音楽療法について また今年の9月か来年の2月まで支援センターすずなりとハートサポートとの共催で全11回で専門家を招いて、みんなが「自分から何かやってみたい」という気持ちにさせる雰囲気の中ですずなりの3階で音楽療法が行われています。 「感情の発散」というひとつの機能を持つ音楽は、怒りをおさめ悲しみを癒します。言葉が苦手な人でも、音楽は自己感に刺激を与え活性化します。また、グループ(バンド)で演奏活動は、言葉を超えた対話があり楽器を操れた時の自己愛的な満足があります。それと同時に、特定の時間と枠の中でやることになるので、必然的に自分中心的考えではなりたたず他者を中心としなければ成り立たないので、言い換えると適量の応答性があることによって、適応や人間関係パターンの発展に効果が出ているようです。このままいけば、草加市初の当事者のバンドが生まれ、地域交流活動として色々なイベントにライブをコーディネートし、みんな一緒に踊ったりできる日が来るかもしれません。 |
2006年9月9日から、月に2回、「生活支援センターすずなり」の3階で行われている「音楽療法」に参加しました。私は、ドラムが多少できるので、「ドラムを叩く」という接点も含めて、参加しました。もちろん、みんなで歌う歌も好きですが。 初回はものすごく緊張しました。今も多少緊張しますが、デジタルドラムを持ち込んで「ドラム」が叩けるのがうれしいです。「感想でもなんでも‥」ということで文章を依頼されましたので、ちょっと今回は足りない頭を使って、「音楽療法の意義」について考えてみました。 まず、インターネットで「音楽療法とはなにか」を調べました。次のようにありました。引用します。 「音楽療法とは、『音楽のもつ生理的、心理的、社会的働きを用いて、心身の障害の回復、機能の維持改善、生活の質の向上、行動の変容などに向けて、音楽を意図的、計画的に使用すること』をさすものとする。」(日本音楽療法学会「音楽療法の定義」より) ここで述べられているのは、そして、うれしいことに(自分も音楽に多少携わっているので‥‥というのは、2年前、「じぇらーる」という名前で「曲」というCDをインディーズながら発売したので)、音楽の「社会的意義」「音楽の可能性」が積極的に認められているからです。 音楽は、たとえば日本の場合、「雅楽」とかまで振り返ってしまえば、太古の昔より、「音楽」は存在します。音楽の「社会的意義」や「理念」「意味」をもっとも身近に理解しやすく感じられる存在は、アフリカの部族社会などで行われている、「踊り」や「歌」ではないでしょうか。そこでは、歌を歌ったり、太鼓を叩いたり、踊ったりすることで、部族の中の一体感を得たり、喜びを共有していることです。現代社会はものすごく「孤独」です。しかし、音楽療法で行われている「歌をうたう」や「楽器を演奏する」などをしているとき、その演奏している音楽のメロディー、歌詞やリズムの楽しさを共有します。「音楽で1つになる」ということです。ある歌詞に「希望」を感じたり、あるメロディーに「楽しさ」を感じ、心が癒される。 最近、私が好きな曲に、小田和正の「風のように歌が流れていた」というのがあります。曲の調(しら)べにのるこの曲の歌詞すべてがいいのですが、特に「やがて時はすぎ、人も去りゆけば、いつしかすべてのことが忘れられていく」「でもそのうたをきけば、淡い想いが、小さな出来事があざやかによみがえる、なつかしく」の部分が好きです。 いろんな出来事は時代とともに「すべてのことは忘れられていく」のでしょう。しかし、ある音楽がその聞く人の人生の、ある時期をなつかしく思い出させることもある。 これをきいていた頃、私は「音楽の意義」とか「意味」とか、「音楽とはなんぞや」みたいなことを考えていました。そして「風のようにうたが流れていた」という曲を聴きました。まさに曲名のとおりです。音楽をあまり必要としない人もいる。一方で若い人は、音楽を必要とする。そして歌(音楽)は、「風のように流れている」。はかないことかもしれないけども、すべてのことは忘れられていくけども、風のように「歌」は流れている。その「歌(音楽)」に自分の人生となんらかの形で接触できていればいいと思いました。それが私の「音楽療法」です(なんちゃって‥‥)。 |