田中栄二のママチャリ日記 第三弾


「初陣」

 

必要最小限の着替えや生活用具、地図等をリュックに詰め、ウインドブレーカーを着込み、手袋を装着。

仕上げに手ぬぐいを頭に巻き付ける。

そして一応鏡の前に立ち、ファッションチェック。

よし。それっぽい。ちょっとだけ本格的だ。

なんとなくみなぎる気合い。

私は鏡の前で小さくガッツポーズを決める。

行ける。これは行けるぞ。

そして颯爽と家を飛び出し、ママチャリにまたがる。

よし。やれる。俺はやれるんだ。やればできる子なんだ。

2002年1月31日、14時30分、『伝説』は静かに幕をあける。

さあ、いざ、熱海へ。

 

1日目 我が家(世田谷区)〜丸子橋(多摩川)〜横浜〜横須賀〜三崎口

 

当面の目指す目的地、横須賀までは完璧なルート設定である。

私は前日地図でシュミレートしておいた通りに進む。

う〜ん、かなり軽快だ。

しかし、横浜を越えるまではなんだかんだで都会である。調子よく進んでいても信号に阻まれたりする。

おそらくこの格好で単純に歩いているとか、それなりの自転車に乗っているのであれば、どんな場所でも風景に溶け込むのであろうが、如何せんママチャリである。

信号待ちの度に注がれる、人々の好奇な視線……

逆にいえば、ネギがはみ出ているスーパーの買い物袋をぶら下げながら物凄い本格的なチャリに乗ってぶっ飛ばしているおばちゃんを見たら、やっぱり不思議に思うだろうし。

 

時より注がれる好奇の目をかわすかのように私とママチャリは軽快に突き進む。

 

そして、『丸子橋』という多摩川に架かっている橋を通り神奈川県に突入。

まだまだ旅は始まったばかりではあるが、なかなか順調だ。

そこからしばらく『綱島街道』をひた進めば、横浜市街に入れるはずである。

この綱島街道、道に詳しいギタリストM氏によると場所によってはかなりアップダウンが激しいらしい。

 

……この旅の途中、私が学んだ事。

それは、普通の車用の地図には坂道の情報が全くないという事。

ルートを決めた時も、単純に地図上の距離だけを目安にし、坂道の存在を全く考慮に入れて無かったのだ。

そしてこの旅最初のアップダウン、『日吉の急勾配』が目前に現れる。

ルートを決めた時点で、日吉駅の急勾配は忠告されていたのだが、下手にルートを外れて遠回りをして道に迷うより、坂道を乗り切った方が良いと判断したのだ。

その判断を私はどれだけ後悔した事か。

しかし、この『日吉の急勾配』に関しては、確かにかなりの勾配ではあったのだが、あらかじめ予定に折り込まれていた事もあって私は難無く日吉の坂をクリアできた。

「なあんだ、綱島街道、意外と軽いじゃん」、その時はそう思っていた。

だが、『綱島街道』の真の恐ろしさはもう少し先にある事をその段階では知る由も無かったのだ……

 

日吉の坂を人込みに注意しつつ下り終え、程なく『大豆戸』という交差点に差し掛かった時、『右に曲がれば新横浜』という青看板が。

新横浜と言えば、新幹線、横浜アリーナ、そして『ラーメン博物館』。

そう言えば出発して以来、というか今日はまだ何も食していない。

未だこの旅は順調に進んでいると思っていた私は、ちょっと寄り道して腹ごしらえする事に。どうせ横須賀で今夜の宿提供者たるキーボーディストN氏との時間調整をしなければならないので、先を急いでも意味が無いし。

 

旅をする者にとって、旅先での『食』というものは軽視出来ない。再びその土地に訪問する機会があるとも限らないし、なんといってもその土地柄が如実に、かつストレートに現れる。

 

きっと、この旅も『様々な食文化』に出会えるはずであった……

 

そう、この旅の序盤は、色んな期待感で満ちあふれていたのだ。

 

結局、この寄り道で1時間程ロスをしたのだが、時間的には充分に余裕があった。

食事を終え、再び大豆戸の交差点に戻り、予定ルートに復活。

さて、いよいよ横浜市街へ。

気合いを入れ直し、ペダルを押し下げる。

 

しばらく進むと『菊名駅』あたりの商店街っぽい所があり、多少道が入り組んできた為地図で数回ルートを確認。

どうやらこの道らしいと言う方向に進むと、どう考えてもちょっとした登山道の入り口としか思えない道に差し掛かる。

 

えっ?これ登んの?

 

いや、ひょっとしたらほんの少し登っているだけで、すぐ下りになるかもしれないと思いとりあえず進む。

だが、どう考えても登りっぱなし

確実にママチャリで登山している

菊名から横浜までの交通の要所であるはずであるのに、登山をする訳が無い。そう思い一度坂を降りて大豆戸交差点まで戻り、道をよくよく確認する事に。

 

地図を開き、よくよく確認。

 

そして、やっぱ間違っていなかった事を確信

 

これか。これが綱島街道の恐ろしさか。

だが、予定のルートを変えて道に迷うよりは良い、その考えのもと、私は再び綱島アタックを開始

 

ひたすら登る。

もはや疑いようも無く登山である。

だが、地図上ではこの道に間違い無い。

気が付けば、夜の帳もおりかかっている。

とりあえず、『法隆寺』という交差点が出てくるはずで、そこで『右ルート』『左ルート』の選択をしなければならない。どちらを通っても着く場所は同じであるのだが、どう言う訳か道がそこで二手に分かれているらしいのだ。

 

そして、登り続ける事1時間あまり。ようやく法隆寺交差点に到着。

何はともあれ、道があっていた事にとりあえず安堵する。

これだけの山道を登って万が一でも間違っていたとなれば多分この段階で家に帰る方向で考えただろう。

 

そして、予定通り左右にルートが分かれている。

左へ進めば下り。

右へ進めば更に登っている。

私は真先に左ルートへ進もうとしたが、不意にある不安感に襲われる。

 

ひょっとしてこの下りはフェイクじゃないか……

安心させておいてまた登らせようと言う綱島街道の罠なんじゃ無いか……

どっちだ、どっちが正解なんだ……

迷ったあげく、私が出した結論。

 

綱島に騙されるな

 

更に登るべく、私は右ルートを選択。

 

まあ、もうどうにでもなれって感じでして……

 

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