第1節 前駆症状
統合失調症の顕在発症(多くは陽性症状)が出現する前に、非特異的な症状が出現する前駆期が存在します。
前駆期の長さは、平均4.8年(中央値2.3年)と報告されています(Hafner et al., Eur Arch Psychiatry Clin Neurosci, 2004)。ここで中央値と平均値について簡単に説明します。中央値はデータの真ん中の値です。例えば3人のサラリーマンの平均年収を Aさん 300万円 Bさん500万円 Cさん2200万円 とすると、中央値は3人の中央(2番目)に位置するBさんの年収500万円です。 平均は1000万円となります。このように大きくぶれる数値があると平均値と中央値は乖離します。
(データ)
次に症状について、著者は、精神科開業医のホームページで(統合失調症、前駆症状)のキーワードで検索して、前駆症状のデータを調べました。ただし10件分とデータ量は少ないです。
集計は以下のとおりです。
陰性症状 24 (社会的ひきこもり6 抑うつ気分5 不安焦燥6 身なりに無頓着2 人間関係に問題1
集中力低下3 気分の変わりやすさ1)
陽性症状 6 (被注察感2 奇妙な行動・話し方2 他人に対して被害的になるといった性格の変化1
軽度の妄想1)
認知機能障害 3 (思考力低下1 成績が急に下がる1 できていたことができなくなる1)
その他の症状 睡眠障害 7 強迫症状1 聴覚過敏2
一見して陰性症状が多いのが分かります。認知機能障害は診察時に分からないこと、また、陽性症状があれば統合失調症と診断されるので、陰性症状が主体なのは理解できます。
ところで、統合失調症の前駆症状の中で、睡眠障害・聴覚障害(音に敏感)・強迫症状は注目すべき症状です。下にその理由と症状の特徴を記します。
(音に敏感)
統合失調症の前駆症状の項目で「音に敏感になる」は、やや意外感があります。著者も最初そうで
した。ただ、少しでも統合失調症について学ぶと、これは統合失調症の基本中の基本であることがすぐ分かります。なにしろ統合失調症のモデル動物がこの症状を持つマウスなのですから。
脳内には感覚ゲート(フィルター)があるとされ、必要としない情報をシャットアウトします。
騒がしいパーティー会場で友人と会話できるのは、周りの雑音をシャットアウトする抑制作用が働くからで、これをカクテルパーティー効果といいます。
また、急に大きな音をきくとビックリしますが、大きな音刺激(パルス)の直前に小さな音刺激(プレパルス)を与えると、驚愕反射が抑制されます。この現象をPPIといい、これもまた、感覚フィルター(抑制)の効果とされています。
統合失調症の原因としてGABAの機能障害があげられていて、GABAは感覚ゲート(フィルター)へ
の抑制作用を持つことから、統合失調症の前駆症状の項目で「音に敏感になる」はGABA機能の
不調が症状となってあらわれたものかもしれません。
日常生活では次のような症状になって表れます(文献を参考)。
・授業に集中したいのだが、教室外の雑音が気になって、先生の話に集中できない。
・寝ていても周りの小さな雑音に驚いてすぐ起きてしまう。
(睡眠障害)
※1 統合失調症の急性期において睡眠障害はほぼ必発の症状であり,患者は著しい入眠困難,睡眠
維持の困難を示すとされます。また健常者の睡眠が、入眠直後にノンレム睡眠に入り、次にレム 睡眠へと移行するのに対して、統合失調症患者では健常者と逆で、入眠後比較的すぐにレム
睡眠に入るという特徴があります。さらには、ノンレム睡眠が減少するという睡眠覚醒の障害
も知られています。
統合失調症の不眠の原因としては,統合失調症の 背景にある神経機構の異常が直接的に不眠
をもたらすこと,幻聴や被害関係妄想などの精神症状により二次的に不眠をきたすこと,
日中の活動性の低下が不眠をもたらすことなどが推定されていますが、 詳細は明らかになって
いないようです。※1
統合失調症の前駆期においても、睡眠障害も必発とは言えないまでも、かなりの高確率で生じて
いるものと思われます。ただし、多くの精神疾患で睡眠障害が認められるので、睡眠障害は
非特異的症状であり、直ちに統合失調症に結びつくものではないようです。
※1 特集 精神疾患に併存する睡眠障害の診断と治療 精神疾患にみられる不眠と過眠への対応
(強迫行為)
「音に敏感」が前駆症状なのは意外でしたが、「強迫行為」もそれ以上に意外感があります。それは、強迫障害の患者は強迫行為に対する「違和感」があり、病識の欠如しやすい統合失調症患者とは、明らかに違っていると思えるからです。ところが、色々調べてみると、強迫行為と統合失調性との関係は複雑であり、前提条件を設定しないと話は混乱するのみだと気づきました。
その前提とは、
1 統合失調症の前駆症状に強迫行為があること
2 強迫性障害と統合失調症が併発していること
3 それぞれ単独発症しているが誤診する可能性があること
以上1~3の存在を認めることです。ここがあやふやだと、考えが混乱します。
以下、①強迫性障害と統合失調症と共通点、②相違点をあげ、その上で、思春期と青年期のフェーズに分けて、「統合失調症の前駆症状としての強迫行為」について著者の考えを述べてみなす。
まず統合失調症と強迫性障害の共通点を記します。
・発症年齢が思春期以降と共通している
・発症の神経生理学的基盤として、セロトニン,ドパミン,グルタミン酸が関係している
・disk1遺伝子など特定の遺伝子変異が統合失調症や強迫性障害を含む多くの神経疾患の共通因子と
考えられている
・※1 特定の部位、例えば、グリア型グルタミン酸トランスポーターの機能異常が両者を含む多くの
神経疾患を引き起こす
※1
以上のことから、統合失調症と強迫性障害とは神経生理学的基盤に共通部分を有していることも
あり、その上で、違う病態に分かれるのは、障害部位、時期、障害程度の差や、その他障害部位と
の組み合わせ等によるものと推察されます。この観点に立てば、強迫行動が統合失調症の前駆症状
であったり、両者が併発することも十分ありえます。
※1 グリア型グルタミン酸トランスポーター機能障害と 精神疾患 日本生物学的精神医学会誌 28(2)
次に、統合失調症と強迫性障害の相違点を記します。
・統合失調症は脳の病気であるが、強迫性障害は心(認知)の病気という側面も併せ持っている。
・強迫性障害は自らの強迫行為に違和感を持つことが多い。一方で、統合失調症患者は病識を持たな
いことが多い。
・強迫性障害は心理療法だけで治癒することも可能である。
・強迫性障害の巻き込み症状は、他の精神疾患では通常みられない。 次に発症年齢を、A 思春期前期から B
思春期後期もしくは青年期から、のフェーズに分けて、
統合失調症と強迫性障害の関係性を考えてみます。
ただしここの部分は、いくつかの文献を参考の上で、著者がまとめたものです。
A 思春期前期以降(中学校1年生前後からを想定)
統合失調症はいつのまにか発症しゆっくり進行する。男児が多く、陰性症状が目立ち陽性症状は
少ない。早期発症の背景に遺伝負因が考えられ、上記共通点の特徴が色濃く反映されるので、強迫
性障害と統合失調症が併発していることも十分ありえる。
また、強迫行為が統合失調症発症の前駆症状であることもあり、初期であれば強迫行為への違和感
はあり、強迫性障害と診断されることもある。
以上のことから、強迫症状から「統合失調症の前駆症状と強迫性障害を区別する」ことは困難である
※ 前駆期の治療不応性強迫症状が発症後に反応性となり改善した思春期統合失調症の1例 奈良県立医大
※ 統合失調症様症状をきたす小児の疾患 子どもの強迫性障害と統合失調症
※ 児童期発症精神分裂病の特徴と前駆期の強迫症状の 有無による下位分類に関する検討 奈良県立医大
B 思春期後期以降(高校生高学年以降を想定)
遺伝負因の影響はAより少なく環境要因との相乗作用によって発症してくるケースが多くなる。
例えば強迫性障害は、人生のターニングポイント周辺での不安・ストレスが蓄積し、何らかの
きっかけから認知のゆがみ生じ、それが強迫行為に結びついて発症する。
この年齢以降は両疾病の相違点の特徴が反映されるため、強迫行為が統合失調症の前駆症状で
あったり、両疾病が併発することは少ない。そのため、強迫行為への違和感があれば強迫性障害の
可能性が高い。
しかし、例外もある。認知のゆがみが連鎖し妄想的になると、本人も認知の内容を違和感なく信
じこんでしまう。こういうケースでは統合失調症と誤診されるかもしれない。
※1 強迫性障害の症状に「巻き込み」があるが、思春期後期以降もしくは青年期でこの「巻き込
み」があると、他の精神疾患の可能性を排除できる判断材料になりえる。※1
※1 強迫症を治す 亀井士郎 松永寿人