田中栄二のママチャリ日記 第四弾


「戦慄」

 

半ばやけくそで選択した右ルート。

だが思ったより登りが軽い。

この程度の登りなら、いくらでも進める。

 

おっ、これは正しい選択をしたんじゃないか。

いや、そうだ、そうに違いない。

というか、そう思わないとやってられない

 

そして程なく、山頂へ。

よし、よく頑張ったぞ俺。後は横浜に向けて下るだけだ。

 

しかし、山頂まできた私はやはり選択は間違っていた事を確信する事に。

 

例えばですね、どういうふうに有給休暇を使うかと言う事で。

大きくふた通りあると思うんですよ。

小出しに使う人と、溜めておいて一気に連休にしてしまう人と。

それぞれ趣向もあるだろうし、使い方は人それぞれですよね。

どちらも一長一短だと思うんです。

それで、この場合はですね、右ルートは働くだけ働いて一気に休む『ロングバケーション』コースで、おそらく左ルートは小出しに下り坂がある『飛び石連休』コースだったと思うんです。

どちらも一長一短で、と言いたい所ですがね。

この場合の『ロングバケーション』コース、かなり危険が伴うんですよ

 

ほーら、下り急すぎ

 

眼下に広がる絶望的な光景にしばし呆然。

 

今思えば歩道を使ってゆっくり下っても良かったのだが、精神的にも肉体的にも追い詰められていた私は車道を使って一気に下るという選択をする。

 

早く普通の道に出たいと言う思いが先行したのかもしれない。

 

車が途切れるタイミングを計り、車道へ飛び出し一気に加速。

 

え〜い、ままよ。

 

重力に任せて下るだけでも結構なスピードになるのだが、追いこそうとする車に煽られ、むしろ漕ぐ

仮にこの時、車が不意に飛び出てきたり、見えない段差があったりしたら、これから羽ばたこうとしている、いや羽ばたくかもしれない、いや羽ばたかないかもしれない貴重な若手ドラマーの翼をママチャリによってもがれる結果となったであろうことは疑い得ない。

 

まさにドラマー生命のすべてを賭けた激走。

 

きっと無事に下れば大物になれるはずだ。

そう自分に言い聞かせ、更に漕ぐ。

おそらく私のママチャリ歴の中で間違い無く最高速でぶっ飛ばす。

 

そして、激走の末、ほぼノンストップで下り切ることに成功。

 

これで私のドラマー生命は約束されるはずである。

 

 

こうして恐怖の綱島街道はクリア。後は国道をひた進めば横浜市街に出れるはずである。

広い道路、煌めく街灯りは、私に横浜を予感させる。

よし、来たぞ横浜。

 

とりあえずルート確認の為、一旦コンビニで休憩をとる事に。

スポーツ飲料を買い、久方ぶりの一服。

どうやら綱島に相当体力を取られたようで、一気に全身に疲労感を感じる。

休憩しつつ、地図を開き、現在地と今後のルートを確認する。

 

前日のシュミレートでは単純に国道を進む予定でいたのだが、どうやらそうすると横浜駅や桜木町駅といった繁華街を通る事となる。

それはママチャリではちょっと恥ずかしい。

そこで、せっかくだからみなとみらい山下公園といったオシャレなスポットを通って行く事に。

 

ひょっとしたらそっちの方が恥ずかしいのかもしれないが、まあ思い出にはなるだろうと。

 

一息つき、体力もだいぶ回復したので、気合いも新たに、いざみなとみらい。

 

さすがに横浜市街地だけあって、歩道は広いし、整備が行き届いていて走りやすい。

やはりママチャリは都会向きなのだと言う事を改めて実感。

う〜ん。軽快。

 

そして、多少道が入り組んでいた為迷いはしたが、難無くみなとみらい到着。

 

じゃあ、チャリを止めてゆっくり観光でも、しようとも思ったのだが、博物館やらホテルやらランドマークやら、およそママチャリとは無縁の建物が並ぶ。

というか、みなとみらい自体ママチャリの御来客をまったく想定していないようで。

ママチャリを停められそうな場所なんてありゃしない。

みなとみらいは以前にも何度か来た事はあったのだが、こんなに冷たい所だったとは思わなんだ

 

二度とママチャリではみなとみらいに来ないことを胸に誓い、立ち並ぶホテル群を横目にそそくさとみなとみらいを後にする。

 

山下公園へ。

ここは初体験である。

なんてったって恋人達のメッカ。

 

なんとなく嫌な予感はしていたんですがね・・・

 

山下公園に近付くにつれ、当たり前のように増えてゆくアベック。

 

そして、やはり降り注がれるアベック達の好奇な視線。

 

「きゃ、見て見てあの人、なんかへ〜ん」

「おいおい、あんま見るなよ」

 

・・・・・・

 

なんだかここまで来ると逆に楽しくなってきます

 

は〜い、ママチャリ通りま〜す

 

時にはアベックを切り裂きつつ、ママチャリばく進。

 

山下公園に到着し、むしろママチャリごと突入

 

そして意味もなく走り回る

 

どうだアベックども。お前の愛する彼は俺のマネができるか?

 

・・・・ちょっと想像してみて下さい。

 

後数時間で誕生日を迎えようとしているミュージシャンが、一人でママチャリで山下公園をクルクル回っている姿を

 

 

さらば横浜。

 

さあ、後は一路横須賀へ。

ともすれば悲しさに負けそうな気持ちを奮い起こし、私とママチャリは更に進む。

 

横浜をこえ、国道16号に入る。

あとは横須賀へ一本道である。

ダウンアップもなく、都会とも田舎ともつかない街並をただひたすら進む。

 

実のところ、この段階でママチャリにちょっと飽きが来はじめていたのだが、いや、楽しいんだ、今俺は最高に輝いているんだと無理矢理自分に言い聞かせ、なんとか進む。

 

 

そして、ここに来て身体にある変化が起き始めている事に気が付く。

 

足が動かねえ・・・

 

それは本当に急激にやってきた。

太ももが自らの脳の支配から離脱したように感覚が無くなり、ただ惰性でペダルの動きに合わせ上下運動をしているのだ。

止まりそうになれば、手で太ももを押し下げる。

まあ、素人が何の準備もなく長時間自転車を漕ぎ続けた訳だから、なにかしら障害が出てくるのも無理からぬ事である。

 

そしてもうひとつ重大な変化が。

 

太ももがまったく機能しないのとは裏腹に脳は異常なハイテンション状態

 

いわゆるランナーズハイという奴だろうか、ふと気がつくととんでもない懐メロを口ずさんでいる

 

だが足が重いのでさほどスピードは出ず、ちょっとした酔っ払いに見えなくもない状態。

 

動かない太ももを手で押し下げ、懐メロを歌う。

 

ちょっとした極限です

 

私は歌いつつも多分色々な事を考えていたと思う。

人生とか、音楽とか、将来とか、いや、もっと深い何かを。

身体的に一定の臨界を超えると、おそらく人間の思考は恐ろしく鋭敏になるのだろう。

私はこの時、非常に貴重で、重要な体験をしたのかもしれない

 

だが。

 

何を考えていたのかまったく覚えてないので、何の役にも立たないんですけどね

 

肉体的にも精神的にも、来るところまで来た状態でただひたすら進む。

 

そして、出発してより実に7時間。

21時30分、横須賀到着

 

当面の目的を達成した事にひとまず安堵。

とりあえず駅近くの臨海公園に落ち着く。

人陰もなく、静寂が私とママチャリを包み込む。

潮風が心地よく流れる。それは海からの静かな褒美に思えた。

 

うん、我ながらよくやった。

 

相当疲れてはいたが最高に気持ちいい

 

 

そして、ここまで何かあれば連絡していた、道に詳しいギタリストM氏に横須賀到着を報告。

 

この感動をいち早く伝えたい。

 

しかし、M氏の携帯の電波状況がよくないらしく、なかなか電話が繋がらない。

 

やっと繋がったが、なにやら電話の向こうが騒がしい。

 

そしてその喧噪の中、M氏の第一声。

 

あぁ〜もしもしぃ〜

 

て、てめえ酔ってやがるな。

 

俺がこんなに疲れ果てて遠い目で海を眺めてる最中に、てめえ、酔ってやがるな。

 

そう思いつつも、紳士的に現状報告。

 

「いや、お陰さまで無事横須賀に到着しまして」

 

あ〜もうついたの〜、はやいねえ〜、あ、ち、ちょっとまって

 

電話の向こうで何やら喧噪にまじり話声が聞こえる。私の話題をしているようだ。

 

そして。

 

「あ〜どうも初めまして〜。僕Mの弟子の○○っていうもんですけど〜」

「あっ、どうも初めまして・・・」

「いやあ、凄いですよねえ〜。今どこなんですか」

「今横須賀に到着・・・」

「あっ、ちょっと待って下さい」

ざわざわざわざわ・・・

「あ〜もしもし、初めまして〜○○っていいます〜」

「・・・・・」

 

それから数人に、現在の状況や、何故ママチャリで旅立ったのかとか、ほぼ同じ事をくり返し答える。場合によってはちょっとした音楽の質問にも答えつつ、再びM氏。

 

いや〜、今若い奴と飲んでてさあ〜・・・(以下記憶なし)

 

私の中で芽生える殺意

 

Mさん、お世話になりっぱなしで申し訳ないんですが、この時私、本気で殺してやろうと思ってました

 

改めて、この旅は孤独な戦いなんだという事を再確認し、次の戦いに向け鋭気を養う為、ひとまずサウナとか健康ランドとか、風呂に入れてゆっくり休める場所を探す事に。

今日の宿提供者であるキーボーディストN氏との待ち合わせには、待ち合わせポイントまでの移動時間を考慮しても時間がある。

 

しかし、横須賀駅付近はデパートやホテルはあるのだが、やたらと近代的な感じで、そういった施設がある雰囲気がまるでしない。

そこで地図を確認し、横須賀駅程近くの横須賀中央駅付近に移動。

 

来ましたネオンサイン。

 

ナイス場末感

 

これは間違いなくサウナの一つはあるだろうと、ママチャリを停め探す。

 

がしかし、これがなかなか見当たらない。

 

どうやら表通りには無さそうなので、ディープな道にもチャレンジし、薄暗い路地にようやく一件それらしい店を発見。

 

やはりあったか。

 

ほとほと疲れていたし、さっそく店の門をくぐろうとした、が、店の名前に思わずためらう。

 

 

ばら健康センター

 

ばら?

 

ばらってなんだ?

 

ばらって、ばらって、ひょっとしてあれじゃないの?

 

それって、ちょっとやばいんじゃないの?

 

ホ○しか入れないんじゃないの?

 

とりあえずパスする事に。

 

しかし、それから30分あまり他の店を捜したのだが、どうにも見当たらない。

 

体も精神も、もう限界まで来ている。

 

え〜い。

 

もうなんでもきやがれ。

 

ばら、行ってきます

 

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