15.「調虎離山」の計
『相手のテリトリーから誘い出せ』
戦いにおいて、勝利のためには自分のテリトリーで戦うことが何よりも重要です。そのために自分の都合のいい領域に相手を誘い込もうというのがこの計略です。虎も山を離れれば倒しやすくなるように、敵もこちらに誘い出せば勝率はぐんとあがるでしょう。戦では主に城に立てこもる敵を引っ張り出す時に、この計略が使われました。
曹洪の失敗
西涼の馬超が反乱した時のこと。曹操の一族武将 曹洪は曹操に「10日守れば援軍が到着するから、どんなことがあっても10日は絶対に守れ
10日以内に砦を討ってでたら首を刎ねる」との命令を受けた。それを勘付いた馬超は、その日までに何とかして曹洪を砦から誘い出そうと罵声や挑発をする。曹洪は我慢を続けたが、ぎりぎりの9日目、馬超軍のおびき出し作戦に乗ってしまい、砦を奪われてしまった。砦にこもっていれば勝利を約束されていたのにも関わらず、曹洪は挑発に乗り失敗してまったのである。かくして執念深く挑発を続けた馬超に軍配は挙がった。
このエピソードは何よりも、敵のペースに誘い出されてしまった失敗と、それを生んだ曹洪の浅はかさを物語っています。戦をするとき、攻める側は野戦に何としても持ちこみたいのです。砦や城に敵が閉じこもるのを歓迎する大将はいません。そこでこの計略が発揮されるのです。関ヶ原の戦いで、家康が西軍を大坂城からおびき出し、野戦にもちこんで勝利したのは有名で、あれはまさしくこの計略の応用であるといえましょう。(もっとも家康は、自分がかつて武田信玄にこの計略で野戦におびき出され負けた経験がありますが。)太平洋戦争の関ヶ原といわれたミッドウェイ海戦では日本がミッドウェイに主力をこの計略で、アメリカにおびき出されたといえなくもありません。逆にロシアは、ナポレオン遠征の時代から、自分たちが動かないことで、自分たちの領土に相手を誘い込み、それを撃滅させる作戦で国を守り続けてきています。これも立派な調虎離山といえます。
引きこもりの人間も、この計略を使えば外に引っ張り出すことができるかもしれませんね。