09.「岸を隔てて火を観る」の計
『派閥争いは放っておけ』
「敵が派閥争いなど内輪もめをしていたら、自分はむやみに手を出さないほうがよい。放っておけばその敵は自滅あるいは弱体化するであろうから。」というのがこの計略の意味であります。名前の由来は、「岸の向こうの火事は(敵の混乱は)こちらに火の粉が飛んでくることはないから、燃え尽きるまで放置しておけ」というものです。内輪もめは組織が滅びる前兆です。もし邪魔な組織が内輪もめをはじめたら、この計略を使うチャンス到来です。
曹操と袁紹一族
官渡の戦いで袁紹が死んだ後、袁家は後継者争いをはじめた。当時、袁紹は死んだといえども曹操は袁家にかなう勢力ではなかった。そのため曹操は無理に戦をせずにこの計略を使い、袁家の息子たちが争っているのをいいことに、数年間袁家を放置しておいた。曹操は派閥争いによる自滅を待ったのである。
「曹操が攻めると派閥は仲直りし、袁家は団結するが、曹操が撤退するとまた自分達の欲を出し始め派閥争いを再開する」ということがくり返されたため、計算高い曹操は放置することで、袁家の自滅を促したのである。果たして袁家は派閥争いで収集がつかなくなり、曹操でも倒せる勢力にまで分離
弱体化したのである。待っていた曹操がここぞとばかりに袁家を滅ぼしたのはいうまでもない。
組織にとって致命傷とは何か?それは派閥争いです。それを戦術に利用したのがこの計略で、人間の愚かな心理をついた計略であるため、いつの時代でも、どの組織にでも応用が利くとても活用価値の高い計略です。連帯感のない自分勝手な人物の集まる組織は、この計略の格好の的といえるでしょう。逆に、優れたリーダーがいる、結束力の強い組織には、成功することはないともいえます。蜀の劉備軍は結束力が強く、孔明という優れたリーダーがいたために、後継者争いにつけこまれずにすみました。織田信長が長篠の戦いの後、武田家を放っておいたのも、信長がこの計略を使っていたからではないでしょうか。会社などでも自分の嫌いな上司同士が争っていたら、ヘタな口出しをせずに、放置しておきましょう。共倒れするかもしれません。アメリカが朝鮮半島の例の国をなかなか攻めないのは、この計略で自滅を待っているからかもしれませんね。政界の野党も、同じことを考えているのではないでしょうか?恐ろしいことです。