田中栄二のママチャリ日記 第五弾
「疑心」
扉の向こう側はどんな世界か。
万が一不測の事態が生じた場合はダッシュで逃げる事を考慮に入れママチャリを近場に移動させ、カギを握りしめながらばらの引き戸に手をかける。
一体『ばら』はどんな色なのか。
さあ、いざいかん。
私は気合いをみなぎらせ、勢いよく扉を開けばらの中へ。
しかし、私の意気込みとは対照的に、普通のおばさんが笑顔でカウンターに鎮座していた。
いきなり屈強な男がいたらダッシュで逃げる覚悟だった私は、年令はともあれ女性がいたことにひとまず安堵。
しかし、そのおばさんの一言に私は驚愕する。
「いらさいましぇ〜」
て、てめえ、日本人じゃねえな。
いや、別に外国の方すべてが恐いとか言う訳じゃないんですが、単純にこの時はひょっとしたら違うサービスとかがあるんじゃないかと素直に疑ったのは事実なんです。
しかし、屈強な男ならまだしもおばさんに怯む訳には行かない。 こうなったら自分の中にある心の不良総動員で、おばさんに挑戦。 とりあえず勢い勝負です。
精一杯態度悪く、カウンターに肘を着く。 「あ〜っと、風呂入りたいんだけど、幾ら?」 「しぇんさんびゃくえんでえ〜す。そこの券売機でチケトかてくらさい」 おばさんは私のワル度合いには怯む様子もなく、笑顔で応対。
なんだ、なんだかんだでいい選択をしたんじゃないかと思いつつ、発券機から大人一人のチケットを買いカウンターへ差し出し、一応ワルは保ったままおばさんに『ばら』のシステムを聞く。
おばさんは私の問いに尚も笑顔でシステムを説明。
どうやらこの健康センター、遠赤外線を利用したサウナが売りらしく、まずは風呂で体を洗い、よく水気を拭き取ってから遠赤外線サウナに最低でも20分入る、という行程が基本らしい。
おばさんの話口調から、どうやら怪しいサービスがある訳ではないらしい事は確信したのだが、おばさんはやたらと私に貴重品の管理についてしつこく注意を促してきた。
何度も何度も「きちょひんはかならずロカーへ入れてかぎかけてくらさい」と言う事を繰り返す。
なんだそのしつこさは。
不意に私の頭に不安がよぎる。
ひょっとしておばさん、ロッカーの合鍵使って客の貴重品を盗み出し、文句言われたら『だからかぎかけて下さいいったでしょ』なんてぬかすつもりなんじゃないか。
しかしもうチケットは買ってしまった訳で。まあ万が一貴重品が盗まれたとしてもチャリの鍵まで盗まんだろうし。
意を決し、男性用のロビーに入る。
しかし、また私は不安に苛まれる事に。
誰もいない・・・
ひょっとして予感は当たっているんじゃないか、そう思ったが今更引き返す訳には行かない。
一応一番目立たないロッカーに、脱いだ衣類で貴重品をくるみ何度も鍵をチェック。
もうこうなったら諦めておとなしくサウナを楽しんだ方が言い、そう自分に言い聞かせとりあえず入浴。
しかし、やはりロッカーの事が気になりそそくさと体を洗い終え、遠赤外線のサウナへ。
おばさんの説明だと、このサウナに最低20分は入らないといけない。
ということは、ひょっとしておばさんは20分で盗みの行程をコンプリート出来ると言うことかと疑いたくなったが、このサウナ、入ってみると非常に気持ちが良い。
私は元来サウナは得意な方ではないのだが、本当に何十分でも入っていられそうな心地よさだ。
あまりの気持ちよさに、徐々におばさんへの猜疑心が薄れてゆく。
ここまで頑張ってきた太ももをマッサージしたり、ストレッチをしたりしているうちに、あっという間に20分経過。
心の底から暖まり、気分よくロビーへ戻る。
そして一抹の不安を胸にロッカーを開け、何も盗まれていない事を確認。
いい店だ。ナイス選択。
まだキーボーディストN氏との待ち合わせには時間があったので、それからしばらく誰もいないロビーでだらっとする事に。
その間ライブが終わったN氏との連絡を取る事に成功し、ほぼ約束の時間通りに衣笠インターチェンジの麓のファミレスで待ち合わせる事を確認。
地図上の目算では1時間ほど走れば着けるんじゃないか思われる距離で、気力体力とも復活した私にとってはむしろ丁度いい距離感である。
気合いを入れ直し、身支度を整え、ロビーを出る。
すでにカウンターにおばちゃんの姿はなく、どうやら代わりに立っているのであろう男性に、この旅では事あるごとに写真を撮っていたので、せっかくいい店に出会えたのだから記念に一枚撮っておこうと思い、店の撮影許可を貰い、外へ出て写真撮影。
するとおばちゃんが慌てて飛び出してきた。
「ちょっとあなたなにやてるのっ」
「あっ、いや、許可は貰ったんですけど」
それから、私が東京からママチャリでやって来たことや、これから熱海まで行こうと思っていることや、その記念に写真を撮っているんだと言う事を告げる。
しかし、おばちゃんは「東京からママチャリでやって来た」という事実をどうも受け入れない。
ママチャリで来ている訳だから、当然近所の人間だと思われたのであろう。
おばちゃんは猜疑の目で終始私を見つめる。
何となく疑われたまま行ってしまうのも忍びなく、私は誤解を解くべく、あえて、何となく理解していたこれからの道のりをおばちゃんに質問。
「これから衣笠ってところまで行きたいんだけど、どう行けば一番いいかなあ」
すると、おばちゃんと「すわ騒ぎか」とおばちゃんの後を追って出て来た常連らしきおばちゃんが見つめあってしばし絶句。
そして「これから衣笠までいくか?1時間いじょあるよ」
「あ〜多分それくらいでしょうねえ。まあお陰さまでゆっくりできたから軽いですよ。東京から7時間かかったんだから」
このやりとりにより、私はおばちゃんの信頼を勝ち取る事に成功。
それからおばちゃんはむしろ私を羨望の眼差しで見つめ、懇切丁寧にルート説明開始。 勢いあまって何か食べ物でもくれそうな気配まで漂い始める。
おばちゃん、世話になったがもう行かなきゃなんねえんだよ。
ついでにおばちゃんも写真に撮り、颯爽とチャリにまたがる。
「がんばてね〜」とのおばちゃんの声援を背中で受け、目指すは衣笠インターチェンジ。
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