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羊飼い 『キリストの再挑戦』
マルコによる福音書 8章1−26節
2006/9/10 説教者 濱和弘
賛美  11、344、205

今、司式の兄弟から聖書が朗読されましたが、私たちキリスト教の信仰の基本となる書物は聖書一冊のみです。その聖書が正典として私の信仰の全ての基礎となり、全てを導きます。しかし、その聖書に関する本、あるいは、聖書をどのように読み解き理解するかについての書物は、様々な立場から数多くの書籍が出版されています。その中のほんの一部が、私の書斎の本棚にもありますが、その一角に、イエス・キリスト様というお方について書かれた本がまとまっておかれています。それを見ますと、それこそ、イエス・キリスト様とはどういうお方なのかということについても、様々な見方があるいることがわかります。ところが、実際に、このイエス・キリスト様というお方についての直接的な証言は聖書の福音書を含め、そう多くありません。タキトゥスやスエトニゥスといったローマの歴史家たちの書物の中にも「キリスト」という名を見ることができますが、内容的にはキリスト教というものに関するもので、イエス・キリストというお方について書かれているわけではありません。

そのような中で、歴史書としては、ユダヤ人のヨセフスが書いた「ユダヤ古代誌」や「ユダヤ戦記」の中に、イエス・キリスト様に関する記述が若干ではありますが見ることができますし、それ以外にも、ユダヤ教の教師であるラビと呼ばれる人たちが伝えた伝承の中に、イエス・キリスト様について語られたものがありますが、これらは、私たちが新約聖書を通して知っているイエス・キリスト様のお姿とは若干異なっています。また、最近になって発見され復元されて話題になった「ユダの福音書」や、以前からありました「トマスの福音書」や「ニコデモの福音書」「ペテロの福音書」などなどの、聖書に入らなかった文書などもありますが、これらもまた、聖書が示すイエス・キリスト像とは、違ったものを描いています。そのような、聖書が記すイエス・キリスト様のお姿と違った姿が描かれるのは、それぞれが立つ立場の違いからです。それこそ、ユダヤ人はイエス・キリスト様を救い主として認めなかった立場から見ていますし、「ユダの福音書」や「トマスの福音書」などは、2世紀から3世紀にかけて、教会から異端とされたグノーシス主義的立場から描いたイエス・キリスト様の姿なのです。このような、イエス・キリスト様の捉え方、理解の仕方の違いというのは、何も、キリスト教とユダヤ教、あるいは異端と呼ばれるグループの間の中だけにあるわけではありません。

たとえば、1920年代からブルトマンという人が、様式史批評という研究方法を用いて、新約聖書のイエス・キリスト様のお姿は、イエス・キリスト様以後の教会が信仰上の作り上げたお姿であって、実際の歴史で生きたイエス・キリスト様の生涯はもっと違ったものであったということを述べました。それ以後、新約聖書神学の世界では「史的イエス」という研究テーマで、歴史上のイエス・キリスト様の生涯と思想は何かと言うことが探求され始めました。その結果として、様々な「史的イエス」像が、それぞれの学者の立場から語られ、様々なイエス・キリスト像が乱立するようになったのです。結局、私たち人間は、イエス・キリスト様から、2000年たった今でも、イエス・キリスト様とは誰か、どのようなお方かと言うことを問い続けているのです。そして、私たち人間の側から、「イエス・キリスト様とは誰か」、「どのようなお方か」と言うことを訪ね求めるときに、私たちが頼るのは、私たちの人間の理性であり知恵であり、経験なのです。ところが、皮肉なことに、聖書はそのような人間の営みを見事に見抜いて、書き記しています。

前にもお話ししましたが、このマルコによる福音書の6章から8章にかけての一連の物語の根底に流れているテーマは「イエス・キリスト様とは誰か」ということです。6章から8章までの記述は、主としてガリラヤを中心として、様々な地にイエス・キリスト様と弟子たちの宣教が広がって出来事を中心に描かれています。その宣教は、イエス・キリスト様の語られた教えとなされた御業が中心となってなされていったと思われますが、そうなると、当然、そのような教えを語り、御業をなされた「イエス・キリストというお方はどのようなお方」と言うことが問題になります。それに、聖書はこう言います。例えば、6章1節から5節においては、イエス・キリスト様の郷里の人々は、イエス・キリスト様の生い立ちを知っているとい知識と経験から受け止めました。その結果は「マリヤの子で大工ではないか」ということでした。また、6章6節から15節では、イエス・キリスト様と12弟子たちが、ガリラヤの村々に宣教の旅に出かけたとき、その弟子たちの話を聞いた人々は、イエス・キリスト様を「バプテスマのヨハネの蘇りだ」とか「預言者」だとか「預言者エリヤの再来だ」などと言いました。これは、彼らが見知っている知識や経験、イスラエル民族の歴史に照らし合わせて理解した結果だと言えます。更には、6章45節から55節までにおいては、イエス・キリスト様が嵐の湖の上を歩いて、彼らの側を通り過ぎようとするという出来事にであっても、ただ驚き恐れるばかりで、そこから、イエス・キリスト様というお方について何も悟らない弟子たちの姿が描かれ、また、イエス・キリスト様を、ただ病の癒し主として癒しを求める人々の姿が描かれます。そして、7章1節から13節で、イエス・キリスト様を自分たちが、祖先から受け継いだ教え、ユダヤ教の基準で評価し判断しているパリサイ派の人たちと律法学者たち、つまり当時のユダヤ教の宗教的指導者たちの姿が語られるのです。

アブラハム・ヘッシェルという人は、「聖書は人間が神について記した書ではなく、神の目から見た人間の書である」といいましたが、まさに、神様が、「人間がイエス・キリスト様が誰か、どのようなお方について、自分たちの経験や知恵をつかって知ろうとしても、わかることは出来ないよ」と言うかのように、聖書は、このマルコの福音書6章以下を通して、そのように、人々が自分たちの身近な経験や歴史上の経験などを積み重ねてイエス・キリスト様を理解しようとしても、結局、理解できないのだと言うことを私たちに語りかけてくるのです。そして、そのことを示しつつも、聖書は、その中で、ヘロデ・アンティパスがパブテスマのヨハネの首を物語やイエス・キリスト様が五千人以上の人を五つのパンと2匹の魚でお腹一杯に満たすという奇跡を通して、十字架の上で死なれたイエス・キリスト様の姿を暗に示しているのです。まさに、私たちがイエス・キリストについて語るのではなく、神ご自身が、聖書を通して、私たちにイエス・キリスト様について語るのです。そのような中で、マルコによる福音書は7章の26節からスロ・ファニキアの女の物語を通して、イエス・キリスト様のことをまっすぐに素直な心で向き合い受け入れるものが、イエス・キリスト様の中にある愛と慈しみを見出して行った物語が記されます。それこそ、自分の経験や知識でイエス・キリストがどのようなお方かを考え、探求するのではなく、語られているイエス・キリスト様を素直に受け止めるときに、イエス・キリスト様がその本質、本性としてもっておられる愛や慈しみ、恵み深さといったものを感じ取らせていくのです。

そのように、「イエス・キリスト様と言うお方は、誰か。どのようなお方か」と言うことが、徐々に明らかにされていくなかで、先週お話しした32節からの耳も聞こえず、口もきけない人の癒しが語られます。それは、単に病が癒やされると言うことではなく、神の恵みの支配が到来したことを示す出来事です。そして、その出来事は、耳も聞けなかった人に「エパタ」(その意味は「開け」ということ)と語りかけることで、始まった神の恵みの到来を知らせる出来事でした。それは、私たちにとって実に象徴的で暗示的な物語です。それこそ、私たちに、イエス・キリストについて、自分たちの知恵や経験を駆使してイエス・キリスト様が誰であるかを探求し語るのではなく、神ご自身が、聖書を通して、私たちに語るイエス・キリスト様について、心を開き、耳を傾けて聞かない限り、決して理解することも悟ることもできないと、言っているかのようです。それは、実に私たちにとって神からのチャレンジのような呼びかけです。けれども、このマルコによる福音書の6章からここまでは、まさにそのことが、今見てきたように根底に流れるテーマとなって話が展開して来ているのです。それを受けて、この8章1節からの四千人の人が7つのパンとわずかの魚で満腹するまでにお腹を満たし、かつ残りのパンが、かご7つにもわたったと言う出来事が綴られるのです。

この物語は、6章34節から44節の五千人が5つのパンと2匹の魚でお腹一杯食べることが出来た奇跡の物語と非常に似かよっています。それで、人によっては、この五千人の物語と四千人の物語は、もともと同じ出来事で、それぞれ違った形で言い伝えられたものを、マルコの福音書の著者は、その両方を、それぞれ別の物語であるとして受け止めて記したのだと言われたりもします。しかし、マルコによる福音書は起源50年頃から70年頃という比較的イエス・キリスト様の生きていた時代に近い時期に書かれたものです。しかも、このように文書でまとめられるまでに、語り部が語る物語として語られていただろうと言うことを考えますと、かなり早い時期から、この二つの物語は区別して捕らえられていたことになります。そして、その二つの物語は、読み比べてみてもらえばわかりますが、パンが五つと七つといった風に細部に置いては違っているのです。そのようなことを考えますと、この二つの物語が一つの出来事が重複して書き記されたものであると考える必要なないように思います。むしろ、類似する同じような奇跡がくり返させ、弟子たちはもう一度同じ体験させられたのです。しかも、後から行われた四千人が7つのパンで満たされるという奇跡は、スロ・ファニキアの女の物語を通して、イエス・キリスト様が愛と憐れみに富み、恵み深い方であることが示され、耳も聞けず、しゃべれなかった男の癒しを通して、神の恵みが支配する世界が到来していることを示したその後に、 もう一度、同じような出来事を体験させられたのです。

この五千人の物語と、四千人の人の物語は、二つの物語ですが、その意図するところは、同じです。それは、教会で行われるように聖餐式が意識された出来事です。聖餐式は、私たちが、キリストが十字架で肉を裂き、血を流されて、私たちの罪の贖いを成し遂げて下さったことを心に刻み、くり返し、くり返し思い起こすためのものです。ですから、この5千人が5つのパンでお腹が満たされた物語も、四千人が7つのパンで満たされた出来事も、イエス・キリスト様の十字架の死を指し示すものであり、それはつまり、イエス・キリスト様が、私たちを罪とその罪に対する神の裁きから救い出してくれる救い主であるということを指し示している出来事なのです。五千人の奇跡の時に、そのことを悟ることのできなかった弟子たちに、もう一度、四千人の奇跡を体験させることで、そのことを受け止めさせようとする、いわばイエス・キリスト様の再挑戦とでもいえるような出来事だと言えます。先の五千人の時の出来事で、悟ることのできなかった弟子たちは、いわば試験に失敗した人のようなものです。けれどの、イエス・キリストは人が、一度や二度失敗したからとか躓いたと言ってあきらめてしまったり、切り捨ててしまったりするようなお方ではありません。

考えてみますと、マルコによる福音書の6章以降は、人々の失敗のくり返しです。イエス・キリスト様を主として、また救い主として信じ告白することにおいて、弟子たちを含め、ほとんどの人々はみんな失敗するか躓いてしまっています。けれども、そんな人々をイエスキリスト様はじっと忍耐して、こうして四千人の人々を七つのパンでお腹一杯に満たされるという奇跡を通して、再挑戦の機会を与えて下さっているのです。まさに神の一人子なる神、イエス・キリスト様は忍耐の神でもあるのです。今、こうして私たちの教会の群れに繋がっておられるお一人お一人、今日、この教会に集っているお一人、お一人は、皆さん神の招きによってこの教会の礼拝に集っておられます。そのお一人お一人は、様々な信仰の経歴と言いますか、歩みをなさってこられました。その歩みが、順調であったと言う方もおられるでしょうし、いろいろと曲折があったという方もおられるでしょう。そして、どちらかというと、いろいろと曲折があったと言う方のほうが多いのではないかと思うのですがどうでしょうか。ですから、お一人お一人が、ご自分の胸に手を当ててみますと、その「いろんなこと」が思い浮かばれてくるのではないだろうかと思うのですがどうでしょうか。それは、神を信じ信仰にはいるときのことであったり、信仰を持ってからのことであったり様々だろうと思います。

実際、教会に集われるようになった方の中で、クリスチャンホームに生まれた方以外の方のみてまいりますと、学生時代にミッションスクールで、学校のチャペルに出ていたとか、教会学校に行っていたとか、教会の英会話教室に通って宣教師から英語を習っていたと言う方が結構おられます。あるいは、かつては教会に通ってはいたが、信仰を持つには至らず、教会に通わなくなったのだけれど、こうしてまた教会に通うようになったという方もおられます。その背後には、そのような一人一人を決してあきらめないで、何度でも何度でも、救いに導こうとしておられる父なる神が、そして子なる神イエス・キリスト様がいらっしゃるのです。そして、何度でも、何度でも私たちを導き招いておられるのです。また、信仰を持ってからも、教会や信仰を離れてしまっていたという方もいらっしゃるかもしれません。そのような状況であっても、やはり、神は決してあきらめることなく、私たちを導き、招き続けて下さったのです。それは、単に一人一人という個人のことだけに限りません。教会という共同体にだって、いろいろなことがある。私たちのこの三鷹教会にだって、失敗と言うことではありませんが、しかし、多くの悲しいことや苦しいことがあったではないですか。それは、在る意味で教会が躓いたときです。しかし、そのようなことがあっても、神様は私たちの教会を決してあきらめず、今日あるまでに導いて下さいました。もちろん、そこには、加藤亨先生・安子先生、そして教会員の皆さんの祈りや努力もありました。けれども、その背後で、じっと見守り、支え、再び立ち上がる力を与え続けて下さった神様がいらっしゃったのです。

それは、とどのつまり、神様を信じて生きるとき、やり直しの出来ない人生などないと言うことです。私たちがどんなにつまずき、失敗することがあっても、神様は私たちを決して放棄しません。そして、神様があきらめない以上、必ず立ち直ることが出来るのです。イエス・キリスト様は7つのパンで四千人の人のお腹を満たすという、五千人の人が五つのパンで満たされるという奇跡と重なり合うような出来事を、もう一度、弟子たちに経験させるという、再挑戦を試みられました。それは、私たちに何度でも立ち治ることが出来るようにと、私たちを守り支えて下さる神様の想方でもあるのです。

それでは、四千人の人のお腹を満たすという奇跡の直後に何が起こったかというと、あいかわらず、パリサイ派の人たちはイエス・キリスト様に「しるし」を求めてやってきています。この「しるし」とは、イエス・キリスト様が、神から使わされたお方であることを証明するような「絶対的なしるし」です。また、弟子たちは、イエス・キリスト様が「パリサイ人のパン種とヘロデ党のパン種に気を警戒せよ。」という言葉の意味を理解出来ないでいます。このイエス・キリスト様が、「パリサイ人のパン種とヘロデ党のパン種に気を警戒せよ。」といわれた言葉は、イエス・キリスト様による解き明しが記されていませんので、ある程度推し量って解釈するしかありません。けれども、おそらくは、当時のラビと呼ばれるユダヤ教の教師たちが、パン種を悪いもの、悪い衝動に譬えていたことになぞらえていたことや、「パン種」とは、いわゆる酵母菌ですから、パン全体に広がってパンをふくらましますので、パリサイ派やヘロデ党の人たちの悪い考え方が、自分たちの間に広がらないようにと言う意味で言われたのかも知れません。また、あるいは、パリサイ派の人たちが、かたくなにイエス・キリスト様を受け入れず、「神から使わされたお方であることを証明するような絶対的なしるし」を求めている姿を見て、あのようにかたくなな心であってはなりませんと警告したのかも知れません。

ところが、弟子たちは、そのイエス・キリスト様の言葉を「自分たちが、パンを持ってくるのを忘れたことをとがめた言葉」だと勘違いしているのです。そして、議論を始めました。おそらくは、「パンを忘れたのは誰のせいであるか」とか、一体どうするのかということを議論していたのでしょう。結局、イエス・キリスト様が、ここにいたっても、彼らはイエス・キリスト様のことを良く理解できないでいるのです。少なくとも、7章24節以降に記されているスロ・フェニキアの女の出来事を、目撃したであろう弟子たちは、イエス・キリスト様にすがり求めるならば、ユダヤ人か相手にしないような異邦人の、異教の女であっても、憐れみを注がれるお方であることを、見ているはずです。そして、四千人もの人が、荒野で空腹であったなら、可哀想になって、七つのパンでお腹一杯に食べさせるようなお方なのです。なのに、パンを忘れたことをとがめられたと思い、議論している姿は、私たちを愛し、その罪のために、神の裁きによって滅ぼされようとしている人々を深く憐れんで、自らを十字架につけてその罪を贖おうとしている、救い主としてのイエス様の、その愛や憐れみを全くもって理解していない姿だと言えます。パンを忘れたことをイエス・キリスト様は責めたりとがめたりはしておられません。そのように、人の失敗や過ちを、イエス・キリスト様はとがめるようなお方ではありません。それは、イエス・キリスト様の本性が、愛なるお方であり、憐れみ深く、恵みに満ちたからです。

しかし、そのように失敗や過ちをとがめるようなお方ではない方が、イエス・キリスト様のなされた御業や語られた言葉を理解しない、かたくなな心に対しては、「目がありながら見えないのですか。耳がありながら、聞こえないのですか。」とそう問いつめられるのです。けれども、そのように問いつめながらも、やはり、イエス・キリスト様はあきらめてはおられません。決して見捨ててはいないのです。「あなたがたは覚えていないのですか」といって、五千人に五つのパンを裂いて分け与えたときのこと、四千人に七つのパンを分け与えたときことを思い出させるのです。それは、未だに心がかたくなで、イエス・キリスト様が誰かと言うことについて無理解な弟子たちに、自らをお知らせになる、イエス・キリスト様の再・再挑戦だと言っても良いでしょう。もちろん、このときには、イエス・キリスト様はまだ十字架に架かっていませんし、最後の晩餐の時も迎えていません。ですから、このパンの奇跡が、聖餐式を指し示す内容を持ち、それゆえに、イエス・キリスト様の十字架の死による罪の贖いと言うことまで弟子たちに理解することは出来ませんし、おそらく出来なかったでしょう。けれども、すくなくとも、群衆を「飼うもののない羊のように思い、深く憐れまれたイエス・キリスト様のお姿を、思い起こすことは出来たであろうと思います。

また食べるものがない人たちを可哀想に思う、イエス・キリスト様を思い出すことも出来たでしょう。そして、その記憶はイエス・キリスト様が、人々を深く憐れみ、愛しておられるという、その本性を彼らに知らしめるには十分のないようであっただろうと思うのです。そして、そのような愛と憐れみといった本性こそが、人々に救いをもたらす救い主としてのご本性なのです。このイエス・キリスト様の愛と憐れみに魅し溢れたお方であると言うことがわかれば、イエス・キリスト様になされた御業を通して、私たちはイエス・キリスト様の救いと言うこと知ることができるのです。

イエス・キリスト様、五千人に五つのパンを裂いて分け与えたときのこと、四千人に七つのパンを分け与えたことをたずねられ、最後に「まだ悟らないのですか」と問われた弟子たちが、どうであったかについて、聖書は何も語っていません。しかし、マルコによる福音書の著者は、その直後に、目の見えなかった人が、イエス・キリスト様によって見えるようにされたという象徴的で、かつ暗示的な癒しの出来事を記しています。しかも、この癒しは、24節25節にありますように、いきなりよく見えるようになったというのではありません。はじめはぼんやりと見え始め、だんだんと見えるようになってきたというのです。それは、だんだんとイエス・キリスト様が誰であるかと言うことについて、目が開かれていく弟子たちの姿を象徴するような癒しの出来事です。このマルコによる福音書の著者は、イエス・キリストの中に、すがり求めるものを放って置かない、愛と憐れみの心を見出したスロ・ファニキアの女性の物語の後に、耳が聞けず、口のきけなかった人の癒しの物語を記しています。そして、ここにおいては、イエス・キリスト様からパンの奇跡のことについて、再度問われた弟子たちのことが述べられた後に、この見えなかった人の目が開かれるという癒しの出来事を記すのです。

そういった意味では、この癒しの出来事は、弟子たちが、ようやくイエス・キリスト様が誰かと言うことに目を開かれ始めたことを暗示するような出来事だと言えます。そして、この癒しの出来事の後に、ピリポ・カイザリヤで、ペテロが、イエス・キリスト様に「あなたは、キリスト(つまり救い主)です。」 と告白するに至るのです。この告白までにいたるまで、それこそ6章1節から、たくさんの失敗や過ちをくり返してきました。そのような中で、イエス・キリスト様は、決してその過ちや失敗によって、人々を、また弟子たちを見捨てたり、あきらめたりする事はありませんでした。何度も、何度もイエス・キリスト様の愛と憐れみの心に触れるようにと人々に挑戦し続けたのです。そうやって、救い主であられるご自分のお姿を人々に、また弟子たちに表しておられたのです。

いま、私たちは、この時の弟子たちと違って、十字架の死に至るまでのイエス・キリスト様の御生涯の全てを、聖書を通して知ることが出来ます。それは、まさに私たちの罪や過ちをとがめることなく、むしろそれに赦しを与え、受け入れようとする救い主の御生涯です。そして、その御生涯を貫いているのは、イエス・キリスト様の私たちに愛する愛と、決して私たちのことをあきらめず、見捨てない、イエス・キリスト様の忍耐なのです。ですから、そのような、愛と憐れみによって、今日、この礼拝に招かれている私たちは、自分自身を責めたり、自分自身に絶望しあきらめたりすることはしないようにしたいと思います。イエス・キリスト様は私たちを、決して見捨てないのです。また、私たちも、私たちの周りにいる人のこともあきらめることをしないようにしたいと思うのです。かつて教会に集っていた仲間たちが、教会から離れ、信仰から離れてしまっている現実もあります。また、まだイエス・キリスト様を受け入れられないでいる私たちの家族や友人たちもいます。けれども、私たちのことを決してあきらめず、見捨てておられない神は、彼らもまた、決してあきらめてはおられないのです。ですから、イエス・キリスト様があきらめておられないのに、私たちがあきらめてはいけません。希望を持って、イエス・キリスト様の愛が、私たちの心に満ち、私たちの周りの人々に満ちあふれることを願って歩んでいきたいと思うのです。

お祈りしましょう。