三鷹教会のロゴ メッセージ

羊飼い 『二つの受難物語』
マルコによる福音書 6章14−29節
2006/7/16 説教者 濱和弘
賛美  251、35、114

今、司式の兄弟にお読みいただきました聖書の箇所は、パプテスマのヨハネがヘロデ王によって殺された出来事が記されているところです。ヘロデ王といっても、このヘロデ王は、イエス・キリスト様がお生まれになった時に、ガリラヤ地方の2歳以下の幼児を虐殺したヘロデ大王の子どものヘロデ・アンティパスという人です。マルコは、そのヘロデ・アンティパスをヘロデ王と読んでいますが、実際はガリラヤとペレヤの領主でしかなく、王と呼べるような実権は握ってはいませんでした。実際の権力や顕現はローマ帝国が握っていたのです。ですから、後にこのヘロデ・アンティパスは、ローマから領土を召し上げられ追放されてしまうのです。そのヘロデ・アンティパスがバプテスマのヨハネを殺したのです。ですから、今日の聖書の箇所は、いわば、ヘロデ・アンティパスによるパステスマのヨハネに受難物語だと言えます。

マルコによる福音書の著者であるマルコは、そのバプテスマのヨハネの受難物語を、イエス・キリスト様が12弟子を宣教の旅の送り出した6章7節から記事と、その弟子たちが宣教の旅から帰ってきた30節からの記事の間に、挟み込むように記しています。私たちは、今こうして、毎週の礼拝説教でマルコによる福音書を一章一節からそれぞれの文脈と言いますか、小さい物語単位に区切って、そこからメッセージに耳を傾けています。いわば、毎日曜日ごとに、マルコによる福音書を聖書通読しているようなものです。そのように、聖書を読み物として見てまいりますと、このマルコによる福音書の6章7節から30節以降に至るまでの書き方は、非常に不自然な書き方のように思われます。みなさんも、さっと6章7節から31節までをお読み頂きますと、この不自然な感じが分かるのではないかと思いますが、どうでしょうか。

そして、例えば、私ならきっとこのような書き方をするだろうと思うのです。「イエス・キリスト様は12弟子を宣教の旅に派遣され、弟子たちは、出ていって、悔い改めを宣べ伝え、多くの悪霊を追い出し、大勢の病人に油をぬっていやした。そして、使徒たちはイエスのもとに返ってきて、自分がしたことを報告した。その後、彼らは人里離れた所に行って休もうとしたが、多くの人が集まってきたので、これこれこういう事があった。さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳に入った。ある人々は『バプテスマのヨハネが死人の中からよみがえってきたのだ』と言い…」云々。こうした方が、文脈がしっかりまとまるような感じがするのです。ところが、マルコは、実に不自然な形でバプテスマのヨハネの受難物語を、12使徒の宣教の旅の話の中に挿入している。一体どうしてだろうかと考えました。

そのとき私は大切なことを見落としていることに気づいたのです。その大切なことというのは、聖書は、とりわけマルコによる福音書は、もともとは読まれる書き物としてではなく、語り部が語って聞かせる物語であったということです。同じ物語でも、文章にした読み物として読ませる物語を構成するのと、語り部が語って聞かせる物語として構成するのとでは、ストーリーの展開が全く違ってきます。読み物は、くり返し、くり返し目で追って読むことができますので、話があちらこちらに展開しても、読みながらそれを整理することができます。けれども、物語は耳から聞くストーリーですので、読み物のような構造ではなく、話の流れに沿いながら、聞く人興味を失わないように話を展開し、理解させなければなりません。もともと、マルコによる福音書は、そのような語り言葉で語られる耳で聞かれる物語なのです。考えてみますと、イエス・キリスト様の時代の人々は多くの人が字を読むことができない人たちです。とくにクリスチャンと呼ばれる人たちは、決して身分の高い人たちではない人が数多くいましたので、文章を書くと言うよりも語って聞かせなければなりません。ですから、マルコによる福音書も読み物としてではなく、語り部が語り伝える物語として伝えられていたと考えられているのです。そんなわけで私は、今日のこの聖書の箇所を家内に聖書を朗読してもらい、私はじっと耳で聞いていました。

そうは言っても、聖書が日本語に聖書に翻訳されるときに、それは既に読まれるものであるという前提で翻訳されていますから、いくら、朗読してもらっても、翻訳された段階で耳で聞く物語としてニュアンスの多くは、損なわれてしまっています。そうすると、マルコによる福音書はギリシャ語で聞くのが一番良く理解できるようなということになります。その時、ふと思い出したのがケセン語訳聖書のことです。ケセン語訳聖書というのは、数年前に宮城県の気仙沼地方の言葉に聖書が翻訳されたとして話題にったのものです。このケセン語訳聖書が出されたとき、それこそ東北の人たちに間で、聖書が良くわかるという評判が立ちました。もちろん、東北の人たちも聖書を読んで十分理解できます。けれども、ケセン語訳聖書を読み、また朗読されるのを聞くと、聖書の言葉が頭で分かるのではなく、心に浸みて来たというのです。もともと、方言というのは話し言葉です。ですから、ケセン語訳聖書も話し言葉で書かれていますので、マルコによる福音者など朗読をすれば、なるほど、心に浸みて良くわかるだろうと思うのです。日本にも、耳で聞く物語としての聖書を味わうことが出来る聖書もあるんですね。残念ながら、私はケセン語訳聖書を持っていませんし、以前、ケセン誤訳聖書の朗読されたCDを聞いたことがあるのですが、東北弁での語りは、私にはほとんど分かりませんでした。大阪弁訳のマタイによる福音書は持っているのですが、残念ながら大阪弁訳にはマルコはありません。そんなわけで、今回は、純粋な話し言葉での朗読を聞くことができませんでした。

そこで、仕方がありませんので、今回は、家内に口語訳聖書、新改訳聖書、新共同訳聖書、中央公論社聖書、講談社訳聖書でそれぞれ6章1節から32節までを朗読してもらいました。そうすると、完全に語られる物語としてのニュアンスが伝わらないまでも、耳で聞く物語は、自然と私の頭の中に一つのストーリーを残していくのです。そして、その一つのストリーが記憶として刻まれていくのです。それはこんなストーリーでした。「イエス・キリスト様は故郷ではご自分が誰であるか、どのよう立場であられるお方であるかを正しく理解して頂くことができなかった。それは、聞いていた人たちが、故郷の人たちで、イエス・キリスト様の氏素性を知っていたので、それが原因で受け入れらなかったのだ。そのため、イエス・キリスト様は近くの村々で教えられ始めると同時に、弟子たちを伝道の旅に送り出して、悔い改めを語り、悪霊を追い出し、多くの病人を癒やされた。その結果、イエス・キリストの噂が広がって、それがヘロデ王のもとに届いたということです。その噂は、イエスは、バプテスマのヨハネの甦りであるとか、エリヤの再来であるとか、預言者の一人であるといった噂であった。つまり、結局の所誰一人イエス・キリスト様を救い主メシヤだとは理解できなかったのだということです。

そのような様々な噂を聞いたヘロデは、そのような噂の中で、イエス・キリスト様は、自分が首を切って殺したバプテスマのヨハネのよみがえりであるとそう受け止めた。そして、バプテスマのヨハネを殺したいきさつが述べられるのですが、彼は、自分に妻がアルミでありながら、自分の兄弟の妻であるヘロデヤを兄弟から奪い取って自分の妻にしてしまったことを、バプテスマのヨハネに非難されてしまった。それで、彼を恨み、捕らえ殺そうとしたのだけれども、ヨハネが聖なる存在で正しいことを語ることを知って、彼を恐れ殺すのではなく、かえって保護するようにさえなった。そして、ヨハネの語ることに耳を傾けて聞いていたのだけれど、ヘロデヤの謀略によって、ヨハネを殺すことをもめられるようになる。そのとき、ヘロデは、結局自分の面子や体面のために、ヨハネを殺してしまったのだ」

語り伝えられる物語としてのマルコによる福音書が伝える6章1節からの物語を、じっと耳を傾け聞くとき、このような一連のストーリーを私たちの心に残していくのです。そして、そこにあるものは、イエス・キリスト様が神の言葉を語り伝える存在であると好意的に受け止められても、決して救い主メシヤとしては受け入れられなかったという事実です。そして、そのような、イエス・キリスト様のお姿は、同じように神の言葉を語り、正しい存在であるとヘロデ王から認められながらも、そのヘロデ王から首をはねられたバプテスマのヨハネ重なり合うものなのでもあります。ですから、そのバプテスマのヨハネの受難の物語は、語り部が人々に語り聞かせるときにキリストの受難物語を思い起こさせていきます。というのも、このマルコによる福音書は、人々にくり返し、くり返し語り聞かせるために創られたものだからです。

そもそも、語り部は暗記している物語を、一つの物語をくり返し、くり返し人々に語り聞かせるものですが、特に、このマルコの福音書は、そのことが意識されて創られている節があります。物語には、最初があり、最後がありますが、このマルコによる福音書の最後は、学者たちを実に悩ませてきたものです。私たちが手にしている口語訳聖書を見ますと、マルコに福音書は16章20節で終わっています。ところが、現存する有力な写本、ご存知のように、聖書は元々のオリジナルであるマルコ自身が書いた原本は残っておらず、それを手書きで書き写していった写本と呼ばれるものが残っているだけなのですが、その写本の中でも有力なものとされるヴァチカン写本やシナイ写本は、16章の8節で終わっているのです。それでは、9節から20節はどうしてあるのかというと、16章の8節での終わり方が、余りにも唐突な終わり方なので、後の時代、とはいっても2世紀に前半頃までに書き加えられたと思われるのです。そんなわけで、この16章8節以降については、口語訳聖書にある9節から19節の追加された文章の他にも、別の短い追加文、新改訳聖書をお持ちの方は、その短い追加分も、別の追加文としてかかれていると思いますが、その別の追加文などもあったりするのです。

そのような、後から書き加えなければならないと思うほど、マルコによる福音書の16章8節は不自然な終わり方をしているのです。そこで問題の8節がどうなっているかというと、「女たちは、おののき恐れながら、墓から逃げ去った。そして、人には何も言わなかった。恐ろしかったからである」となっています。翻訳された日本語では、かなり整えられていますが、ギリシャ語本文を語順に添って直訳しますと。「そして、人には言わなかった。恐ろしかった。なぜなら」となります。福音書全体が、「なぜなら」と言う言葉で終わるのです。

このような、「なぜなら」と言う終わり方になっているのか、その意図については、様々な解釈がありますが、その一つに、このようなものがあります。それは「なぜなら」と言う言葉で終わることで、もう一度話をマルコによる福音書の1章1節、「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」に戻って、物語をくり返す為であるというのです。このように物語の末尾を「なぜなら」と言う言葉で終わる。それは、キリストの復活に出会った女性たちの心に恐れがあったからです。この恐れは、驚き、恐怖を感じる、あるいは驚愕を感じると言った意味での恐れと言うことと、同時に畏れ敬う畏敬の念における畏れでもあります。女たちが、このようにイエス・キリストに畏敬の念を持ちおそれ敬うようになった。それはなぜか、「なぜなら」といって、ふたたびイエス・キリストの御生涯がくり返し語られる。それは、神の一人子が人となって、私たちに罪からの救いという福音をもたらす御生涯なのです。だから「なぜなら」で終わっていると言うわけです。

そのように、イエス・キリスト様の御生涯がくり返し物語られる中で、人々は、神の言葉を正しく伝えるものが、苦しめられ殺されるというこのヨハネの受難の物語を聞くのです。だからこそ人々は、ヨハネの受難の物語を聞くとき、それが、イエス・キリスト様の受難と重なり合っていったであろうと思われますし、またそのような期待の中で、この物語が語られていったと考えられます。それは、マルコによる福音書が「長い序文を伴う受難物語」だと言われるものだからです。このような言う言い方をしたのはM・ケーラーという人ですが、要は人々にイエス・キリスト様の受難の物語を人々の心に刻み込み、思い出させるために書かれているのだということです。ですから、マルコによる福音書がくり返し、くり返し、ヘロデ・アンティパスによってバプテスマのヨハネが首を切られたということを語り聞かせる度に、人々は、そのヨハネの姿にイエス・キリスト様の姿を重ねていったでありましょうし、また重ねていかなければならないのです。

そのヨハネが、どうして首を切られたのかと言いますと、ヨハネが、ヘロデ・アンティパスが自分の異母兄弟であるヘロデ・ピリポの妻としていたことを非難していたからです。ヘロデ・アンティパスは自分も結婚していたにも関わらず、ヘロデヤをピリポと離婚させて自分の妻としたのです。しかも、ヘロデヤはヘロデ・アンティパスにとっては、自分の姪でもありました。もちろん、そのような結婚は、私たちの感覚からも受け入れ難いものですし、当時の律法からも当然、律法違反とされていました。ですから、パプテスマのヨハネは公然とヘロデ・アンティパス、つまりヘロデ王を公然と非難したのです。そんなヨハネをヘロデ王は捕らえ牢屋に入れていたのですが、捕らえてみるとヨハネの語ること耳を傾けて聞いていると、彼が正しい人で聖なる人であることが分かってきました。それでヘロデ王は、ヨハネを捕らえはしましたが、彼を保護し、彼の教えを聞いていたのです。ヨハネの教えを聞いていたヘロデ王の態度について、聖書は、「その教えを聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていた。」とあります。

「非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていた。」というのは、大変おもしろい表現です。確かに、正しいことを正しく語る言葉は、私たちの心を納得させるものがありますし、事の真理に通じるような事を学ぶことは、大変楽しいものです。例えば、私たちが聖書を学び、聖書が何を語っているかと言うことを学び取ることは、大変な喜びですし、嬉しいことです。私も、昨年から、神学校や大学のキリスト教に関する講義の聴講に行っていますが、それは本当に楽しく、心がわくわくするような気持ちになります。ところが、聞き、学ぶと言うことに於いては大変楽しい聖書の言葉も、一度、その聖書の言葉を自分自身の生き方や行動に照らし合わせてみますと、楽しいと言うだけでは済まされません。時には、聖書の言葉が、私に「お前はそれでいいのか。」と厳しく問いかけてきますし、「お前は今のままではダメだ」と厳しく語りかけてくるのです。さらには、聖書の言葉が、鋭く私の罪を糾弾してくることもある。

おそらくは、同じような経験を皆さんもなさったことがあるのではないだろうかと思うのです。以前、ある方とお話しをしておりましたときに、こんな事を言っておられました。その方は、「厳しい説教をきくと身が引き締まる思いがします。そして厳しいけれど、自分がどうしなければならないかを教えられますので恵まれます。」とおっしゃるのです。厳しい説教とは、私たちがクリスチャンとしての至らないところや問題点を鋭く指摘する説教と言ってもいいかも知れません。自分の至らなさや問題点、あるいは罪深さを指摘されるのですから、それは決して心地良い説教ではないといえます。けれども、それは「自分のあるべき姿」や、「自分はどうしなければならないか」を教えてくれるものですから、心地よくはないのですが喜んで聞くことができるのです。そんなわけでしょうか、先程私がお話しした方だけではなく、厳しい説教が好きだという方は以外と多いのです。考えてみますと、私の教会をずっと導き育てて下さった加藤亨牧師もそのような厳しい説教を語る説教者のお一人ではなかったと思います。そして、この教会に集う私たちは、加藤亨牧師を通して、そのような厳しい説教によって養い育てられてきたのです。

ですから、ここにおいて、ヘロデ王が、ヨハネの語る言葉に耳を傾けていた「非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていた。」姿は、そんな私たちの姿に重なり合うものかも知れません。しかし、ただ一つ、私たちと違うところがあるように思われます。それは、ヘロデ王の間違いや過ち、罪を厳しく指摘し、あるべき姿や生き方を示す、ヨハネの言葉を聞きつつも、彼は、そこから一歩前に踏み出して、ヨハネの語る言葉に聞き従えないでいたのです。だから、悩んでいた。そこには、神の前に如何にあるべきかがわかっていても、自分の欲望を抑えきれないで悩んでいる人間の姿があります。

そんな、ヘロデ王のすぐ側にいたのは、妻のヘロデヤです。結婚を非難されたヘロデヤもまたヨハネを恨んでいました。その恨みは深く、ヨハネを殺そうと思っていたのですが、ヘロデ王がヨハネを保護し、ヨハネの語る言葉を、非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたので、殺すことができずにいたのです。ところが、ある時よいチャンスが来ます。ヘロデ王の誕生日の席で、ヘロデヤと前夫ピリポの間に生まれた娘が舞を舞ったとき、その褒美として、ヘロデ王はその娘に「欲しいものは何でもあげよう。欲しければ、この国の半分でもあげよう」と言うのです。「この国の半分であげよう」とヘロデ王はいいますが、彼はローマ帝国からガリラヤ地方の領主として任を受けているだけです。ですから、自分の判断で「国の半分」はもちろん、その領地を勝手に分け与えることなどできません。なのに「欲しければこの国の半分でもあげよう」などというところにヘロデ王の見栄っ張りな性格を垣間見るような気がします。また、だからこそ、「欲しいものは何でもあげよう。」と言うヘロデ王の言葉を巧に利用して、ヨハネを殺すことを求められたときに、誕生日の席に同席していた将校やガリラヤの主だった人たちの手前、断ることができなかったのです。このとき、王は非常に困ったと聖書は告げています。ですから、ヘロデ王はヨハネの殺したくはなかったのです。けれども、自分が言い出したという手前もあり、また人々の前で行った以上という意地にも似た気持ちであるといった、そういった自分の勝手な都合、わがままな都合が、したくもないことをさせ、人の命まで奪ってしまう。

このバプテスマのヨハネとヘロデ王の物語の延長線上には、その物語に重なり合うイエス・キリスト様と私たち人間の物語があります。そのイエス・キリスト様の物語に於いては、私たち人間の自分勝手で自己中心的な罪が、わがままな思いが、イエス・キリスト様を十字架につけたのです。そして、当然その中に、私もいる。なぜなら、私の中にはイエス・キリスト様を十字架につけた自分勝手な思いがあるからです。自己中心的な考えがあり、わがままな姿があるからです。この私の自分勝手さ、自己中心的な思い、わがままさが、イエス・キリスト様を十字架につけて殺したのです。パプテスマのヨハネに重なり合うイエス・キリスト様の物語においては、私がヘロデ王の役周りを負っているのです。私だけではない、見栄っ張りで、自己中心的な思いがあり、自分勝手であったり、わがままな心がある人は、すべからくイエス・キリストと自分という物語においてはヘロデ王の役回りを負うのです。そういった意味では、このヨハネの受難物語は私たちの心を刺し通します。私がイエス・キリスト様を十字架につけて殺したのだと、厳しく私を追求するのです。

しかし、私たちは、決して忘れてはなりません。このマルコによる福音書は、その最後の言葉16章の8節の「なぜなら」と言う言葉によって、決して途切れることのなくくり返される物語であるということを。それはつまり、くり返される物語の中で、イエス・キリスト様の十字架の死は、私たちの罪を赦し、神のことして下さる福音であるということです。ヨハネの受難物語は、私たちもまたイエス・キリスト様の受難物語に於いて、私たちがイエス・キリスト様を十字架につけた事実を突きつけます。けれども、そのイエス・キリスト様の受難の物語は、私たちの罪を赦す福音の始まりでもあるのです。そして、その福音が、イエス・キリスト様を十字架につけた私たちを赦し、神の子として天国に迎え入れて下さるという神の恵みの事実を教えてくれるのです。

だからこそ、私たちはイエス・キリスト様を「彼はエリヤだ」とか「昔の預言者の一人だ」「あるいはバプテスマのヨハネの再来だ」などと言ってはなりません。それは、イエス・キリスト様は偉大な宗教指導者の一人であるということであり、偉人の一人としてしまうことです。もしそうだとするならば、私たちはヨハネの受難物語から、私たちに罪の赦しという恵みをもたらす福音の始まりであるイエス・キリスト様の受難物語に跳躍する事は出来ません。私たちが、イエス・キリスト様を、私たちを罪から救って下さる救い主と信じ告白することによって、ヨハネの受難物語はイエス・キリスト様の受難物語へと変えられていくのです。ですから、私たちは、イエスは私たちの罪の救い主として信じ、告白して生きていきたいと思います。そうするとき、私たちを激しく責める罪の糾弾は、私たちを赦し受け入れる愛と恵みの言葉となっていくのです。

お祈りしましょう。