『キリストただ一人』
マルコによる福音書 14章43−53節
2007/9/9 説教者 濱和弘
賛美 : 1,344,215
さて、今日の聖書の箇所はイエス・キリスト様が逮捕される場面を描いた箇所です。ここに至るまで、14章の10節からユダの裏切りについて、また弟子たちがイエス・キリスト様につまずいて散り散りになって逃げていくというイエス・キリスト様の予告の言葉が、その成就というクライマックスを迎える場面です。ユダは、この裏切りの場面で、イエス・キリスト様を祭司長、律法学者たちから送られた群衆に引渡す時の合図として、「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえて、まちがいなく引っぱっていけ」と言っています。ですから、ユダの裏切り合図は、「接吻をする」と言うことです。これは当時の教師と弟子たちの間でかわされる挨拶における習慣でした。その接吻をしたその人をつかまえて、まちがいなく引っぱっていけ」というのですから、逮捕されるのは師であるイエス・キリスト様お一人であって、それ以外の弟子たちは眼中にないと言うことです。それこそ、少し乱暴な言い方をすれば、12弟子たち全部をつかまえて引っぱって行くことだってできたはずです。けれども、そのようなことをせず、ただイエス・キリスト様だけにねらいを絞って捕えようとしたのです。
もちろん、どうしてこのように、イエス・キリスト様だけを捕えたのかについては、色々な解釈の仕方があろうかと思います。それこそ、弟子たちも含めて一斉に捕えてしまったならば、人々の間にどのような影響をおよぼすか心配だったのかもしれませんし、あるいは、イエス・キリスト様だけを捕えて処罰をすれさえすれば、弟子たちはそれこそ烏合の衆にすぎないと見限っていたのかもしれません。実際、この逮捕の際に、イエス・キリスト様の側に立っていた男(ヨハネによる福音書によれば、それはペテロだったようですが)が大祭司の僕に斬りかかり、その片耳を切り落としたのですが、その男ですら、イエス・キリスト様が「聖書の言葉は成就されなければならない」といって、抗うこともなく捕えられてしまうと、散り散りになって逃げ出しているのです。結局、彼らはイエス・キリスト様がいなければ何もできない者たちでした。実際、12弟子と言っても、もともとは漁師や取税人といった地位も権力も何の権威ももたない人々なのです。ただ、民衆が「それまでに誰も見たことも聞いたこともの無いような、律法学者にもまさる権威あるお方だ」と認めていたイエス・キリスト様の弟子だからこそ、人々の間で弟子としての権威や力をふるうことができたのです。
ですから、彼らがイエス・キリスト様と関係が無くなれば、最早彼らは、何の力もなければ権威も持たないただの人のです。ですから、彼らがイエス・キリスト様から離れて散り散りになってしまえば、もはや、問い法学者ら祭司長にとってはどうでも良いような存在なのです。ですから、たとえ大祭司の僕に斬りかかり、その方耳を切り落とした男であったとしても、イエス・キリスト様から離れていったならば、もう放っておいても良い、捨ておいても良い存在なのです。けれども、もし、イエス・キリスト様につながり続けようとする者がいるならば話は別です。イエス・キリスト様につながり続ける限り、その人は、イエス・キリスト様の弟子としての権威や力を持ち続けるからです。だからこそ、ある若者が、捕えられたイエス・キリスト様の後について行くときに、イエス・キリスト様を捕えにきた人々は、彼を捕まえようとしたのだということができます。いずれにしても、たとえ12弟子と呼ばれるようなイエス・キリスト様の直弟子であったとしても、イエス・キリスト様から離れていくならば問題とはされなかったのです。
これは、ある意味、非常に強い政治的メッセージを含んでいます。それは「イエス・キリスト様というお方と関わりを持たない限り、誰もその身に害が及ぶことはない」というメッセージです。もっと積極的に捕えれば「誰でも、イエス・キリスト様を擁護せず支持しない限り、害を受けることはない」と言うことです。ひょっとしたら、この後に行われるローマの総督ピラトの裁判のときにも、その影響があったと言うことができるかもしれません。当時、ローマ帝国の支配下にあったユダヤでは、祭りのたびに囚人の一人を赦してやる慣習がありました。ピラトによるイエス・キリスト様の裁判の際に、ピラトは、その慣習に従って暴動を起し人殺しをしたバラバを赦すか、それともイエス・キリスト様を赦すかと人々に問いかけます。そのとき、民衆は、律法学者や祭司長たちがイエス・キリスト様を扇動され、バラバゆるし、イエス・キリスト様を十字架にかけるようにもとめるのですが、その際に、イエス・キリスト様だけを捕え、弟子たちには手を出さなかったことの背後に隠れたメッセージが、民衆の心に、心理的に大きな影響を与えていたのかもしれません。
もちろん、イエス・キリスト様を捕え来た群衆がそのような意図をもって捕えに来ていたわけではありません。彼らは祭司長達に命じられてきていただけです。まら、命令をした祭司長たちや律法学者たちですら、おそらくはそこまで考えてはいなかっただろうと思います。ただ彼らが問題にしていたのは、イエス・キリスト様と言うお方一人であり、イエス・キリスト様が語り行ないにおいて示されたれた福音だけなのです。だからこそ、このお方は弟子たちから引き離し、このお方一人だけを捕え、このお方一人だけを処罰すれば良かったのです。しかし、いずれにしても結果として、このような祭司長や律法学者たちのとった態度は一つのメッセージをもってしまうことになったといえます。そして、とどのつまり、そのメッセージが言わんとするところは「誰もイエス・キリストに関わるな」ということなのです。ところが、このただイエス・キリスト様お一人ということが重要なのです。それは祭司長や律法学者たちだけではなく、イエス・キリスト様にとって父なる神様にとっても、イエス・キリスト様ただお一人が捕えられ、イエス・キリスト様ただ一人が裁かれると言うことが大切なことだったのです。
つまり、祭司長や律法学者たちはイエス・キリスト様をただ一人にし、処罰することで人々をイエス・キリスト様から引き離し、イエス・キリスト様が語り示してきた教え(つまり福音)の根を絶やそうとしたのですが、しかし、イエス・キリスト様と父なる神は、イエス・キリスト様ただお一人が十字架の上で死なれることで、すべての人とイエス・キリスト様を結び付け、すべての人の心に福音が根を下ろすようにして下さったのです。それは、イエス・キリスト様も父なる神様も、誰一人として神の裁きに会うことを望んでおられないからです。そして、そのためには神のひとり子が十字架について死ぬことなしには、救いをもたらすことができないのです。だれでも、自分の犯した罪のために裁きを受けなければなりません。そういった意味では、すべての人が神の前では十字架の苦しみを受けなければなりません。それは、神との関係が全く絶たれてしまい、天国の道が閉ざされ永遠の命への道が閉ざされてしまうと言うことです。けれども、神の一人子が十字架で苦しまれ死なれることで、その私たちの受ける裁きをすべて身に負って下さったのです。そして、神の裁きである死に勝利して下さったのです。
これは、神の一人子であるお方が十字架に架かって苦しまれるからこそできることです。私たちが十字架で苦しんだとしても、それは自分の罪の故であり、それによって他の誰かを救うことも、自分自身を救うこともできません。ただ人ではない神の一人子が十字架で苦しまれるからこそ、イエス・キリスト様というお一人の苦しみと死が、自分のためではない他のすべての人救いをもたらすことができるのです。だから、他の人ではダメなのです。神であり人であるイエス・キリスト様ただお一人が、そのことをなすことができる。この十字架という人を救うイエス・キリスト様ただお一人だけがなし得る神の業をなさんがために、イエス・キリスト様は、ご自身の身柄を捕えに来た群衆に引渡して下さったのです。そして、父なる神様も黙ってじっとそれを見守っておられた。それは、このお方が、また父なる神様も私たちを愛していて下さるからです。
確かに、祭司長や律法学者は、イエス・キリスト様から弟子たちを切り離し散り散りにさせました。それは聖書にあるとおりです。そして、人々の心をイエス・キリスト様から離れさせる事にも成功したと言えるでしょう。だからこそ、イエス・キリスト様が裁判にかけられるときに、人々はこのお方を「十字架にかけろ」とそう叫んだのです。そういった意味では、表面上は弟子たちは散り散りになり、人々の心も離れ、イエス・キリスト様はひとりぼっちになったようには見えますが、しかし、そうではなかったのです。イエス・キリスト様はと父なる神は、イエス・キリスト様が十字架に架かることで、弟子たちや人々をとらえて放さず、また人々を決して見捨てることなく天国につなぎ止めようとなさったのです。それは、ペテロの行動にも表れています。53節、53節には次のように書かれています。「それから、イエスを大祭司のところに連れていくと、祭司長、長老、律法学者たちがみな集まってきた。ペテロは遠くからイエスについて行って、大祭司の中庭まで入り込み、その下役どもにまじってすわり、火にあたっていた。」
ここにありますように、ペテロはイエス・キリスト様が捕えられる場面では散り散りになって逃げ出したのですが、その後、遠くに離れて、隠れてこっそりとイエス・キリスト様の後をついて行っているのです。遠くに離れ、隠れてこっそりとついていったのは、51節にあるように、イエス・キリスト様についていったことがわかるならば自分も捕えられるからです。ですから、自分の身に災いを招かないためには、遠くに離れて、身を隠しながらついて行かなければならなかったのです。しかし、そのように恐れ、怯えながらも、ペテロはイエス・キリスト様の後に付いていくのです。それは、どんなに散り散りになって逃げ出してしまった弟子たちであったとしても、心のどこかでは以前イエス・キリスト様と繋がっていることの紛れもない証だといえます。力や権力は表面的には、イエス・キリスト様と弟子たちを分断し、バラバラにしたように見えても、心の中はそうはいかないのです。
ペテロが、このように遠くから身を隠しながらもイエス・キリスト様について行ったのは、3年あまりの間、イエス・キリスト様の身近にいて寝食を共にして暮したからだろうと思います。その生活を通して、イエス・キリスト様のご人格に触れ、またイエス・キリスト様から人々にむけられた真実の愛というものをよく知っていただろうと思いますし、ペテロ自身が、イエス・キリスト様から愛されているという自覚も持っていただろうと思います。そういった意味では、真実の愛というものは、そうたやすくは人の心を離させはしないものです。たしかに、状況はおおっぴらにイエス・キリスト様の後を着いていくと言うことは難しい状況にある。けれども、そんな状況の中にあっても、真実の愛にふれていたペテロは、遠く離れて隠れてではあっても、ついて行かざるを得ないのです。そのことが、イエス・キリスト様がただ一人で捕えられ、弟子たちの誰一人をも巻添いにすることなく、十字架の上で死なれたことで、かえってむしろ、多くの人々の心をご自身に引き寄せ、福音を心の中に根付かせるためであったと言うことを、より一層明らかにしてくれているように思います。
なぜなら、イエス・キリスト様の十字架の苦しみと死は、私たちの罪に赦しをもたらし、私たちの苦悩の根源にある死からも解放する、まさにイエス・キリスト様と父なる神様の愛が最もよく表されたものだからです。それは、単にイエス・キリスト様のことを快く思わない祭司長や律法学者たちによって企てられた出来事なのではなく、父なる神と神の独り子であるイエス・キリスト様の私たちに対する愛によって計画され実行された、まさに「聖書の言葉が成就されなければならない」出来事だったのです。ですから、イエス・キリスト様ただ独りが捕えられたと言うことの背後には、律法学者や祭司長たちの考えに優って、神を信じ、イエス・キリスト様を信じる誰一人をも、神の裁きの座に立たせないという、救い主としてのイエス・キリスト様の強い決意があるのです。私たちは、そのことをしっかりと心に留めておかなければなりません。というのも、私たち一人一人は決して強い存在ではないからです。
この、イエス・キリスト様の逮捕の記事に至るまでの、それこそマルコによる福音書の14章の10節から、今日の聖書の箇所の直前の42節まで、私たちは、礼拝の説教を通して私たちの弱さと言うことを見つめてきました。確かに、私たちは誘惑や試み、試練に出会うとき、その私たちのその弱さを露見し、イエス・キリスト様につまずき、信仰につまずいてしまうような者です。けれども、そんな弱さをもった私たちを、イエス・キリスト様は決して見捨てずに、私たちが立ち直れるまでじっと見守り待っていて下さるお方であると言うことを学んできました。けれども、立ち上がって行くには力が必要です。そして力を奮い立たせるためには、力の奮い立たせるためのエネルギーが必要です。そのエネルギーとなるものが、イエス・キリスト様が私たちを愛していて下さる、その真実な愛なのです。この、私たちを救うためにただ独りで十字架の苦しみと死を引き受けられたイエス・キリスト様の真実な愛に触れるとき、私たちはその愛が私たちに立ち上がらせる力を与えるのです。
ペテロはイエス・キリスト様を置いて逃げ出しました。もちろん、一度は大祭司の僕に斬りかかっていくという姿を見せました。それはイエス・キリスト様に「たとい、みんなの者がつまずいても、わたしはつまずきません」と言い切ったペテロの姿を思い起こさせるような勇敢な姿です。けれども、「聖書の言葉が実現するために」と言われて、抗うことなく自らの身を捕えに来た人たちの手に委ねたイエス・キリスト様の姿を見て逃げ出すのです。しかし、逃げ出しても、そこから遠く離れ隠れてではあったけれども、イエス・キリスト様のあとについていく、大祭司の中庭まで入り込んでいくのです。そういった意味では、逃げ出したペテロがそこから立ち上がり、再びイエス・キリスト様のあとをついて行っていると言うことができます。そして、その立ち上がる力のもととなったのは、イエス・キリスト様と共に旅し、寝食を共にした生活の中で感じ取っていた、イエス・キリスト様の真実な愛出会ったと思うのです。
だとしたら、私たちもこのイエス・キリスト様の真実な愛に触れ、それを心の中にしっかりととどめておかなければなりません。そして、その真実な愛が表されているのが、十字架の出来事なのです。ですから、私たちは、この十字架の出来事を、ただの出来事として外側から見ていては行けません。また、単に、それは私たちの罪を赦すために、イエス・キリスト様が私たちの身代わりとなってくださったことなのだということを知識で知り、たんに宗教的思想として知っていると言うだけではダメなのです。むしろ、私たちは私たちの心をとぎすまし、イエス・キリスト様の十字架の出来事の背後にあり、神と神の独り子イエス・キリスト様の私たちに対する真実な愛を感じ取らなければなりません。
いえ、十字架の出来事は、そのような神の愛、イエス・キリスト様の愛の頂点的な出来事であって、私たちが心をとぎすませる、それは私たちの信仰的な心を敏感にするということであり、信仰の目をもって私たちの周りに起る出来事を見ていくと言うことなのですが、そのような信仰的な目をもって、私たちの周りの起って来たことを見つめていくならば、私たちは、私たちの生活の様々な場面で、神の真実な愛というものを感じ取ることができるのです。そして、その神の真実な愛に触れたことのある経験が、心に留められているならば、私たちは必ず立ち上がることができるのです。もちろん、この真実な愛は、単に祈りが答えられたとかいったことによって感じられるものではありません。また、何か心理的高揚感の中で感じられるものでもない。深い苦悩と悲しみの中に神が寄り添って下さることから感じ取られるものであり、また自分の罪や汚れが赦されたという実感の中で感じるイエス・キリスト様の真実の愛なのです。
先日、すっと昔にこの三鷹教会に出席なさっておられた久保田信義兄弟がたずねて下さいました。久保田兄弟は、子供の頃、宮崎の宮崎清水町教会で吉間牧師に導かれて信仰をもたれたのですが、その同じ吉間牧師に、導かれて牧師になられたのが、一昨年私が宮崎に招かれてご奉仕した際に、お世話になったのが、城尾マツ先生という老婦人牧師です。城尾マツ先生は、現在も宮崎県の日之影村と言うところで伝道なさっていますが、この城尾マツ先生の御生涯を小説としてまとめた本が出版され、私のところにも何冊かお預かり致しました。教会員の方の何人かの方もお買い下ったと思いますが、久保田兄弟と同じ教会の同じ牧師に導かれたというつながりもありますので、私は、その本を久保田兄弟にプレゼント致しました。久保田兄弟は家に戻られて早速読まれたようで、先日大変感動致しましたというお手紙を下さいました。
この城尾マツ先生の御生涯は決して楽な生涯ではありませんでした。戦争の中の弾圧を経験し、貧しさを経験し、地域からよそ者扱いされ、家庭内の問題子供の死を経験なさるなど、苦難の連続だったと言えるでしょう。けれども、そのような中を通りながらも、支えたのは、結局のところ、救世軍の路傍伝道で「人はすべて罪によって汚れたもの、イエスはその罪を十字架で清めて下さった」と聞き、それなら「親にも言えなかった自分の身の上の汚れと恥が、すべて清められる」と感じて、生活に対する意欲が湧いたこと、あるいは洗礼の時の「イエス・キリストの血すべての罪よりわれらを潔む」という牧師の祈り、頭上の黒い雲がばっと開ける心地がして、罪にケガされたこの身がきよめられたのだと言うことを確信したと言う出来事にあったのだと思うのです。おそらくは、城尾マツ先生は、この経験の背後でイエス・キリスト様の真実な愛を感じ取っておられたのだろうと思います。だからこそ、これでもかという困難や試練の中にあっても、立ち上がりつつ歩んでこられたのだろうと思うのです。そして、その真実な愛は、城尾先生を慰め、支え、励まし続けてきたのです。
同じキリストの真実な愛は私たちにも注がれています。ペテロを真実な愛し、城尾先生を真実な愛で愛された神は、私たちも同じ真実な愛で愛して下さっているのです。ですから、私たちはそのことを覚え、信仰の目をもって私たちの日々の生活を見、私たちの生涯を振り返ってみたいと思うのです。そうすれば、私たちは、必ずイエス・キリスト様の真実な愛、神の真実な愛に気付くことができます。この真実な愛を発見し、それに気付くことができたならば、その愛は私たちを、神に向って立ち上がる力を与えるエネルギーを私たちの内に満たしてくれるのです。
お祈りしましょう。