36.「逃げるを上となす」の計


『チャンスが来るまで逃げ続けろ』
 「三十六計逃げるにしかず」という言葉で最も有名なのがこの最後の計略です。ただ逃げるだけ、と思われがちですが、この場合は計略としての「逃げ」でなくてはならないのです。つまり一時的戦術として、明日の勝利のために「逃げる」のであって、臆病から「逃げる」わけではないのです。この点非常に誤解を受けやすいのであらためて説明しました。つまりは「勝つ」ために「逃げる」のです。

逃げの劉備

 劉備の人生は負け戦の連続であったが、結局最後に三国の一つである蜀の国を建国した。荊州で諸葛亮 孔明に出会うまで、ほとんどの戦は惨敗であった。しかし孔明と知り合ってからは戦に勝ち、蜀の国を建国するまでになったのである。劉備が孔明と出会うまで、何度負けてもあきらめなかったのは、最後に勝つ気でいたからであろう。劉備の「逃げ」は、他の一度逃げたら二度と歴史に登場することはない平凡な没落君主たちとは違う「逃げ」だったのである。


 中国には劉備以前にも負けの人生を歩みながらも最後の勝利を収めた人物が多く存在します。代表的なのは漢の高祖 劉邦や晋の重耳などです。劉備もおそらくこうした先人たちの人生を自分と照らし合わせ、敗戦続きの自分の境遇をなぐさめたのでしょう。負けて逃げても決して「負け犬」になってはいけません。「負け犬」になったらその負けは本当の「負け」になってしまうからです。逃げるときは計略としての「逃げ」でありたいものです。

 この計略が三十六計の最後にきているのは実は非常に重要な意味をもっています。それは、この「逃げる」という一見カッコワルイと見える行為を称賛することで、血気にはやって短気者がする無益な戦い「匹夫の勇気」「無駄な喧嘩」を戒めているのです。戦争や戦いを称賛する人はいません。いつの時代も戦いは無駄な犠牲を生み、多くの幸せを奪います。ここにあげた三十六計も戦いをあおるものではなく、戦いの犠牲を少しでも少なくして、早く終わらせようという願いをこめて生み出されたものなのです。この歴史が我々に残した知恵を、どうか世の中を良くする方向に使ってほしいものです。「百回戦い百回勝とうが、それは善などではない。本当の勝利は一人も犠牲が出ない勝利である」と、そのためには汚いといわれる手段を時には使ってもかまわないと古代の兵法家は語っています。何とリアリストな意見でしょうか、戦いの世界、勝負の世界は奇麗事だけではやっていけません。真面目、お人良しだけでは厳しい生存競争を生きていけないのです。清流と濁流を合わせもつことが、何よりも組織を動かし勝負に勝つために、大事なことなのではないでしょうか。