第2節 ARMS
『ドン・キホーテ』は、スペインの作家セルバンテスの小説。騎士道の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなった郷士が、自らを遍歴の騎士と任じ、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と名乗って冒険の旅に出かける物語である。(wiki)
この小説の中で理想と現実の区別がつかなくなり奇功を繰り返すドンキホーテに対して、現実的な対応をするよう諫めるのが従者サンチョパンサです。彼は無学ではあるが、世間知(処世術)にたけた極めて常識的な人物である。
(ARMS)
さてここで本題に入ります。ARMSとは、At-Risk Mental State,の略で、 精神病発症危険状態と訳し、精神病発病へのリスクの高い状態を意味します。
※1 精神病を発症するリスクが極めて高い一群を効果的に同定し疫学研究・介入研究を実施するため,約20年前にオーストラリアのグループが 従来の前駆期研究や統合失調症のハイリスク児研究を参考に,複数のリスク因子を組み合わせて診断基準を作成した(Yung et al., 1998)。 この診断基準を満たす状態は以下の3つの状態 のいずれかを満たし,臨床的な苦痛のために援助を求めている状態であり,精神病発症危機状態(At Risk Mental State;以下 ARMS)と呼ぶ。※
3 つの状態とは、
① 微弱な精神病症状(一過性の幻覚体験,病的意義が曖昧な知覚異常体験, 一過性の被害念慮,
時々生じるまとまりの乏しい思考など)
② 短期・間欠型精神病症状( 1 週間未満で自然軽快する短期間の精神病状態)
③ 素因と状態のリスク因子(第一親等に精神病を有するか統合失調症型パーソナリティー障害な
どの素因をもち,かつ過去 1
年に社会的機能の低下がみられる状態)である。
※1 子どもの精神病発症危機状態(ARMS)における薬物療法
その後、欧米、そして日本に伝わり、個々の臨床研究が積み重なってある程度のメタ解析ができるようになっていて、本節はその紹介になります。その前に参考となるデータを紹介します。
1 中学生の20.1%が抑うつ得点のカットオフスコア以上であり、先行研究同様に日本の中学生に
おける抑うつ傾向が高いレベルにあることが示された。
※ 東北大学大学院教育学研究科研究年報 (2007年)
2 中学生を対象にした本邦の疫学調査によると、ごく軽微な症状を含む何らかの精神病様症状を
経験する者は15.2%
※ RMS 日常臨床適用への課題: 専門外来の立場から
3 統合失調症の障害発症率は約1%であるが、発症最頻年齢の数値は0.7%~0.8%。 ARMSの研究
から、ARMSの約1/3が発症することが分かっていて、これを左下線部の数値から約2%強の
精神病ハイリスク者がいると推定される。
4 1と3の数値を比べてみる。15.2%→2%強 これの意味するところは?
5 armsの治療においては、精神病症状を優先的に扱うことなく、生活上困っている症状や問題、
機能の維持や回復を第一に目指した治療を行うことが推奨される。そうするうちに、精神病症状
がいつしか消失する場面にしばしば遭遇する。
※ ARMS 日常臨床適用への課題: 専門外来の立場から
6 これは著者の推測になるのですが、4の数値(15.2%→2%強)は、神経生理基盤が児童期から
青年期へと移行する混乱期の終息を反映しているとも考えられるが、一方で、個人の状況を客観
視できる理性(サンチョパンサ)が、「直面する生活上の課題(就学や人間関係)にうまく適合
できるような現実解を示している」ことの効果とも考えられる。
7 ARMS治療で有効とされる認知行動療法は、サンチョパンサがいつしかドンキホーテ化して、
生活上困っている問題への現実的な解決策への対応力がなくなった患者に、外部に第二のサンチ
ョパンサ(治療者)を登場させる手法ともいえる。
(ARMS治験のメタ解析)
ここから本題の日欧米のARMS治験のメタ解析的な結果と治療方針について説明します。
A 短期・間欠型精神病症状(上記病態の②)を呈する患者の精神病移行のリスクが有意に高い。
B 低年齢の事例では精神病への移行は有意に低い。
C ARMSの期間が長く症状が重い(特に陰性症状)患者は、精神病への移行リスクが高い
D ARMS患者が精神病へ移行する割合は1/3、治癒する割合は1/3、発症はしないが何らかの精神的
症状が残遺する割合は1/3
A~DよりARMS治験参加者の(A~C)構成比により治験結果に大きな差異が生じることは自明です。
そのため、各国の治験結果をそのまま紹介することは妥当性を欠くことになりますので、本稿では
紹介しません。その代わり、各治験をメタ解析した上での治療方針が多くの研究者(治療者)から
示されていますので、その紹介をします。
E 精神病薬は第一選択にはならないが、移行リスクが高い患者には使用を考えても良い。精神病薬は
第一選択にはならない理由は、副作用である。とくに若い世代への投与による脳内への影響は
未解明な部分が多い。一方で、副作用が少ないとされるエビリファイは容認性が高い。
F
抗不安剤(SSRI他)はその抗不安作用の有効性の他、認知行動療法をスムーズに行うために使用を
考えてよい。
G 認知行動療法は侵襲性がなく、効果も一定程度程度められるので治療の第一選択と考えてよい。
しかし、精神病移行リスクの高い患者には効果が薄く、その時には精神病薬を使用した方が良いと
の意見がある。
H 補助療法としてω3を考えても良い。効果はある程度認められる。
(日本のARMS対象専門施設)
日本にはARMS治療を専門に行っている(最新情報は調べていません)施設がありますので下に記載します。
富山大学附属病院神経精神科 こころのリスク相談
東邦大学医療センター大森病院 イルボスコ
東北大学病院精神科 safeクリニック
東京大学医学部付属病院精神神経科 こころのリスク外来
三重県立こころの医療センター 若者支援外来ユースアシスト クリニックYAC
(日本のARMS患者に対する治療)
さて以上で、ARMSについての大枠を説明しましたが、そこで得られた知見が、そのまま今の精神科の治療に生かされるているかと言えば、残念ながらそうななっていないようです。(2007年、東京都の精神科医に行ったアンケート(内容は精神科医がARMS患者に行った治療)内容が、「統合失調症の前駆期に対する精神科医の治療観」というタイトルでネット上に公開されています)
第一のポイントは、ARMS患者に対する第一選択が「精神病薬の使用」ということです。これは、上記Eの治療指針と相いれない内容ですが、これはある意味いたし方ないことでもあります。必要な医療スタッフを揃えると民間経営を圧迫しますし、国の厳しい財政状況でこれを支援するのも難しいです。
それと、医療資源に対しての患者数が多いというのもまた事実です。大都市の精神科だと新規予約に1か月待ちというのもざらにあります。やっと予約が取れて初診に30分、次回からは体調を聞いて薬の処方量を変化させるのみ。このようなケースが実態でしょう。
ここに、ARMS治療の第一目標とすべき認知行動療法との差異が生じてしまいます。つまりは、サンチョパンサは外には存在しないのです。そのため、ドンキホーテ化して外世界への対応力を失ってしまっているサンチョパンサを内なるアドバイザーとして復活させる必要がでてきます。それも、本人の自覚と努力において。とはいえ、そのための「HOW TO 」があり「行動の指針たる知恵」もあるはずです。 本稿ではそれらを、次章で「個人のできること」として、著者の考えも適宜挿入しつつ紹介します。