公園のベンチで俺たち二人は眠っていた。
辺りには誰もいない。日はもうすっかり暮れていた。
先に目を覚ましたのは俺の方だった。
「おい、もうこんな時間だぜ」
俺の肩にもたれたまま眠っている彼女に向かって声をかけた。
「あらっ、いつのまに眠ってしまったのかしら…」
彼女も日が暮れるまで眠りつづけていたことに驚いていた。
「今日はせっかくのデートの日だったのに、寝てしまうなんて」
「そうね。でも私は幸せ。あなたとこうして二人きりでいられて……」
そう言うと、彼女はまた俺の肩にもたれてきた。
彼女の髪のシャンプーの甘い香りが心地良かった。
こんな幸せな時間がいつまでも続いてほしいと、その時俺たちは思っていた。
俺たちが結婚したのは、それから二年後のことだった。
何とか就職も決まり、生活の糧ができたので俺からプロポーズをしたのだ。
彼女は快くうなずいてくれた。二人の新しい生活の始まりだった。
一年後、女の子が生まれた。
子どもが生まれてから、俺は仕事の方が段々と忙しくなっていった。三人の生活のためにも俺はがむしゃらになって働いた。彼女たちに惨めな生活はさせたくなかったからだ。
そんな生活が三年過ぎた頃のことだった。
「今日も帰りが遅いの?」
「仕方がないだろっ!会社はそんなに甘くないんだ!」
忙しさのせいもあったが、彼女の言葉に俺は大声で怒鳴りつけた。
そう言えば、もう何ヶ月も帰りは遅かった。休みも仕事に追われ、子どもとゆっくり遊ぶこともできなかった。
「これもお前たちのためだ」そんな言葉を飲み込んで、俺はドアを強く閉めて家を出た。
会社に着くと、いつものように得意先回りをするために車で会社を出た。
今日の相手は初めて訪問する会社だ。俺は気を引き締めた。取引がうまくいけば昇給は間違いない。
その訪問先に行く途中、懐かしいある場所の前を通った。そこは、俺と彼女が結婚する前によくデートとした公園だった。
俺は公園の前で車を止めた。少し古びたブランコが見えた。その近くにベンチがあった。
「二人であそこでよく話をしたな…」
今まで忘れていた彼女への思いが俺の胸の中にあふれてきた。
他愛のない会話だったが、ただ二人でいるだけで幸せだった。
「そうだ!」
俺はあることに気づいた。
「今日は結婚記念日だった!」
それは、二人にとって大切な日のはずだった……。
「そう言えば……」
今朝の彼女はいつになく寂しそうで、何かを決心したような気配が感じられたのを俺は思い出した。
いやな胸騒ぎがした。それは何か大切なものが失われていくような感覚だった。
「まさか、彼女は……!」
俺は訪問先の会社に行くのを止め、自宅のアパートに急いで車を向けた。
家のドアを開けると、部屋の中で妻と子どもがぐったりしているのが見えた。それは眠っているようにも見えた。
「おいっ!どうした!!」
彼女は薬を多量に飲んだらしく意識はなかった。でもまだ温もりがあった。子どももまだ温かい。俺はすぐに救急車を呼んだ。
病院に着いてからの俺はただ二人が助かることを祈り続けた。
「助かってくれ……」
「俺が、俺が悪かったんだ……」
俺は自分に言い聞かせるように、まだ意識が戻らない妻の髪をなで続けた。シャンプーの香りがうっすらとした。それは俺の好きな甘い香りだった。俺は彼女を本当に愛していることに気がついた。
それからの俺は会社を休み、寝ずに看病を続けた。
奇跡的に妻が意識を取り戻したのはそれから三日後のことだった。医者が言うには、もう少し発見が遅れていたらだめだっただろうということだった。
「サッチャンは……」
妻は娘の名を呼んだ。隣のベッドに横たわる娘はまだ昏睡状態が続いていた。
「私が……私が殺してしまったの!……」彼女は狂わんばかりに自分を責め続けた。
「いやっ俺が悪かったんだ……俺は間違っていた……」
今まで家庭のことなど一つも顧みなかったことに俺は心から後悔をした。
その時だった。
「パパ……」
それは間違いなく娘の声だった。
「サッチャン!!」
俺たちは同時に叫んでいた。
娘は長い眠りから覚めたようにゆっくりと目を開けた。
そして、俺に向かってこう言った。
「パパ…………ママを、ママをゆるしてあげて……」
「ごめんね。サッチャン。パパが、パパが悪かったんだ………」
俺はいつまでも娘を抱き続けていた。
俺は前の会社を辞めた。今度の会社は給料は安いが帰りは早くなり、休みもとれて妻も娘も喜んでいた。
「さあ、夕ご飯よ」
妻が温かい料理をテーブルに並べた。娘がいつものように俺のひざの上にちょこんと乗ってきた。柔らかい肌がひざに心地良かった。幸せなひとときだった。
それはどこかで感じたことがあるような気がした。
ずっと前にどこかで……。
あとがき
真実の愛で命は取りとめられ、
真実の愛の中に少女は戻ってきた。
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ある日どこかで…それから