますが、Leprosyと言う言葉は、らい病という意味です。
当然でしょうね。英語のLeprosyの語源はギリシャ語λεπραにあるのです。では、なぜ英語のLeprosyなら良くて、日本のらい病だと問題になるのでしょうか。それは、英語のLeprosyには、差別性がないからだというのです。皆さんもご存知かとおもいますが、日本には「らい予防法」とのかね合いで、らい病というものに対して、深い座別意識があるといわれます。先だっても、どこやらの温泉旅館で、らい病の人の宿泊を断ったということで問題になったということが報道されていました。つまり、英語のLeprosyには差別的なニュアンスがないが、日本語のらい病と言う言葉には差別的ニュアンスがあるというわけです。そしてまさに日本においては、この「らい病」という病気自体が、深い偏見と差別的意識を持ってみられているのです。だからこそ、単に訳語の問題だけではない深い問題があるのです。私は、このようなツァラアトの翻訳の問題を読みながら、イエス・キリスト様のところにやってきた男と、日本のらい療養所に強制的に入れられた人たちの姿が重なり合うように思えてきました。この両者の負った病は確かに別のものです。
しかし、このイエス・キリスト様の前に立っているツァラアトに置かされた人は、人々から隔離され、貧困の中に置かれていたことでしょう。また誰に近寄ってももらえず、汚れたもの、神に見捨てられた罪人、そういった偏見の目で見られる孤独と人々からの差別を背負って立っているのです。そういった意味では、あのツァラアトを患った男は、日本のらい療養所に強制的に入れられた人たちと、同じ、悲しみや苦悩を背負ってイエス・キリスト様の前に立っているのです。それは、らい療養所に収容されて以来、何十年も家族と切り離され、人権を侵害され、激しい差別と偏見の目の中で生きていかなければならなかった苦悩であり、痛みと同じものです。そして、その悲しみや痛みの前に立たされたイエス・キリスト様は、深くあわれんで、手を伸ばし彼に触って、「そうしてあげよう。きよくなれ」とそういって、お癒しになるのです。この癒しの業の動機は、イエス・キリスト様の深いあわれみであったと聖書には書かれています。ところが、写本によって(特に西方系の写本)は、怒りに燃えて、手を伸ばし、「そうしてあげよう。きよくなれ」とそうおっしゃって癒されたとなっているものがあるそうです。
New English Bibleとか日本でも塚本虎二の訳した新約聖書などは、そのような訳になっています。怒りに燃えてお癒しになられたというのは、いかにも妙な感じがしますが、私には、何となくこの訳の方がいいような気がします。もちろん、どちらがより原典に近いかと言うことで、聖書の翻訳は進められていかなければなりませんが、このマルコによる福音書のこの状況の中で、聖書を読んでいますと、いかにも「怒りに燃えて」お癒しになったという訳がふさわしいような感じがするのです。もちろん、イエス・キリスト様が怒りを燃やした相手というのは、このツァラアトを患った男ではないことは明らかです。彼に対して怒りを感じていたのであるならば、お癒しになろうはずがありませんですから、イエス・キリスト様がこのツァラアトの男に注がれたまなざしは、口語訳聖書にあるように、深いあわれみであったでしょうし、深い愛であっただろうと思います。むしろ、イエス・キリスト様が「怒りの燃える」ような激しい感情を持たれる相手があるとしたら、それは、このツァラアトを患ったこの男に対し、偏見の目で見られ、差別される苦しみを与え、貧しさの中で孤独感を味あわせた社会に向けられていたのだろうと思うのです。
確かに、ツァラアトという病は、イスラエルにおいては、宗教的な汚れと結びつけられていました。そして、この病は、どうやら何かの皮膚病のようなものでしたから、ひょっとしたら人の移るような性質のものだったのかも知れません。そのような関係からでしょうか。ツァラアトに侵された人は、汚れたものとして町の中で生活することが出来なかったのです。そして、町の中にはいるときも、「自分は汚れたものだ」と大声で叫びながら周囲の人に知らせなければならなかったのです。それは、当時のイスラエルの社会のルールでした。ルールだからこそ、人々はそのようにしたのです。けれどの、そのようなルールは、人々にツァラアトを患った人に対する偏見や差別の目を向けることを赦すものではありませんでした。けれども、もしツァラアトに侵された人が、町に入ってきたならば、きっと人々は嫌な顔をしただろうと思います。近くに寄ってきたならば迷惑そうな顔をしてその人のことをみただろうと思うのです。ひょっとしたら、声を逃げ出したかも知れません。どうして、そんなことがわかるのか?それは、きっと私なら、そうしただろうと思うからです。
遠藤周作のエッセイだった小説だったかわすれましたが、その中に、自分が学生時代を回顧したものがあります。その中で、彼が学生時代に、所属していたカトリック学生のサークルが、らい療養所に慰問に行った時の話が記されています。その話は、おおよそ、次のようなものだったと記憶しています。彼らは、らい療養所に慰問に行き、そこに収容されている患者たちとソフトボールの試合をするのです。試合の前に、すでにらい病は感染しないことを、ちゃんと説明されて、試合に臨みます。試合中、遠藤周作は、2塁ベースに駆け込もうとしたところ、守備についていた、らい患者が、走り込んできた遠藤周作にタッチをしようとするのです。その時、遠藤周作は思わず体が硬直し、顔が引きつってしまったと言います。そんな遠藤周作の様子を見て、彼にタッチしようとしたらい病患者は、大丈夫触れませんからとそう言うのです。本のタイトルも、小説だったか、それさえも覚えていないのに、この話だけは鮮明の覚えているのは、その文章を読んだとき、その時の遠藤周作の気持ちが良くわかったからです。そして、きっと自分も同じようにするのだろうと思ったのです。ひょっとしたら、皆さんの中にも、私と同じように、遠藤周作の気持ちが理解できるという人もいるのではないだろうかと思うのですが、どうでしょうか。
その同じ私の心が、きっと、あのツァラアトの男が、町に入ってきたら、人々はどうしただろうかと言うことを、容易に想像させてくれるのです。それは、イエス・キリスト様の時代から2000年立った、今の時代であっても、偏見や差別が社会の中から決して消え去っていないからです。だからこそ、温泉のホテルが、らい病の人の宿泊を拒否するといった事が起こってきたと言えるのではないでしょうか。その偏見と差別といったものは、私たちの社会そのものが侵されている罪です。社会そのものが差別や偏見といったものを持っているからこそ、そこに集う一人一人もまた、その罪に染まっていくといえます。そして、私も遠藤周作もその中の一人だったのです。このツァラアトを患った男が、イエス・キリスト様のもとにやってきた記事をよみながら、日本のらい病患者の人たちの姿が重なるの、日本の社会の中にらい病患者の方々への偏見と差別を持ってきたそのような社会が、今ここにあるからだと言えるように思うのです。
そういった社会からの偏見や差別がもたらす全ての重荷を全部背負って、このツァラアトを患った男はイエス・キリスト様の前に立つのです。このマルコによる福音書の1章40節以下の物語を読みますと、この男は、一人でイエス、キリスト様の来たようです。40節には一人のらい病人が、と書かれていますし、44節には「何も人に話さないように注意しなさい」とそうおっしゃられています。もし周りに人がいたならば、この男に如何に厳しく「何も人に話さないように」といっても、見ている人が黙ってはいません。ですから彼に「誰にも言うな」と注意すると言うことは、彼以外に周りに誰もいなかったと言うことです。彼はひとりぽっちでイエス・キリスト様のところに来たのです。このひとりぽっちと言うことが、この話をより悲しいものにしています。この40節の話までの前にある、31節からの癒しの出来事は、病の人や悪霊に憑かれた人の周りには、多くの人がいます。町中の人が彼らを取り囲んでいるのです。
けれども、このツァラアトに侵された男の周りは誰もいません。まるで社会からはじき出され、除外されたかのようにして、ひとりぽっちでこの男はイエス・キリスト様のところに来るのです。それは、偏見と差別という社会の罪が、もたらすもっとも悲しい側面です。社会の罪は、人を疎外しはじき出して孤独な人という悲劇を生み出すのです、ですから、イエス・キリスト様が、「怒りに燃えて」と言われるような激しい心に憤りを感じられたとするならば、そのような、社会の罪に対して「怒りに燃えられた」のではないだろうかとそう思うのです。だからこそ、その燃えるような怒りの激しさ故に、その重荷を背負っている男には、深いあわれみのこころを示され癒されたのではないかと思うのです。そして、その男をお癒しになられた。もちろん、それまで自分を苦しめていたツァラアトが癒されたことは、大変な喜びであったことは言うまでもありません。それまでは、単に病気と言うだけでなく、宗教的に汚れたものとして社会から締め出されていたのに、祭司にツァラアトが癒されたことを見せ、きよめのささげ物をして、晴れて社会に復帰出来たのです。
この男が、45節に書かれているように、イエス・キリスト様から「誰にも言うな」と戒められていたのに、自分の身に起こったことを盛んに語り、言いひろめ始めたというのは、その喜びの大きさを表わしていると言うこともできるだろうと思います。それほどまでに大きな喜びがあったのです。この男の、ツァラアトが癒され社会復帰できた大きな喜びと、ツァラアトに侵されている、社会から排除され孤独の中にあった時の深い悲しみとの間には、人間の社会が持つ偏見と差別といった罪が横たわっています。この偏見や差別のような社会の罪がある限り、この男と同じ悲しみと苦悩を背負った人間は、決して止むことなく生まれ続けていくのです。そして私たちの社会は、偏見や差別を産み出すのに、あまりにも多くの材料があります。肌の色や貧困、学歴や氏素性、こういったもの一つ一つが、偏見や差別を産み出す格好の材料として、私たちの周りに転がっています。そして、私たちの心に中には、これらのものと結びついて差別や偏見を生み出していく、優越感や傲慢といった罪の性質があるのです。
この問題が解決しない限り、どんなにイエス・キリスト様が人々をあわれんで、悩みや悲しみを取り除こうとしても、限りはありません。結局、罪の赦が赦され、神様と和解させていただき、罪からきよめられていくこと意外には、本当の意味での問題の解決はないのです。私たちが、罪からきよめていただくと言うこと、それは神様のお心に添って生きていくことであると言い換えても良いだろうと思います。私たちが、神様のお心に添って生きていく者となっていくこと、それがきよめられると言うことの実際のあらわれなのです。そして、その神様のお心は、愛であり、正義であり、平和であり、寛容です。神様から、罪を赦していただき、神様との係わり、交わりの中で生きていくときに、私たちは神様のお心に添って生きていく者に変えられていきます。そして、そのような生き方が貫かれているところには、愛があり、正しさがあり、平和があり、赦しがあります。
このような者があるところでは、けっして誰もが排除されることはありません。あのツァラアトを患った男が味わった悲しみは存在なくなるはずです。そして、教会こそが、そのような社会とならなければなりません。教会には、偏見とか差別といった社会の罪があってはならないのです。イエス・キリスト様は、1章の38節で「ほかの、付近の町々にみんなで出て行って、そこでも教えを宣べ伝たえよう。わたしはこのための出てきたのだから」とそう言われています。みんなでと言われているのは、この罪の赦しということを、人々に知らせていことに、私たちも一人一人も召されていると言うことです。そしてそれは、教会が召されていると言うことでもあります。みんなでと言うことは、そういうことです。そのような、イエス・キリスト様と共に出かけていく教会は、神の赦しが語られる社会です。そして教会に来るもの、教会につながるものは、教会という社会の中で、誰であっても、この罪の赦しに招かれているのです。
しかし、「みんなで出ていこう」という言葉で、教会が召されていると言うことは、それだけのことではありません。「みんなで出ていこう」と言われたイエス・キリスト様は、出ていった先で、このツァラアトを患った男と出会われ、その悲しみや苦悩に向き合ったのです。ですから、私たちの教会も、このイエス・キリスト様と、ともにその悲しみに向き合わなければなりません。そしてイエス・キリスト様が、その悲しみの根源にある社会の罪に向き合わなければならないのです。そして、イエス・キリスト様は、この男をお癒しになられました。だとすれば、「みんなで」と言われた教会もまた癒さなければなりません。それは、なにも私たちの教会が癒しの集会をしなければならないと言うことを言っているわけではありません。このツァラアトの男が痛み悲しんだのは、社会との係わりの中でした。ですから社会との係わりの中で傷つき痛んだものは、社会の中で癒されていかなければ成りません。ですから、教会は、誰一人としてひとりぽっちにさせることないように、愛し合う群れにならなければなりませんし、赦しあう群れにならなければなりません。
この事に関して、私は牧師として、自分自身の欠けと力のなさを本当に痛感しています。しかし、同時に、教会の皆さんが、その私の欠けをあまりあまるほど補って下さっているかを覚えて、本当に感謝しています。そうやって、教会という社会が、社会で傷ついた人を癒していく。それもまた、「みんなで出ていこう」といわれた教会の果たすべき使命の一つなのだと思います。ですから、私たちは、これからも、単に病気が治ると言うことではなく、決して一人ではない、愛し受け入れられていく教会という社会を築き上げていこうではありませんか。それこそが、神の国のこの世の現われであると言われる教会のあるべき姿なのではないかとそう思うのです。
お祈りしましょう。