『神の言葉のもとで』
マルコによる福音書11章27−33節
2007/4/22 説教者 濱和弘
賛美 11、373、316
さて、今日の箇所は、先週のお話ししました宮清め(マルコ11:15〜18)の出来事の後日談として語られているところですが、内容としては、イエス・キリスト様と祭司長、律法学者、長老たちとの論争が記されています。宮清めとは、神殿の庭で、神に犠牲として捧げる動物を売り、神殿に収める税を両替している人たちの様子を見て、イエス・キリスト様が「『わたしの家は、全ての国民の祈りの家ととなえられるである。』と(聖書に)書いてあるではないか。あなた方はそれを強盗の巣にしてしまった。」といって、それらの人をみんな追い出してしまったと言う出来事です。この出来事の後に、イエス・キリスト様のもとに、祭司長、律法学者、長老たちがやってきます。そして、「何の権威によってこれらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか。」とそう問いつめるのです。みなさんは、どうしていらっしゃるか分かりませんが、私は、このような会話の言葉が聖書に出てまいりますと、ただ聖書の言葉を読むというのはなく、その場面を映画のワンシーンを見るように、想像してみることがあります。というのも、文字を目で追うだけでは、その言葉の背後にある人間の感情に行き当たらないことが少なくないからです。たとえば、今日の聖書の箇所であったならば、祭司長や律法学者が、「何の権威によってこれらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか。」と言うとき、どんな口調で言ったのかは、聖書の文字だけでは分からないものです。
彼らは、この言葉を一体どんな口調でかったったのか。荒々しく問いつめたのか。穏やかに尋ねたのか。あるいは、宮清めにおいて、怒りをあらわにしたイエス・キリスト様を恐れるようにして、尋ねたのだろうか。いろいろと考えられます。そして、そのようにしながら聖書を読むというのも、聖書を楽しむ楽しみ方の一つであろうと思います。そうやって、聖書に中の人物の息づかいを感じながら読むことが出来れば、聖書は、もっと生き生きと私たちに、語りかけてくれるに違いありません。以前にお話ししたことがあるだろうと思いますが、マルコによる福音書というのは、もともとは、人々に語り聞かせる物語であったと考えられています。それこそ、高座で落語家が話聞かせるように、イエス・キリスト様の物語を語り聞かせたのです。おそらく、その時に物語を語る語り部は、そこに登場する人物の言葉を、それこそ感情を込めて劇場で演劇を見せるかのように、臨場感豊かに語り聞かせただろうと思います。そうやって、あたかもそこにイエス・キリスト様がおられるかのように、語り聞かせただろうと思うのです。それでは、今日私は、この祭司長や律法学者、長老達の、「何の権威によってこれらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか。だれが、そうする権威をさずけたのですか」と言う言葉を、どのような口調で皆さんにお伝えしたいかと言いますと、それは怒りに満ちた、荒々しい口調で問いつめる言葉としてお伝えしたいと思うのです。
と申しますのも、彼らが、「だれの権威によってこれらの事をするのですか」と問いつめる大元にある宮清めの出来事が起ったエルサレム神殿は、まさに当時のユダヤ人社会における神の権威の象徴そのような存在だっただからです。そこで、イエス・キリスト様がなさった宮清めの出来事は、その権威の象徴である神殿もが、まさにイエス・キリスト様の管轄の中あるような出来事であったと言えます。イエス・キリスト様は、宮清めに際して、人々に、「『わたしの家は、全ての国民の祈りの家ととなえられるである。』とかいてあるではないか。あなた方はそれを強盗の巣にしてしまった。」と言っています。「わたしの家は、全ての国民の祈りの家ととなえられるである。」という言葉は旧約聖書イザヤ書56章7節の引用です。ですから、本来、当時のユダヤの人にとって、これは第一義的には、神の事を指します。けれども、イエス・キリスト様が「わたしの家は、全ての国民の祈りの家ととなえられるである。」とそう言ったとき、それはあたかも、この神殿が、自分の家であるかのようにして、「わたしの家」とそう言われたように聞こえたのではないかと思うのです。そして、それは間違ったことではありません。なぜなら、イエス・キリスト様は三位一体の神における子なる神だからです。
実際、ルカによる福音書の2章41節から52節に、イエス・キリスト様が12歳の時に、両親に連れられて、親族や知人達とエルサレムの神殿に行ったときのことが記されています。その時、イエス・キリスト様は、エルサレム神殿を「わたしの自分の父の家」と呼び、そこが、「御自分の当然いるはずの場所である」ということをおっしゃっておられるのです。ですから、イエス・キリスト様が宮清めの際に「わたしの家は、全ての国民の祈りの家ととなえられるである。」と言われたとき、イエス・キリスト様が、まさにエルサレム神殿がご自分の家であるかのような口調で語られたと言うことは、十分に考えられることですし、人々もまた、イエス・キリスト様が、神殿をご自分の家とそう言われたと思ったと言うことも、あり得ることです。まただからこそ、祭司長、律法学者、長老たちは、イエス・キリスト様に問いつめるのです。それは、この祭司長、律法学者、長老といった人たちが、サンヘドリンという、当時のユダヤ民族の指導的立場にあった議会の構成メンバーだったからです。もちろん、政治的には、当時のユダヤはローマ帝国の支配の下に置かれていましたから、政治的にはローマ帝国が最高権力です。しかし、宗教的には、このサンヘドリンが最高権力を持っていたと言えます。ユダヤ人にとっては、信仰と生活とは一つに結びついています。旧約聖書の律法が彼らの生活を導くのです。ですから宗教的に最高の権力を持っていると言うことは、生活においても最高の権力を持っているのです。
そういた意味では、サンヘドリン議会は、神のもとにあるユダヤ人社会の頂点にある存在であったと言えるだろうと思います。そこに、神の権威である神殿が、自分の管轄のもとにあるかのように振る舞い、あたかも神殿が自分の家であるかのような口調で語るお方がいるのです。もし、彼らがそれを、そのまま認めるとしたならば、彼らはもはやユダヤ人社会の頂点に位置することは出来ません。ですから、当然、彼らが「だれの権威によってこれらの事をするのですか」と問いつめる口調は、怒りに満ちた、荒々しい口調にならざるを得ないのです。自分の地位や名誉、あるいは財産や既得権というものを守るために、時には人間はむき出しのエゴイズムを表すことがあります。本来ならば、神殿に関することは、祭司長や律法学者、長老たちが関わっていくべきはずのものです。けれども、その祭司長や律法学者、長老たちを飛び越してイエス・キリスト様が宮清めを行ったのです。しかも、あたかも神の宮である神殿を御自分の家であるかのようにして、人々に教えているのです。いやもちろん、神殿を御自分の家のようにして語られたというのは、このマルコによる福音書の解釈のなかのことですから、そのような口調ではなく、ただ単に聖書を引用しておっしゃったと言うこともいえるだろうと思います、それは解釈の範囲です。
けれども、例えそうであったとしても、聖書の言葉を引用して人々を教え諭すというのは、律法学者達の役割です。ですから、いずれにしても、イエス・キリスト様はそういったユダヤ人社会にあった権威の構造を飛び越えて、教えを語られ業をなされたのです。だからこそ、『「一体だれに権威で、それをするのか。だれがそんな権威をあなた与えたのか」、それは私たちに属するものだ』と、祭司長、律法学者、長老たちは言いたいのです。この祭司長、律法学者、長老たちが主張するような権威の構造、あるいは権威の秩序といってもいいかもしれませんが、そういったものは、とかく宗教的社会には起りやすいものです。ですから教会においても、そのような権威の構造を産み出すことがある。例えば、カトリック教会には、ヒエラレキーと呼ばれる、教職者間での階層制度がはっきりとしています。そして、教皇をキリストの代理者とするピラミッド方の階層社会がしっかりと気づきあげられているのです。そして、その階層社会に置いて、罪を告白し懺悔をするもの、そしてその懺悔を聞いて赦しの言葉を述べるものという、罪の赦しに関する権威の構造が出来上がっています。
私たちプロテスタント教会は、そのような罪の赦しの権威の構造にたいして、そうではなく、神の言葉の前に、教職者も信徒もどちらも、等しい立場であり、だれが偉いとか偉くないと言った事はありません。ですから、例えば、教団委員だろうと、教団委員長だろうと私であろうと、皆さんであろうと、父なる神の前においても、子なる神イエス・キリスト様のまえにおいても、また聖霊なる神の前においても、みな等しい存在なのです。ですから、人間が人間の上に立つような権威の構造などないのです。ですから、どんなに声を荒げて「何の権威によってこれらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか。だれが、そうする権威をさずけたのですか」と言い、自分の権威を主張をしても、それは通らない話なのです。ところが、イエス・キリスト様は、その祭司長、律法学者、長老たちの問いかけに間違いを正すこともせず、またお答えになることもしないで、逆に問い返されました。その問はこのようなものでした。「ひとつだけ尋ねよう。それに答えて欲しい。そうしたら、何の権威によって、私がこれらの事をするのか、あなたがたに言おう。ヨハネのバプテスマは天からであったか、人からであったか」このように、イエス・キリスト様は、祭司長、律法学者、長老たちに尋ねられるのです。この質問は、彼らを窮地に追い込みます。
「ヨハネのバプテスマは天からであったか」、と言う問いは、「ヨハネのバプテスマは神からのものであったか」という問いです。この当時は、モーセの十戒に「みだりに神の名を唱えてはならない」と言う戒めに忠実であるために、神の名の変わりに、神を主と呼んだり、天と呼んでいました。ですから、「ヨハネのバプテスマは天からであったか」、と言う問いは、「ヨハネのバプテスマは神からのものであったか」という意味、つまりパプテスマのヨハネは預言者であると認めるか否かという問いになるのです。この問いが、彼らを窮地に追い込んだのは、もし、バプテスマのヨハネを神から遣わされた預言者であるとするならば、ではなぜ、あなた方は神の権威のもとで使わされた預言者を受け入れなかったのかと問いつめられることになりますし、いや天から遣わされた預言者ではないと言えば、バプテスマのヨハネを預言者だと信じている群衆を敵に回すことになるからです。結局、彼らは何が正しいことかと言うこと以上に、自分の身の安泰が大切だったと言うことです。実際、祭司長や、律法学者、長老たちは、バプテスマのヨハネのことを快く思っていなかっただろうと思います。
というのも、マタイによる福音書3章4節から12節をみますと、バプテスマのヨハネは、サドカイ派やパリサイ派の人たちを「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。だから悔い改めにふさわしい実を結べ、自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことが出来るのだ」とい痛烈に批判していたからです。サドカイ派に人々は祭司階級の人たちで、祭司長達の出身母体ですし、パリサイ派の人たちは律法学者や長老たちの出身母体です。ですから、バプテスマのヨハネの批判は、祭司長や、律法学者、長老たちを含んでの批判だったのです。そう言ったわけですから、彼らは、バプテスマのヨハネを神からの預言者であるとは、認めがたいのです。認めたとするならば、彼らは自分たち自身が、神から糾弾されている存在だと、自分の非を認めなければならないからです。しかし、かといって、群衆の手前、神からの預言者だとは言い難いのです。
ちょっと、変な話になりますが、私が教会に来る前に、私は統一協会の集まりに顔を出していた時期がありました。そんな中で、あるクリスチャンの方が、統一協会の問題点を指摘した本を私にかして下さり、統一協会は問題のある集団だから、あそこの集会には行かない方が良いよと教えて下さいました。私は、その本を持って、すぐに統一協会の人たちが共同生活していた寮を尋ねていったのです。そして、そこのリーダー的存在の人にその本を見せ、ここに書いてあることは本当かと尋ねました。すると、その方は、私の目を直視せず、目を背けるようにして、「自分で確かめてごらん」とそう言ったのです。その言葉が、私が統一協会を離れる決定的な原因になりました、その時私は、どんなに周りが批判し、社会が批判しても、それが真理と信じるならば、胸を張って「そうだ、それは事実だ。しかし、周りがどんなに批判しても、私は、それが正しい真理だ」とそう言えるはずだと思っていました。ですから、もしそのように、その方が答えていたならば、ひょっとしたら、私は、今日、ここにこうして立っていないかもしれません。しかし、その方は答えを逃げたのです。今にして思えば、その姿は、この場面における祭司長、律法学者、長老たちの姿と重なり合って映るのです。
私たちの教会は、日本ホーリネス教団に属します。その日本ホーリネス教団の教会と牧師、また同じはルーツを持つ兄弟団や聖協団といったホーリネス系の諸教会の教会と牧師は、おおよそ60年前の第2次世界大戦の時に、国家から宗教弾圧を受けました。人によっては、ホーリネス教団が第2次世界大戦に反対したから弾圧されたとお思いの方がいらっしゃいますが、そうではありません。ホーリネス系に教会が弾圧されたのは、その再臨信仰のためでした。つまり、キリストが再臨したときに天皇とキリストとどちらが偉いのかと言う問題でした。そして、それは、現人神である天皇陛下はキリストの再臨の時、神の裁きを受けるのかと言う問題でもあったのです。もちろん、当時の国家体制においては、「天皇陛下も人であり、人である限り天皇陛下であっても神の裁きを受けます。天皇陛下より神の方が偉いのです。」などと言うといったことなど、出来そうもない社会風潮でした。しかし、私たちの教団の指導者達、それは私たちの教会の指導者とも言えるのですが、車田秋次、米田豊、小原十三次いった先生方は、完全と自分の信じる所を語ったのです。それゆえに、ホーリネス系の教団は弾圧を受けることになりました。けれども、彼らは、自分の信じるところを語らざるを得なかったのです。
なぜならば、それが神の言葉である聖書の言葉であると信じていたからです。神の権威によって私たちに与えられた聖書がそう述べていると信じている以上、神の言葉の前に生きようとしたのです。もちろん、その時の彼らの聖書解釈については、それが正しい解釈であったかどうかは神学的に検証する必要はあるかもしれません。しかし、一度、それが神の言葉が指し示す真理であると受け取ったならば、神の言葉が語ることゆえに、周りの風潮や社会の意見が何であろうと、頑としてその信じるところを曲げなかったのです。私は皆さんも御存知のように、神学の学びが好きな者です。ですから、色々と神学の学びをさせて頂いていますが、学問としてキリスト教を神学的に見て参りますと、私たちとは立場の違ういわゆるリベラルと呼ばれる陣営の学者たちのものにも触れます。そういった、リベラルな立場での学問的成果は、それなりに魅力的ですが、しかし、それでも、私は福音主義という私たちの陣営に留まり、そこで牧師として働き、神学の営みを続けるのは、私たちの教団が、そして教会が、あの第二次世界大戦の社会状況の中であっても、神の言葉の前に生きようとした先輩達の生き様に繋がる教会だからです。
今日の聖書の箇所で、イエス・キリスト様から」ヨハネのバプテスマは天からであったか、人からであったか」と問われて、自己保身のために答えに窮した祭司長・律法学者・長老たちに対して、イエス・キリスト様はそれでは「わたしも何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに言うまい」。とおっしゃり、それ以上は何も語っておられません。結局、神の言葉の前に耳を傾けて聞き、神の言葉の前で生きると言う姿勢がなければ、どんなに神の言葉が語られ、聖書の言葉が語られても、その言葉はその人の心には届かないからです祭司長や律法学者、そして長老たちに、どんなに熱心に厚くイエス・キリスト様が語ろうとも、彼らが神の言葉の前に生きるという心づもりがないならば、彼らの心には宗教的な真理は届かないのです。ですから、大切なのは、私たちが神の言葉の前に生きるという覚悟です。私たち人間は弱い、あやまちの多い人間です。ですから、聖書解釈や神学的理解において過ちを犯すこともあります。けれども、私たちが神の言葉の前に生きるという覚悟を持っているならば、神は、聖霊なる神を通して、私たちを導き、神の真理に私たちを導いていって下さるのです。私たちは、神の言葉の前に生きるという伝統を持った教団に連なる教会です。その教会に導かれる私たち一人一人も、神の言葉の前に、聖書の言葉の前に生きるものでありたいと願います。
お祈りしましょう。