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羊飼い 『寛容な心』
マルコによる福音書9章38−42節
2007/2/4 説教者 濱和弘
賛美  139、357、205

さて、今日の聖書の箇所、マルコによる福音書9章38節から42節ですが、注解書などを見ますと、文脈の区切りとしては、9章38節から50節までを一つのまとまりとしているものがあります。また、そのような大きなまとまりとするのではなく、逆に、9章38節から40節までを一つの区切りとし、さらに41節から48節までを一つの区切とし、さらには 49節、50節と細かく区切り注解書もあります。確かに、42節は、「わたしを信じるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによい」と言う「はるかによい」という言葉でおわっています。そして、43節の最後、45節の最後、47節の最後を見ますと、いずれも「(何々する)方がいがよい」という締めくくりの言葉が使われています。ですから、文脈としては、42節と43節の間で区切らない方が良いのかもしれません。そういった意味では、今日、私たちがこの礼拝で区切りましたような38節から42節で区切る区切り方は、あまり一般的ではないのかもしれません。しかし、書かれている内容をよく見て参りますと、かならずしも、今日、私たちが区分したような区切りができない、ということではないよう思われます。

と申しますのも9章33節以降50節に至るまでは、弟子たちのあるべき姿を示している内容だからです。すなわち、33節から37節までは、イエス・キリスト様の弟子たるものは、自らを偉くするのではなく、へりくだって、人に仕える者となるべきであることをお教えになられ、38節から42節までは、イエス・キリスト様の弟子は「寛容な心」をもって生きるべきであることをおしえておられ、更には43節以降では、罪から離れるきよい生き方の大切さを語られていると言うことができるからです。そこで、今日は、その38節から42節までの、「寛容な心」をもっていきるべきであるということにについて考えたいと思っています。この寛容な心を持つべきであるということを、我々に教えてくれる聖書の箇所は、イエス・キリスト様の弟子の中のひとりであるヨハネが、イエス・キリスト様に語った言葉から始まります。その言葉は、次のようなものでした。「先生、私たちのついてこない者が、あなたの名を使って悪霊を追いだしているのを見ましたが、その人は私たちについてこなかったので、やめさせました。」どうやら、イエス・キリスト様にお従いしていた12弟子たち以外で、イエス・キリスト様のお名前を使って、悪霊に憑かれていた人々を追い出すと言った事をしていた人がいたようです。それで、ヨハネは、イエス・キリスト様の名によって、悪霊を追い出すのならば、私たちと一緒にきなさいと進めたようです。

けれども、その人が言うことを聞かないで、イエス・キリスト様についてこようとしないので、それでヨハネは悪霊を追い出させるのを止めさせたというのです。そのことをイエス・キリスト様に報告した。ひょっとしたら、ヨハネは、イエス・キリスト様に「それはよくやった」とお誉めの言葉を期待していたのかも知れませんね。ところが、イエス・キリスト様は、「やめさせないほうがよい」というのです。というのは、「だれでも、わたしの名で力あるわざを行ないながら、すぐそのあとで、わたしをそしることはできない。わたしに反対しない者は、わたしたちの味方である。」からだと言うのです。ここで、イエス・キリスト様が「わたしの名で力あるわざを行ないながら」と言っていることは、この文脈を見る限り悪霊を追い出すと言うことを際しているだろうと思います。ところが、19章11節から16節には、同じようにイエス・キリスト様の名前を使って悪霊を追い出そうとして、失敗した祈祷師の話が出ているのです。そこには、こう書かれています。

「神は、パウロの手によって、異常な力あるわざをつぎつぎになされた。たとえば、人々が、彼の身につけている手ぬぐいや前掛けを取って病人にあてると、その病気が除かれ、悪霊が出ていくのであった。そこで、ユダヤ人のまじない師で、遍歴している者たちが、悪霊につかれている人に向って、主イエスの名をとなえ、『パウロの宣べ伝たえているイエスによって命じる。出て行け』とためしに言ってみた。ユダヤ人の祭司長スケワという者の七人のむすこたちも、そんなことをしていた。すると、悪霊がこれに対して言った、『イエスなら自分たちは知っている。パウロも分かっている。だがおまえたちは、いったい何者だ』。そして、悪霊につかれている人たちが、彼らに飛びかかり、みんなを押さえて負かしたので、彼らは傷を負ったまま裸になって、その家を逃げ出した。」同じようにイエス・キリスト様の名によって、悪霊を追い出そうとしてうまくいく人とうまくいかない人がいる。その左派いったいどこになるのでしょうか。それはおそらく、彼らのイエス・キリストのお名前に対する態度、あるいは姿勢といったものの違いにあるのだろうと思います。悪霊を追い出すことに失敗したまじない師たちや祭司長スケワの七人の息子は、パウロがイエス・キリスト様の名によって、次々と力割るわざを行っているのを見て、その方法をまねてみたということであっただろうと思われます。それは「彼らが、『パウロの宣べ伝たえているイエスによって命じる。出て行け』とためしに言ってみた」という言葉からも十分にうかがえることです。

けれども、このマルコによる福音書の9章38節からに出てくるイエス・キリスト様の名によって悪霊を追い出していた人は、ただ方法として、イエス・キリスト様の名前を使っていたのではなく、そこにはイエス・キリスト様御自身に対する深い信頼と畏れ敬うがあったと思われます。だからこそ、イエス・キリスト様は、「だれでも、わたしの名で力あるわざを行ないながら、すぐそのあとで、わたしをそしることはできない。」とそう言われるのです。こうしてみると、ヨハネとイエス・キリスト様の間にある「イエス・キリスト様の弟子」ということに対する微妙なずれというものが見えてきます。つまり、イエス・キリスト様は、イエス・キリスト様を深く信頼し、畏れ敬う者は、イエス・キリスト様に従う弟子であると受け止めておられるのに対して、ヨハネは、イエス・キリスト様の弟子というのは、まさしく、自分たちの仲間に加わり、自分たちと同じように、イエス・キリスト様と共に旅する者の事だったのです。そういった意味では、ヨハネはイエス・キリスト様よりもずっと狭いものの見方をしていたと言うことができます。けれども、私たちは、そのようなヨハネの在り方を攻めることができないように思います。というのも、信仰というものは得てして、私たちを排他的な非常に狭い見方にしてしまうことがあるからです。

信仰というものは、私たちの存在の根底をささえているものです。ですから、信仰は、ある意味その人にとって、最も大切なものの一つであるということがあります。大切なものにはこだわりがあります。そして、こだわりがあるということは、それとは違った内容のものをなかなか受け入れがたいということです。たとえば、プロ野球でも、プロサッカーでも、自分の技術やあるいは考え方にこだわりを持っている選手は、コーチが違ったことを教えても、なかなかそれを受け入れる事はできません。実績を残してきた人ほどなおさらです。それと同じように、信仰と言うことに置いても、自分と同じような信じ方、信仰のライフ・スタイルなどが違ってきますと、それが大きな問題のように感じてしまうということが少なくありません。実際、神学の在り方や、聖書の理解の仕方の違いで、多くの教派に分れているのが、本来一つにあるべきキリスト教会の現状だからです。ですから、今のように教会が様々な教派や、教会に分れていることを嘆かれる方もおられますし、教会は一つであるべきであると考えられる方もおられます。けれども、私は、それはそれで良いように思うのです。むしろ、問題なのは自分たちの在り方、考え方が絶対であるとして、それ以外のものを受け入れない姿勢にあるところにあります。

違いは確かにある。けれども、そのような違いを乗り越えて、私たちはイエス・キリスト様を信じ、畏れ敬うという心に置いては一つに結ばれている。そこにおいて、私たちは互いに受け入れ合い、支え合うことができるのが、本来のキリスト者のあるべき姿なのではないだろうかと思うのです。ヨハネは、キリストの弟子たるもの、しかも、悪霊を追い出すような力あるわざを行う弟子は、イエス・キリスト様に従い、イエス・キリスト様について共に旅するものであると考えていたのだろうと思います。そして、それ以外は受け入れられなかった。だから、その人が着いてこないと言うときに、悪霊を追い出すことを止めさせたのです。私は、ヨハネという人は、本当に一本気でまじめな人なんだろうなと思います。ヨハネの言動を見ていますと、こうと決めたら、一途にそれにひたすら取り組むといったそう言った雰囲気を感じ感じるときがあります。そして、だからこそ違った在り方といったものが受け入れられなかったのだろうと思います。けれども、イエス・キリスト様は、「わたしたちに反対しない者は、私たちの味方である。」とそう言われるのです。また、「だれでも、キリストのついている者だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはないであろう」とそう言われる。

この言葉は、今日、この日本にいる私たちが感じる以上に重たい言葉です。なぜなら、イエス・キリスト様も、そして、その弟子たちも、当時の理と律法学者や祭司長、あるいはパリサイ派と呼ばれる人たちからは、目の敵にし始めていましたし、白い目で見ていたのです。そのような中で、イエス・キリスト様に反対しない。また「キリストの弟子だから」という理由で水一杯でも飲ませてくれると言うことは、単に反対しないとか、親切にするといったこと以上のことなのです。そして、おそらくそれは、このマルコによる福音書の物語を聞いている人たちにとっても同じであっただろうと思われます。それは、このマルコによる福音書が、迫害の中にあるクリスチャンたちのことを意識して、私たちの主もあなた方と同じように苦しみの中を歩まれたのだから、頑張ろうという励ます意図を持っていただろうといわれるからです。初代教会は、ユダヤ人からの迫害を受けました。そして、その迫害はローマ社会の中でも断片的に広がっていく。そのような社会の中で、キリストに反対しない、キリストの弟子だからといって水の一杯を飲ませてくれる者は、私たちの味方だというのです。きっと、イエス・キリスト様は、そこに、イエス・キリスト様を畏れ敬う心を見ておられたのだろうと思うのです。けれども、まじめに、熱心にイエス・キリスト様にお従いしているヨハネには、自分たちと同じように、全てを捨ててイエス・キリスト様にお従いし、そのあとをついて旅をする、そんな生き方を認めることができなかったのだろうと思うのです。

私たちの中でも、まじめであればあるほど、熱心であればあるほど、「信仰とは、かくあるべしと」とそう定義して、それ以外を受け入れることができないということは、よくあることのように思われます。そして、そこで「かくあるべし」といわれている内容は、だいたいにおいて間違ってはいません。いや、むしろ正しいことであり、良いことなのです。たとえば、ヨハネにしてみても、イエス・キリスト様のもとにきて、イエス・キリスト様と共に旅することができれば、それは確かに素晴らしいことですし、良いことです。けれども、必ずしも、誰もがそのような生き方をすることができるとは限りません。だからこそ、イエス・キリスト様は「わたしに反対しない者は、私たちの味方です。」といった言い回しをしているのです。「わたしたちに賛成するものが私たちの味方です」とは言わないで「私たちに反対しない者は、」という言い方は、非常に消極的言い方です。けれども、ユダヤ人社会全体の中で、指導者たちが、イエス・キリスト様に敵意を持っているような中で、公には「わたしはイエス・キリスト様に賛成します」と言えない。けれども、本当はイエス・キリスト様を信じ、恐れを持ち、じっと沈黙している人もいるのです。

昨年、私は、山形の教会からお招きをいただきました。その際、かつてこの教会で副牧師をして下さった菊池新先生の奥様である菊池百合子牧師にお会いすることができました。菊池百合子牧師は、山形県で放送している「世の光」の働きにご協力下さっており、特に、番組を聞いてキリスト教に興味を持たれた方のフォローアップをして下さっています。その菊池百合子牧師が、番組を通してお知り合いになり、手紙のやりとりをしておられる方が、お寺の住職のお嫁さんなのだそうです。嫁ぎ先がお寺なのですが、ラジオを聞いていて「世の光」というキリスト教番組に触れることになった、そして、番組にお便りを下さることで、菊池百合子牧師とお手紙のやりとりをするようになったということです。この方が、イエス・キリスト様を信じたとしても、この方は「わたしはイエス・キリスト様を信じます」とはっきりと言えるかどうかは分かりません。それこそ実に難しい立場におられるのです。ですから、この方は一生人前で、「私はイエス・キリスト様を信じています」と言うことはできないかもしれません。じっと沈黙を守るかもしれないのです。世の中には、私たちが「かくかくしかじか」こういうものだという風に定義したものに、必ずしも当てはまらないケースもありますし、「こうあるべきだ」と思うことが必ずしもできない場合もあります。しかし、だからといって、それでイエス・キリスト様が、その人を排除しているかというと、必ずしもそうではないということです。

私たちは様々な弱さや過ちを持って生きています。そういった弱さや過ちを含めてイエス・キリスト様は私たちのことを、受け止めて下さり受け入れて下さっているからです。なのに、私たちが信仰になり、まじめになればなるほど、私たちは、弱さや過ちを受け入れられなくなってくる事があります。そして、「かくあるべしという」という信念が、その信念通りではない人を裁いてしまう事があるのではないかと思うのですがどうでしょうか。そして、そのことが人々を教会から遠ざけてしまうようなことにつながって行くかもしれない。ある注解書には、イエス・キリスト様が、42節において「わたしを信じるこれら小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれる方がはるかによいといわれた背景には、ヨハネが、このイエス・キリスト様の名前で悪霊を追い出していた人に、そのことを止めさせたことで、その人がつまずいてしまったという背景があったのではないかと書いてありました。私個人としては、そこまでは、ちょっと読み込みすぎかなと言う感じもしないわけではありませんが、しかし、一方では「あり得ない話ではないなうぁ」という気持ちもあるのです。

そのことを、思いめぐらしているときに、私はひとりの牧師の顔を思い浮かべました。ひとりは、私が静岡でお交わりをいただいた見城という牧師です。この方は、実におおらかな方で、それこそ、見知らぬ人を自分の家に一週間ぐらい泊めて上げるなどと言ったことを、いともさらりとやってしまうような人です。その方が、以前私に、「濱さんねぇ、私は、ぼろをまとった方が、ぼろをまとっているからといって礼拝に来ることができないと言うようなことがあってはならないと思っているんだ」と、そう言っておられたのです。もちろん、見城牧師が言っておられるのは、単に身なりの事ばかりを言っておられるのではありません。様々な理由があったにしても、それによって、その人が礼拝に来ることができないとか、礼拝に出づらい言うことがあってはならないということを言っておられたのだろうと思うのです。実際、私が静岡から転任して何年か後に人づてで聞いた話では、見城牧師のもとには、いろんな理由で教会に行けなくなった人がやって来ているという事でした。信仰的な弱さや、教会で傷ついた人が集まってきている。考えてみれば、その見城牧師は、おおらかな性格の性もあるのでしょうが、「信仰、各あるべし」というタイプの人ではありませんでした。けれども、心から神を信じ、イエス・キリスト様を愛している人だったのです。

信仰に厳しさがあってはならないと言うことではありません。信仰には凛とした厳しさも必要ですが、それは自分自身に求めるものであって人に求める者ではありません。それはひとりひとりによって耐えられる者が違うからです。ある人には凛とした厳しさを持って臨むことができることであっても、他の人には必ずしもそうではないこともあるからです。それが、どんなに良いことであっても、また正しいことであったとしても、それで人が躓貸せるようなことになるのであれば、良いことの持つ良さが、正しいしいことの正しさが損われてしまうとい事だろうと思います。良いことの良さ、正しいことの正さは、本来は人を育てるものだからです。そして、神様にとって、また教会にとって、一番良いこと、一番正しいことは、神を畏れ敬いながら生きていくと言うことなのです。そして、私たちひとりひとりが、神を信じ喜んで生きていける、喜んで教会生活をおくっていけることが大切なことだと思うのです。ヨハネが、「イエス・キリスト様の弟子は各あるべし」という心で、接する以上に、より広い寛容な心でイエス・キリスト様は、この悪霊を追い出していた男を見つめておられたのです。また、積極的に、「わたしはイエス・キリスト様を信じます。」とそう言うことができないけれども、反対することもなく沈黙を守る人を見ておられる。そして、私たちも、その広い寛容な心をもってイエス・キリスト様に見られているのです。

寛容な心で見られている。それは信じられているということです。イエス・キリスト様を信じ畏れ敬う心を持っているものを、イエス・キリスト様は信じて下さっている。私たちが信じているように、イエス・キリスト様を信じて下さっているのです。たとえ今が、どんなに弱く、誤りが多い失敗だらけのものであったとしても、イエス・キリスト様は私たちを信じて見守って下さっているのです。私たちはそう言う風にして神から愛されているのです。そのキリストのまなざしを感じて、信仰生活を歩いていく者でありたいと思います。

お祈りしましょう。