27.「痴を偽るも馬鹿にはならず」の計


『馬鹿を演じて油断させろ』
 敵を油断させるために馬鹿を演じる計略です。「笑裏蔵刀」の痴呆版とでもいいましょうか(こちらの方が演技力が必要ですが)自分の野心を見ぬかれて相手に警戒された時、相手の警戒を解くためにつかうのです。

司馬懿のクーデター

 魏の司馬懿はかねてより魏を乗っ取ることを思案していた。だが司馬懿はその能力の高さから警戒されており、魏の曹一族の中心人物である曹爽からも、政敵として警戒されていた。司馬懿にとってはこの曹爽さえ倒せば、後は自分の野望を阻む人物はいなくなるので、何とか曹爽を亡きものにしようと企んだ。クーデターの計画である。曹爽は司馬懿を警戒し、ある日使者を司馬懿のもとへ送った。司馬懿はこれを利用しようと企む。使者の前で司馬懿はボケ老人の演技をしたのである。使者はこれを曹爽に報告、曹爽は司馬懿の警戒を解き、以後油断しきった生活を送ったのである。

 それを司馬懿は待っていた。ある日曹爽が都を空にした日を狙ってクーデターを起こしたのである。司馬懿は馬鹿を演じながら、クーデター計画を裏で着々と進めていたのであった。曹爽が「あれは司馬懿の演技だったのか」と気付いた時はもう遅い、司馬懿は魏の国の乗っ取りに成功し、曹爽は殺されたのである。三国志最後の勝者は曹操でも孔明でもなく、この司馬懿 仲達であった。


 三国志の中では司馬懿だけでなく、劉備も曹操の警戒を解くために、臆病者の演技をしています。劉備はこれで曹操から独立することができました。組織の中では、能力がありすぎるのも考えものです。なぜなら頭がきれすぎると、トップが自分が乗っ取られるのではないかとその者を警戒してしまうからです。自分に従順な優秀な人材は生涯手元においておきたいが、自分の地位を乗っ取る可能性のある優秀な人材は、いつの日か失脚させようとトップは考えるでしょう。曹操は自分より優秀で、才能を鼻にかける人間を警戒し、粛清しました。司馬懿も曹操の存命中はひたすら警戒されないように努力したといいます。戦国時代の黒田如水は秀吉にその才能を警戒され生涯強い権力を与えられませんでしたし、漢楚の時代の名将 韓信は、劉邦に警戒され、殺されてしまいました。大東亜戦争のマレーの虎 山下泰文は電激戦で勝ちすぎたために大本営の嫉妬を買い、左遷されてしまいます。それを考えると、秀吉を生涯この計略をもって騙し続けた徳川家康は、とんでもない寝技師ということができましょう。秀吉政権のおよそ10年間、馬鹿のフリをしていたのですから。我々もよくよく人の目を見て、その人間の本性を見ぬく必要がありますね。